第7話 誰も読めなかった討伐記録 | 魔力ゼロの記録係、誰も読めない討伐記録で街を救う
前回までのお話はこちら(第1話を見ていない人はこちらからみてね)
第7話 誰も読めなかった討伐記録
霧夜、再発の兆しあり。
魔物、命令に従うがごとく動く。
カイルは、その一文から目を離せなかった。
旧港湾記録庫の地下棚。
湿った石壁に囲まれた部屋で、燭台の火だけが小さく揺れている。
机の上には、開いたままの古い討伐記録。
紙は波打ち、端は黒ずみ、指で触れれば崩れてしまいそうだった。
それなのに、その一文だけは妙にはっきり残っている。
魔物、命令に従うがごとく動く。
「……命令」
声に出した瞬間、喉の奥が冷えた。
魔物が命令に従う。
それは、ただ群れで動くという意味ではない。どこかに、命じているものがいる。
そう認めることになる。
カイルは羽根ペンを持ち上げた。記録帳に写そうとして、手が止まる。
まだ、分からない。
でも、分からないからといって閉じてしまえば、何も見えないままだ。
カイルは息を吸い、次のページをめくった。
湿った紙が、指先に冷たく張りついた。
そこに並んでいたのは、まともな文章ではなかった。
日付が飛んでいる。
主語がない。
地図の印と文字が混ざっている。
同じ日の記録らしきものが、別々の場所に書かれている。
壊れた記憶を、無理やり一冊に閉じ込めたようだった。
カイルは目を細める。
かすれた文字の中に、見覚えのある言葉があった。
東門。
ファルーチェの東口。
昨夜、魔物が押し寄せた場所だ。
カイルは自分の記録帳を開いた。
東口の門。
割れた石畳。
逃げ遅れた住民。
門の周囲まで壊していた魔物の動き。
自分の字が、そこに残っている。
古い討伐記録に視線を戻す。
そこには、こうあった。
東門にて魔物を撃退。被害軽微。
被害軽微。
カイルは、その言葉を見つめた。
それだけ読めば、戦いは終わったように見える。
魔物を退け、街は守られた。討伐隊の記録としては、それで済むのかもしれない。
けれど、その下に別の筆跡があった。
細く、乱れた文字。
急いで書いたように、線が震えている。
東門、崩落。避難民、戻れず。
鐘、鳴らず。
カイルの指が止まった。
同じ日付。
同じ東門。
なのに、書いてあることが違う。
片方は、撃退。
片方は、崩落。
「……違う記録?」
いや。
違うのは、記録ではない。
見ていたものだ。
討伐隊は、魔物を見ていた。
何体倒したか。戦闘が終わったか。
そこを書いていた。
もう一つの筆跡は、街を見ていた。
門が壊れたこと。
避難民が戻れなかったこと。
鐘が鳴らなかったこと。
カイルは、知らず息を止めていた。
昨夜の光景が、胸の奥に戻ってくる。
魔物は、人だけを狙っていなかった。
門を壊した。
道を塞いだ。
石段を崩した。
運ぶための道を乱した。
倒された魔物の数ではなく、壊された場所に意味があったのだとしたら。
「……街の動きを、止めてる?」
つぶやいた瞬間、燭台の火が小さく揺れた。
風はない。
それでも、炎の先だけが細く震えていた。
カイルは次のページを開いた。
今度は、もっと荒い筆跡だった。
荷の道、通行不能。
負傷者、港倉庫へ留まる。
灯へ向かう石段、二段崩れ。
荷の道。
カイルは古い地図を引き寄せた。
箱舟の港と呼ばれていたころのファルーチェ。
その地図に引かれた細い道は、今の搬送路と重なっている。
診療所へ向かう道にも、つながっていた。
カイルの脳裏に、白い治癒服の背中がよぎる。
エリナが、負傷者の腕を支えていた。
診療所の灯を落とさず、何度も外を見ていた。
あの道が断たれれば。
負傷者は運べない。
治療も届かない。
診療所は、街の中で孤立する。
「門を塞いで……次に、搬送路」
カイルは記録帳に線を引いた。
東門。
搬送路。
灯台下の石段。
線は、ただ地図の上を進んでいるわけではない。
外へ逃げる道。
物資を運ぶ道。
負傷者を運ぶ道。
灯台へ向かう道。
街が動くために必要な場所を、順番に削っている。
カイルの背中を冷たい汗が伝った。
魔物が考えているのではない。
——考えているものが、魔物を動かしている。
魔物、命令に従うがごとく動く。
一文が、頭の中で何度も鳴った。
カイルはさらにページをめくる。
紙の端に、小さな印があった。
王立討伐隊の署名ではない。
港の管理印でもない。
灯をかたどったような、かすれた印。
カイルは、それを見た瞬間、老婆の声を思い出した。

「あの人は、ただ灯を消さなかっただけだよ」
先代灯台守。
老婆が語った「あの人」。
この別の筆跡は、討伐隊のものではない。
戦った者の記録ではない。
灯を守りながら、街を見ていた者の記録。
カイルは、紙の端に残った印を見つめた。
討伐隊は、魔物を倒したと書いた。
灯台守は、街がどう削られたかを書いた。
だから、誰も読めなかったのかもしれない。
文字が難しかったからではない。
一つの目で読んでも、意味がつながらなかったから。
カイルは唇を噛んだ。
自分は、戦えない。
魔法も使えない。
