アラフィフの気づき⑥ 閉店した峠の個人商店から受け取ったこと
休みの日は、ランニングをする。
速くは走れないが、時間があれば自分なりのペースで20キロぐらい走る。
疲れるが、身体も心も、活性化しつつリラックスもできる。
私にとって大切な習慣だ。
時々、山の道を走る。
平地とはまた違うきつさと楽しさを感じることができる。
初めての場所を走ることもある。
でも、アクセスしやすくて周囲の感じもわかっている山を走ることの方が多い。

私の「馴染みの山道」には、厳しい上り道を越えた後の峠に、一軒の個人商店がある。店の前にはドリンクの自販機が置かれ、店では周辺で取れた野菜や果物などを販売している。
いい意味で、昭和の雰囲気を今に残す店だ。
私はこの店が好きで、ランニングで通る時、たびたび立ち寄っていた。
夏はキュウリやトマト、冬はミカンなどを買い、リュックの重さで肩が凝ることを覚悟して帰りの道のりを走っていた。

店内には、70代ぐらいの女性がいつも座っていた。
峠に一軒だけある、昔ながらの商店。どんな来歴があるのだろうと、他の客がいないときに店主さんから時々話をお聞きした。祖父の代から続く店で、五十年以上営業しているということだった。
私が生まれた時には、もうそこにあったということだ。
馴染みの山道といっても、毎週のように行ける場所ではない。
私がそこを走るのは、1カ月に一度ぐらいだ。
数カ月前、珍しくその店が閉まっていた。
今日は何か用事でもあるのかと思って走りすぎた。
次にそこを走った時も、店は閉まっていた。その次も。
どうしたんだろうと、気になった。
でも、私はその地域に知り合いがいるわけではない。
ホームページやSNSで発信しているような店でもなく、それ以上のことは何もわからなかった。
そして最近、またその山道を走りに行った。
今日は、どうだろう。
途中のきつい上り道に息を切らせながらも、そのことを考えていた。
店が見えてきた。
少し走るペースが上がる。
店の前に野菜が置かれている。
「今日は、開いている!」
よかった、という思いが湧いてきた。
私はいつも、その店よりも先まで走ってから戻ってくる。
野菜などを買うのは、いつも帰り道だ。
そうしないと荷物が重くなるし、買ったものも傷みやすくなる。
今日はどんなものを置いているのだろうと、少し立ち止まって品ぞろえだけ眺めていくことにした。
いつもの感じと、どうも様子が違っている。
店は開いているが、店の前に並ぶものがずいぶん少ない。
近づいてみると、入り口のガラス戸に貼り紙がしてあるのが見えた。
そこには、
「〇月〇日で閉店します」
と書いてあった。
そして、偶然としか言いようがないことに、私が走ってきたのは閉店前の最後の日だった。
半世紀以上この峠を見つめ続けてきた店がなくなってしまうことの寂しさを感じながら、私はその先のコースを走った。
家族でもほかの人でも、その店を受け継ぐ人はいなかったのだろうか、ということもぼんやりと考えながら。
その店のところまで、戻ってきた。
中に入ると、いつもの女性ではなく、ご主人かと思われる方が座っていた。
野菜をいくつか買い、会計の際に「今日で閉店なんですね」とお声がけした。
男性は、そうです、と短く答えてくれた。
私は、その男性とは初対面だったが、何かこの店に対する挨拶がしたかった。
「寂しいです」、「残念です」
自分の心情をそのまま表すならば、そんな言葉が出てくる。
しかし、半世紀以上この店を続けてきた一家の方に対して、時々訪れるだけの私がそんなことを言うべきではないと思った。
私がお伝えしたのは、
「時々このお店で野菜や果物を買って、美味しくいただいてきました。
ありがとうございます」
ということだった。
店の男性は、小さく頷いてくれた。
峠から出発地点に戻る下り道を、いつもより速いペースで走った。
やはり、あの店がなくなってしまうことが寂しかった。
あの時のランニングから数週間経った。
自分の中の感情が、少し落ち着いてきた。
今も寂しさは残る。
でも、それ以上に感じるのは、
「あの最後の日、山道を走り、最終日のお店に行ってお礼を伝えることができてよかった」ということだ。
実はその日、山道を走るかどうか、家を出るまで迷っていた。
忙しい日が続き、疲れがたまっていたからだ。
きつい上りがある山道は、負荷がかかる。
走りやすいフラットなコースに行こうかとも考えていた。
でも、「1カ月ぐらい山に行っていないし、やっぱりそっちにしよう」と思い、山へ向かった。
その決断ができて、本当によかった。
ランニングをしていると、よく走るお気に入りのコースがいくつかできてくる。そこを何度も、何年も走り続けるのは、その道沿いの変わらぬ姿と変化をともに眺めることでもある。
好きだった並木がいつの間にか伐採されてしまうこともあれば、人や店の営みに関わる変化も起きていく。
自然も、人の営みも、変わらないと思っていたものがいつまでもそのまま続いていくとは限らない。
それは、私も同じことだ。
もう、アラフィフという年代を迎えている。
「いつか、やろう」
「機が熟したら、取り組もう」
そんなことを考えているうちに、どんどん時間は過ぎていく。
やりたいことはいつまでも待ってくれるとは限らない。
私も、自分が本当に興味を持つことを絞り、そこに時間を使っていこう。
これが、閉店した峠の個人商店から、私が受け取ったことである。

