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【読書録】『豊臣秀長 ある補佐役の生涯』堺屋太一

今日ご紹介する本は、堺屋太一著の歴史小説、『豊臣秀長 ある補佐役の生涯』

豊臣秀吉の3歳下の弟、豊臣秀長を主人公に、その生涯を描いた壮大な物語だ。

単行本として刊行されたのは1985年。その後、文春文庫、PHP文庫からも文庫化されている。私が読んだのは、PHP文庫のKindle版だ。

多くの方がご存じかと思うが、今年(2026年)のNHK大河ドラマ『豊臣兄弟!』は、豊臣秀長を主人公にしたドラマである。

豊臣秀長は、兄・秀吉や、信長、家康といった戦国武将と比べると、どうしても地味な存在だ。この大河ドラマを観るまで、私も秀長については、あまり詳しく知らなかった。そこで、豊臣秀長という人物についてもっと知りたくなり、本書を読んでみた。

読んでみると、歴史小説として十分に楽しめる一方で、単なる戦国武将の伝記とは違った面白さがあった。とりわけ興味深かったのが、リーダーである秀吉と、それを支える補佐役・秀長の関係だ。

その意味で、本書は歴史小説であると同時に、優れたリーダーと補佐役の関係、そして組織を動かす人間のあり方を描いた企業小説のようにも読めた。

以下、特に印象に残ったくだりを書き留めておく。

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 現代社会においては、戦国時代にも増して補佐役が必要である。人間の活動範囲は一段と拡大し、社会は一層に複雑化した。情報は多く決断は急がれる。首長にかかって来る仕事は猛烈に多い。だが、よき補佐役を持つ首長は決して多くはない。  
 組織の首長は、人材を求め、人材を育てようとする。よきスタッフ、よき専門家を捜す。よき後継者を育てようとする。だが、よき補佐役を捜し育てようとするトップは、必ずしも多くはない。そしてそれ以上に補佐役たろうと志す者は少ない。(中略)
  この意味で、きわめて脆弱な組織の中で終始よき補佐役を勤め抜いた「この人」──豊臣秀長──は、日本史上稀にみる存在であり、現代において最も望まれる人材だったような気がする。

p8

「しかし、武士に大事なのは戦場ばかりやない。普段の働きこそ大切じゃ。一に忠勤、二に目利き、三に耳聡じゃよ。殊に我が殿、信長様はそれをお好みになるでな」
 忠勤とは、殿の気質を知り、殿のなされようとすることをいわれる前に測り、昼夜の別なく殿の意にかなうように動くことだ。
 目利きとは、家中の事に目を配り、大小に関わりなく問題点を発見しいち早く改善することだ。
 耳聡とは、領内の村々をはじめ隣国から全国各地に至るまでのさまざまな噂を集め、役立つものを細大もらさず殿のお耳に伝えることだ。

p45

 この瞬間、「この人」は二つの決断を下していた。その一つは不安と困難に満ちた海にこの馴染み薄い兄と共に船出する覚悟であり、もう一つはこの兄の補佐役として労多く功少ない立場に身を置く決心だった。
 「この人」は生涯、自ら下したこの二つの決断に忠実に生きるのである。

p59-60

 なかでも小一郎が精を出したのは、喧嘩・もめ事の仲裁だった。双方から念を入れて事情を聞いたし、当事者以外の証言も求めた。悪い者には雑役を命じたり厳しい教練をさせたりする一方、悪くない者には酒などを飲ませた。苦情処理ともめ事の仲裁は、生涯「この人」の最も得意とした所である。

p70

二十二歳の初陣は、この当時ではいかにも遅い。現代の感覚でいえば、三十過ぎて会社勤めをはじめた男に就職三年目で最初の商談が廻って来たような感じだったろう。つい数カ月前まで百姓だったのだから仕方がない。

