見出し画像

自称「資本主義者」による資本主義の破壊(2026)

自称「資本主義者」による資本主義の破壊
Saven Satow
Aug. 09, 2026

「彼らは私たちに過酷な資本主義を押し付けながら、自分たちは資本主義の向こう側にある新たな封建制(レヴィアサン)の領主として君臨している」。
ヤニス・バルファキス『テクノ封建制』

 自由・平等・自立の近代的個人の理念を体現する経済システムが市場である。売り手として市場に参加する場合、価格は高い方が望ましい。しかし、自らの参加が供給を増やすので、それは引き下げられる。他方、買い手として参加する場合は、この状況が逆になる。参加も退出も自由で、誰もが価格を思い通りに決定できない。市場はまさに自由・平等・自立を体現する経済システムである。しかし、市場が理想的に作用するためには、独占やインサイダー取引などそれを妨げる要因を取り除く必要がある。しかし、市場は万能ではない。公共財や外部性、情報の非対称性といった限界があり、それを承知の上で利用することが肝要だ。近代の経済活動を象徴する市場の力を最大限発揮させるには、理想と限界を踏まえた規制が不可欠である。

 ところが、近年、自称「資本主義者」がこの市場経済のシステムを破壊している。現代の政治・経済を牽引するドナルド・トランプ大統領に代表される右派ポピュリズムの政治家やシリコンバレーのビッグテック企業家たちは、口を揃えて「自由市場」や「資本主義」の擁護者を自任する。しかし、彼らの実際の言動を精査する時、そこに浮かび上がるのは、資本主義の称揚どころか、その根底にある最も重要な原則を内側から食い破る破壊的な欺瞞である。彼らは資本主義の擁護者を気取りながら、実際には自分だけをそのシステムから例外扱いし、それを私物化している。

 ドナルド・トランプ大統領は彼が政敵と見なすものに対して「共産主義者」と罵倒する。それは自分こそ資本主義者だという支持者に対するメッセージでもある。また、ビッグテック企業家たちもリバタリアニズム、あるいはテクノ・ユートピア的加速主義に依拠する言動を繰り返す。こうした背景には、市場や国家に関する御都合主義的な認識が潜んでおり、それは資本主義の口実化にすぎない。

 こうした状況を用意したのが新自由主義である。新自由主義者は、自覚がないまま結果として資本主義を破壊する。彼らは「市場の自由化」や「規制緩和」、「小さな政府」を掲げることで資本主義を最も純化し、活性化させていると自負する。しかし、歴史的な帰結を見れば、その思想自体が資本主義の存立基盤を内側から解体する自己破壊的なメカニズムとして働いている。

 資本主義が長期的に持続・発展するためには、市場メカニズムの外にある非資本主義的な社会的インフラが不可欠である。カール・ポランニーが『大転換』で指摘したように、市場経済はそれ単体で自立しているわけではなく、法やモラリティ、コミュニティ、教育、安定した労働力の再生産といった社会の保護があって初めて機能する。ところが、新自由主義者はすべてを市場の価格メカニズムと競争に委ねるべきだというドグマに基づき、この土台を次々と切り崩す。教育や医療、福祉を市場化・効率化の対象にした結果、労働者の再生産コストが高騰し、次の世代を育む余裕が失われる。また、すべてを自己責任と損得勘定の契約関係に還元したことで、市場の前提となるそれを守る倫理や社会的信頼という暗黙の資本が枯渇する。彼らは、魚が泳ぐための水を干上がらせながら、「もっと自由に泳げ」と命じる状態を作り出す。

 新自由主義は競争を絶対視する。けれども、規制を取り払った無慈悲な自由競争を野放しにすると、勝者がすべてを総取りする自然独占、あるいは寡占に行き着く。19世紀末から20世紀初頭の「第1次グローバリゼーション」期に生まれた巨大トラスト──鉄鋼や石油などの独占資本──が市場の自由な価格形成を破壊したように、現代の新自由主義が生み出したビッグテックや巨大金融資本はもはや競争原理に従っていない。彼らは市場のルールを自らに有利なように書き換え、新規参入者を排除し、価格や情報をコントロールするレント・シーキング構造を築いている。「競争の徹底」が「競争の終焉」をもたらし、これは資本主義にとって最大の脅威である硬直化を自ら招いている。

