【人情溢れる国】モロッコの家族が優しさに溢れていた話

アメリカ→アイルランド→イギリス→ジブ

今日はラ・リネア・デ・ラ・コンセプシオンの町から出発する。

明け方のラ・リネア・デ・ラ・コンセプシオンの街(嵐で崩壊したらしい)
異常気象発生中(2026.2旅行当時の実際のGoogleMAP)

昨日はホテルのチェックインに思いのほか手間取り、神経をすり減らした。そこはフロント常駐型ではないアパートメントタイプのホテルで、入室の手続きはすべてセルフ形式だった。


GoogleMAP

慣れない仕組みに戸惑い、さらに治安への警戒心と、窓の外で荒れ狂う嵐の音が不安を増幅させた。その結果、ようやく横になっても意識は冴えたままで、結局眠れたのはわずか2時間半ほどだった。

@Tiny apartment on the roof touching Gibraltar

身体は明らかに睡眠を求めていた。頭は重く、思考も鈍い。それでも、旅の高揚感というのは不思議なもので、外に出て朝の空気を吸った瞬間、心の奥に溜まっていた重さがすっと軽くなるのを感じた。異国の朝は、それだけで人を前に進ませる力を持っている。

今日の目標はカサブランカへ到達することだ。

昨日、イギリス領ジブラルタルからスペインへと国境を越えた。そして今日はまずバスでアルヘシラスへ向かい、そこからフェリーでタンジメットへ渡る。さらに鉄道でタンジェへ移動し、最終的にカサブランカへ向かうという行程だ。


嵐吹きすさぶジブラルタル空港(GIB)に着陸直後のGibralterRock

本日のここからの行き先は距離だけを見れば、およそ500〜600キロに過ぎない。

しかし、その数字は現実の困難さを何も語っていない。そこには国境の通過があり、フェリーへの乗船があり、異国の鉄道の利用がある。そして、後述する本日の最難関、一部の交通網の整備されていない地帯。言語も文化も異なる環境の中で、切符を買い、乗り場を探し、正しい列に並ぶ。その一つ一つが小さな障壁がキングスライムのように大きく立ちはだかる。

日本では当たり前のようにできていた移動が、ここでは一つの挑戦になる。(社不なのでぼくは日本でも状況把握が苦手なのでなおさら。)券売機の前で立ち止まり、表示を読み解き、周囲の人の動きを観察しながら、自分の行動が正しいのかを確認する。その繰り返しだった。

この旅は、単なる移動の連続ではない。未知のシステムの中に自分を置き、その都度、適応していく過程そのものだった。

では、実際にどのような出来事が起きたのか、順を追って見ていこう。

まずは、事前に調べておいたバス停へ向かった。

Googleマップやストリートビューで何度も確認していた場所だったため、実際にその景色が目の前に現れたとき、ようやく現実と情報が一致した安心感があった。事前の下調べが間違っていなかったことに、ひとまず安堵する。

しかし、それは「スタート地点に立てた」というだけの話だった。

問題はここからだった。

バス停に掲示されている時刻表は、当然ながらすべてスペイン語で書かれている。都市名や数字はかろうじて読み取れるが、「平日」「休日」「運休」「経由」といった細かな条件が理解できない。海外では、この微妙な差が致命的なミスにつながる。

いや、わかんらんてwフェリータミーナルアルヘシラスどこ?

ここでAI達者(スマホだけでAIツールが10個くらい入ってる)のぼくはGeminiカメラ翻訳を使おうとしたが、さらに深刻な問題があった。

通信が使えない。

原因はeSIMだった。慣れない海外用eSIMを使っていたものの、設定が完全ではなかったのか、あるいは現地ネットワークとの接続に問題があったのか、昨日からずっとオフライン状態が続いていた。翻訳も、地図の再検索も、何もできない。完全オフライン状態。(しかも、あとでわかったのだが、ぼくのデバイス(AQUOS9最新機種でも)GeminiAIはモロッコスペインエリアに対応していないとのこと)

この通信不能状態は、昨日のホテルチェックインでもすでに大きな障害になっていた。アパートメントタイプのホテルでは、オーナーから送られてくる入室方法や鍵の情報をオンラインで確認する必要があったが、それができなかった。異国で通信が使えないというのは、ただの不便ではなく、「情報からの孤立」を意味する。

