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【読書録】『本心』平野啓一郎

今日ご紹介する本は、平野啓一郎の小説『本心』(2021年,文藝春秋)。私が読んだのは、文春文庫版。

作者の平野啓一郎は、1975年生まれの小説家。1999年、京都大学法学部在学中に文芸誌「新潮」に投稿した『日蝕』により第120回芥川賞を受賞。その後も数々の話題作を世に送り出している人気作家だ。

(※以下、ネタバレにご注意ください。)

本作品の舞台は、2040年代の日本。主人公は、シングルマザーに育てられた青年、朔也さくや。最愛の母を事故で亡くした朔也は、AI技術によるバーチャル・フィギュア(VF)で、母を再現する。母は、生前、合法化された「自由死」を望んでいた。本物そっくりの母と対話を重ねるうちに、朔也の知らなかった事実が明らかになり、母の「本心」に近づいていく。

本作品を読んで、圧倒された。まさに、傑作だ。

この作品の凄いのは、まず、近未来の社会のリアルな描写だ。バーチャル・フィギュアによる人間の再生。発達した仮想空間。他人に身体を貸す「リアル・アバター」という仕事。ドローンを使用したテロ。死の自己決定ができる「自由死」という概念。いずれも新しい視点だが、いずれも現在の技術や議論の延長線上にあり、なるほど20年もすればそのとおりになるかもしれないという妙な現実味がある。未来の予言の答え合わせが楽しみだ。

そして、現代の社会が抱える課題についても、鋭く問題提起をしている。気候変動による深刻な自然災害。富裕層と貧困層に分断された格差社会。外国人や障害のある人への差別。現代の課題が解決されずにエスカレートしていくと、このような暗い社会になってしまうよと、警告しているようだ。読んでいて空恐ろしくなった。

さらに、本書のテーマである「最愛の人の他者性」には、考えさせられた。たとえ身近な人であっても、他者の本心までは、完全には理解できない。愛する人の本心を理解したいと願いながらも、それが叶わない。そんなジレンマを抱えながら、それでも相手を分かろうとして、人は生きていくのだろう。

作者は、「分人主義」という考え方を提唱しているそうだ。「分人主義オフィシャルサイト」という作者のウェブサイトによると、「分人」とは、対人関係ごと、環境ごとに分化した、異なる人格のことだという。中心に一つだけ「本当の自分」を認めるのではなく、それら複数の人格すべてを「本当の自分」だと捉える。それが「分人主義」だ。

「最愛の人の他者性」も、この「分人主義」という考え方に通じるのだろう。身近な相手であっても、その本心を理解できない「分人」がいる。それを理解できないことを悲しむのではなく、そういうものとして尊重し、愛する。そして自分も、自分自身の本心に従って、それぞれの場面や状況で「分人」を育て、変化していけばよい。そのように受け止めた。

最後に、この本で印象に残ったくだりを書き留めておく。

 一度しか見られないものは、貴重だ。
 月並みだが、この意見には、大方の人が同意するだろう。
 とすると、時間と不可分に生きている人間は、その存在がそのまま、貴重だと言える。なぜなら、生きている限り、人は変化し続け、今この瞬間の僕は、次の瞬間にはもう、存在していないのだから。

p7

 人間だけではない。生き物も風景も、一瞬ごとに貴重なものを失っては、また、入れ違いに貴重なものになってゆく。
 愛は、今日のその、既に違ってしまっている存在を、昨日のそれと同一視して持続する。
 鈍感さの故に? 誤解の故に? それとも、強さの故に?
 時にはそれが、似ても似つかない外観になろうとも、中身になろうとも、或いは、その存在自体が失われようとも。ー
 それとも、今日の愛もまた、昨日とは同じではなく、明日にはもう失われてしまっているのだろうか?
 だからこそ、尊いのだと、あなたは言うだろうか。

p8

一体、この生への懐かしさを失わないまま、喜びとともに死を受け容れることは可能なのだろうか?

p359

「最愛の人の他者性と向き合うあなたの人間としての誠実さを、僕は信じます。」

p441

 思い出はたくさんある。けれども僕は、かつての僕としてではなく、今日の僕で、今、母と話がしたいのだった。(中略)僕が本当に求めているのは、僕に対する、母の外向きの反応ではなかった。母の心の中の反応だった。母が、僕の言葉に触れて、何かを胸に感じるということ。僕の存在が、母という存在の奥深い場所に達して何かを引き起こすということ。ー 僕が今、どうしても欲しているもの、そして、もう手に入らないのは、その母の内なる心の反応だった!

p454

わからないからこそ、わかろうとし続けるのであり、その限りに於いて、母は僕の中に存在し続けるだろう。

p464

 僕は、雀の目に、この世界がどう見えているのかは知らない。その全身に、この世界がどう感じ取られているのかも。しかし、人間である僕と、まるで違うことだけは確かだった。 
 それぞれに、この世界を、自分の生存に必要な方法で認識している。僕と雀とが、この世界を真に等しく享受するのは、死後、僕たちの種に固有の認識システムが破壊されて、宇宙そのものと一体化する時だろう。だとすれば、僕に今、あの木の緑が、あのように美しく見えていることには、僕が生きていく上で、必要な意味があるのだった。

p467

 それにしても、現在を生きながら、同時に過去を生きることは、どうしてこれほど甘美なのだろうか。

p469

 過去は、もう失われてしまっていて、二度と生きることができないからこそ、これほど、懐かしいのだろうか。

p469

日本社会の未来、生と死、他者との愛について広く深く考えさせられ、心震える読書体験となった。

ご参考になれば幸いです!

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