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【読書録】『パーティーが終わって、中年が始まる』pha

今日ご紹介する本は、phaさんのエッセイ『パーティーが終わって、中年が始まる』(2024年、幻冬舎)。

著者のphaさんは、1978年生まれの、京大卒の自称(元)ニート。2012年には『ニートの歩き方』、2015年には『持たない幸福論』を出版して、ベストセラーになった。これらは、色々なしがらみに縛られることなく、ニートのような自由な生き方について説く本だ。

私は、おそらく10年ほど前に、この2冊を読んだ。ニート的な自由な生き方ができるような経済的な環境が整い、世間的にも生き方の多様性が許容されてきたのだなあと感じた。自分にはできそうにないが、そういう生き方をしているphaさんを羨ましいとも感じた。

そのphaさんが、昨年、新しい書籍を出版したという。『パーティーが終わって、中年が始まる』というそのタイトルは、上記の2冊のトーンとは打って変わって、意味深で、少し寂しそうだ。何だか気になって、読んでみることにした。音信不通だった昔の知人に、久しぶりに近況を問うような心境で、ページを繰った。

以下、印象的だったくだりを引用させていただきたい。

 最近は本を読んでも旅行に行ってもそんなに楽しくなくなってしまった。加齢に伴って脳内物質の出る量が減っているのだろうか。今まではずっと、とにかく楽しいことをガンガンやって面白おかしく生きていけばいい、と思ってやってきたけれど、そんな生き方に限界を感じつつある。
 楽しさをあまり感じなくなってしまったら、何を頼りに生きていけばいいのだろう。正直に言って、パーティーが終わったあとの残りの人生の長さにひるんでいる。下り坂を降りているだけの人生がこれから何十年も続いていくのだろうか。

p4

 人に軽く見られているほうがラクだから、権力や存在感なんていらない。会社や組織に属さず、ひとりでふらふら生きていたい。そう思って今までやってきた。
 しかし、そんな自分でも、最近は若者と話すたび、目上の人として気を遣われていることを感じる。自分が否応なく存在感や権力を持ってしまっていることを自覚せざるを得ない。
 こんなつもりじゃなかったのにな。年をとっても内面は大して若いときと変わっていないから、据わりの悪さを感じる。ずっとどうでもいいふらふらとした存在でいたかった。
 だけど、それは受け入れるしかないのだろう。内面とは関係なく、容姿や立場が行動を自然と変化させていくのだ。

p21

このくだりを読んで、大いに共感した。これが、いわゆる「ミッドライフクライシス」なのだろう。

現在50代の私は、phaさんより少々年上だが、まさに、この「ミッドライフクライシス」に陥っていると感じている。この年になると、体力も落ちてきて、昔楽しんだ趣味を全力で楽しむのがきつくなってきた。仕事もひととおりこなすことができ、あまり面白味もなくなってきた。リタイヤ後の生活もそう遠くなくなったが、老後の長い期間を、どこで、何をして過ごすのか、まだノーアイデアで、不安だ。

phaさんは、会社組織の中で生きてきた私と違って、世間のしがらみにとらわれず、楽しいことに全力投球してきた自由人だ。そんな方にも、ミッドライフクライシスは、容赦なく襲ってくるのか。驚くとともに、年を取るというのは無情なものだなと感じた。

そして、もうひとつ印象に残ったのが、次のくだりだ。phaさんが生まれ育った大阪や京都と、現在お住まいの東京という都市を比較している箇所だ。

 京都や大阪に来るたびに、東京より気分が落ち着く感じがある。東京は何でもあって楽しいし便利だけど、人が多すぎるし、都市の規模が大きすぎるので、移動するのが大変だ。
(中略)
 東京は家賃も高いし人も多いし、どこの店も狭くて混んでいる。それに比べると生活の快適さは京都のほうが上なんじゃないかと思う。
 しかし、そのことを考えるたびに、京都は魅力的なんだけど、まだもうちょっと東京で何かをやっていきたいかもしれない、という気持ちになる。
(中略)
 東京のイベントの多さや、物事の移り変わるスピードの速さ。その速度の中に身を浸していると、自分ももっと何か、クリエイティブなことをやらなければいけないんじゃないか、という圧力を感じる。
(中略)
 東京にはもう十五年以上住んでいるのに、今でも東京の生活はなんだか嘘っぽいと感じている。定職にもつかず家族も持たず、トークイベントに行ったりライブを見たりしているこの生活は、本当に現実なのだろうか。東京だと、いつまでも浮世離れしたよくわからないことを考えていても許される気がする。今までとは違う何かが起こるかもしれないという期待を、東京という街は今でもかすかに持たせてくれている。
(中略)
 今までに見たことのない何かに期待する気持ちが全くなくなってしまったら、また京都に住んでみようか。でも、もう少しだけ東京で、何もかもがすごいスピードで移り変わってしまう、この異常な速度の都市で、地に足がつかないようなことをやっていたい。

p122-127

私は、現在は東京で仕事をしているが、人生の半分以上を地方で過ごしてきた。田舎の小さい町に住んでいたこともあるし、関西の中核都市である大阪に住んでいたこともある。その点でphaさんと共通点がある。そのせいか、この東京と地方の比較には、大いに共感した。

もともと東京出身の方にはピンとこないかもしれないが、東京は、地方の都市とは全く異なる、特別な街だ。町の規模の大きさ。人、情報、資本の多さ。スピードの速さ。多様な文化や考え方と、それを許容する空気。選択肢の多さ。匿名性。やりたいことを探したいときや、何か新しいことに挑戦したいときには、東京は最適だ。その反面、自然の豊かさ、生活の快適さや、落ち着きといったものは、地方に軍配が上がる。私も、リタイヤ後も東京にこのまま住み続けるのか、終の棲家は地方にするのか、ということも、ゆるゆると考え始めている。

総じて、中年にさしかかった著者の心の葛藤を、とても上手に言語化している本だと思った。特に、今後の人生の在り方について悩み始めた中高年読者には、色々な気づきを与えてくれることだろう。

ご参考になれば幸いです!

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