 資本主義が駆動するためには、生み出された財やサービスを買う消費者の購買力、すなわち有効需要が社会全体に行き渡っている必要がある。ところが、新自由主義的な労働規制の緩和や株主価値の最大化──非正規雇用の拡大や賃金の抑制など──は富をごく一部の層に集中させ、労働者階級・中間層の所得を停滞させる。市場の購買力そのものが細り、資本主義の最大の動力である拡大再生産のサイクルが回らなくなる。儲かった企業や富裕層は実体経済での投資や消費に向かわず、マネーゲームに走るか、富を海外のタックスヘイブンに退避させるため、経済全体が痩せ細っていくという事態を招いている。

 新自由主義者は「市場こそが最も効率的で正義である」という信仰を過剰に信じ込み、そのモデルが現実の複雑な人間社会や歴史的文脈を無視していることに目を背ける。「資本主義を救うために市場を解放する」と言いながら、実際にはそれが生き残るために必要な生命維持装置を次々と外していく。

 資本主義が機能するためには、市場が自律的に回るという神話の裏側で、それを下支えする法制度が不可欠である。独占禁止法や消費者保護、労働基準、金融の透明性といった規制やルールは市場が自己破壊に陥るのを防ぐための安全装置である。しかし、新自由主義の時代に台頭したビッグテック起業家らが展開するのは、この必要な備えに対する徹底的な攻撃である。こうした規制を「イノベーションの足枷」や「官僚主義の弊害」と糾弾し、撤廃を求める。その一方で、市場が原理的に抱える構造的な限界――情報の非対称性や外部性の切り捨て、自然独占の傾向――については、自らの利益を最大化するために積極的に利用・拡大する。彼らにとっての「自由市場」は公正な競争の場ではなく、規制という安全装置を外し、勝者が富を総取りするための無法地帯を意味している。

 経済学が認める市場の構造的欠陥──情報の非対称性や外部性(環境破壊や社会的コストの外部化)、自然独占など──について、彼らは目を瞑るどころか、むしろ、積極的に拡大・利用している。ビッグテックは情報の非対称性を極限まで利用することで莫大な富を築いている。アルゴリズムのブラックボックス化やデータの囲い込みは透明性を損ない、「市場の失敗」の温床である。また、環境問題や社会的分断といった外部不経済を市場の計算に入れず、利益を私有化しつつコストを社会に転嫁する手法は、新自由主義の極限化である。さらに、本来であれば市場の限界により救済や公的規制の必要な領域に対しては「自己責任」や「イノベーションの自己調整能力」を口実に国家の介入を退ける一方で、自分たちが危機に陥った際には、平然と政治力や公的救済に頼るという二枚舌のモラル・ハザードが常態化している。

 この構図の最も悪質な点は、カール・マルクスが資本主義の本質として告発した「物象化」の適用範囲にある。それは、本来、人間や社会関係がモノのように扱われ、巨大な市場システムに従属させられる現象である。新自由主義的秩序やプラットフォーム資本主義は、労働者や一般市民、社会のあらゆる領域──教育や医療、日常のコミュニケーション──に対しては容赦なく市場の論理──自己責任や人的資本化、データによる管理──を強制し、冷徹にモノとして使い捨てる。人間は市場という巨大な物象の歯車へと還元される。しかし、そのシステムを推進する彼ら自身はこの過酷な物象化から巧妙に身をかわしている。自分のビジネスが独占の批判に晒されたり、市場で危機に瀕したりした時は、「国家安全保障上の理由」や「経済への甚大な影響」を盾に、平然と政治力や公的救済、例外措置を要求する。タックスヘイブンを利用して富を逃れ、ロビー活動によって自身に有利なルールへ書き換え、競争の圧力から自らを超越させる。彼らは一般大衆には市場の物象化を強制し、自分たちはそこから超然と免責された特権的身分に君臨するという二重基準を徹底している。

 資本主義の生命線は、いかに強大な資本家であれ、優れた生産性や採算性、付加価値を生み出さなければ、あるいは客観的な市場の規律を踏みにじれば、いずれは淘汰されるという普遍的なルールに基づく公正な競争にある。けれども、自分たちをルールから例外化し、それを決める特権階級に変貌した彼らの行動はもはや資本主義ではない。それは競争自体を無効化し、身内贔屓や権力によって富を再配分する「ネオ・フューダリズム(新封建主義)」、あるいは「クローニー・キャピタリズム(縁故資本主義)」への変質にほかならない。

