【読書録】『それからの僕にはマラソンがあった』松浦弥太郎
今日ご紹介する本は、松浦弥太郎著『それからの僕にはマラソンがあった』(ちくま文庫、2022年。単行本は筑摩書房により2017年に刊行)。
著者の松浦氏は、エッセイストとして、暮らしや仕事における豊かさや学びについての著書を多数お持ちだ。そのご経歴は多彩で、『暮しの手帖』編集長、会社経営、執筆・編集活動、映像、コンサルタント、商品開発、メディア出演などの様々な分野で活躍されてきた方だ。
著者が43歳のときのこと。体調を崩したことをきっかけに、ランニングを始める。そして、そのすばらしさに目覚め、はまっていき、距離を伸ばし、マラソン大会に出場するまでになる。本書は、そんな様子をリアルなストーリーとして綴る本だ。
それだけではない。本書には、ランニングに興味のある初心者が、知りたいと思う実用的な内容(ランニングギアの選び方など)も詰まっている。そして何より、著者の人生観に基づく、ポジティブなメッセージがたくさん詰まっている。
私は、ランニング歴10年程度のゆるランナー。世代的にも、著者と近い。著者がランニングにはまっていく様子は、自分が10年前にランニングにハマったときのワクワク感を思い出させてくれた。また、ランニングの効用については、「そうそう、それそれ!」と何度も膝をたたくほど、納得できるものばかりだった。
以下、特に印象に残ったくだりを引用させていただきたい。
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まずは、走り出す前に億劫になる、というくだり。
「走ること」は自分にとって必要不可欠だと頭ではわかっていても、実は家を出るときには億劫だなと感じることがあります。一度、家を出てしまえばあとはもう、走り出すしかありませんし、走り終われば心地よい疲労が待っているのはよくわかっていますが、着替えをしている最中などは「面倒だな」と感じたりしています。
どんなに速く、長く走れるようになっても、この億劫さはついて回るものです。じつは、この億劫という気持ちはランニングに限らず、仕事の場でも暮らしの習慣でも、どんなときにも顔を出します。
億劫な気持ちは厄介ですが、当然のもの。だからこそ、それを振りきるように、自分のやりたいことをやりぬく。意識的にがんばる必要もあるということです。
「あー、わかる!」と、思わず声に出した。これは本当にそのとおりで、走るのが習慣化しても、その億劫さは、なぜか、なくならないのだ。でも、その億劫な気持ちを振り切って一歩踏み出せば、ご褒美が待っている。
次に、ランニングによって、自分自身と向き合えたり、頭のなかが整理されたりするというくだり。
走ることは自分の訓練になるし、自分自身を知ることにもつながります。僕は強靭な精神の持ち主というわけではありませんが、走るという習慣を通じて自分の強い部分や弱い部分に向き合ってきました。(中略)走るという習慣をひとつだけふやせば、何かを学ぶことができると思います。少なくとも、ひとつでも習慣をふやせば、それだけ自分と向き合うことがふえるからです。
(・・・)走ることでひとりになって、自分に没入できるというのは、とても贅沢な時間です。
(中略)
ひとりの時間は、自分なりの走り方や鍛え方を模索し、それを試すことによって得られる何かを見つける時間です。
走ることによって頭のなかのコンディションは整えられます。
机の上を片付けるように、ランニングで頭のなかを整理し、リフレッシュさせます。つねに最大の力を出せるように、自分を整えるのです。
(・・・)走っているときはできるだけ、自分の頭や心を支配していることをはずすようにしているのです。ランニング以外の時間は寝ていようが食事していようが、ずっと仕事や生活のことを考えているわけですから。それくらいでないと仕事のクオリティーは保てません。走っている最中は、自分をそういうことから解放する時間でもあるのです。
これが、走ることが僕のよりどころになっている大きな理由のひとつであるとも言えます。つまりこれは、自分を現実世界からはずす手段なのです。走っている最中というのは、ある意味で非現実ですから、現実逃避できるのです。
これらのくだりについても、強く共感を覚えた。私は、何か自分の心を占領しているものがあるときには、走ってみる。すると、それが何なのか、自分自身とじっくり対話することができる。また、走っていると、無心になり、瞑想状態になることもある。走り終わった頃には、脳内がすっきりしたという感覚になる。
さらに、著者は、心身の健康維持のためにランニングが有効であると説く。著者や私のようなシニア世代には、とくに有用だという。
