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4月19日(1997年) ホーム100試合目、MDPはキックオフ前に完売、試合は負け

 1997年4月19日(土)、浦和レッズは国立競技場をホームに、サンフレッチェ広島を迎え、Jリーグ1stステージ第3節を行った。この日は1992年のレッズ誕生から公式戦ホームゲーム100試合目に当たる試合だった。

ホーム初戦は1992年9月5日

 三菱自動車サッカー部を前身とするプロサッカークラブ、三菱浦和フットボールクラブ(のち浦和レッドダイヤモンズ)が誕生したのは1992年。翌年のJリーグ開幕を前に、プレ大会としてJリーグヤマザキナビスコカップが、秋に開催された。その開幕戦はレッズのホームで、9月5日に大宮サッカー場で行われた。これが記念すべきホーム初戦となり、それから6年目となるこの19997年4月19日は、リーグ戦のホーム83試合目、そしてナビスコカップがそれまで17試合あったから、合計100試合目ということになる。

100試合記念ポスターが大人気

 レッズはシーズン開幕のころから、この日をアピールするポスターを作った。
 92年からそれまでの6シーズンに在籍した選手と監督、コーチの顔写真を並べたものだ。以前、YouTubeで話したときは歴代選手全員と言ってしまったが、よく見ると全員ではない。
 おそらくこの1997年に在籍していた選手、監督、コーチと、1996年以前の選手でホームゲームに出場した人をピックアップしたものではないだろうか。今度、制作秘話を調べてみよう。

大人気だったホーム100試合記念ポスター

MDP100号の付録になることが決定

 ポスターは商店会などを通じて、街に張ってもらったのだが、それを見て「欲しい」という人が続出したので、このホーム100試合目で発行されるMDP第100号に付録としてつけるということになった。
 オマケを付けることでMDPの販売数を増やそうということではなかった。もし、そういう意図であれば、エラそうだが僕は反対しただろう。

 試合の来場者全員に渡すというのでは印刷部数が多すぎるし、邪魔になる人もいるかもしれない。ポスターが欲しい人全員に、かつ無駄なく行き渡るようにするにはどうしたらいいか。
 300円を出してMDPを買う、というぐらいのレッズ好きな人に進呈するというのが一番過不足なく行き渡る方法だろう、ということだ。他にも方法があったかもしれないが、ホーム100試合記念ポスターをMDP100号に付けるというのはピッタリだった。

MDPの表紙が選手でなかったのはこれが初めて

いったい何部印刷すればいいんだ

 ただ今度は、MDPを何部印刷すればいいのか、という問題が出てきた。
 このころ、駒場ではたしか3,000部から4,000部くらいを発行していて、シーズン開幕とか最終戦は記念に購入する人も多いので、5,000部から6,000部に増やしていたはずだ。
 だが、このホーム100試合目は会場が国立だし、ポスターが付くというのは開幕や最終節と比べて、どこまでMDPの購入者が増えるのか読みにくい。結局10,500部という数が決まった。

完売は喜びあり、申し訳なさもあり

 試合当日。15時キックオフだったので正午開場だったと思う。
 国立は、入場ゲートからスタンドのエントランスに行く途中にMDP売り場が設置されているのだが、そこに人が並び、1人が5部、10部と買っていく。自由席のサポーターで、仲間の分の席を確保する人と、仲間の分のMDPを買う人に役割分担されていたのだろう。すごい勢いでMDPの梱包が解かれて捌けていくのを見て、これは足りなくなるんじゃないかという予感がしたのだが、それが当たってしまい、キックオフ前に完売してしまった。

MDPが売れていくスピードにびっくり

 MDPが完売するのは、もちろん大幅に余るより良いことだが、その時間によっては「うーん…」という気持ちに僕はなってしまう。
 完売というのは「買おうというときに買えなかった人がいる」という状態。買いたい人が全部買えて、かつ1部も残らなかったというのが一番良い。だから試合が終わって観客がすべて帰ったあとで、完売していたという状況がベストで、完売した時間が早ければ早いほど、買えなかった人が多いということになる。

 ハーフタイムが終わったぐらいで完売したならともかく、試合開始前に売り切れてしまうということは、ふだんキックオフ近くに来場して買ってくれている人が買えなかったということで、非常に申し訳ない気持ちになった。試合開始前に完売したのは、これが初めてだったと思う。
「ポスター付き」「100号記念」「国立競技場」など、不確実要素が多いときのMDP印刷部数を決めるのは非常に難しい。ちなみに、この日の入場者は38,707人だった。

ここまで一度も優勝がない悔しさ

ホーム100試合特集

 この4月19日のMDP100号では「ホーム100試合」の特集をして、「MDP100号」の関連特集は次のMDP101号に掲載した。

MDP100号記念特集(101号に掲載)

 ホーム100試合目ということは、戦ってきた試合はアウェイもあるからその約2倍、プラス中立の天皇杯を含めて、これが215試合目の公式戦であり、その数に思いを馳せると同時に、1992年以来、リーグ戦の各ステージ、ナビスコカップ、天皇杯など、合計16回「優勝」を争ってきたが、一度もレッズがそれを経験していないことを悔しく感じた。

 さて広島戦は、レッズが押し気味に試合を進めたが点を取れず、後半42分にCKから「アジアの大砲」高木琢也にヘディングシュートを決められ0-1
で敗れた。
 試合に向けた思いの強さと、試合の結果はなかなか一致しない。

 みなさんは1997年4月19日、何をして何を感じていましたか?

※この内容はYouTube「清尾淳のレッズ話」でも発信しています。映像はありませんが、“ながら聞き”には最適です。
【あの日のわたしたち~浦和レッズ30年~】は、レッズサポーターのみなさんから投稿を募っています。浦和レッズ30年の歴史をいっしょに残していきましょう。詳しくはマガジン「あの日のわたしたち~浦和レッズ30年~」のトップページをご覧ください。


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