私に違う景色を見せてくれた三人|ペイフォワード
先日、COBIToさんからバトンを受け取りまして、深山、初めて企画というものに参加してみました。
まずは企画していただいたLaLaLaさん、ありがとうございます。
COBIToさんの記事はこちら。
驚くほど丁寧に紹介してくださって、感無量です。
こちらの企画は、私の「素敵だね」が3人に届くというものでした。
正直、かなり悩みました。
好きな方はたくさんいますし、日頃から刺激をいただいている方も数え切れません。
それでも今回は、私の創作に「世界の見方」を与えてくれた三人をご紹介したいと思います。
作品を読むたびに、「こんな見方があったのか」と立ち止まらせてくれた方々です。
文章だけではなく、その人が世界を見つめる視線そのものに、何度も背中を押していただきました。
今日は、その三人をご紹介させてください。
では、まず一人目。
📖 文学遊泳士 ryusanさん
ryusanさんの作品を初めて読んだとき、「真面目」と「遊び心」は両立できるんだと驚きました。
重厚な文体で人生を語るかと思えば、その先に待っているのは極辛カップ麺だったり、健康すぎて文学が書けなくなったことを本気で嘆いていたり。
崇高さと生活感、文学とユーモア。その落差を、ここまで真面目な文章で書き切ってしまう。そのバランス感覚が、私は大好きです。
笑って読んでいるはずなのに、気づけば「文学って何なんだろう」と考えさせられている。そんな不思議な読後感があります。
私自身、創作というと、つい「ちゃんと書かなければ」と肩に力が入ってしまうことがあります。
私は、そんなryusanさんの作品を読むたびに、「文学は苦しむためだけのものじゃない」と思い出させてもらっています。
文学を本気で愛しているからこそできる遊び心。その姿勢に、私は何度も救われています。
続いて二人目。
🧠 構造解体士 みそまめさん
とくに衝撃を受けたのは、マクドナルドについて書かれた記事でした。
「マクドでここまで考える?」と笑ってしまうくらい、一つの出来事を丁寧に分解していく。その思考の深さに驚いたのを覚えています。
一方で、掌編になると驚くほど静かです。
何も大きな事件は起こらない。それなのに、読み終えたあとには、人の認識だけが少し動いている。
派手な展開ではなく、「人はどう世界を見ているのか」という部分を、静かに描いていく。
そのギャップが、私はたまらなく好きです。
創作を始めてから、「出来事を書く」のではなく、「認識を書きたい」と考えるようになりました。
世界を見ることと、人を見ること。その間にある「認識」を意識するようになったのは、みそまめさんの作品に出会ってからでした。
三人目。
☕ 日常採集家 静馬望さん
静馬望さんの作品を読んでいると、喪失という出来事は、決して大きな音を立ててやってくるものではないのだと感じます。
誰かがいなくなったことも、時間が流れていくことも、余ったお湯や、使われなくなったマグカップのような、ごくありふれた日常の中に、そっと置かれています。
だからこそ、その静けさが深く胸に残ります。
静馬望さんの作品には、一貫して「喪失」と「再生」が流れています。
失ったものをただ悲しむのではなく、その不在とともに人がどう生きていくのか。
その過程が、とても穏やかな眼差しで描かれているように思います。
私は『欠けた器に注ぐ水について』を読んだとき、余った百ミリリットルのお湯や、使われないマグカップだけで、人の不在をここまで描けるのかと驚きました。
派手な出来事ではなく、暮らしの中に残る小さな痕跡から、人の時間を描く。
そんな静馬望さんの作品に、私は何度も心を動かされています。
この御三方に共通しているのは、「私に違う景色を見せてくれたこと」です。
ここ数日、自分の創作について考え込む時間が続いていました。
書けない日もあります。
自分には何も残せないんじゃないかと思う日もあります。
それでも作品を読むと、不思議とまた書きたくなってしまう。
たぶん私は、作品を書きたいというより、その人たちのように、自分だけの景色を見られる人になりたい。
今日紹介させていただいた三人は、私にその景色を何度も見せてくださいました。
これからも読者として楽しませていただきながら、一人の書き手としても、少しずつ近づいていけたら嬉しいです。
改めて、素敵な企画をありがとうございました。
(余談ですが、この企画を書いている間にも、太宰治と坂口安吾と夏目漱石が本棚に増えました。文学はたぶん、そういう病気です笑)
ペイ・フォワード プロジェクトに参加中✨
「素敵だね」を、次の三人へ。

