【読書録】『生殖記』朝井リョウ
今日ご紹介する本は、直木賞作家である朝井リョウの小説『生殖記』(小学館、2024年)。
※以下、ネタバレご注意ください※
タイトルは、書店で手に取るのを一瞬ためらうようなドキッとするものだが、性的ないやらしさとは無縁の内容なので、安心してほしい(または、がっかりしないでいただきたい)。
まず、語り手の「私」は、尚成という男性の生殖器に宿る生殖本能。その観点から、人間について、「ヒト」「個体」「オス」「メス」「発生」「生息地」といった呼び方をする。
尚成は、同性愛者であり、家庭や学校、職場で秘密を抱えてひっそりと生きてきた。人間社会が無意識のうちに強制する成長志向に合わず、給料をもらうためだけの必要最小限の労働を行い、時間を潰す日々を送っている。そんな尚成の、他人とのかかわりや心の動きの変化を、尚成に宿る生殖本能である「私」が解説する。
生殖本能「私」は、尚成の前には、パキスタン人の女性Maryamのほか、他の種の生物にも宿っていた。そういう背景から、男女の違い、文化や宗教の違い、そして人間と他の種の生物の違いなどを浮き彫りにする。
本書を手に取り、まず、その奇想天外な発想に驚いた。そして、生殖本能「私」による、人間社会や多様性に関する深い考察に引き込まれ、一気に読了した。
以下、備忘のため、特に心に残ったくだりを書き留めておきたい。
**********
人間は、他の種の生物と比べると、生存を脅かされることがなく、色々なことを考える、というくだり。
ヒトほど文明を進化させたならば、捕食される確率を下げるためとか、狩りの効率を上げるためとか、即ち個体の生存が有利になるための集団行動って、まあ不必要じゃないですか。あらゆる文明を駆使して、何もせず、他のどの個体とも繋がらず、真空に揺蕩うようにただこの世界に存在することも可能なはずなんです。
でもヒトって、"そこに生きている"というだけの状態が近づくと、すぐにそれ以上のものを求めだしますよね。これでいいのかとか生きている意味って何なのかとか、人生の価値とか誰かのために行きたいとか何かに夢中になりたいとか。とにかく、生きている、のみの状態からは脱出したがります。
ヒト以外の種を担当しているときは、そんなことどの個体も考えていませんでした。生きるを遂行することと命を使い切ることがほぼ同義な種と比べると、戦争や天災など滅多なことがない限り命を脅かされずに生きていられるヒトという種は本当に色んなことを考えていて ー 大変そうです。
今、言葉を選びました。
暇そうです。
暇で、退屈そうです。本当は、そう言うつもりでした。
差し当たって命の心配をしなくてもいいヒトの個体の場合、根詰めて考えると精神が病んでしまうような本質的な事項に追いつかれてしまわないよう、常に鬼ごっこをするみたいに生きているように見える、という話です。
ヒト特有の抜群に発達した知能や思考の丁度いい矛先になってくれるものを、常に探し続ける鬼ごっこ。
人間社会における"共同体"の性質についてのくだり。
学校、家庭、企業、地域、社会、国、世界 ー どの共同体も、崩壊や縮小を目指して活動していない。(中略)
言い換えれば、どの共同体も、均衡や維持、或いは拡大や発展や成長、それらのうちのどれかを目指して活動している、ということです。これはもはや目指しているという意識すらなく、発生した瞬間には自然とその方向へと動き出している、デフォルトでそのような設定が組み込まれている、というレベルの話です。
(…)神を設定していないヒトの生息地では、共同体が目指すものを阻害する個体は"悪"とみなされる(中略)。そして、悪とみなされた個体は、その共同体から追放される恐れがある。
SDGsや環境保護というのも、結局は人間社会の都合のよい程度のものにすぎない。本当に地球のためを思えば、できることは、ヒトの絶滅だという。何と言う、鋭い視点。
(…)本気で、"地球のために、できること"をヒトに問うのならば、回答は一つ。
絶滅です。
結局ヒトは、その卓越した認知能力が行き届き、感情を重ねられる範囲のみにしか思考を働かせられないんですよね。だから、自分たちの生活に影響が出始めてやっと、どうやら地球がやばいらしいぞって言いだすわけです。
成長を指向してきた人間にとって、後退することが苦手だ、というくだり。
