3月28日(1998年) 小野伸二の存在で毎試合期待に胸を躍らせていたころ
1998年3月28日(土)。浦和レッズは駒場スタジアムにセレッソ大阪を迎えて、Jリーグ第3節を行った。
1998年と言えば小野伸二

この年は、原博実監督が就任した年でもあるが、「キヨショーのオノ」こと小野伸二がレッズに新加入した年、と言った方がいいかもしれない。小野はこの年の開幕のジェフ市原戦からトップ下で先発し、第2節のアウェイ横浜フリューゲルス戦で早くもJリーグ初ゴールを挙げた。このころ、MDPの表紙はシーズン最初の号は監督という習慣があり、開幕の市原戦がそれだった。
つまり第3節はシーズン2度目のホームだから、MDPのシーズン2号目ということになり、その表紙に早くも小野が選ばれた。早すぎるかな、とはまったく思わなかった。

95シーズンに32得点、97シーズンに21得点を挙げた福田正博にラストパスを供給する選手として小野は大いに期待されたが、残念ながらその福田が開幕前の練習で左足の太もも裏に軽い肉離れをおこし離脱。その後、別の個所を負傷し、この年の1stステージ17試合をすべて欠場となった。
しかし代わってこの1stステージで小野のアシストを受けてゴールを量産したのが大柴健二で、17試合で11ゴールを挙げる活躍を見せた。また前年途中に加入した元スペイン代表のベギリスタインは、その年慣れないトップ下を任され、なかなか実力を発揮しきれなかったが、小野がトップ下に入ることで、98シーズンは左ウイングに入り本領を発揮。小野とのコンビネーションも良く、得点チャンスを作った。
この3月28日、開幕2連勝の後のホームゲーム、第3節のC大阪戦は、駒場スタジアムに19,526人が詰めかけた。開幕戦の19,828人は若干下回ったが、相手チームの地理的条件を考えれば、レッズサポーターの期待の大きさがうかがえる。
試合は前半30分にベギリスタインが先制して折り返した。しかし後半3分に追い付かれ延長となり、延長後半6分にVゴールを決められた。

開幕3連勝はならなかったが、この試合の数日前、岡野雅行と共に小野が早くも日本代表に招集されていた。
開幕からしばらく、このシーズンの期待に胸躍らせていたわけだ。
ちなみに3月28日に試合があったのは、この1998年だけだ。
さて、みなさんは1998年3月28日、何をして何を感じていましたか?
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