僕がランニングを続けられるのは、五〇歳を越えた今、昨日よりも今日の自分を少しでも良くしたい、健康な体でなんにでも挑戦できる体力を保ちたいと思うからです。そのために走ることが絶対に必要なのです。そういう夢や希望を持っているから、つらいことも乗り越えることができます。
「走る」ということは、少なくとも、自分の調子を知るためのひとつの指標になります。週に数回走るだけでも、心身の状態のリトマス試験紙になってくれます。
走っていると、自分の状態 ー 健康の状態もそうですが、心の状態、もしくは人間関係や仕事の成果などの状態も ー がよく見えるものです。
健康は宝物です。天が贈ってくれたものに、自分で手を入れて、努力して作っていかなければならない宝物なのです。会社の給料や仕事の報酬は、健康を維持するためにもらっているようなものだとさえ思います。
何があっても元気でいる人は、それだけで信用することができます。その一方で、とても頭がよくて仕事ができるけど、しょっちゅう具合が悪くなって休んでいる人には、大切な仕事はまかせられません。
四〇代までは、ただ与えられていることを一生懸命やっているだけですが、五〇代からは自分が本当にやりたいことに情熱を傾けることができるのです。そこで自分の思いを実現させるには体力が必要ですし、精神的なメンテナンスも欠かせません。その意味でも、ランニングは役に立つと思います。
これらのくだりについても、百パーセント同意だ。少し走ってみるだけで、自分の心身のコンディションがとてもよくわかる。体は正直だ。コンディションが良いと調子よく走れるし、悪いと足取りが重い。「リトマス試験紙」とは上手な例えだ。加齢とともに、年々、脚力や走力が落ちていくのを感じるが、それでもなんとか元気で過ごしていられるのは、ランニングのおかげだと感じている。
心の健康についても然り。私の周りのランナーを観察していて感じることだが、ランニングを楽しむ人には、ネガティブなマインドの人や、メンタルを病む人は、ほとんどいないようだ。
そして、著者は、ランニングは誰にでも手軽に始められると説く。
(・・・)走ることにはお金がそれほどかかりません。そして、人と一緒にやらなくてもいい。基本的には誰にでもできることだから、始めるのはラクだと思います。ゴルフに比べたら、はるかにハードルは低いのです。
これもまさにそのとおり。ランニングシューズだけは良いものを手に入れたほうが良いと思うが、他には、あまりお金はかからない。グループで走ることもできるが、いつでもどこでも、思い立ったら一人ですぐ走りに行ける。そういった手軽さがあるからこそ、私も中年になってからランニングを習慣化することができた。
また、著者がマラソン大会を楽しんでいるというくだりもあった。
はっきり言ってしまうと、ふだんの暮らしを整えるために走っている僕にとって、大会というのはそれほど重要ではありません。それでも、毎年、台北マラソンや、湘南国際マラソンに参加しているのは、自分が走ったことのない街を走るたのしさがあるからです。台北の街中を走ったり、湘南の生みを眺めながら走ったりするのは気持ちのよいものです。
マラソンの大会は、どこかの街を訪れるひとつのきっかけになっているのです。「この街を走るのは楽しそうだな」と感じたら、参加するために旅をする。出かけた先の景色を見ながら走れば、特別な旅になります。
これについても、強く強く共感した。私は、マラソン大会の魅力に、もはや病みつきになっている。ここ10年ほど(コロナの期間を除いて)毎年少なくとも2、3回はマラソン大会(ハーフや10キロのもの)に参加している。知らない土地に行って、地元のランナーさんたちと並んで走り、見慣れぬ風景が次々に現れるのを楽しむ。そして、あったかい方言で沿道の地元の方々から声援を受けるのは、何とも言えない快感だ。
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著者のランニング愛とポジティブなメッセージを、自分の体験に重ねあわせてしっかりと受け止めた。とても清々しい気分になり、ランニングをますます頑張りたいと勇気づけられた。
本書を読むと、既にランニング習慣のある方は、ラン友が増えるような気分になるだろう。これからランニングを始めたい方にとっては、この本を頼りに走り始めると、楽しさが倍増するだろう。ひとりでも多くのランニング愛好家が増えて、健康になって、ハッピーになってくれたら、とても嬉しい。
ご参考になれば幸いです!
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