今、その状況が再び目の前に朝っぱら7時から立ちはだかっていた。

バス停の近くには、小さな窓口があった。救いを見つけた気がして、そこへ向かう。チケットを買えば、すべて解決するはずだった。

しかし、ここでも予想外の現実が待っていた。

そのバスは、クレジットカードが使えない。

支払いは現金のみ。それも紙幣ではなく、乗車時または降車時に硬貨を投入する形式のローカルバスだった。

つまり、いま手元に必要なのは「現地通貨の硬貨」だった。

だが、現金は持っていない。

クレジットカードがあれば世界中どこでも移動できる。そう思っていた前提が、ここで崩れる。都市部では当たり前に使えた決済手段が、わずか数キロの移動手段では通用しない。

情報はない。通信もない。現金もない。

バス停には確かにたどり着いた。目的地へ向かうバスも存在している。にもかかわらず、そのバスに乗るための「最後の一歩」が欠けている。

旅では、こうした小さな欠落が、突然すべての進行を止める。進む方法は存在しているのに、自分だけがそのシステムに参加できない。

異国において、自分が完全に「外側の存在」になった瞬間だった。

両替所を探して歩き回ったが、どこも閉まっていた。

念のためスマートフォンのカレンダーを確認すると、この日は日曜日だった。ヨーロッパでは日曜日は多くの銀行や両替所が休業する。日本の都市部の感覚でいれば「どこか一つくらい開いているだろう」と思ってしまうが、小さな国境の町では事情が違う。金融インフラそのものが、週末には静止する。

最後の望みをかけて、再び国境を越え、ジブラルタル側の空港へ向かった。


空港なら外貨両替があるはずだ。そう考えた。

しかし、そこにあったのは想像していた「空港」とは違うものだった。

この空港は極めて小規模で、滑走路を徒歩で横断できるほどの距離感だった。巨大な国際空港のような商業施設はなく、両替所の窓口も見当たらない。窓口らしき場所はすべて閉まっており、そもそも常設の両替所自体が存在しないようだった。

つまり、「空港に行けば解決する」という前提そのものが成立しなかった。

状況は依然として変わらない。現金はゼロのままだった。

このままでは、どこにも移動できない。

そこで、通信の回復を最優先に切り替えた。近くにあったマクドナルドに入り、無料Wi-Fiを使うことにした。完全に利用だけするのは気が引けたため、朝マックのセットを注文する。温かい食事は、身体だけでなく、思考も少しずつ正常に戻していく。

ビッグマックと胃腸を整えたくサラダセットを頼んだのだがサラダが重いw

そのとき、不意に声をかけられた。

男:「Hey. Where are you from?」

振り向くと、スペイン人の男性だった。片言の英語で、名前や出身地を尋ねてくる。

男:「My name is Sajinoki. I am from Japan.」

形式的なやり取りだった。旅先では珍しいことではない。異国から来た人間に対する純粋な興味。そう思っていた。

しかし会話の終わりに、彼は言った。

男:「One euro. Just one euro.」

身振り手振りでもハンドサインでカネを示している。

金を恵んでほしい、という意味だった。

よく見ると、彼の歯は何本か欠けていた。「歯が欠けている人物には警戒したほうがよい」というライフハックはぼくも知っていたので、それがすべて正しいわけではないが、少なくとも、この状況で深入りする理由はなかった。

トラブルを避けることを最優先に、英語で愛想よくに受け流し、それでも眼だけは対象から離さず(自然界の生存のキホン)その場を離れた。

海外では、「立ち去る技術」もまた、生存のためのスキルになる。

Wi-Fiが使えるようになったことで、すぐに周囲の両替所を検索した。(このときにE-simをわざわざ再度買いなおした(7日Grobale5200円が無駄になったが背に腹は代えられなかった))しかし、やはり日曜日に開いている両替所は、このエリアには存在しない。

そこで、次の選択肢としてATMに向かった。

現地通貨を直接引き出す方法だ。

これまでの経験では、海外ATMの利用はそれほど難しいものではなかった。たとえばタイにプチ移住していた頃は、日本語表示に対応しているATMもあり、数分で現金を手にすることができた記憶がある。

