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「友だちがいなくてもいい」を受け入れた日。

「友だちがいなくてもいいと思うんですよね」

中学校の三者面談で、担任の先生から言われたことばだ。

悩みながらやっと伝えた先に、「友だちがいなくてもいいと思うんですよね」と耳にしたときの、絶望と無責任さと哀しさと空虚感と人と人とは分かり合えない隔たりを感じながらも「そうですよね」と微笑みながら言い返すわたしがいた。

娘は中2から不登校になり、中学校へは通えないまま卒業した。不登校になった原因の1つに、「女子の友だちがいないこと」がある。例えば、英語の授業で「2人1組なってください」そう言われても一緒に組むひとがいない。創作ダンスの授業で、グループをつくってください。そう言われても、グループに入れない。友だちがいないと、学校生活はしんどいものになる。

あるとき、ぷっつんと何かが切れ、娘は学校に行けなくなった。

高1の現在も、クラスに友だちがひとりもいない。娘によると、友だちがいなくてもなんとかなっているらしい。例えば、文化祭でみんながグループ行動するなか、ひとりで出歩く。学校の帰り道、ひとりでモスバーガーへ寄り、モスシェイクを飲む。「おひとりさま」を満喫する女子高校生だ。

そんな娘の姿を見ながら春が過ぎ、夏が過ぎようとしている。相変わらず友だちができる気配はない。けれども、友だちってつくろうと思ってもつくれない。それは、わたし自身が一番よくわかっている。

秋田にある義実家に滞在中、わたしの顔を見に親友が訪ねてきた。33.7℃の日差しが強い日の午後、車を運転して、3種類のお菓子を手土産に、「すごく会いたかったんだ〜」と鼻に汗をかきながら言い、5分だけ話して帰った親友。

娘が親友を見て、こんなことを言う。「わたしだって、あんなに性格良さそうな人なら友だちになりたいよ。だけど、あんなひとには中々出会えない。お母さんは、たまたま運が良かったんだよ」

友だちの大前提として、わたしが相手を好きで、相手もわたしのことを好きな状態でいることが挙げられる。それは簡単なことではないのかもしれない。娘は、「気を使わないと保てない関係ならひとりでいい」と言う。じゃあ、わたしは親友に気を遣っているのか。答えは否。相手の醸し出す空気感が、ただ心地いいだけ。自分が思う“ふつう”を、娘に押しつけていたのかもしれない。

「友だちがいなくてもいいと思うんですよね」

このことばを耳にしてから3年。ようやくわかったような気がした。

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