厳しさに対するあれこれ
こんばんは。
大変おひさしぶりです。
ついった(X)や社内などを見渡すとそんなに他人に厳しいことを言って大丈夫かな…と時折感じます。
自分は人間どこでどんな立場になるかわからないと信じています。
いつどこで「できない人」の立場になるかわかりません。
できない人に無理に優しくすることもないけど、あんまり厳しい目で見たらいつか自分の首を絞めてしまうかもしれない。
他者に厳しい人は仮に自分が窮地に立たされたり立場を悪くされたりしてもさぞ文句を言わず自責と努力(と表裏一体の無理)を積み重ねるんでしょうね?
他責へのあたりがやたら強いが、そういう人が過度に自責しているのではないか
無理しないで、休んだ方がいいよ、パワハラはダメだ、コンテンツを存続させるためにハードルを下げよう、好きならばなんでもいい…
そんな文言があちこちで聞かれて、世界をやさしくしようとしているのかなと感じることがあります。
(これらを一緒くたにすることに無理があるかもしれませんが)
それでも
・無理をしない暮らしは誰かの無理のもとに成り立っているのではないか?
・「できることをやればいい」に対して自分の負担が大きくなると気がかりな人がいるのではないか?
・強い叱責をパワハラとされることが自分にとって使えない部下を抱える上司にとっては理不尽に感じないだろうか?
・各コンテンツにおいて新規参入のためにハードルを下げたりこれまでの形を変えることがあるが、「にわかを入れるために自分が好きな〇〇でなくなるならば自分が好きなままの形で美しく廃れて散ったほうがマシ」と考える古参ファンはいるのではないか?
・本当に好きなら興味を持っているはずだから当然そのコンテンツを調べて知識を深めるもの!と考える人がいるのではないか?
そういう人の方を向いてしまうことがあります。
やさしくしようという動きに納得できない(自分はやさしくされない)と感じる人や厳しい方へ揺り戻そうとする動きを見受けてしまうことがあるのです。
オレが苦しんだんだからお前も苦しめというのは肯定できないのですが、やさしい文言が受け止められるにはそういった人の苦しみも消化される必要があるのでしょうね。
不良がたまにいいことをすると褒められるの納得いかないとよく聞きます。
それでも不良がたまにいいことしたときに褒められるのはやめないでほしいです。
普段ちゃんとしている人が普段から褒められるべき。
不良はたまにしかいいことをしないからたまにしか褒められないけど、ちゃんとしている人は普段からいいことをしているからいつも褒められる…それではいけないのでしょうか…そうありたい…。
褒めへのハードルが高すぎやしませんか。
些細なことで褒めたらこんなの当たり前だ、バカにしてんのかって。
でももっと些細なことで軽率に褒めていいと思うんです。
当たり前のこともできない奴ばっかりだって呆れたり嘆いたりしたことはありませんか?
当たり前のことができない人って結構多いんですよ。(それって当たり前って言えるんですかね…?当たり前って事実ではなくて理想のことではないんですか?)
だからこんなの当たり前だしってことでも褒めていい。だからコウペンちゃんが人気なのではないの?