(…)ヒトって見直すとか後退するとか、そういうことがすっごく苦手なんだなって思ったんです。一度文明が進んだらもうその前には戻れないっていうか、戻るわけにはいかないっていうか。その繰り返しがこの種の歴史なのかなって。
主人公尚成の生き方について。大きなマットを皆で運んでいるときに、手を添えるが、力を込めない、という例え。作品中に何度も登場する。
大きなマットを皆で運んでいるときに大切なのは、その進行を邪魔しないこと。
そのマット自体がどれだけどうでもよくても、その進路に全く納得感がなくても、それを悟られないようにしつつ、判断、決断、選択、先導を担うポジションにも就かないようにしながら、ただただ歩くこと。
手は添えて、だけど力は込めず。
これが、今の尚成の"しっくり"です。
尚成がそのような生き方を選択するに至った過程について。
(…)一個体暮らしとともにアルバイトを始め、生き延びるための食糧を自ら調達できるようになると、尚成、あることに気づきました。(中略)
(…)自分にとって本当に必要な能力とは、周囲への擬態ではなく、食料を自ら調達し生存し続ける力 ー 即ち経済的自立なのではないか。
社会に出て労働するようになった尚成が得た、"共同体"についての3つの気づき。とてもシャープな視点。
尚成、このとき、大きく分けて三つのことを察知しました。
一つは、年齢を重ねると自分が所属する共同体の種類が変わり、それに伴って共同体内における均衡、維持、拡大、発展、成長の意味合いも変わってくるということ。(中略)それに伴って共同体内の善悪が、即ち追放の条件が変わるということです。
察知したことの二つ目は、労働と相性が悪い個体の追放は、とても簡単に遂行されるということです。
(…)そして、察知したことの三つ目。
それは、いざ追放の対象から外れてみると、新たに追放の対象となった個体に対し、しっかりネガティブな感情を抱くということです。
共同体が永遠の成長を指向するのも、人間が互いを監視しあっているからだという。ぞっとする。
永遠の成長なんて存在し得ないことを誰もがわかっていながら、それでも全力で今よりももっと成長を目指し続けるという姿勢を解くわけにいかない。
もう近い未来どうにもならなくなることは明白なのに、立ち止まれない。
監視し合っているから。
共同体の構成員たちが、拡大、発展、成長を目指す永遠のレールから降りる者がいないかどうか、互いに見張りあっているから。
樹という同僚(女性)が、尚成に語った、男女の伝統的関係性における違和感。
「自分は挿入する側の人間なんじゃないかって思ってるんだよね、ずっと」
(中略)
「つまりね、セックスのときだけなの。受け身っていうか、物理的にも主導権的にも私が下の立場になるのって」
共同体の空気も、時代とともに変わっていくこと。
神のいない生息地では、結局は共同体の大多数を占める異性愛個体が神の代わりを務めているということ。その生息地での"なんとな~くの空気"は、神の代わりが流行的に生み出す"次"によってどんどん変わっていくこと。
共同体の空気にとしっくりこない尚成にとって、幸福な状態とは、余計なことを考えないで済む、ということだった。
脳の一番上に不変の約束事が君臨していて、それに従っていれば余計なことを考えなくても済む ー それは、幼いころから自分なりに思考し、言語化し、"しっくり"を得るという行為を繰り返さなければならなかった尚成にとって、非常に楽で、かつ幸福度が高い状態でした。
大多数の人間にとっては、「仕事」「社会貢献」「子育て」が幸福度を上げる要素になる。しかし、そうでない人にとっては、そうでない何かを探し続けなければならない。
(…)大多数の個体にとっては幸福度の上昇に繋がる"仕事"でも"社会貢献"でも"次世代個体の育成"でもない"次"を、ヒトの寿命という長い時間じゅうずっと見つけ続けなければならない(以下略)
ヒトの世界では一般的に、このすり替えこそ素晴らしいことだとみなされます。自分のためだけに頑張るんじゃなくて世のため人のために頑張る、素晴らしいね成長だね偉いねと、こうなります。監視カメラをすり替えた本人も、「誰かの役に立てるなら、それはとても嬉しいこと」みたいな感じで、共同体感覚を強めることで幸福度を上昇させるようになります。