p72

彼は、これまで足軽同士の喧嘩や小人たちの薪とり争いを裁いて来た経験から、ほとんど総ての問題に通用する仲裁の特殊技能が身に付いていた。一方の顔を立て、いい分を通す時には、他方に銭を与えて実利を取らせるのである。(中略)
「この人」は、この際「時を銭で買う」ことにしたのである。

p98

この天才肌の苛烈な主君は、能ある者には重責を与え大軍をまかすが、封禄の方はそう気前よく増しはしない。それによって有能な成上り者と能力の乏しい累代の重臣との均衡を取っていたのだ。
「能ある者には権を、功ありし者には禄を」
という人事管理の要領を、若き日の信長は見事なまでに実行していたわけだ。

p150

〈兄者には俺が要る……〉
 そう考えることが、小一郎には心地よかった。兄は恐ろしく頭がよく活動的で努力家で驚くほどに大胆だ。人心収攬の術と機を見るに敏な感覚でも卓抜している。だが、そのあまりにも積極的な性格にはどこか危なっかしい所がある。無能者への寛容と些事に対する緻密さを欠くようにも見える。あるいはそれは、前に進むことを急ぐあまりの多忙さが原因かも知れない。だが、原因が何であれ結果は同じだ。自分が居なければ兄は何かに躓くに違いない。
〈俺は、一人では大した武将にはなれん……〉
 小一郎はまた、そうも考えた。あまりにも機敏で大胆で人生に対する闘志に燃える兄の側にいるせいか、「この人」には自分の至らぬ所もよく見えた。所詮は「補佐役」に適するように生れついている、と思うのだ。
 〈どうせ補佐役なら兄のそれになり、生涯主役になろうとは望まぬことだ……〉
 小一郎は、そう心に決め、何度も自分にいい聞かせていた。そして同時に、乏しい禄をせっせと蓄えもした。「この人」は、兄とは違って生涯女好きでもなければ派手好みでもなかった。物欲も大きくなければ、目立ちたがりもしなかった。ただ銭を蓄えることだけは、百姓暮しの間に身についた習慣通りに続けていた。

p151-152

小一郎は時間をかけて人々の話を聞き、時には現場を見分して判決をつけた。「この人」のやり方は、五反の田畑をなでるように耕していた尾張中村の百姓小竹そのままに、いつまでたってもひどく丁寧だった。その丁寧さが大沢の一族旧臣を大いに安心させた。加えて、「この人」は、時には自らの蓄えから銭をはたいて不満な者に与えもした。そんな時には、いつもの地味な暮しからは想像もできぬほどに気前がよかった。将来、問題の多い紀伊・大和の領国を見事に統治する「この人」の手腕は、この小さなはじまりにおいても発揮されていたのだ。

p155

竹中半兵衛が、
「我が殿はよき弟御を持たれた」
 といったというのは本当だろう。半兵衛のこの言葉には、戦場における指揮能力だけではなく、新入りの半兵衛と歴戦の部隊長たちとの仲を巧みに取り持った小一郎の補佐役としての働きに対する讚美も含まれていたはずである。

p190

主役が苛立っている時、感情を抑えることも補佐役の芸の一つだ、と小一郎は自分にいい聞かせたのである。

p195

能力ある者には惜しみなく権限を与えるが、禄は比較的低く抑えて、家中のバランスを保つのが、信長流の人事管理、人材登用術であった。

p253

 織田信長のこの決断は、何が大事かを知る人間のみに出来る英断といってよい。この時代の戦さでは勝敗を決する最大の要素は主将の生命だ。主将が打たれては数万の軍が無傷でも負けである。(中略)そのことを考えると、信長が我が身の安全をまず第一に考えたのは、「負けないための措置」としても正しい。下手に見栄を張ったり部下を惜しんだりしなかった所に、信長ならではの「見切り」の見事さがある。

