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【読書録】『ネガティブ・ケイパビリティ』帚木蓬生

今日ご紹介する本は、『ネガティブ・ケイパビリティ』(朝日新聞出版、2017年)。副題は、『答えの出ない事態に耐える力』。

著者は、帚木ははきぎ蓬生ほうせい氏。同氏は、多くの文学賞を受賞した小説家であるとともに、40年以上の臨床経験をもつ精神科医でもある。

本書は、「ネガティブ・ケイパビリティ」という概念と、その欠如が現代社会にもたらす問題を、多様な事例を通して解説した一冊である。

まずは、ネガティブ・ケイパビリティを定義した箇所や、特に印象に残ったくだりを引用したい。

 能力といえば、通常は何かをなし遂げる能力を意味しています。しかしここでは、何かを処理して問題解決をする能力ではなく、そういうことをしない能力が推奨されているのです。

p6

不確かさの中で自体や情況を持ちこたえ、不思議さや疑いの中にいる能力

p7

<問題>を請求に措定せず、生半可や意味付けや知識でもって、未解決の問題にせっかちに帳尻を合わせず、宙ぶらりんの状態を持ちこたえるのがネガティブ・ケイパビリティだとしても、実践するのは容易ではありません。
 なぜなら、ヒトの脳には、(中略)「分かろう」とする生物としての方向性が備わっているからです。

p8

 私たちは「能力」と言えば、才能や才覚、物事の処理能力を想像します。学校教育や職業教育が不断に追求し、目的としているのもこの能力です。問題が生じれば、的確かつ迅速に対処する能力が養成されます。
 ネガティブ・ケイパビリティは、その裏返しの能力です。論理を離れた、どのようにも決められない、宙ぶらりんの状態を回避せず、耐え抜く能力です。

p9

 キーツにとって、真の才能とは、不愉快なものでもすべて霧消させることのできる、想像力の持つ強さです。(中略)
 この「感じないことを感じる」ことや、「受動的能力」の概念が(中略)「ネガティブ・ケイパビリティ(negative capability)」の概念に結実します。

p27

不可解さに性急に結論を与えず、神秘さと不可思議さに身を浸しつつ、宙ぶらりんを耐え抜く力

p52

不可思議さ、神秘、疑念をそのまま持ち続け、性急な事実や理由を求めないという態度

p58

ネガティブ・ケイパビリティが保持するのは、形のない、無限の、言葉では言い表しようのない、非存在の存在。この状態は、記憶も欲望も理解も捨てて、初めて行きつける

p58

 私は、分かっているつもりの画一的思考が陥った例として、ピロリ菌の発見をよく思い出します。(中略)大御所の間違った高説を記憶し、理解し、さっさと片づけたいという欲望が、ピロリ菌の発見を遠ざけたと言えます。

p70-71

ネガティブ・ケイパビリティは拙速な理解ではなく、謎を謎として興味を抱いたまま、宙ぶらりんの、どうしようもない状態を耐えぬく力です。その先には必ず発展的な深い理解が待ち受けていると確信して、耐えていく持続力を生み出すのです。

p77

 学べば学ぶほど、未知の世界が広がっていく。学習すればするほど、その道がどこまでも続いているのが分かる。あれが峠だと思って坂を登りつめても、またその後ろに、もうひとつ高い山が見える。そこで登のをやめてもいいのですが、見たからにはあの峰に辿りついてみたい。それが人の心の常であり、学びの力でしょう。つまり、答えの出ない問題を探し続ける挑戦こそが教育の真髄でしょう。

p191-192

 問題設定が可能で、解答がすぐに出るような事柄は、人生のほんの一部でしょう。残りの大部分は、わけが分からないまま、興味や尊敬の念を抱いて、生涯かけて何かを掴みとるものです。それまでは耐え続けなければならないのです。(中略)ネガティブ・ケイパビリティを持つには、記憶・理解・欲望が邪魔をするとビオンは断言します。
 現代の教育は、到達目標という欲望があるために、時間に追われながら、詰め込み記憶を奨励しつつ、とりあえず理解させようとします。ネガティブ・ケイパビリティが育つべくもありません。

