3月20日(1996年) チーム最古参のFK2発にサポも選手もシビれた
1996年年3月20日(水・祝)。浦和レッズはアビスパ福岡とJリーグ第2節を戦うために、東平尾公園博多の森球技場(現ベスト電器スタジアム)に乗り込んだ。
祝日で初会場、博多へ大挙
Jリーグ4シーズン目のこの年、福岡と京都パープルサンガが加わりJリーグは16チーム体制になった。新加入の福岡は初のJリーグ開幕戦をアウェイでジュビロ磐田と行い、0-3で敗れている。しかし第2節は自分たちのホームでJの開幕を祝えるのだから気持ちは高揚していただろう。
博多の森球技場は前年7月に完成したばかりの新しいスタジアムで、レッズが試合をするのは初めて。春分の日で、キックオフは14時だから日帰りも可能ということで、かなりのレッズサポーターが九州へ向かった。
レッズの試合としてはいつもの光景だが、開場前に多くのサポーターがビジター側入場口に並び、福岡のスタッフは対応に大わらわだっただろう。

レッズは、福田正博とギド・ブッフバルトが開幕前のケガで欠場。攻守の要2人を欠く陣容だが、同じ状況で3月16日の開幕戦は柏レイソルに勝っていた。ホルガー・オジェック監督の2年目で、チーム力が底上げされていたのだろう。開幕戦勝利をスタートダッシュとするには、この第2節をしっかりモノにしなければならない。
昇格組の勢いに押されるも勝利
しかし、やはり福岡の勢いは強かった。全体にレッズは受けて立つ流れとなり、前半はスコアレス。後半9分に相手FKからゴール前のこぼれを決められ先制された。
この日、意地を見せたのがギド代わって3バックの中央に入った広瀬治だった。後半12分にレッズが相手ゴール正面でFKを得ると、ポイントに立ち右足を一閃。見事にゴールへ沈めた。 1-1になってからも流れは変わらず福岡が押し気味で90分を終えた。
当時はVゴール方式の延長。延長の前半15分間だけで福岡5本、レッズ4本のシュートが記録されているのだから、かなりの頻度で双方が攻め合う展開だった。 そして延長後半8分、その時が来た。 また福岡ゴール正面でレッズのFKとなった。ボールを持って近付くのはもちろん広瀬。慎重にボールをセットし、ほぼ助走なしでシュートすると、今度こそ止めると意気込んでいたに違いない相手GKの手を避けるように、再びネットに突き刺さった。
いぶし銀が放った金色の光
Vゴールで2-1、レッズの勝利。スタンドは沸きに沸いたが、それよりも選手たちの方が喜んでいたかもしれない。
広瀬はこの日メンバーに入った18人の中で最年長。チームでも日本人選手最年長で、三菱時代から通算して在籍13年目の最古参だった。もっとも年齢はまだ30歳だったが。
経験豊富な広瀬だが目立つ選手ではなかった。しかし若い選手が悩んだり、良くない方向に進みそうになったりすると、アドバイスするなど陰でチームを支える存在だった。
かつては攻撃的MFだったが、ウイングバック、ボランチと器用に他のポジションをこなし、この日はフィールドプレーヤーでは最後方のリベロを務めていたが、チーム全体を見渡せるポジションは、広瀬のチーム内での立ち位置と一致するところがあった。
その選手が同点ゴールに続き、試合を決めるVゴールを決めたのだ。それも1試合2本のFK直接ゴールで。ふだんは「いぶし銀」という表現がぴったりの広瀬が、この日放った光は金色に輝いていた。広瀬を取り囲む選手たちが感じていたのは、勝利の喜びだけではないだろう。
さて、みなさんは1996年年3月20日、何をして何を感じていましたか?
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