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もつ煮・食育



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もつ煮

噛み切れない

 僕が小学生の頃、母は夕食に「モツ煮」をよく出した。
その「モツ煮」はとても食べられるものではなかった。
ちょっと加熱した程度で、「煮込んで」いなかった。
従って、ゴムのように硬くて食べられなかった。
おまけに、血管らしき「管」が二・三本くっついていた。
気持ちが悪い・・・。
「モツ」というより、ただの「くず肉」だ。
普通なら捨ててしまうような部位の肉を安く買っていたのだろうか?
よく夕食に出された。
噛んでも噛んでも噛み切れない。
そのままでは飲み込めない。
「食べられない」とか「マズイ」などと言って吐き出したりすると、
母は、
「どうしてなのよぉ!」
と声を荒げる。
黙って食べるしかなかった。
そんなわけで、夕食はいつも苦痛だった。


どうやって食べたか

その「モツ煮」をどうやって食べたかと言うと、
歯と頬の間の隙間に詰め込んで、食べた「フリ」をする。
小鉢に盛られている「モツ煮」を全部、歯と頬の間の隙間に詰め込む。
そして、食事が終わったら、トイレに行って、歯と頬の隙間に詰め込んだ「モツ」をこっそり吐き出す。
「モツ煮」が出された日の夕食は、毎回そのようにしていた。
父・母・妹は、果たしてあの「モツ煮」を「美味しい」と思って食べていたのだろうか?
不思議でならない。
みんな黙々と食べていた。
母は、あの「モツ煮」が自慢料理だったのだろうか?
家計が苦しくて仕方無く「くず肉」を買ってきたのだろうか?
噛んでも噛んでも噛み切れない「硬いモツ煮」。
大人になって、居酒屋で「モツ煮」を食べたときの感動はものすごかった。「モツ」は煮込むとこんなに柔らかくなって「美味しい」のだと初めて知った。
妻が美味しいモツ煮を作ってくれて、それを母が食べたときも同じ反応だった。
「わぁ、モツってこんなに柔らかくなるのねぇ」
母は、「モツ」を柔らかくなるまで「煮込む」ということを知らなかったようだ。責めることは難しい。
 今でもあの「モツ煮」を、「歯と頬の隙間に詰め込んで貯めて、トイレでこっそり吐き出した日々」を思い出す。

食育

村井弦斎(元治元年~昭和二年)という人が、
「小児には徳育よりも、智育よりも、体育よりも、食育が先。
 体育、徳育の根元も食育にある。」
と述べているそうだ。
その大切で根源的な「食育」は、僕の場合は「硬いモツ煮」を耐える日々で終始した。
どれほど、いびつな人格が形成されたかわからない。
家族全員が黙々と食べていた「モツ煮」。
団欒なんてなかった。
今でもあの「モツ煮」を、
「歯と頬の隙間に詰め込んで貯めて、トイレでこっそり吐き出した日々」
を思い出す。

 母が声を荒げても、めげずに訴え続けることが重要だったのだろう。
「いびつな人格」は、僕自身が形成したと言って良いかも知れない。

大人になって

55歳

生まれて初めて「もつ煮」を作った。
美味しい。


62歳


自炊は、私の食育。
62歳、ふと気づいた。
あの「もつ煮をトイレでこっそり吐き出した日々」で、
本当は、父の暴力が怖かったのかも知れない。
母のヒステリーではなく、父の暴力が怖かったのかも知れない。
小学3年生のある朝、ワカサギのフライのことで、父に顔面を殴られて、
鼻血が滝のように吹き出した。
「もつ煮」が食べられないと言ったら、
また父に顔面を殴られる❗
そんな恐怖心から、
「もつ煮を食べたふりをして、トイレでこっそり吐き出した」
のかも知れない。


食育って何?:文部科学省


村井弦斎



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