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わたしの走馬灯候補(暫定)

5月の文学フリマで購入した、しりひとみさんのZINE「死んでないけど走馬灯」を読んだ!走馬灯って死ぬときに1回しか見れないから、自分の走馬灯を人に話したり、他の人の走馬灯がなんだったかを知る機会がないというおもしろすぎる観点から、10人の「走馬灯に出できそうなエピソード」を集めたエッセイ集。

はちゃめちゃにおもしろかったので、わたしも33年の人生のうち暫定で走馬灯に流れてきそうだなという思い出を考えてみた。



①人生唯一の鼻血

子どものころ、鼻血に憧れていた。小学校の教室でだれかが鼻血を出すと、近くの子の「鼻血!!!」の叫び声を合図に、先生は授業を中断してその子にかかりきりになる。周りの子が次々に「これも使っていいよ」とポケットティッシュを差し出す。しばらくすると、体操服に着替えて片鼻にティッシュをつめた最高にいけてる姿で戻ってきて、みんなから次々「大丈夫?」と声をかけられ、「もう大丈夫。みんなありがとう。」とほほ笑むその子はさながらヒーローであった。いつか私もあの立場になってみたい。鼻を強めにかんでみたりしたが、鼻の粘膜が強靭なのか、一度も鼻血を出したことがなかった。

昔、家族で毎年GWに春スキーに行っていた。父の大学のサークルの同窓会がてら、複数の家族で集まって大学所有のペンションに2泊くらいして、スキーをして夜はみんなで食事をして…という楽しい思い出だった。
小学2年の春も例年通りスキーにいった。しばらく滑ってちょっと疲れていたが、少し年上の子供たちにくっついてもうちょっと滑るぞと思った矢先、派手に転んだ。スキーで転ぶのなんて日常茶飯事なので立ち上がろうとしたが、左ひざに全く力が入らない。もう一度立とうとして左足に体重をかけたら激痛が走り、これはただ事ではないと大泣き。父におぶわれて下山して現地の診療所へ。レントゲンもない環境だったが「こんなに痛いなら骨折だね~」ということでスキー旅行は切り上げて家に帰り、近くの病院に行ったら膝の複雑骨折という診断だった。変な折れ方で手術しないと治らないとのことで、専門病院を紹介されそのまま入院、手術になった。子どもだったからなのか手術室で好きなBGMをかけることができたようで、母がチョイスしたディズニー名曲集の1曲目の「A Whole new world」を聴きながら麻酔にかかって寝たことをぼんやりと覚えている。

術後、部屋のベッドで名探偵コナンを読んでいたら、突然何の前触れもなく鼻血がでた。真っ赤に染まる白いシーツと入院着。鼻からのどにかけてどろりとあったかいものが流れるいやな感じ。

「こ、これが鼻血か!?」

ついにきた!わたしにも鼻血のポテンシャルがあった!!!と意気揚々とナースコールを押した。やってきた看護師さんは「あら~~~。」とほほ笑んで、素早く冷静に対処をしてくれた。ものの数分で事態は元通りに収束。相手はさすがプロ、鼻血くらいで騒ぐはずもなく、ひとりきりの病室でわたしの鼻血デビューは脚光を浴びることなく幕を閉じたのであった。

白いシーツが真っ赤に染まった光景を、入院生活でもっとも鮮明に覚えている。

それ以来、一度も鼻血は出ていない。


②かえるは苦い

上記の骨折中、術後まだギブスをしていてリハビリが始まる前に一度外泊の許可がでた。折れた左足をシートの上に流して後部座席にのせてもらって、妹の幼稚園のお迎えについていった。
車のドアを開けて先生にあいさつしていたら、妹の同級生がやってきて「妹ちゃんのおねえちゃん!みて!かえる捕まえたの!」と、両手を包むように差し出して、車内で開いた。すると、手のひらにのっていた小さな緑のひきがえるが、ぴょんっと跳んだ。わたしを目がけて跳んでくるのがスローモーションのように見えたが、とっさのことで反応できず固まっていた。そのまま、まっすぐ口の中にかえるが飛び込んだ。何が起きたかわからなかったが、苦さにびっくりして吐き出して、かえるを食べかけたことを悟った。口から吐き出されたかえるはそのまま去っていった。