 彼らは資本主義の勝者として振る舞いながら、実際にはそのシステムが生き残るために最も必要な生命維持装置――ルールの普遍性と客観的制約――を自らの手で引き抜いている。自分たちだけを例外の安全圏に置き、社会全体を冷酷な市場の荒野に放り出す彼らの姿は、現代において資本主義に対する最も深刻な破壊を示している。

 こうしたビッグテックもいかに大統領の機嫌を取り、ホワイトハウスとのディールで特別なお墨付きをもらうかにしばしば奔走する。右派ポピュリズムは反リベラルの姿勢をとる。それは反ニューディールなので、新自由主義と重なる。だが、ネオリベは市場の自律性やグローバルな効率性を信奉するため、その象徴であるトランプのように国家が関税や露骨な圧力で市場を歪め、経済を政治従属させる姿勢とは矛盾する。これは「カウディーリョ的レント・エコノミー」と呼べるもので、彼は経済活動そのものを自分の権力を維持・誇示するための政治的利権に還元する。中南米の強権的政治指導者(カウディーリョ)による権威主義的分配体制の構造に似ており、かれはその認知行動を国際政治・経済にまで拡張している。トランプは資本主義の根幹──法の支配や普遍的なルール、市場の自律、予測可能性──を内側から食い破り、解体し、前近代的な略奪と縁故の経済をもたらしている。そもそも長期的展望に欠け、予測困難な行動をして不確実性を増すこと自体が市場経済を不安定化させる。いかに「資本主義者」を自称しようとも、こうした振る舞いそのものが反資本主義的である。

 冷戦期は、社会主義との競争が資本主義に自己修正の緊張を強いており、矛盾を指摘すること自体がそれを鍛える営みとして機能している。西側での資本主義に向けていた批判は内側からの厳格な修正主義や健全な緊張関係を孕んでいる。それは、すべてがそうだと言うわけではないにしても、あえてその不備を衝き、よりよい方向へとアップデートするためのラディカルな営みである。しかし、終結後には、資本主義は対抗軸を失って自信過剰に陥り、新自由主義という原理主義がその慢心を加速させた挙げ句、今日の惨状に至っている。かつてのように、資本主義自体の欺瞞を批判することは、もはやシステムを修正するどころか、その骨抜きを加速させる破壊者たちの片棒を担ぐことになりかねない。自称『資本主義者』が跋扈する今日、資本主義の意義を擁護することこそがかつての批判同様にその原則の正当性を鍛え、進化につながる。近代の土台そのものが砂上の楼閣と化している危機的状況において、かろうじて社会を形作っているシステムの崩壊を食い止めるための切実な知性の防衛戦である。

 彼らの言語空間における「資本主義」や「自由市場」という言葉は、機能的な経済システムを指しているのではなく、権力と富の集中を正当化するためのイデオロギー的なレトリックにすぎない。本来の資本主義が目指すはずの公正な競争を通じた効率性や付加価値の創出ではなく、規制なき環境下での不当利得の追求が目的化している。独占を好み、競争を嫌い、ルールを破壊しながら「資本主義」を唱える彼らの態度は、市場経済の精神と矛盾している。それは新封建制とも呼ぶべき身分・階層的な支配構造を市場の内部に再生産する結果を招いている。彼らは「資本主義」を自己の欺瞞を正当化するマジックワードとして利用している。自称「資本主義者」こそ、資本主義を破壊する最大の反資本主義者である。「同じ商売をする人々がたまに集まると、その会話は世間話であろうと、公衆に対する陰謀か、あるいは価格を引き上げるための策謀に終わるのが常である」(アダム・スミス『国富論』)。
〈了〉
参照文献
J・A・シュムペーター、『新装版 資本主義・社会主義・民主主義』、中山伊知郎他訳、東洋経済新報社、1995年
ショシャナ・ズボフ、『監視資本主義の時代 人類の未来を賭けた闘い』、野中香方子訳、東洋経済新報社、2021年
アダム・スミス、『国富論』1、大河内一男訳、中公文庫、1978年
デヴィッド・ハーヴェイ、『新自由主義 その歴史的展開と現在』、渡辺治他訳、作品社、2007年
ヤニス・バルファキス、『テクノ封建制 デジタル空間の領主たちが私たち農奴を支配する とんでもなく醜くて、不公平な経済の話』、関美和訳、集英社、2025年
カール・ポランニー、『大転換 市場社会の形成と崩壊』、吉沢英成訳、東洋経済新報社、2009年
カール・マルクス、『資本論』1、向坂逸郎訳、岩波文庫、1969年


いいなと思ったら応援しよう!

Saven Satow 創作活動の励みになります!