読む手が止まらなかったnote。めぐみ ティコさんを推したい。
彼女を見つけたのは真夜中だった。
創作大賞の新着で上位表示されていたのが、めぐみ ティコさんの「わたしの子宮は胎児を殺す。」だ。衝撃のタイトルに惹きつけられ、タップして、夢中になって読んだ。エッセイにしては長めの一万字。長さを感じさせず、それどころか繰り返し読んだ。
率直な感想は、「このひと、めっちゃいい!」だ。
「わたしの子宮は胎児を殺す。」は長きに渡る不妊治療の体験が綴られている。それも、正直に。闇の部分を覆い隠すことなく、ホンモノのことばでぶった斬られるような力強いものを感じた。
これは読者の特権なのだけど、書かれたものにシンクロするときがある。わたしがシンクロしたのは、
彼女は、間違いなく自分は照らす側にいると思っている。わたしも数年前まではそうだった。照らす側にいられるかどうかというのは、子どもの有無に関係ない。新たな命の誕生やその前ぶれに対し、一点の曇りもなく、心から喜ばしく思い、その感情や感傷を共有できるかどうか、ただそれのみに尽きる。
「二 翳り」では、照らす側と照らされる側についての描写がある。これは、人生で一定ではない。自分が照らす側のときもあれば照らされる側のときもある。照らす側はその光に包まれているとき、その光が眩しく、その光で辛くなってしまうひとに思いを馳せることはできない。喜びで見えなくなるからだ。
読んでいると、少し辛い場面が続く。わたしは不妊治療の体験をしたわけじゃないが、過去、誰かの幸せを心から喜べないことがあった。そして、幸せに包まれ照らす側だった自分が、現在は、苦しみ、照らされる側であり、両方を経験しているから響いたのかもしれない。
自分に降りかかる出来事にただうろたえるだけのわたしの裏で、彼はいつも、わたしが納得いくように動いてくれていたのだ。わたしが、わたしなりの答えにたどり着けるよう、道を整備してくれていたのは夫だった。わたしの答えを受け入れるというのが、夫の覚悟なのかもしれない。
この人と、二人を生きていく。
乾いたセックスを繰り返したいくつもの夜も、奇跡みたいに子を宿していた日々も、二人で重ねた人生の一部として、いつかは穏やかに愛おしむことができるようになるのだろうか。近しい人の妊娠にあたたかい眼差しを向け、翳りの中から出ていくことができるようになるのだろうか。
最後の「四 朝まだき」を読み終えたとき、問いを残しながらも、めぐみ ティコさんは少し傷が回復してきているのではないかと思った。
このエッセイに惹きつけられたのは、めぐみ ティコさんの文章力や、繕われたものじゃないホンモノのことばであると同時に、こうして文章に落とし込み、一つの作品として仕上げたその姿に「わたしもそこにいきたいな」と希望を見いだしたのかもしれない。
わたしも、何度か傷をことばに変換して、noteにしたためようとした。いや、実際に過去、少し触れたこともある。そのたびに、震え、泣いて、書くことができなかった。まだ、書く時期じゃないのかと、そのnoteは下書きにしまってある。
いつか、わたしも抱えている傷から回復してきたら、ことばに、文章にしたいと思った。めぐみ ティコさんは自分の気持ちに区切りをつけるために書いたのかもしれない。だけど、わたしには救いのようなものに感じられた。
彼女のエッセイを読み終えたとき、余韻がずっと残っていた。めぐみ ティコさんは勝手に有名になっていくだろう。だって、これだけの文章が書けるのだからと。わたしが書かなくてもいい。書かない理由を探して逃げ腰だった。だけど、そのとき「せやま南天さん」の言葉がふと思い出された。
当たり前だけど、感想はみんなそれぞれ違う。書いた人は、それぞれの感想を読みたいのではないかと思った。
わたしのことばが、どれほど届くのだろう。ちっぽけなものかもしれない。けれど、「わたしの子宮は胎児を殺す。」を書いた、めぐみ ティコさんをこころから推したい。
7/9(火)の時点で、見つけた感想です。
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