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野心って、悪いもの?

身の丈以上のものを欲し、
努力を惜しまず、
あらゆる手を尽くして夢を叶えようとする。

そんな主人公の映画や本、ドラマはワクワクする。
困難に負けずに何度も立ち向かう姿に、心が奮い立たされる。

彼らの中には、自分の夢を叶えるために他人を蹴落とそうとする者もいた。
夢を叶えて輝かしい人生を手にする者もいれば、夢は叶わなかったが平凡な生活の中に幸せがあるということに気付いた者もいた。

中には、何度失敗しても立ち上がり、這いつくばってでも登り詰めようとする者もいた。


野心。


時には力になり、時には身を滅ぼすその内なる炎。

一生に一度くらいは、誰にでも胸に抱いたことがあるのではないだろうか。

虚栄の市

「ヴァニティ・フェア」という、忘れられないドラマがある。

英語表記はVanity Fair。
虚栄の市と訳される、サッカレーの長編小説を原作としたドラマだ。

舞台は19世紀初頭のイギリス、話はレベッカ(ベッキー)が女学校を飛び出すところから始まる。

出生が卑しく後ろ盾のない少女ベッキーが自らの美しさと才覚、そして女優性を駆使して上流社会にのしあがろうとする物語。
と、書くとなんだか陳腐になってしまうが、イギリスの富裕層社会を風刺した作品とされるだけあって、考えさせられるポイントが沢山あるドラマだった。
こういうストーリー、たまらん。

貴族たちの上っ面だけの会話、選民意識。見栄。
そして、カネ。
様々な立場の、あらゆる人々の野心と欲望が交差する。

いわゆる成り上がり系の話とはちょっと異なり、良い意味で何度も裏切られた。

主人公・ベッキーの野心に触発されて、なんだか自分も頑張りたくなってしまう、そんなドラマだった。
積読まみれなのだが、原作である「虚栄の市」も読んでみたいと思っている。

野心とは、くじけない為の杖?

野心。

この言葉は使い方によっては良い様にも、悪い様にも捉えられてしまう。
だから使うときは慎重になる。

ベッキーは、自分よりも恵まれた環境で育った学友・アミーリアだけに留まらず、彼女の家族を利用してまでも「のしあがる為のステップ」を作ろうとする。

「野心」に気付かれないように、慎重だけれど大胆に。
その後も持ち前の賢さで取り入ったり、美しさで魅了したり、人々の心を掴んでいく。
労力を惜しまない。

彼女を奮い立たせているのは、もっと上に上り詰めたいという野心である。

「生まれた環境」という自分ではどうしようもない理由で人々から軽んじられることを、一生受け入れ続けなければならないのだろうか。
正しく誠実に生きていたら、必ず報われるのだろうか。

ベッキーの節操のない行動に対し、眉を顰めたくなるようなところもあった。
けれどどうしてか、彼女を応援してしまう。
彼女は常に頭をフル回転させて突き進み、努力を惜しまないからだ。

努力。
野心が示す道を突き進むための、原動力である。

ベッキーは人の不幸をモチベーションにしたり、故意に他人を貶めようとしているわけではない。
むしろ他人を不必要に蹴落とす時間と労力があるのなら、自分のために使う。
自分の幸せのために自分自身を使って生き抜こうとしている、ただ自分の理想のためだけに努力している。

そのくじけない心にいつもあるのは、野心。

彼女が生き抜くためには野心が必要だった。
野心に奮い立たされてなんとか生き抜いている、そんな風にも見えた。

野心とは、くじけないためにある心の杖なのかもしれない。


ただ願いを胸に抱いているだけでは、何も始まらない。
昔は王子様の登場を待つだけだったディズニープリンセスたちだって、最近のシリーズではみんな自分で道を切り拓いている。

上り詰めるためには、どうすれば良いのか?
自分で行動するしかない。

何かを成し得るためには、前に進み続けるしかない。

野心があっても努力が伴わなければ、夢を叶えることはできないのだ。

野心とは、悪いもの?

自分に足りないのは、野心なのか、それとも努力なのか。

人の数だけ欲望がある。
他人の欲望に負けず、自分自身を奮い立たせてくれる、野心。

「野心」と言う言葉に対し、なんだか悪いイメージを持っていたのだが、正しく使えば自分の最大の見方になってくれる気がする。


「野心とは、くじけないための心の杖」
手帳の隅に、この言葉を書き留めている。


「野心とは、くじけないための心の杖」


去年からずっと気になっている手帳。

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