しかし、スペインのATMは違った。

表示は英語かスペイン語のみ。操作の流れも微妙に異なる。カードを挿入し、暗証番号を入力し、金額を指定する。その単純なプロセスのはずが、途中でエラーが出たり、カードブランドの選択を求められたり、見慣れない確認画面が表示されたりする。

念のため少額の70EUROで引き出しテストの様子

一つのATMで20分以上格闘し、それでも引き出せない。

別のATMへ移動する。

また同じ操作を繰り返す。

気づけば、1時間近くATMを渡り歩いていた。

周囲から見れば、同じ機械の前で長時間操作を続ける謎の東洋人だっただろう。しかし、そのときの自分にとっては、これは単なる現金引き出しではなく、「移動の自由」を取り戻すための作業だった。(この時気付いたのだがメインカードの設定が海外ATMに対応していなかったようだ)

サブで持ってきた(一応ゴールド会員のイオンカード)VISAクレカをつかって、ついに。

紙幣が排出口から現れた。

その瞬間、単なる現金以上の意味を持っていた。それは、この国の交通システムに参加するための「鍵」だった。

ようやく、バスに乗ることができた。

現金を硬貨に崩し、乗車する。エンジンが動き出し、車窓の景色が流れ始める。

停止していた旅が、再び動き始めた。(この時点で起床した6:30から10:30になっていた)

こうして、無事にアルヘシラスの町へと到着した。


次は航路に沿ってアフリカに上陸する

アルヘシラスの町に到着し、次の目的地はモロッコ側の港町、タンジェメットだった。

ここからフェリーに乗れば海を渡ることができる。しかし、理想を言えば、そのままタンジェやカサブランカまで直接行ける便があればよかった。現実にはそうした長距離の直通航路は存在せず、まずはタンジェメッドまで渡り、そこから鉄道やバスでさらに南へ移動する必要がある。

感覚としては、横浜に行きたいのに横須賀で降ろされるようなものだった。目的地そのものではなく、「入口」にしか到達できない。

アルヘシラスの港からタンジェ方面へのフェリーは複数存在するが、行き先は主にタンジェメッド港だった。一方で、もう一つの選択肢として、約20km離れたスペインタリファの港からタンジェ旧港へ向かう航路もあった。距離は短く、所要時間も比較的短い。

しかし、この選択肢には不確定要素が多かった。

まず、時刻表の信頼性が低い。事前に調べた限り、本数は多くなかった。さらに、アルヘシラスの窓口で問い合わせた際も、「いつ出るかわからないから後で来て」と曖昧な返答を受けていた。仮にタリファまで移動して同じ対応をされた場合、時間と体力を消耗するだけになる可能性が高い。

旅において、「選択肢が多いこと」は必ずしも有利ではない。むしろ、不確定な分岐が多いほど、意思決定コストが増大し、判断力を削る。

そのため、今回は不確定要素の多い選択肢は排除し「アルヘシラスからタンジェメットへ行く」という一点に集中することにした。

港のチケット窓口へ向かう。

しかし、ここでも状況は一様ではなかった。ある窓口では、「フェリーがいつ来るかわからないから、また後で来てほしい」と言われた。明確な時刻を提示されない。この地域の交通(海外あるある)が、厳密なスケジュールよりも、ある程度の流動性の中で運用されていることを実感する。

一方で、別の窓口ではまったく違う対応を受けた。

アルヘシラスの港には、通り沿いにある簡易的な窓口と、本館にある正式なチケット売り場がある。本館の窓口では、職員が落ち着いて対応してくれた。英語で説明を受け、乗船手続きの流れも明確に示してくれる。

同じ港でも、窓口によって対応の質が大きく異なる。

これは偶然ではなく、機能の違いによるものだった。本館は正式な発券拠点であり、情報も正確で、手続きも体系化されている。一方で、分館や簡易窓口は補助的な役割のため、情報の精度や対応の一貫性にばらつきがある。

最終的に、今回(土日の便)は本館でチケットを購入することができた。

右側見切れ部分が別館、本館は被写体中央の建物

あまりにも丁寧に対応してもらったため、思わず「I think your Nice service. Good job.」と感謝を伝えた。すると職員は明らかに嬉しそうな表情を見せた。異国での手続きは機械的になりがちだが、そこには確かに人と人とのやり取りが存在していた。

