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君は、君のままでいい。

6年生の次男の二者面談があった。今年から担任になった先生とははじめて向き合って話をした。あんまり好きなタイプじゃなかった。二者面談が終わってから、もやもやが膨らんで怒りに変わりそうだったのでnoteでお焚き上げしたい。

なぜ、私がもやもやしたのか振り返ってみる。それは、良い子の「型」にハマらない次男に対して、もっと頑張らせて、もっと変われるはず、と言われたことだ。(それもニヤニヤしながら……!)

先生の言う「良い子」とは、夢や目標があり、それに向かって努力ができて、自分のことよりも、周りを見て率先して動ける子、リーダーとして周りを引っ張り、羨望を集めるような子のようだ。

(そんな子、いるぅ!??)

6年生にもなると、もうそうやって動ける子がいるのだそうだ。それに気づけない、ぼんやりしている次男は、幼くて甘えているのだそうだ。

もし、本当にそんな「良い子」がいるなら素晴らしい。けれど、みんながみんな同じようになる必要があるのだろうか。夢や目標って、小学校高学年になったら、同じタイミングで見つかるものなんだろうか。さまざまな経験や気づきの中で、見つかったり、見つからなかったりするものじゃないのだろうか。

夢や目標を持って行動できたら、それはもちろん素晴らしい。でも、毎日学校へ行って、ご飯をもりもり食べて、遊んで、ゲームして、宿題は「やりたくない」ながらもちゃんとやっている次男も、私は心から素晴らしい、誇らしいと思っている。

それから、「いつも一歩引いていて、積極的に動かない子です」と言われたことにももやもやした。でも、それを夫に話したら、先生とはまったく違う視点を持っていたから安心した。

「一歩引いてるように見えるけど、ちゃんと周りを見ているから。気づく力もあるし、自分が動くべきときかどうかも判断してる。誰かが動いてるなら、“今は任せていい”って思ってるだけ。そういう奴だよね」と。

少なくとも、私たち夫婦が子どもの素晴らしいところをたくさん知っているのだから、周りや先生の評価に振り回されなくてもいいと思えた。もちろん聞く耳は持つけど、子どもを信じる力はぶらさずにいたい。

たとえ自分の子であっても、誰かを変えることなんて不可能だと思っている。それを、親が家庭で変える努力をしろと言われたような気がして、もやもやしたのだ。

親ができるのは、環境や経験を与えることぐらいで、自分を変えることができるのは、自分だけだ。自分で考えて、失敗して、成長して、考えてを繰り返す中で、変わっていくものだと思っている。私たちはそれを全力で応援したいし、そんな君を見守っていきたいのだよ。


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