p193

 軍人の論理からすれば、どうにもならない難局を打破するためには、戦争しかないのが当然です。針の穴に糸を通すようにして、何とか解決の道を探る、ネガティブ・ケイパビリティは、軍人の頭にはありません。
 (中略)
 平和を維持するためには、為政者は特に、そして国民ひとりひとりが、ネガティブ・ケイパビリティを発揮しなければならないのです。

p235-236

(・・・)ヒトは生物として共感の土台には恵まれているものの、それを深く強いものにするためには、不断の教育と努力が必要になるのです。
 この共感が成熟していく過程に、常に寄り添っている伴走者こそが、ネガティブ・ケイパビリティなのです。ネガティブ・ケイパビリティがないところに、共感は育たないと言い換えてもいいでしょう。

p240

**********

上記の引用からも分かるように、本書ではネガティブ・ケイパビリティの定義が繰り返し語られる。そのおかげで、この概念をさまざまな角度から立体的に理解できる構成になっている。

私なりに要約するなら、ネガティブ・ケイパビリティとは、不確かで、不思議で、答えの出ない宙ぶらりんな状態を回避せずに受け入れ、性急に論理や結論を求めない力である。

現代は、インターネットによって世界中の情報に瞬時にアクセスでき、生成AIに質問すれば数秒でそれらしい答えが返ってくる時代である。個人も組織も、「すぐに答えが得られること」を当然視し、情報処理や問題解決のスピードは飛躍的に高まった。

その一方で、正解がなく、解決策も見えない状態に長く置かれることを不快に感じる人は増えているように思う。不確かさに耐える力は、これからますます弱くなっていくのかもしれない。

ちなみに、本書には実に多くのエピソードが登場する。シェイクスピア、紫式部、芸術、医学、教育、国際政治、戦争など、その守備範囲は驚くほど広い。著者の教養の深さには脱帽した。

一方で、読み進める途中、「この話は本書の主題とどうつながるのだろう」と戸惑う場面も少なくなかった。

しかし、読み終えたとき、私ははっとした。

「常に論理的なつながりを求め、結論を急いでしまう自分の読書スタイルそのものが、ネガティブ・ケイパビリティの欠如なのではないか。」

そんなことを、著者から静かに指摘されたような気がしたのである。

読んでいる本の筋がすぐに理解できなくても、焦る必要はない。未知に出会ったときの戸惑いや、宙ぶらりんな感覚そのものを、もっとゆっくり味わえばよいのである。私はいつの間にか、そのような心の余裕や豊かさを犠牲にするような生活を送っていたのだと気づき、少なからず衝撃を受けた。

ところで、私はジョギングを楽しむ習慣がある。

少し前までは、Google Mapsでルートを設定し、その道順どおりに走ることが当たり前だった。

ところが最近、ふと「初めて訪れる土地を、GPSに頼らず気の向くまま走ってみよう」と思い立ち、実際に試してみた。

どこへたどり着くのか分からない不安はあった。しかし、それ以上に発見の連続だった。

気づけば想像していた方角とはまったく違う場所まで走っていたり、知らない商店街や公園、神社に出会ったりした。いつもなら最短ルートしか通らない街にも、一歩脇道へ入るだけで、まったく違う表情が広がっていた。

「目的地へ最短で着くこと」だけを優先していたなら、決して味わえなかった時間である。

振り返ってみると、これも一種のネガティブ・ケイパビリティの効用ではないかと感じている。

答えがすぐに手に入る便利な時代だからこそ、ときにはインターネットやGPSのような「即座に答えを与えてくれる道具」から意識的に距離を置く時間があってもよい。そのような時間が、この力を育てるのかもしれない。

私もこれからは、時折そのような時間を意識してつくっていこうと思う。

ご参考になれば幸いです!

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