手に入れたチケットが本当に正しいのか、不安は完全には消えなかった。

しかし、今回は通信が回復していた。翻訳アプリで確認すると、確かにタンジェメット行きのフェリーチケットだった。

とはいえ、次の不安がすぐに浮かぶ。

本当にここ(案内された待合室)で待っていればいいのか。

フェリーは時間通りに来ないこともある。逆に、予告なく早く出港するのではないかという不安もあった。情報の確実性が低い環境では、「待つ」という行為そのものが精神的負担になる。

そこで、近くにいた第一印象イスラム系(?)と思われる夫婦に声をかけた。見た目は男性は西欧系のたくましそうな男性&ヒシャブを巻いたきれいな女性だった。

英語で、「あなたも同じ行き先ですか?」と尋ねる。言葉だけでなく、チケットを見せ、「me too?」とジェスチャーで確認する。

彼らはすぐに理解し、「Yes, same destination」と答えてくれた。

その瞬間、自分が完全に孤立している状態ではなくなった。

さらに、彼らは重要なことを教えてくれた。

「イミグレーションシートを書いた?」

入国カードのことだった。

スペインからモロッコへ渡るフェリーでは、到着後ではなく、船内で入国審査が行われる。そのため、事前に入国カードを記入しておく必要がある。彼らはイミグレが必要なことだけでなく、さらに予備の用紙まで渡してくれた(おまけにボールペンまで貸していただいた。感謝)。

いやwにしても非ネイティブにはむずすぎ。ほんとChatGPTがスマホにいてくれて助かった

もしこの時点でそれを知らなければ、船内で混乱し、入国手続きに大きな遅れが生じていた可能性が高い。(なんとかなるにしても戸惑っていただろう)

事前に書類を完成させたことで、後の手続きは格段にスムーズになった。

これは、ただの「親切」以上の意味を持っていた。異国では、公式情報よりも、実際にその場にいる人の知識の方が正確なことがあるからだ。

なんとかChatGPTカメラに接続し、書き終えて

やがて、港内にアナウンスが響いた。

乗船開始を告げる案内だった。

人々が列を作り始める。自分も、その夫婦の近くを歩きながら列に加わった。少なくとも、タンジェメットまでは同じ道を進むのだからひとまず安心した。

完全な確信はまだない。

それでも、進むべき方向は見えていた。

こうして、モロッコへ向かうフェリーへの乗船が始まった。


船内で早速、乗客はイミグレーションシートの記入を求められたが、先ほどのご夫婦が事前に教えてくれたおかげで、すでにその用紙を書き終えていた。

その結果、列の比較的前方に並ぶことができた。

それでも、自分の前には30人ほどが並んでいた。そして後ろを振り返ると、少なく見積もっても70人以上が列を作っていた。もし船内で初めて用紙を受け取り、記入していたら、確実に列の最後尾に回されていただろう。

この時点で、彼らの助言がどれほど大きな意味を持っていたかを実感していた。しかし__

列はほとんど進まなかった。

時間は過ぎていく。出発予定時刻を過ぎても、状況は変わらない。カーテンの隙間から窓の外をみると未だに港から出港していない。

乗客はただ並び、待ち続けていた。

最終的にフェリーが出発したのは、定刻よりも約1時間半ほど遅れてからだった。

長距離の海外個人旅行では、スケジュールは計画ではなく、現実によって決定される。このように想定外のことだらけだ。

列に並んでいる待ち時間の有効活用ということで、まだスペイン側に着岸していて通信がかろうじて使える状態を利用して次の最大の課題について調べ始めた。

それは、タンジェメッド港からタンジェ市街地への移動だった。

???部分の移動手段が不明すぎた

タンジェメッド港は都市中心部から離れた物流港であり、到着したからといって自然に都市へアクセスできるわけではない。公共交通機関の本数は限られており(あるのか不明)、タクシーの存在も確実ではない。(後で港で見渡してもそれらしき車影は見当たらなかった)情報は断片的で、確証が持てるものがほとんどなかった。

