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【小説】 KUROGO 第12章 実験

第12章 実験

 僕は黒衣としての撮影を、被写体に対して行いながら、並行していくつか実験を重ねていた。僕はカメラマンだけではなく、撮影技術専門学校で映像学科講師の仕事もしていた。写真家や撮影技師を目指す若者たちに、撮影の理論を教えるのだが、今の時代、撮影理論の授業など真剣に聞く学生などほとんどいない。ほとんどの学生は、ネットで情報を集め、自己流で撮影を行い、ネットに動画や写真を投稿する習慣がついている。そのため基礎となる理論などに興味を示すことは少ない。彼らが興味を持つのは、奇抜なアイディアや、いかに注目を集めるかという手法や事例だ。ネットに投稿された動画や写真を参考に模倣すれば、ある程度の品質の作品を作り上げることができる。そういう意味では、写真や動画撮影スキルの底上げにはなっている。だがトップレベルになるためには、基礎知識と基礎技術をベースにしたセンスいうものが必要になってくる。基礎を身に着けることは必須だ。そしてセンスは感覚だけではない。もちろん持って生まれた感性というものは大事だが、それだけでは、いずれは枯渇してしまう。センスを維持するためには、基礎となる理論を理解し、それをベースに派生技術を組み合わせ、そして新しい試みを織り交ぜ、新しい世界を構築することが必要だ。単純に、誰もやっていない目新しさだけでは、一時の名声は得られるかもしれないが、継続することは難しい。そういったことを理解する学生は少ない。授業をしていても、それを感じることは多々ある。それもまた仕方がないことだ。所詮、トップに居続けられるのは一握りの人材だ。授業を受けている学生のほんの一握りしか生き残ることはできないのだから、本筋を力説したところで馬の耳に念仏だ。真に才能ある人材は、一つの教えで、十を知るのだから。こちらがいきり立つ必要などない。僕の興味は、人材育成などということからは、すでに気持ちが離れている。今、気にかかるのは、今年入学してきたサヨコという学生だ。まだ洗練さには欠ける、どこか野暮ったいところが気に係っている。どこに惹かれているのだろうか。サヨコは僕の被写体にどこか似ているところがある。被写体の撮影が思うようにいかないことに焦りを感じていた頃、何かを変化させなければならないと考えていた。

「君は何故写真の道を選択したのかね?」
「子供のころから写真を撮ることが好きで、これを仕事にできればいいなと中学生のころから考え始めたのです」

 聞いては見たが、どうでもいい話だった。初めから興味もなかった。別にこんな話を聞きたい訳ではない。僕の目的は、この生徒を撮影すること。自然な姿で撮影する実験をすることだ。真の目的は被写体を自然な姿で撮影すること。この生徒は、そのための実験台。そう言い聞かせて、僕は、この生徒に、撮影のモデルにならないかと詰め寄った。生徒は興味を示した。

 いきなり生徒のアパートに押しかける訳にもいかない。最初の撮影は、当たりさわりなく、学校のスタジオから始めた。まずは通常の撮影から。そして、黒衣になる前に、視界を限定したゴーグルを掛け、周囲を確認しない撮影を始める。生徒は、最初のうちは怪訝な表情をしていた。

「なぜ、そんな状態で撮影するのですか? それでは、被写体の周りの状況が見えないのではないですか?」
「その通り、だが、それが重要なのだよ。これは実験で、最初から切り取られた映像しか見えない状態で撮影をした場合の、撮影者と被写体についての心理的葛藤を解明するためなのだから」

 適当な嘘をついて誤魔化した。生徒は僕の出まかせに感心したような素振りを見せた。今まで経験のない撮影方法に興味を示し始めた。残念ながら生徒が撮影をする訳ではないのだが。あの被写体の時と同様、サヨコもまた撮影されることに慣れていた訳ではないので、撮影される立場になってみると、ぎこちない仕草が現れる。いくつかのポーズを取らせてみたが改善は微小な程度だった。これも予想通りだった。そして次の段階は黒衣の撮影だ。被写体の時に感じたように変化が見られた。何度も撮影を繰り返すうち、サヨコもまた黒衣の撮影に慣れてきたようだ。撮影されている意識が希薄になってきている。僕はサヨコに映像を見せることにした。

「どうだろう、ずいぶんと自然な状態になっているようだね。撮影者の存在を意識していないように見える」
「本当ですね、そういえば、自分が撮影されている意識が薄れているような気がします。撮影が終わったという合図が、唐突に感じるようになってきました。面白いものですね。これは、先生が発見した撮影方法なのですね。すごいです」
「これから先は、ここでの撮影では限界があってね、場所を変えなければならないんだ」
「そうなんですか、それではどこで撮影を?」
「君の部屋でなければならないんだ」
「わたしの?」

 生徒は戸惑っていた。しかし、そこは強引に押し切ろうとする。

「せっかくここまで進めてきた実験を、ここで止めるのはもったいない気がするんだ。しかし、君がどうしても無理というのなら、ここで止めるしかないのだがね。後は君次第だよ」生徒に責任を押し付けるような言い方だ。
「分かりました。自然な姿を取るには、自分の普段生活している状態で撮影するのがベストですよね。それは理解できるのですが、やっぱり抵抗があるんです」
「それは、私が信用できないということなのかな?」なんと、卑怯な言い方なのだろう。これもまた、生徒に許諾させるための言い方なのだ。
「そんなことはないんです。ちょっと、自分に自信がないだけなんです」
「自信がないだって、そんなことはないよ。君は撮影を始めてから、ずいぶんと綺麗になってきているよ。きっと、撮影されているという意識が、君に変化をもたらせたのだろう。ほかの生徒たちの、君を見る眼つきが変わってきているのを感じたことはないのかい」
「それは、少しは感じることがあるんですが、よく分かりません」
「大丈夫、君は、この実験を通じて、よい方向に変化してきているんだ。これからが仕上げの時期なんだよ」