でも尚成はそうなりません。散々立入禁止宣告を繰り返してきた共同体に、貢献なんて一切したくありません。
ゲイである颯の発言。マイノリティからは、マジョリティの言動は、このように見えているのか。これもショッキングだった。
「こういう話すると、偏見ないよとか私は気にしないよとか、誰を好きになってもいいとかそういう時代だもんねとか言われるんですけど、それだったら何も言われないほうがいいっていうか」
(中略)
「偏見ないよとか言ってくる相手に俺はめちゃ偏見持っていたりしますし、気にしないよとか言われてもお前が気にするかどうかは俺の人生に関係ないから自意識過剰だなって思いますし。誰を好きになってもいいとかお前に許可出される筋合いないし時代関係なく俺はゲイだし」
同性愛者の自殺やセクシャリティのカミングアウトも、マジョリティが考えるような理由によるものではないかもしれない。
「実際、同性愛者の自殺って多いんですよ。なんか世間からは性的指向に悩んで苦しんで死んじゃうって思われがちですけど、俺は、生まれながらに課された"巨大な秘密を最期まで隠し通す"っていう理不尽なミッションが自殺すれば最短クリアできちゃうっていうところも大きいと思うんですよね。逆にセクシャリティを明かす人が最近増えてきてるのって、自分らしくとか多様性とかいうよりも、理不尽なことにキレていい空気ができたからのような気がするんです。(以下略)」
マイノリティに配慮した制度が整うと、マイノリティの間で格差が生まれてしまう、という皮肉。
「確かに近い将来同性婚が実現しても、絶対に口外できない人とかどうしたってパートナーと出会えなかった当事者からすれば我慢の度合いが強まるだけでしょうし、俺より上の世代からしたらむしろやめてくれって思ったりもしますよね。制度が整っていくってことは、当事者間でも格差が生まれるってことですから」
(中略)
「結婚も特別養子縁組も、これまで同性愛者全員が不可能だったことが、カミングアウトできる環境にいる人から順に可能になる。それは新しい文壇を生むとは思っています」
尚成と同じ同性愛者の颯が、尚成とは異なり、まずは行動に出るというタイプであることが分かるくだり。似たような状況にあっても、どういう思考、行動をするかは、やはり人それぞれだ。
「否定形の意思表示って、誰にも見えないんですよ」
(中略)
「どんどん外を遮断して、自分から独りに逃げ込んで、色んなことを"してやらない"って決めて」
(中略)
「それで世界を否定した気になっても、周りから見ればそれって、ただそこにいる人なんです」
(中略)
「意識してやらないでいたこととか、意識して言わないでいたこととかって、誰の目にも見えない分、自分だけにはめちゃくちゃ目につくようになると思うんですよ。これだけはしてやらない、やってやらないって切り捨ててきたものたちが、逆に自分をどんどん縛っていく」
(中略)
「いつか、そういうものたちに人生を乗っ取られるんです」
(中略)
「そうなったら俺、マジでどこかでジョーカーみたいにバーンって爆発しちゃいそうで。関係ない人巻き込むのは違うじゃないですか、流石に」
(中略)
「だったらまずは、する、っていうほうの意思表示を選んでみようかなって。しない、を選ぶのはその後、ていうか最終手段でもいいのかなって」
(中略)
「俺がこう思えるのも、周りに恵まれてきたからだと思います」
(中略)
「誰にも言えない状況で世間から隠れ続けて生きてたら、自分を差し置いて勝手に変わっていく社会にイラつくでしょうし、人類滅亡しろって思ってたかもしれません、俺も」
同じ同性愛者である颯と尚成であっても考え方が対照的なのは、共同体との関係性が対照的だったからではないか、というくだり。
(…)生まれ持ったものがどうというよりも、幼体のころに所属していた共同体との関係性のほうが、ずっとその個体の思考を左右するのかも(以下略)
令和の処世術=他人に関与しないこと。確かに、最近はそういう風潮だなあ。
うんうん、やっぱりどんな方向でも踏み込んだことを他人に訊いたり言ったりしない ー それが"令和"であり、今のヒトにとっての"多様性"なんですよね。
プライベートなことを訊かない。他人の人生に口を出さない。ひとそれぞれ。
それは優しさ? 突き放しているだけ?
