聴こえないものに、耳を澄ます。キーツの詩より【書画アート】
20年以上前にイギリス文学を専攻していた私。英語はできませんが、英詩も好きでした。キーツやシェリーの詩を院生のF先輩の指導のもと、精読したことを懐かしく思い出します。
今日はジョン・キーツの詩から書画アートを書きました。
「聞こえる旋律は美しいものです。でも聞こえない旋律はもっと美しいものです。」

聞こえないと訳されている部分の原文は、unheard です。聞こえない、耳に届かないということです。美しいはsweetでした。
この世の中、まともに聞こえてくる耳障りの良い言葉は、果たして本当の意味で美しいのか。当たり障りのない会話、おだて、嘘、そのようなものばかりで溢れています。
口ではどうにでも言えるでしょう。
また、メディアから流れてくるものは、果たして真実なのか。
わたしたちはもっと、unheardな、聞こえないものに耳を澄ます必要があるのでは、と思います。
たとえ答えは出なくとも、求めていくことはできるでしょう。
何も言わないけれど一緒にいてくださる人。
まだ言葉にならない言葉を、豊かに発する幼子たち。
私たちの前に生きていた、今は声なき先人たち。
あるいは、身近な自然。庭に咲いた草木や花、空いっぱいの星、雲、太陽や月。
もしかしたら、何も語らないけれど、人が話すより、ずっと雄弁かもしれない自然界。
詩は次に続きます。
therefore, ye soft pipes, play on;
Not to the sensual ear, but, more endear'd,
ならば静かな笛よ、止めることなく奏でるがいい、耳ではなく魂に向けて、優しく音のない調べを。

このキーツの詩から、長田弘さんの「聴くこと」という詩を思い出しました。下記がその中の一節です。
耳を傾けるのだ。大事なことは、見ることではなく、聴くことなのだと思う。誰のためでもなく、誰のものでもない言葉。
眼で聴く。そして耳で見るのだ。
けっして語ることをしないものらが語ることば。どこにもない傷口から流れ出す言葉
自然の奏でるメロディー、人の発する声にならない言葉、わたしたちは聞いているようで、実は全く聞いていないのかもしれません。
そこにある美しい旋律に、耳を傾けたいものです。