最悪の場合、ヒッチハイクすら視野に入れていた。

離れ行くスペイン領

船も出航しだし、スペインの陸地が離れていく。


計画段階では「現地で何とかなるだろう」と考えていたことが、現実の状況の中で具体的な問題として迫ってきていた。

「RPGゲームの冒険みたいに船内で情報収集するか」

まるでRPGのように、村人に話しかけて情報を集めるように。この世界では、自分から行動しなければ、必要な情報は手に入らない。

・何人に同じ質問をして回ればいいか、
・20人くらい尋ねてなんとか有力なタンジェへのアクセス情報が見つかればいいけど…

イメージ:@グランディアより

ということで、一人目、まずは身近に近くにいてくれている、さきのご夫婦にぼくは、情報収集の意味も込めてタンジェメットに着いたら、どこに行くのかさらっと尋ねてみた。

彼らは、タンジェとタンジェメッドの間にある町へ向かうと答えた。

すると今度は、彼らの方から質問が返ってきた。

ヒシャブを巻いた女性 :「あなたは、どこへ行くの?」

ぼく :「タンジェまで行きたいです。でも、バスやタクシーがあるか分からなくて、どうしようか考えています。」

それが、すべての始まりだった。

夫婦でなにやら会話をし始めたかと思うと、すこし間を開けて

ヒシャブを巻いた女性 :「私たちが車で送ってあげるよ。」

一瞬、その意味を理解できなかった。

見ず知らずの外国人である自分を、個人的な移動手段で送り届けるという申し出だった。

ぼくは反射的に断ろうとした。「そんなことをしてもらうのはさすがに申し訳ない」と思ったからだ。しかし、彼らは気にする様子もなく、「方向はだいたい同じだから問題ない」と言った。

地図上では完全に同じルートではなかった。地図で見てもぼくの行き先タンジェはやや遠回りだ。それでも、彼らにとっては「困っている人を助ける」という理由だけで十分だった。

なんども「本当にいいのですか」と聞いても「いいよ」というので、思わずぼくはFACEBOOKの本名入りのアカウントで自己紹介し、せめて自分が危険ではないこと知らせるために身分を明らかにした。(彼女もFACEBOOKはやっているということでフレンド交換までしてもらった。)

モロッコに住むご夫婦:左:ヒシャブを巻いた女性Loubnaさん&右:たくましさあふれる男性Abdallahさん

その瞬間、この旅が単なる地理的な移動ではなく、人と人との関係の中で進んでいることを強く実感した。

計画では解決できない問題があり、技術でも解決できない場面がある。

しかし時として、それを解決するのは、見知らぬ誰かの「純粋な善意」だった。

船内で一度、ご夫婦とはぐれてしまった。

・・・がこの機会にせめて、何か感謝の形を残したい。気が利きすぎず、粗末でなさすぎないもの、

船内を歩いていると、小さな売店があった。

冷蔵ケースの中に、オレンジジュースが並んでいた。

異国の強い日差しの下で育った果実を想像させる、濃い色をしていた。

ぼくはそれを二本と、自分用の水を一本買った。

やがて、ご夫婦と再び合流することができた。

ぼくは、「ほんの気持ちです」と伝えながら、オレンジジュースご夫婦の分を差し出した。

本当は、その場で一緒に飲みながら、もっと落ち着いて話をしたかった。しかし、すでに船は到着の準備に入る頃でジュースは開けられることなく、それぞれの手に渡された。

それでも、この場ではそれで十分だった。

形としては小さなものだったが、そこには確かに、感謝の意思が存在していた。

下船の直前、私はもう一度確認した。

ぼく:「本当に、送ってもらって大丈夫ですか?」

彼らは迷いなく答えた。

Loubnaさん夫妻:「大丈夫だよ。」

その言葉には、何の条件も含まれていなかった。

ぼくは彼らの善意を完全に受け入れることにした。

フェリーはゆっくりと岸壁へ近づいていく。

当初、この瞬間こそが旅の最大のハイライトになると思っていた。

ヨーロッパを離れ、アフリカ大陸へ初めて足を踏み入れる。その瞬間の景色、空気、感覚。それを写真に収め、記憶に刻むことが、この旅の象徴になるはずだった。

アフリカ大陸は目前(@グーグルマップより)

