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「愛されるよりも愛したい」 マジで?__ある中年男性の切実な疑問。


タイトルにピンと来た方は私とだいたい同じくらいの世代だろう。


そう、Kinki Kids改めDOMOTOの2枚目のシングル曲
「愛されるより愛したい」
の歌詞である。
というかほぼ曲名そのままだ。



KinKi Kids改めDOMOTOの人気は凄まじかった。
ファンなわけではないので聞いた話だが、
当時ジャニーズでは「2人組のユニット」の編成は相当に異例の采配だったらしい。普通は何人かのグループでデビューさせる。
それだけKinKi Kids改めDOMOTOへの期待は高かったということだろう。
(間違っていたらすみません。)


「剛か。光一か。」

という話題でクラスのKinKi Kids改めDOMOTOファンは盛り上がっていて、私たちは横目でそれをわびしい気持ちで聞いていたものである。
さすがKinKi Kids改めDOMOTOである。


改めすぎなので「KinKi Kids」で統一します。
当時の曲なので。



知らない方に説明しておくと、「マジで」まで本当の歌詞である。
ここがこの曲の「フック」になっていると思う。
「マ・ジ・で〜」というリズム感の良さもさることながら、
「マジで」というフレーズは当時の時代背景を表していると思う。
「愛されるより愛したい」という切実な想いを少し軽妙な若者の心理として機能させている気がする。


しかし記事タイトルの疑問符「?」は私が勝手に付けさせてもらった。
これは私の正直な気持ちだ。

「いや愛するよりも愛されたいです」

という中年の切実な想いである。


これには理由がある。



「愛したいか」
「愛されたいか」

という問いは一度は考えてみたことがある人も多いかと思う。
そしてそれは、

「本当に愛しているのか」
「本当に愛されているのか」

という、より切実な段階へ移行していくことも多いだろう。


個人的に、その度合いは
「その人の経験と年齢と現在の状況による」
と思う。


私が好きなSyrup16gというバンドのボーカルの五十嵐隆がこんな主旨のことを言っていた。

「一般的な日常生活で1番キツいのは失恋だ」

これは確かにそうかもしれない。
もちろん異論はあるだろう。
しかし恋愛ほどままならないものはない。
一旦気持ちが離れたのを「好きでいて欲しい」といってもそれは難しい。
一方通行になってしまった時点で「恋愛」は終わってしまう。
片想いならなおさらだ。
成就しないまま終わりを迎えるのは辛いだろう。


例えばある男性は、
「恋愛に入れ込んでしまう」
という体質が学生の頃にあったとする。
ある男性の話だ。あくまで。


四六時中相手のことが気になる。
他の男と彼女が話していると嫉妬してしまう。
いつか見放されるのではないかと気を病む。
あらゆる不安が胸を裂く。


「愛していること」は本気であればあるほど辛い場合もある。
それは「等価値」を相手に期待してしまうからだ。
そしてそれは恋愛においてほとんど「理性」ではない「本能」だ。
止められない。
特に「思春期」においては。


そういった辛さを度々経験してくると、
「愛するより愛されたい」
という想いが強くなる。のだろう。


そうした状況を感じる時にこの曲のサビが頭に流れ始めるのだ。
そして「マジで?」という想いが込み上げる。

「愛するよりも愛される方が、ずっと楽だ」
これは愛され慣れていない、モテない男性の浅はかな妄想なのだろうか。



私もそうだが、この曲を聴く時に「恋愛模様」をイメージする方の方が多いのではないだろうか。


しかし以下のような歌詞に注目すると見え方が少し変わる。

ギリギリのオトナたちが 積み重ねてるすべてのもの
壊さなきゃ新しい明日は来ない

初めからカッコのいい オトナになんてなれないなら
怖がらずにそのドアを開けばいいだけ

これは「大人になっていくことへの戸惑いとそこから脱する勇気ある一歩」
について歌われているように思う。

この曲はKinKi Kidsが2人で主演していた日本テレビ系ドラマ『ぼくらの勇気 未満都市』の主題歌だ。
うろ覚えではあるが、「大人たちが作った閉鎖された環境からの脱出」というドラマの内容を彷彿とさせる。


ここから感じることは
「愛するか、愛されるか」
という意識は
「恋愛に限った話ではない」
ということだ。


「好意を持つか、持たれるか」
これは知人でも同僚でも、例え家族でも、日々意識せざるを得ない。
あまり良い表現ではないが、その「駆け引き」の中で生きているといっても過言ではない。
当然「恋愛」とは性質は違うが。


「過程と結果」
の話を度々してきた。
どちらももちろん大事だ。
結果が「失恋」になったら、全て無駄だろうか。
「仲違い」したら全て無駄だろうか。
人によってはそう考えるだろう。


しかし普通に考えて「過程」を経るから「結果」がある。
もし「望まない結果」になってしまったら、それは「過程」に問題があったことを疑わなければいけない。


とはいえ、例えば「ビジネス」「スポーツ」「勉強」などに比べれば、「恋愛」は過程を評価しにくい。
「気持ち」が占める割合が多いからだ。
「論理」「数字」は必ずしも意味を為さない。
やった分だけ評価されるとは限らない。
まあそれはどんな分野も多かれ少なかれあるとは思うが。


人間は結局のところ「印象」で判断する。
やはりここでも「日々の積み重ね」が、信頼を勝ち取る方法として最も確度が高いだろう。
それに対する問題が「自分」にあったか「相手」にあったか。
あるいは「双方」か。


「結果」だけを見ていては「問題」を見失う。
次の「結果」も同じ末路を辿るだろう。



「恋愛」
においては結果は死ぬまで出ないこともあるかもしれない。
特に夫婦関係は変化の連続だろう。
それは最後の時まで結論が出ない問題なのかもしれない。


失恋したときに、
「あの恋愛は時間の無駄だった」

と思う人もいる。

恋愛以外の人間関係でも、
「あんな人に付き合わされるのは無駄でしかない」
そういう経験もあるかもしれない。


一度もそういった目に遭わない人生はそれはそれで幸せだろう。
しかしそれは現実的にはほとんど不可能だ。
そして実際に経験しないことから教訓を得られるような「天才的」な人間は限られている。
普通は「経験」から学ぶしかない。


そのうえではどんな「恋愛」「人間関係」「糧のひとつになった」と思った方が、建設的ではなかろうか。
というかそうでも思わなければやっていられない。
教訓として捉えなければ、それこそ無駄になってしまう。


私にも経験がある。
「自分とは価値観の違う人間との距離の取り方」
これは凡人である自分が「経験」から作り出した「防御法」なのだ。


さてここまで完全なる主観で書いてしまった。
根拠となる「数字」「実験」「アンケート」も無い。
恋愛経験が特に豊富でもない、中年男性の戯言である。


KinKi Kidsのこの曲も解釈は人それぞれだと思う。
人間関係に関わらず、大人への階段を登る若者の複雑な心境を書いているのかもしれない。
今回は僭越ながら個人的な解釈を書かせてもらった。


ひとつ言えることは
「恋愛においては常識や一般論は意味がない」
と感じる。

いくらそれを持ち出しても
「当事者の2人」
の間で合わなければどうでもいい問題である。

逆に人にどう思われようが
「当人同士が良ければそれで良い」
と思う。


「愛したい派?愛されたい派?」
たまにはそんな会話を好きな人としてみる。
そして、相手を今より知る「過程」を経るのもいいかもしれない。


マジで。





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