まあ、本人がそうしたいんだったらそれでいいんじゃん? 誰かに迷惑かけてるわけじゃないし。何が幸せなんて人それぞれなんだしさ。
出た、その感じ。優しいんじゃなくて突き放してるんだよ、それ。
本書の終盤で尚成が新たに見つけた幸福についてのくだり。それは、スイーツを食べてダイエットを行うこと。無限ループで、時間がたくさん進むから。
時間をかけて高カロリー食を生成し、可能な限り摂取し、その分を消費するためにひたすら身体を動かす。この繰り返しに終始していれば、種や共同体の貢献に繋がる拡大、発展、成長のレースに乗ることなく、かつ虚無に追いつかれない程度に"次"をこなしていくことができる。
生殖医療が発展し、人工子宮や子宮外妊娠に代表される対外発生の実現が可能になれば、異性愛個体の持みたつ無意識的な特権意識が引き剥がされる。そういう未来に近づくことが、尚成が新たに見つけた幸福。
今の尚成にとって、生きること、即ち心身が時間的に前進することは、異性愛個体から特権意識が引き剝がされる未来に近づくことと同義であり、その事実こそが尚成の幸福度を上昇させています。つまりこの幸福度は、尚成自身の生産性や共同体への貢献等からは完全に独立しているといえます。
(中略)期せずして、共同体や種の拡大、発展、成長への貢献に繋がる "次"を遂行し続けることで幸福度を高めている個体 ー 幸福度が共同体感覚に依っている一般的な個体とは、真反対の幸福度の曲線を手に入れたのです。
同じ人間社会で暮らしていても、人間は、それぞれ内面では、全く違う世界を生きている。よく考えれば当たり前のことではあるが、このように書かれるとゾッとする。
ヒトの場合、同じ種の個体でも、どんな"しっくり"を積み重ねるかで全く違う世界を生きることになるんですね。
(中略)
きっと尚成が気づいていないだけで、今日すれ違った個体の中にも、空間的には同じ場所にいるけれども感覚的には全く違う世界を生きている個体がいたのでしょう。
そのことを一切悟られないよう、素知らぬ顔でこの世界に手を添えていたのでしょう。
そういうことが、どの街のどの場所でも、無数に発生しているんだと思います。
幸福度を預ける場所を独自に錬成しないと生き延び難いという状況は、様々な理由で発生し得ることですから。
生殖医療の発展によって、生殖本能や生殖器が衰えていく未来を想像している。生殖本能ならではの視点。
(…)対外発生が一般的になれば、生殖本能や生殖器の存在意義ももちろん変質します。
それどころか、対外発生によって生殖が完全にヒトのコントロール下に置かれれば、アンコントローラブルな存在である性衝動は、むしろ存在しないほうが好都合になります。
よく使われる機能が発達し、あまり使われなくなった機能は淘汰されていく。これ、自然界の摂理です。
尚成の考える幸福は、普通の人間の考える幸福と比べると、かなり特殊だ。本作品はフィクションだろうが、実際に、尚成と同じような幸福の考え方をする人も一定程度いるのだろう。
その生涯が語り継がれている個体って、紆余曲折の末に最終的には共同体との関係性を再構築して世のため人のために動くことで社会的動物としての幸福度を高めていく、みたいなパターンが殆どじゃないですか。
その中で異性愛個体から無意識的な特権意識が引き剥がされる未来に最速の体感で辿り着くべくお菓子作りとダイエットを繰り返すことが至上の幸福である個体の歴史、一個体分くらい残しておくべきですよ、きっと。
ラストのページでの、尚成と生殖本能の心情の吐露。かっこが尚成、カッコ無しが生殖本能である「私」のもの。
(幸せだなあ)
そうだね。
よかったね。
ここまで、すっごく長かったもんね。
やっと、身体が舞い上がるような"しっくり"を手にいれることができたね。
**********
複雑な読後感だった。
生殖本能が、宿主である人間の言動を通して見た、人間社会を描いた作品。斬新な手法で問いかけるのは、後戻りできない人間社会の永遠の成長志向、そのなかにひっそりと存在する価値観や幸福の定義の異なる個人、そして、一言で表現するには複雑すぎる「多様性」など。
(そういえば、以前読んだ同じ著者の代表作『正欲』も、多様性がテーマだった。しかし、『正欲』よりは、今回の『生殖記』のほうが、より深く心に残った。)
尚成や「私」の視点は、自分が普段は全く考えたことのないものだ。それゆえ、脳が混乱し、強烈な違和感が残った。普段は接することがないけれども、どこかに厳然と存在する人間の思考や行動のパターン。これでもかと突き付けられ、困惑し、寒気を覚えた。
幸せは人それぞれ。同じコミュニティにいて、つきあいの多い友人や同僚も、実は、内面では全く違うことを考えているかもしれない。心底分かりあえる相手など、実はとても少ないのかもしれない。令和のお作法においては、他人のプライベートには干渉しない。だから、人間は自分だけの幸せの軸を持っておき、他人に理解されることを期待しない方が良いのだろうか。でも、それは、どこか寂しい。
考えれば考えるほど泥沼にはまってしまう。衝撃的な読書体験だった。だから、読書はやめられない。
ご参考になれば幸いです!
私の読書録の記事へは、以下のリンク集からどうぞ!
いいなと思ったら応援しよう!
サポートをいただきましたら、他のnoterさんへのサポートの原資にしたいと思います。