しかし、実際には違った。

そのときぼくの意識の中心にあったのは、大陸そのものではなかった。

目の前にいる、人であり人の純粋な愛だった。

国籍も文化も違う、名前すら知らなかった人たちが、何の見返りも求めず、自分を助けてくれている。その事実の方が、どんな景色よりも強く、心に刻まれていた。

フェリーがタンジェメット港に接岸し、乗客たちがゆっくりと下船を始める。

アフリカ大陸に足を踏み入れる瞬間。

しかし、その出来事自体は、もはや旅の中心ではなかった。

それ以上に、

この旅の過程で受け取った善意の重みの方が、はるかに大きかった。

旅とは、場所へ移動することだけではないのだ。

人と出会い、自分の中の前提が静かに書き換えられていく、その連続だった。

予想していた出来事ではなく、予想できなかった出来事こそが、最も深く記憶に残る。

そうして、新しい大陸に到着した。

港を出て、夫婦についていくと駐車場で一人の男性がご夫婦に親しげに話しかけてきた。

その様子を見て、ぼくは自然と「この人はご夫婦の友人なのだろう」と思った。旅先では、人の関係性を細かく確認する余裕はない。知り合い同士が合流する光景は、むしろ自然なものに見える。

港やターミナルの周辺では、見知らぬ人が気さくに話しかけてくることは珍しくない。中には純粋に親切な人もいれば、白タクのように非公式な移動サービスを持ちかけてくる人もいる。それがこの土地の日常の一部だった。

ぼくは、その男性もご夫婦の仲間だと完全に信じていた。

見知らぬ異国の地で助けてくれたことへの感謝の気持ちが強く込み上げてきていた。言葉では表現しきれない感謝を伝えようと、「Nice to meet you」と言いながら、強く握手をし、さらにハグまでして自分なりに感謝を表した。

その瞬間だった。

ご夫婦が笑いながら、「No, no. He’s not with us.」というように、彼は関係ないと教えてくれた。

一瞬、状況が理解できなかった。

目を見開き、「え?」という表情をしていたと思う。

その男性も、ご夫婦も、そして私自身も、その場で笑い合うことになった。私は思わず「Oh my God!」と口にし、冗談のような空気が流れた。

異国の地での緊張の中に、不意に生まれた、純粋な人間同士の笑いだった。

港の外れまで歩くと、一台の車がやってきた。先ほど港で話していた男性と4人での移動と思っていたが、そうではなかった。その男性は港で別れ、その場を去っていった。

結果として、車内にはご夫婦と私の三人だけが乗ることになった。

車はタンジェの市街地へ向けて走り出す。

いまでも目に焼き付いて記憶からはなれない二人の背中

窓の外には、これまで見てきたヨーロッパの景色とは明らかに異なる風景が広がっていた。建物の形、道路の質感、空気の色。すべてが新しい世界だった。

会話は多くなかった。ぼくの英語力は限られていたし、彼らも流暢な英語を話すわけではなかった。それでも、その約1時間の移動は、驚くほど短く感じられた。

言葉が十分でなくても、人の意図は伝わる。__


タンジェの市街地に到着したとき、ぼくはどうしても感謝の気持ちを形にしたかった。

せめて先に示していた20ユーロだけでも受け取ってほしい。そう思い、差し出した。

彼らは見返りを求めていたわけではない。それは最初から明らかだった。しかし、それでも、自分の中でこのまま何も返さずに終わることは、どうしてもできなかった。後で10ユーロ…いや20ユーロは渡そうと決めていた。それは金額の問題ではなく、自分の気持ちを形にするための行為だった。彼らにぼくを送ってもらったことのお返しにその日の夜だけでも美味しいものでも食べてほしかったのだ。

しかし、彼らは首を横に振った。

受け取らなかった。

「No. It’s okay.」

その一言に、すべてが込められていた。

まるで、「そのお金は、あなたの旅のために使いなさい」と言われているようだった。

見返りを求めない善意。

それは、日本で生活している中で、どこか人々の善意を疑うことに慣れてしまっていた自分にとって、強い衝撃だった。何か裏があるのではないか。後で要求されるのではないか。そうした防衛的な思考が、無意識に前提になっていた。