p270

人間誰しも、落ち目にはなりたくない。しかし、長い人生において、また組織として、一本調子の上昇ばかりが続くことなど滅多にない。殊に、偉大な目標に向かって急進する野心的な人生や積極的な組織の場合には、躓き転ぶと打撃は大きい。それだけに、この苦難に満ちた後退の時期をいかに切り抜けられるか、その巧妙さと頑強さこそ、人間や組織の価値を決定する。

p277

いわゆる「教養」というものが乏しかったこの兄弟は、世の「常識」とかによって生み出される虚構をさして尊ぶことはなかったのだ。この点、信長のような他人の容喙を許さぬ強烈な個性と政治思想を持つ主君には適していたといえるだろう。

p293

 恐らく小一郎は、兄・藤吉郎と行動をともにしていたのであろう。そして何度か、兄と同じような危険を味わっていたに違いない。だが、この補佐役に徹する弟は、その時も、またのちにも、自らの働きを誇り語るようなことは一切しなかったのである。

p297

人間、昇り調子なら他人に推されて大いに伸び、落ち目となれば袋叩きに合う。

p312

 この重賞主義は、兄・秀吉が生涯続けた人事管理の基本であり、それがまた、兄の家来たちにも踏襲され、豊臣政権全体の特色となって行く。(中略)だが、これが物欲のために働くという経済主義的風潮を作り、限りない成長を志向させる結果にもなるのである。いつの時代でも、経済利益によって人心を繋ぎ止めるためには、休みない成長拡大が不可欠だ。今までのところはそれに成功している。
 だが、急に大封を得た征服者と元々の近江人との調和をどう保つかという問題は、それで解決しない。

p323-324

 人間、不思議なもので、地位が上がり名声が高まると、どこか重みのようなものが付き、貫禄が加わって来る。生来、小柄で痩身で、顔には皺が多く色黒い兄にも、それが見られる。

p339

 この人には生来人間関係を調整する才があり、それが好きでもあった。だが、小一郎は、それをただ、領主の弟という血縁の権威だけでやりたくはなかった。武人派にも文治派の者にも「流石は」と思わせるだけの実績を積んでおきたかった。

p356-357

彼らは、八方手を尽して信長に金品を献じた。信長側近の連中にも贈物を重ねて取りなしを依頼した。(中略)織田家という軍事組織が、十六世紀後半の自由競争社会で、最大の成功を収めた原因の一つは、こうした野心と欲望にあふれた有能有才の士を集めていた所にある。いつの時代にも、急成長を果す組織というものは、上品高潔なものではない。軍令違反の大罪を犯した羽柴兄弟は、厳罰を逃れるために織田家の持つこの特性を利用したのだ。

p376

この人は、留守居役にふさわしい「待つことの勇気」を示してこの危機を耐え抜いた。小一郎秀長は、その後も何度かそれを繰り返して成功し、兄の大業を援けるのである。

p396

 たとえ、「兄に劣る弟」と冷笑されても愚直を装って耐えねばならない。補佐役たる者は、時としてあほうになり切る才覚もまた、必要なのだ。

p401

あらゆる事柄において、こだわりのない自由な発想と合理的な計算のできた所に、織田信長の日本人離れをした天才性がある。ガダルカナルの攻防にこだわり、兵力を逐次投入した挙句、多数の将兵と艦船を失った太平洋戦争中の日本軍首脳など到底及びもつかぬ所だろう。戦さにおいても事業においても、最も難しいのは見切りをつけての撤収だ。信長は正にこの点においてこそ見事であった。だが、その発想の自由さと合理的計算の故に、しばしば冷酷に犠牲を強いた。この際の上月城見殺しはその典型の一つである。

p411

 低い地位の者が成功し、大組織の高位に就く間には、この種の変質が不可欠だ。今日の企業社会でも、中小、零細企業が大企業に成長する過程では、人間臭い家族主義を捨て法規と組織を確立することが必要となる。それを現代人は経営の近代化と呼んでいる。だが、この間には、法規と組織になじめぬ古い功労者は脱落する。そこに、古参の家族主義者の反発が生じ、内部対立が生じるのが常である。

