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自殺未遂/2002.11.09


私の著書【湘南自殺ウォーキング】から『プロローグ』
2002年11月9日。


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東京駅で一枚の乗車券を買った


その日の夕方、僕は東京駅で一枚の乗車券を買った。
たった百三十円の一区間の乗車券。
となりの駅までしか行けない乗車券。
だが、その目的地が安らかに眠ることの出来る場所、死に場所であることを想像して、僕はなんとなくワクワクしていた。

その日、東京駅の近くで、
【この病気】
の仲間と集まって、お茶会をした。
いつものメンバーでとても楽しかった。
だけど、午後5時にお茶会がお開きとなっても、まっすぐ家に戻る気には
どうしてもなれなかった。

木枯らし一番


この病気の診断がハッキリ下されてからと言うもの、どうも鬱状態から抜け出せなかった。
いや、この病気の症状が出始めた20年前から
【それ】
は少しずつ始まっていたのだ。

東京に木枯らし一番が吹いた平成14年11月9日。
僕は、まだ39歳。
でも僕の後半の人生は苦難に満ちたものとなりそうであった。

妻との喧嘩


チクショウ!

こんな病気になるなんて!
手足が徐々に不自由になって他の人より、ずっと早い時期に寝たきり老人になって介護を受ける生活・・・
そんな未来を宣告されたのは、一年以上、前のことであった。
ところが宣告された当初は、ちっとも現実感がなく、それどころか妙にハイな気分ですらあったのだ。
それがどうしたことか、一年半も経過した今頃になって、こんな病気になったことと、これから訪れるであろう介護生活の事が、ずっしりとのしかかるようになってきたのである。

その朝、もう何度繰り返されたかわからない妻との喧嘩で、さすがに僕は落ち込んでいた。

【なんでそんなにイチイチ細かい事をうるさく言うのよ!】
【気持ち良く介護を受けられる生活であって欲しいんだよ!
 今のままじゃ落着かない。
 ブーブー文句言われながらイヤイヤ介護されるなんて苦痛だよ!】
【だからって、わたしを試すようなことばかり言わないで!】
【不安だから、口が動く今のうちに色々と言っておきたいのさ!】

そんな風にお互いを傷つけ合ったって仕方が無いのに、このところ僕たち夫婦は、些細な事を引き金にしては将来の介護生活への不安をぶつけあっていた。
そしてその日の喧嘩でとうとう僕は
【死にたい】
と思って行くあても無くさまよい始めたのであった。

京浜東北線大宮行

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