しかし、彼らの行動には、そうした意図は一切存在しなかった。

ただ、困っている旅人を助けただけだった。

その事実が、何よりも深く心に残った。

こうしてぼくは、無事にタンジェへ到着することができ、カサブランカ→ホテルにチェックインすることができた。

モロッコの最大都市カサブランカ駅:彼ら無しではたどりつけなかったかもしれない。

(ちなみにタンジェ→カサブランカ2等でよかったのに駅員とのコミュニケーションエラーでファーストクラスのチケット買っていた話はまた後日(快適だったけれど笑))

2時間半の睡眠しか取れなかった前日とは対照的に、この夜はベッドに入るなり、完全に身体が休息を取り戻した。移動を完了したという事実が、ようやく神経を解放できたのも彼らのおかげだ。


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

※本日の最重要パート※



後日談:ぼくはFACEBOOKのメッセンジャーアプリでやりとりした。
せめてもの御礼に、旅の途中でブログを書くことを約束し、「彼らの伝えたいことを日本で発信させてください」と伝えていた。

実際に下記のメッセージをいただいたので心して読んでほしい。

***

Loubnaさんより

(日本語訳)

モロッコは、おもてなし、文化、そして多様性の国です。シャウエンの青い街並みからサハラ砂漠まで、伝統料理から温かい家族の習慣まで、すべての地域がそれぞれ独自の魅力を持っています。

私たちは、モロッコを特別な国にしているのは、人々の優しさだと信じています。ここでは、訪れる人は単なる観光客ではありません。ゲストであり、友人なのです。私たちは日本からの旅行者を心から歓迎し、彼らが私たちの文化、歴史、そして美しい風景をいつか体験してくれることを願っています。

また、私たちは日本とその文化に深い敬意を抱いており、この文化交流がこれからも続いていくことを願っています。

Loubnaさん

モロッコは実際にぼくも旅してきたけどタンジェの西欧らしさある街並みからサハラの砂漠の自然の牙がむき出しとなったエリアまで見てきたが、たった数日だけでも一言ではとても語れないほど魅力があった。

とても数日の旅行では見ることのできない世界がたくさんモロッコには眠っていたのは確かだ。

そしてなにより、モロッコの人々は温情に溢れる人々が非常に多いということ。ぼくもLoubnaさんご夫婦に助けてもらったように心の底から透明な善意で歓迎してくれていたのを感じた。

一部のYOUTUBEをみると「おせっかいの国」とか「ウザイ国」みたいなことがサムネになっていたりするけどぼくはこれは間違いであると思っている。たしかに観光の場所によっては理不尽なほどの客引きやぼったくりにあったり、してこのようなネガティブな印象を持ってしまった日本人もいるだろう。

でも、ぼくからすればLoubnaさんご夫婦のように会う人会う人親切なモロッコ人のほうが圧倒的に多かった。

すくなくとも、ぼくはこんなにも温かく親切にしてもらったLoubnaさんご夫婦のことは一生忘れないし、今回の体験でぼくはモロッコは非常に好印象の国、レビューをつけるなら☆5つのレビューだ。もっと日本人がモロッコの良さを知ってくれることを願っている。

みんなもモロッコの人々には優しくしてあげてくれ!彼らも日本を尊敬してくれている!

ーーーおまけーーー

そして、これが私の電話番号です。*********
もしあなたの友人の中で、モロッコで助けやサポートが必要な人がいれば、どうぞ遠慮なくこの番号を共有してください。喜んでお手伝いします。

Loubnaさん

Loubnaさんありがとう、、、

ここまで信頼してくれるのは本当にうれしいことですね。日本でSNSを通じて知り合ったフレンドでもなかなかない経験。(日本人はリスク意識が高すぎるんですよね)ぼくも彼らと歓んで電話番号を交換し、今後彼ら、または彼らの友人が訪れた際はぜひチカラになることを約束した。

おいしい日本料理店とか紹介したい。

SNSやメディアをのぞくと世界は今、分断を煽るような投稿やニュースがいくつも流れてくる。けれど、こうしていざ現地の人と話してみると争っているのは国のトップや政治家や軍部の少数の人々であって、世界中の人々、そこに住む国民の大部分はそんなことないよねって。もっと優しさにあふれているよね、すくなくとも優しさにあふれてていいよねってぼくは思う。

また旅の続きを書きます!最後にLoubnaさん、Abdallahさん本当にありがとう!!


いいなと思ったら応援しよう!

この記事が参加している募集