5月3日(1995年) 天敵に8試合ぶり勝利が好調の証(あかし)
現在のJリーグは、川崎フロンターレが2年連続王者として君臨している。「君臨」は言葉の綾で、上下関係ではないし、川崎が他のクラブに何かを命じる、などということはない。
ただ、各チームが倒すべき目標としているし、勝った場合は他の1勝よりも喜びが大きい、特別なチームになっていることは間違いない。かつては鹿島アントラーズやジュビロ磐田がそういう立場だった。
そしてJリーグ初期においてはヴェルディ川崎(現・東京ヴェルディ)が押しも押されもせぬ王者だった。
3年間、絶対王者だったヴェルディ
ヴェルディは、1992年にJリーグのプレ大会として行われたJリーグヤマザキナビスコカップで優勝すると、翌年、翌々年と大会を3連覇する。この大会ではジェフユナイテッド千葉と鹿島がそれぞれ2連覇しているが、3連覇を達成したのはヴェルディだけだ。
そしてリーグ戦でも初年度の1993年と翌1994年、連続年間王者になった。ステージ優勝は、93年の1stを鹿島に、94年の1stをサンフレッチェ広島に譲っているが、両年とも2ndを制してそのままチャンピオンシップでも勝っている。
つまり1992年から1994年までの3年間で5つのビッグタイトルを獲得。Jリーグが主催する大会をすべて制覇しているのだ。絶対王者と言ってよかった。
これが子ども同士の遊びだったら「淳ちゃんばっかり勝ってつまんないよ」「淳ちゃん強すぎて面白くない」「もう、かーえろ」となるかもしれない。だがJリーグでそんなことにはならず、全てのチームが「ヴェルディを倒す」ことを目標にしていたはずだ。
Jリーグ初期の人気は大変なものだったが、そのかなりの部分を、三浦知良、ラモス瑠偉、武田修宏らのスター選手を抱えたヴェルディの人気が支えていたという見方も否定はできない。

レッズにとって「宿敵」、いや「天敵」
浦和レッズにおいても、ヴェルディを「宿敵」とか「ライバル」という言葉で表現していた。
92年のナビスコカップ予選リーグでは、ヴェルディにイエロー4枚、一発レッド1枚が出される荒れた試合の末、88分にPKを取られて0-1で負けるという納得のいかない試合だったし、その後の天皇杯では準決勝で対戦し、一時リードしたが最後はPK戦で敗れた。
93年はJリーグ開幕後、4連敗と苦しんだレッズが駒場競技場でのホームゲームでヴェルディにPK勝ちして優勝したように喜んだ。
そこまでは「ライバル」と呼んでもいい力関係だったが、93年の2ndステージ第17節、ヴェルディホームの国立で0-4の負け。ステージ優勝を目の前で決められた。さらに94年の2ndステージも国立でヴェルディに敗れ、ステージ優勝を見せられた。
94年までのヴェルディとの対戦成績は、リーグ戦で1勝7敗、カップ戦では2敗。レッズは2年連続リーグ年間最下位だったこの時期、8回対戦して1勝しかできていない相手と言えば鹿島、名古屋グランパスエイト、広島もそうだったが、その3チームにはカップ戦で勝利していた。
レッズにとってヴェルディは宿敵というより、天敵だったのだ。特にステージ優勝の相手に2回なっているのが大きかったかもしれない。
劇的な同点弾、その後またPK勝ち
そんなヴェルディと1995年5月3日(水・祝)、ホームの国立で対戦した。Jリーグ1stステージ第13節だった。

95年1stステージのレッズは「3位に躍進」とか「大宮伝説」という言葉で知られるが、このときはまだそれは全開ではなく、連敗のあと連勝、そのあとまた連敗と波があった。このヴェルディ戦も、広島、清水エスパルス、鹿島に3連敗した次の試合で、当時は土、水、土、そしてこの水曜日という連戦だった。

5万6千人を超える大観衆の中、前半1-1で折り返した試合は68分に北澤豪のゴールでヴェルディに勝ち越される。しかし85分、ギド・ブッフバルトのロングパスに左サイドを全力で走った水内猛がゴールラインギリギリで追い付き折り返す。まったく中を見る余裕はなかったと言う。そして、やはりギドがロングパスを出すと同時に走った岡野雅行がゴールに向けてスライディング。上げた片足がボールにドンピシャで合い、残り5分での同点ゴールとなった。

延長でも決着はつかず、PK戦は先頭の福田正博が外したが、その後ヴェルディが2人外し、最後は殊勲のアシストをした水内が決め4-3で勝利した。

「弱いレッズ」を脱却した証の試合
リーグ戦通算9試合目にしてようやく2勝目。しかもまたPK勝ち。何だよ、ヴェルディにはPK戦でしか勝てないのかよ、とは思わなかった。劇的な同点ゴールだったし、過去2年間最下位という苦しい経験をしてきたレッズサポーターにとっては、ずっと負け続けていたヴェルディに勝ったということが、今年のレッズは違うぞ、という証でもあった。19時からの試合で、サポーターが国立を出たのは22時ごろだったと思うが、信濃町での「ジョン万」などに寄って帰ったに違いない。
さて、みなさんは1995年5月3日、何をして何を感じていましたか?
※この内容はYouTube「清尾淳のレッズ話」でも発信しています。映像はありませんが、“ながら聞き”には最適です。
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