魔物を倒すこともできない。
だから、見ていた。
門が壊れるところを。
人が逃げ遅れるところを。
診療所へ運ばれる負傷者を。
灯台へ続く道に魔物が向かったことを。
見ていたから、つながる。
その事実は、うれしくなかった。
むしろ、重かった。
見えてしまった。
なら、知らないふりはできない。
カイルは、討伐記録のさらに奥へ手を伸ばした。
次のページは、途中で破れていた。
下半分が、乱暴に引きちぎられている。
残っている文字は少ない。
群れ、同時に停止。
全個体、灯台方向を向く。
指示源、確認できず。
そこで記録は切れていた。
カイルは、破れた紙の端を追う。
何もない。
そう思った。
けれど、端に一言だけ残っていた。
別の筆跡。
濃すぎるほど黒い文字。
まるで、紙に染み込んだ血のように。
確認した。
カイルの呼吸が止まった。
確認できず、”確認した”。
誰かが、見た。
魔物を動かしている何かを。
霧の奥にいるものを。
灯台の方へ、魔物たちを向かせた何かを。
そして、その先はない。
記録した者は、最後まで書けなかった。
燭台の火が、また短くなる。
外で、低い音がした。
波の音だ。
そう思おうとした。
けれど、カイルの耳には、それが遠い獣のうなり声にも聞こえた。
怖い。
素直に、そう思った。
この記録を読めば読むほど、戻れなくなる。
知らなかったことにはできなくなる。
見なかったことにもできなくなる。
それでも、ページから目をそらせなかった。
カイルは古い地図を広げ直した。
箱舟の港の地図。
自分の記録帳。
討伐記録。
三つを並べる。
東門。
搬送路。
灯台下の石段。
鐘楼。
診療所へ続く道。
一つずつ、指でたどる。
東門は、外へ逃げる道。
搬送路は、負傷者と物資を運ぶ道。
灯台下の石段は、灯を守る道。
では、次は。
カイルの指が、鐘楼の印で止まった。
鐘楼、それは避難の合図を鳴らす場所。
そこを封じられれば、住民は逃げるタイミングを失う。
けれど、それだけでは終わらない。
鐘楼から伸びる道の先に、診療所がある。
負傷者を運ぶ道。
治療へつなぐ道。
エリナがいる場所。
カイルの胸が、きゅっと縮んだ。
次に狙われるのは、鐘楼だけではない。
警鐘を封じる。
そのうえで、診療所への道を断つ。
街は、動けなくなる。
助けを呼べない。
逃げられない。
治療にもたどり着けない。
それは、ただの襲撃ではない。
囲いだ。
街を逃がさないための、手順だ。
カイルは記録帳を開いた。
いつものように、書こうとした。
見たことを書く。
気づいたことを残す。
それが、自分の役目だった。
けれど、ペン先は紙に触れなかった。
今は、書いている場合ではない。
書いてからでは、間に合わない。
——伝えなければ。
カイルは記録帳を閉じた。
乾いた音が、地下の記録庫に響いた。
「……行かないと」
声は小さかった。
でも、足は動いた。
古い討伐記録を布で包み、懐に入れる。
記録帳を抱える。
燭台の火を吹き消す。
一瞬、闇が濃くなる。
カイルは振り返らなかった。
階段を上がる。
湿った空気が薄れ、代わりに潮の匂いが強くなる。
扉を押し開けると、冷たい風が頬を打った。
港の空は、暗く沈んでいた。
遠くで鐘が鳴る。
一度。
二度。
時を告げるだけの、乾いた音。
カイルは走り出した。
石畳を蹴る音が、やけに大きく聞こえる。
息が上がる。
胸が痛い。
足がもつれそうになる。
それでも止まれない。
診療所には負傷者がいる。エリナがいる。
鐘楼が封じられれば、誰も逃げられない。
道が断たれれば、助かるはずの人が助からない。
「カイル!」
港沿いの広場で、鋭い声が飛んだ。

ローゼリアだった。
隊員たちへ指示を出していた彼女が、カイルを見るなり眉を寄せる。
「旧港湾記録庫にいたのか。報告は——」
「次は……鐘楼だけじゃ、ありません」
息が切れて、言葉が途切れた。
ローゼリアの目が細くなる。
「何?」
カイルは膝に手をつき、荒い呼吸を押さえた。
落ち着け。
ちゃんと伝えろ。
でも、うまくまとまらない。
見えたものが多すぎる。
怖さが、まだ喉に残っている。
それでも、言わなければならなかった。
「警鐘を封じて……診療所への道を断つ。たぶん、そういう順番です」
ローゼリアの表情が変わった。
「確証は?」
カイルは懐から記録帳を取り出した。
手が震えている。
完全な答えではない。
正体も分からない。
まだ読めない部分もある。
それでも。
「記録に、あります」
カイルは顔を上げた。
「百年前と、同じ順序で」
ローゼリアは、差し出された記録帳を見た。
次の瞬間。
遠くの鐘楼の方角で、鐘が鳴った。
今度は、時を告げる音ではなかった。
乱れた、警鐘だった。
いいなと思ったら応援しよう!
いつも応援ありがとうございます✨
記事を読んでもらえるだけでも、十分うれしいです。
もし「これからも応援したい」と思ってもらえたら、いただいたチップは学びに活用し、これからの記事に還元していきます。
あなたの応援が、次の記事を作る力になります😊