p442-443

兄・秀吉のようなきらびやかな才能と強い自信を持たなかったこの人は、何事に対しても常に初心者のように脅え、慎重だった。いささかでも重要な問題は必ず兄に報告し、その判断をあおいだ。その代り、兄への報告はよく整理し、正確を期した。気難しい独裁者・信長と、大胆な即断を得意とする兄との二重の主君に仕えねばならない困難な地位で、この人が成功できたのはこのためであったろう。

p449

小一郎は、大部分の者を許して部下に加えたが、時には苛烈な力攻めによって何百人の敵を殺しもした。武将たるもの温和なだけでは権威が保てない。恐怖を与えることも幸福を誘う手段の一つなのだ。
 小一郎は、緩急を心得た行動によって僅か六カ月で但馬全域を占領した。(中略)これだけの成果を上げたのは並みの手腕ではない。

p451

 小一郎の不安は、二つながらに的中してしまう。だが、この人は、それを誰にもいわなかった。家来に言える問題ではなかったし、主君の兄に語れる話でもなかった。前向きの兄を、後ろの影に脅えさせるのは、補佐役のなすべきことではない。

p470

相談の形でもちかけられれば苦言もいとわぬが、主将の兄が決断したことには一切批判しないのが補佐役の節度というものだ。

p482

「俺は秀吉の弟。第一の補佐役じゃもん。今、戦さ手柄など立てては目立ち過ぎるわ」
 この時、この人は、一軍の将の補佐役であった昨日までとは変わった自分に、既に気づいていたのだ。

p517

 では、そこ(引用注:織田家中の勢力争い)で有利な立場を得るにはどうすればよいか。手段は二つだ。実力を誇示するに足りる既成事実を築くことと、重臣の中に味方を作ることだ。伝統と慣例が尊ばれなくなった世の中では、武力と人脈だけが正義の基準を決めるのである。

p524

 小一郎秀長は、ゆっくりとうなずいた。青木の震えた声とも藤堂の上ずった声とも違い、のんびりした響きがあった。だが、小一郎の心中は決してのんびりしたものではなかった。この人はまず、自らを落ち着かせることに努力していたのだ。何度も僅かな兵で大敵と対峙した経験を持つ小一郎は、こんな時、まず自分を落ち着かせるのが第一だということがよく分かっていた。

p546

「兄者、またどえらいことをさせるのお……」
小一郎秀長も、さすがに腹立ちを覚えた。だが、すぐこの人は、
「それができるのは俺だけだなあ……」
と考え直した。そしてそう考えることに、ある種の快感を感じさえした。
「万事心得ました。必ず御期待に添いましょうぞ」
小一郎は、かつてないほどの自信に満ちた表情で答えた……。

p555

「兄者と俺は一つじゃ。どちらが勝っても羽柴の勝ち、兄者が勝って俺が負けることはないのよ」
 小一郎はこの時、久しぶりに兄・秀吉を家臣の前で「兄者」と呼んだ。限りない誇りを持って……。

p567

この人は、自らの功績を伝える記録も残そうとしなかったし、おもしろおかしいエピソードも残さなかった。恋の話もなければ子供もなかった。すべてを兄・秀吉の築いたきらびやかな政権に埋め込んで逝ったのである。

p578

 この人の死によって豊臣家の何かが変った。この人の死後、兄・秀吉はなお七年半生き続け、その身辺と政権をますますきらびやかに飾り立てて行く。しかし、この人の死んだその日から、豊臣の家をより幸せにするようなことは何一つ起こらなかった。よき補佐役の死は、偉大な主役にとっても、その一族や家臣、統治下の民にさえ不幸な出来事だったのである。

p579

**********

読後の感想としては、まず、とても読みやすい小説だった。歴史小説でありながら、どこか企業小説を読んでいるような面白さがあった。ところどころに、現代の企業組織になぞらえた描写もあり、戦国時代の出来事一つひとつのイメージが持ちやすかった。また、現代の組織におけるリーダーシップ論にも通じるくだりが多かった。