 結局押し切って、生徒の部屋で撮影を開始することになった。

「先生、私の部屋というのは、このことだったんですね」
「いくらなんでも、教え子の部屋に上がり込む訳にはいかないだろう。しばらくの間、ここへ通いながら撮影することになる」
「……」

 実は、あの被写体の部屋を再現した撮影場所を用意した、もちろん、被写体の撮影が本番になる。そのための、シミュレーションであり実験なのだ。事前に、ここまで準備することになるなんて、今考えても、僕はかなり黒衣の撮影にのめり込んでいたということになる。僕は、この撮影場所で確かめたことを、実際の撮影で実践したのだ。それを繰り返しながら、僕はこの実験場所と被写体の部屋を往復するようになっていった。二人の見知らぬ女が現れた。対象物に寄って撮影しているうちに、全体としてみた時には感じなかった魅力を感じるようになるものだ。錯覚かもしれない。近寄った瞳に感じる表情は、なぜか眩暈めまいを感じさせるような魅惑がある。それは近寄ったことによって生まれる誘惑の花。臨界域というものがあるのかもしれない。その境界を越えた途端、別の世界に属することになる。その世界では理性を保つことが難しいらしい。冷静にものを判断することができなくなるのだろうか。その魅惑に逆らえず、僕はマユミに対しても、黒衣として接してみようと考えたのかもしれない。撮影を繰り返しているうちに、慣れというものだろうか、いつものスタジオで撮影していたように、いや、むしろそれ以上に、被験者は撮影者の存在を意識しないようになってきた。実験は順調だ。しかし、僕の目的は、さらに次の段階に進むことだった。

『シャンプーが切れかかっていたから買ってきたわ。ついでに、ティッシュと石鹸もね……』マユミは時々僕のために消耗品の補充をしてくれる。これは僕の甘え過ぎなのかもしれない。それでも、その行為を自然に受け入れてしまう。マユミの好意が僕の生活の一部になっていた。『今度は、これを買ってきたの。匂いを嗅いでみて、どうかしら……』柑橘系の軽めの匂い。僕の匂いにまで干渉してくるが嫌な気はしない。むしろ好ましく感じている。僕は、彼女との関係に不満を持っていたのだろうか。そう感じた覚えはない。自分ではよく分からないのか。黒衣はマユミに何を求めていたのだろう。黒衣は見知らぬマユミを求めていたのか。それは僕自身が求めていたことなのか。いまだに判らない謎。求めていたのはマユミの方なのか……。

 僕は時々、黒衣の存在であることから逸脱して、他の女性に近づいてみることがあった。黒衣として、ほかの女性の撮影にも効果があるかどうか試そうとしたのだ。それは職業意識からではなく、単なる興味だったことを告白しておこう。結果は失敗だった。どうやら黒衣と被写体はお互いの許諾が必要な関係になるらしい。他の被写体の黒衣となるためには、その被写体の許諾が必要になる。一方的に黒衣宣言することは認められないということだ。危うく痴漢として扱われるところだった。

 黒衣になって気がついたことがある。世間の視線ってやつは、思いの外冷たいものだってこと。人は思った以上に何も見ていないのだよ。何も見ていないのにもかかわらず、人を攻撃するんだ。なぜなのだろうね。きっと何か不満があるのだろうね。その不満のはけ口を、どこかに求めて彷徨い歩いているんだ。スマートフォンを眺めながら、自分の不満のはけ口となる対象を検索しているのさ。そしてターゲットを見つけると、一斉に攻撃を始めるのさ。まるで示し合わせたように同期を始めるのさ。見事なものだね。勤務時間であるにもかかわらず、授業中であるにもかかわらず、場合によっては、手術中かもしれない。救命活動を行っている最中に、あるいは、テロとの戦闘中にも関わらず、ネットでヒットした攻撃相手に、一斉に飛びかかって行く。普段穏やかで、人の良さそうな紳士が、いきなり暴力的な戦士に変貌する。戦士という表現は適切ではないね。暴漢と言った方がいいのかもしれない。彼らは合図を待っているだけなのさ。真実などには興味がないのさ。ただ攻撃する相手が現れるのを待ち構えているんだ。その攻撃に正当性があるかどうかは、どうでもいいことなのさ。ただ反応するだけ。日頃の不満をぶちまけるのさ……。でも、彼らの攻撃は、決して彼らの満足を生み出さない。彼らは、そのことに気がつかない。彼らは決して満たされない。それは、彼らの不満の原因が攻撃相手ではないからなのさ。彼らは攻撃する相手を誤っている。彼らは気がつくべきなんだ。不満の原因は、自分にあるってことをね、他人に責任を擦り付けようとしても、何も解決しないのさ。たとえ世間に責任をなすり付けたとしても、決して満たされることはないのだということを。世間が悪いのは、彼らが選択した結果なのだからね。満たされようと思うのなら、自分の責任を果たさなければならないのさ。彼らは自分の責任を果たしたことがあるのかい。こんな話をしても、面白くはないね。そろそろ止めることにしよう。僕だって、こんな話をしたい訳じゃあないんだ。ただ、彼らが攻撃相手を探して、街をうろついていた結果、僕が被害者になったことに、ちょっとだけ文句を言いたかっただけなんだ。そこのところを分かってほしいんだよ。だって、いつか彼らに同じことが降りかかるかもしれないんだから。他人事ではないんだよ。

<次章へ続く>
第13章 変貌


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