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「幸せは小刻みに」

コロナの影響もあってか、最近、自殺者が増加している、とのニュースに接して、心を痛めている。そんなとき、ふと、この言葉について思い出した。

「幸せは小刻みに」。これは、JAF(日本自動車連盟)会員に送られる雑誌、「JAF Mate(ジャフメイト)」2019年11月号に掲載された、哲学者の鷲田清一氏のエッセイのタイトルだ。このエッセイにとても共感して、この雑誌を捨てずに保管していた。

このエッセイの前半では、ヴィクトール・フランクルの『夜と霧』という作品について触れられている。アウシュビッツに送られた、著者フランクルが、視野をあえて狭くし、気がかりを小刻みにすることで、絶望を小さくした、ということが紹介されている。

そして、後半では、次のように述べられている。

希望を小刻みにすること。私はこれがじつは人が幸福になるための算段としていちばんいいのではないかと思っています。
「幸せって何?」と問うても幸せになれるわけではありません。いや、そう問うているうち、不幸の影を意識することも増えていきます。それよりも、「ああ、いいなあ」と思えた体験をたとえ小さくても大事にして、不幸という影を減らすようつとめることのほうが大事だと思います。
幸福は、小刻みにしておくほうがいい。…(中略)…小さな歓びを一つひとつ大切にしつつ生きること。そして、ちょっとでもいいことがあれば「ラッキー」と言えるくらいがちょうどいいのではないでしょうか。

これには大変共感した。

私には、「小刻みの幸せ」を感じられるようになった、転換期があった。おそらく、40代も半ばにさしかかってからのことだ。それまでの私は、自分が幸せであるという感覚を、十分に持てていなかったように思う。

子どもの頃から、私は、自分に自信がなかった。野暮ったい顔だし、太っていて、外見にコンプレックスがあった。どんくさくて、運動が全く出来なかった。ネクラで、友達もあまりできず、女の子たちのメジャーなグループにも入れなかった。だから、クラスの中心的な位置にいる同級生たちが、自分と違って幸せそうに見えて、いつも羨ましく思っていた。

そして、中学生のときには、いじめに遭った。「死ね」と言われたり、女子トイレに何度も呼び出されて罵倒されたりした。あのつらさは、体験した子どもにし分からないと思う。子どもにとっての世界の全てであり、逃げ場のない、学校という狭いコミュニティで、つらいことに耐えるばかりの毎日を送っていたあの頃は、黒歴史でしかない。一時、本当に、死にたいとまで思った。

それでも、振り返ってみれば、両親がいて、祖父母やきょうだいもいて、家庭はそこそこ円満で、普通に学校に行かせてもらえて、衣食住も十分に与えられていたのだから、十分すぎるほど幸せだったのだと、今ならそう思える。でも、当時はとてもそうは思えなかった。

その後、大学進学をきっかけに、県外に出て、新しい友人を作って、自分の選んだ人生を送れるようになった。まるで息を吹き返したように、生まれ変われた。大学時代は本当に楽しかった。

しかし、社会人になって、結婚して、しばらくすると、別の苦しみがやってきた。子どもに恵まれなかったことだ。

まだ出産適齢期であった頃、親戚や友人、同僚などから、「早く子どもを産んだほうがよい」「子どもがいなくてかわいそう」「子どもがいないと一人前にはなれない」などという言葉を、何度となく言われた。そして、そう言われる度に、子どものいる人と比べて、自分は不幸だと感じていた。(こちらの本によると、同じように感じている、子どものいない女性は多いようです。)

でも、さすがに出産適齢期を過ぎると、周りからそのような発言をされることもなくなった。

そして、あるとき、ふと、急に、

「ああ、子どもがいなくても、私、十分、幸せだわ」

と思えるようになった。

強がりでなく、本心でだ。さながら、吹っ切れた、憑き物が落ちた、あるいは、肩の力が抜けた、というような感覚だった。

それは、「子どもがいなくて不幸だ」というような発言をされなくなったことで、他人と比べて、自分の持っていない幸せについて、考えてしまう機会が減ったから、というのもあると思う。また、仕事に邁進してきた結果、そこそこの成果が上がってきて、自信がついてきた、ということもあると思う。

そして、それと同時に、自然と、普段の生活の中で、当たり前だと思っていて気づかなかった、自分の持っているものや、いいなと思えることに、もっと意識が向くようになった。

身体が健康なこと。子どもはいないけど、夫や両親やきょうだい、甥や姪などの家族がいること。友人がいて、遊んでくれたり、悩んだときに相談に乗ってくれたりすること。仕事があること(社畜とはいえ…)。毎日ご飯が食べられて、時には美味しいものを味わえたり、旅行に行ったりできること。好きな本や音楽があること。なんて幸せな人生なんだろう。

オンライン飲み会で、久しぶりに話す友人と、くだらない話題で笑い合う。ランニングですれ違った人が、笑顔で挨拶してくれる。早朝の神社仏閣にお詣りして、清々しい気分になる。偶然入ったラーメン屋さんのラーメンが、予想以上にめっちゃ美味しかった。などなど、どれも私の最近の「小刻みの幸せ」のひとつだ。幸せを探せば、実は、日常に転がっている。こんな小さな幸せを沢山味わえる人生、楽しまないともったいない。

noteを始めてから、私をフォローしてくださったり、私の記事にスキやコメントをくださったりする方々がいることも、最近、とても幸せだなあと感じることのひとつだ。

一度きりの人生。他人と比較することをやめ、持っていないものに目をむけるのではなく、持っているものに感謝したい。他人からの評価や批判など気にせず、シャットアウトすればよい。そうして、自分なりの「小刻みの幸せ」をたくさん味わって、幸福な人生を送っていきたい。

そして、私の周りの人に対して、私のしたような、つらい思いをさせることのないように、自分の言動には十分注意したい。さらに、私の周りの人々が「小刻みの幸せ」をたくさん感じて、少しでも明るい人生を送れるように、声をかけてあげるとか、励ましてあげるとか、私にもできることをみつけて、実行していきたいと思う。

皆様も、たくさんの「小刻みの幸せ」を見つけて、幸せな人生を送られますように!

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