堺屋太一氏は、通産官僚として日本の産業・経済政策に携わり、退官後は経済評論家として日本社会や企業を論じてきた方だ。本書では戦国武将の人物像だけでなく、組織の成長、人材の登用、財政、権限配分などにも目が向けられているのが、いかにも堺屋氏らしいと感じた。

登場人物に関しては、信長と秀吉という誰もが知る2人の武将についても、改めて学ぶことが多かった。

信長は、押しの強さや苛烈さばかりが語られがちだが、本書を読むと、その強さの背景には、近代的な軍隊制度を整えたことや、権限と禄のバランスを考えた人材登用、さらには勇気ある撤退を決断できる意思決定力があったことが分かる。

秀吉については、人たらしであり、処世術の天才であったことはよく知られている。しかし本書では、その類まれな人心掌握術や、相手との距離を巧みに測りながら進める「かけひき」の数々が、具体的なエピソードを通してリアルに描かれている。秀吉がなぜ天下人にまで上り詰めることができたのか、その理由を改めて実感させられた。

そして、本書の主人公である秀長については、ただただ感動した。

補佐役としての自分の立場をわきまえ、決して出しゃばらず、常に主役を立てる。我慢強く、先を見通し、全方位に気を配ることができる。冷静沈着で、「待つことも作戦」と心得ている。温厚だが、必要とあれば厳しい決断も下すことができる。人間関係を巧みに取り持ち、紛争を仲裁する。算術を取り入れて経済を盛り立て、兄・秀吉が急激に拡大させていった領地の庶務を引き受け、次々と問題を解決していく。

その働きぶりを見ていると、秀吉の華々しい活躍の陰で、秀長がどれほど血のにじむような努力を重ねていたのだろうと思わずにはいられない。

そして、本書を通じて強く感じたのが、優れたリーダーが大きな仕事を成し遂げるためには、優れたナンバー2が欠かせないということだ。

どれほど優れたリーダーであっても、ひとりですべてを成し遂げることはできない。リーダーと補佐役の間には、揺るぎない信頼関係が必要なのだろう。秀吉と秀長の関係は、そのことを見事に示している。

ただ、秀吉と秀長の関係には、兄弟という特別な関係があった。現代の組織において、血縁のない上司と部下の間で、同じような信頼関係を築くには何が必要なのだろうか……。

ところで、私自身もまた、上位のリーダーを支える立場であると同時に、自分のチームを率いる立場にある。

秀長が秀吉を尊敬し、「この人を支えたい」と思ったように、私自身もまた、周囲の人から「この人を支えたい」と思ってもらえるような人でありたい。そして、自分もまた、尊敬できるリーダーを心から支えることができるとよいと思う。

リーダーシップとは、人の上に立って人を動かすことだけではないのかもしれない。ときには誰かを支え、ときには誰かに支えてもらう。その両方ができることこそ、組織で働くリーダーに必要な力なのかもしれない。

本書は、歴史小説として面白いだけでなく、組織運営という観点からも、実に学ぶところの多い小説だった。並みのビジネス書を読むよりも、よほどビジネスに役立つのではないかと思う。

豊富なエピソードの一つひとつが示唆に富んでいるだけではない。それぞれの出来事を「自分ならどうするか」「自分の目の前の課題に応用するとしたらどうするか」と考えさせてくれる。単に答えを教えてくれるのではなく、自分自身で応用するための「考える力」を育ててくれるような小説だった。

本当は引用したかった部分が、まだまだたくさんある。仕事で悩んだときなどには、折に触れ、この本を再読してみたい。

ご参考になれば幸いです!

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