かえるがこちらに向かって跳んでくる光景と、他に例えようのない苦い味が、強烈に脳裏に焼きついている。

③きらめく青春、パンツで大はしゃぎ

中学で所属していたハンドボール部はかなりの強豪で、1年365日のうち360日は練習か試合というくらい生活のすべてを部活に捧げていた。中3の最後の夏の大会に向けて、当然夏休みも毎日朝から夕方まで練習があった。グラウンドでの練習なので、お昼から3時過ぎまでのいちばん暑い時間帯は、昼ごはん→お昼寝→宿題の時間となっていた。

ある日、特に暑かった日の昼下がり。当時クーラーなんてない教室で扇風機でわずかな涼を得ながら、いつも通りうたうだと宿題をしていた。
突然顧問がやってきて、「今日水泳部が試合でいないぞ。みんなでプールで涼むか。」と。宿題にも飽き飽きしていた中学生女子軍団、大歓喜。当然水着なんて持っていないので、体操服のま靴と靴下を脱いで、足だけプールにつけて楽しんでいたのだが。

みんながちょっと思っていたことを、誰かがぽつりとこぼす。

「......水に入りたくない?」

「......」

ちらっと顧問の方を見たら、親指を立ててグーサイン。もう我慢できなくて、みんなで体操服のままプールに飛び込んで大はしゃぎした。

プールから上がって冷静になる。みんなTシャツは替えを持っているが、ズボンはない。

ズボンが乾くまで体育館を占拠することを認められた。ズボンを天日干しにして、顧問を締め出して、パンツいっちょの女子中学生20人での、体育館占拠である。箸が転げても笑う年頃の女子中学生×パンツ。みんな異様なテンションで笑いが止まらなかった。Tシャツを伸ばして股に挟んで、「パンツが見えたら負け徒競走」「パンツが見えたら負けドッジボール」で大盛り上がり。

バカすぎるけど、間違いなくきらめく青春の1ページであった。

ちなみに、その夏わたしたちは、順当に勝ち上がって全国大会でベスト8になったのである。普通に自慢です。すごいだろ!!!(わたしはベンチをほかほかに温める役割として活躍した。)


④研修医初日  膀胱の水まるかぶり事件

国家試験に合格した医師は、病院に就職して初めの2年間は初期研修医として全科をローテーションする。ぴかぴかの気持ちで就職して、最初のわたしのローテーション先は泌尿器科だった。先輩からの引継ぎでは、「体育会系で厳しさもあるけど、やる気があればいろいろな手技にトライさせてもらえて勉強になる」とのことで大いに気合いをいれて臨んだ初日。初めて、学生ではなく医師として手術室に入って手術を見学することになった。

その日の手術は膀胱鏡によるものだった。尿道からカメラをいれて膀胱の中をカメラでみながら行う手術である(胃カメラの膀胱バージョンと考えてください)。胃とちがって膀胱はぺしゃんこになってしまうので水を還流させて水の中で手術を行う。手術の中盤、何かの手違いで膀胱から流出する水の回路の接続が外れた。膀胱から出たてほやほやの水が、きれいな放物線を描いてわたしの頭に降り注いだ。

指導医が必死に「…尿じゃないから!きれいな水だからっ…!」とフォローしてくれたが、「これが研修医の洗礼か….」と妙に納得し、この先待ち受ける2年の研修に向けて腹をくくることができた。


場面そのものが印象に残っている思い出って結構しょうもないものばかりだ。強烈に感動したり嬉しかったり、怒ったり悲しかったりしたことって、心の動きに焦点が当たって、周囲の風景は残りにくいのかな。自分に呆れて、どこか第三の目から場面をとらえているときの方が、景色として思い出が残るのかもね。

こんなトホホな思い出ばかりの人生だが、まあなかなか楽しく生きておる。

しかし、走馬灯が人生のエンドロールだとすると、もうちょっと美しく感動的なエピソードも入れたいものだ。これからに期待!

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