見出し画像

羽釜で白米を炊くーー「ていねいな暮らしプレイ」のススメ 【紅白記事合戦】

我が家は羽釜で白米を炊く。
羽釜で、炊く。白米を。

白米を。
羽釜で。
炊いている。

味噌は自家製である。
大豆を煮て潰し、なんかこだわり系の麹で、味噌を醸す。
子供に、麹と塩を混ぜる作業をさせてる。

味噌を、醸している。自宅で。


こう書くと、非常にていねいに暮らしていそうだが、醸され中の味噌があるパントリーは、驚く程散らかっている。
娘の友達が遊びに来た時、中を覗いて「うわっ」と言っていた。
羽釜で白米を炊きながら、台所の床で胡座をかき、コーラ片手にポテチを食べつつ、どうでもいいネットニュースやXで回ってくるネタ画像を見てミャハハと笑っている。
そのうち、子供がやって来て
「あっ、なんかたべてるぅ〜」
と言われるので、
「これ辛いやつだから」
と追い払う。嘘だ。うすしお味である。
冒頭で散々ドヤって煽りまくったが、まぁあれはフリであって、私は雑に暮らしている。心のままに怠惰に暮らし、節約したエネルギーを、今は全て文フリに注いでいる。

この雑な暮らしの中で、何故白米と味噌だけやたらスローライフっているのか。それは単純に、大して手間やコストはかからないのに美味しいからだ。
まず羽釜。安い。

一升炊きの炊飯器、7千円台では絶対に買えない。そして、耐久性もある。上の通り、購入したのは4年8ヶ月前だが、羽釜も蓋も全く問題なく使えている。
お手入れも楽だ。炊いた後はしばらく水を貼っておき、普通に洗剤とスポンジで洗うだけ。蓋は洗剤は使えないので、水で米やデンプンを洗い流す。
1番大きなメリットは、とにかく美味しい。
考えても見てほしい。日本人が何百年とトライアンドエラーを繰り返し完成させた、本気で白米炊く以外に使い道のなさそうな、かまめしどんみたいなフォル厶。
……いや、かまめしどん側が羽釜のフォルムしてんだわ。
要は、君(白米)を炊く、そのために生まれてきたんだというらいおんハート状態なわけだ。それで炊く米がまずかろうはずがない。
ガスの力は偉大で、さっと釜を吹かせ、そして吹いてきたら火を弱火にすればすっと落ち着いてくれる。この押し引きの素早さ、電気に出来るかい?
出来たとて、7千円台で買えるかい? という話だ。
あなたはパスタを茹でる時、弱火でじっくり茹でたりしないだろう。ボコボコ沸いた湯にさっと麺を入れ、最小限の時間で茹であげるはずだ。だから伸びずに、プリっと小気味よい食感に仕上がる。
これを米に適用するなら、所謂「お米が立ってるぅ」状態だ。
丁寧な暮らし米炊き部門の雄といえば土鍋だが、軽く・手入れしやすく・安いという点で、私は羽釜を推したい。

味噌を醸す件については、こちらも美味しいからではあるが、それよりも、面白さが勝つ。今は、有名メーカーですら無添加の味噌を売っているし、農産物直売所には地元のお母さんが醸した味噌が売っている。自宅で醸す味噌が、美味しさの面で圧倒的に勝っている訳では無い。
味噌はエキサイティングだ。
あなたは、圧力鍋で豆を煮たことがあるか。

飛ぶぞ?

煮汁が。
蒸気の吹き出し口から飛ぶぞ。
圧力鍋の内側の、「豆最大量」ラインを守っても、いやそれより少なく入れようとも、飛ぶ。
吹き出し口に、豆の皮が詰まるのだ。
たまに「マンホールから下水が吹き出す」みたいなニュースがあるが、気持ち的にはあの勢いで、激熱の煮汁が噴出する。初めて醸した年は大変だったし、その時に出来たシミが未だに柱に残っている。いい思い出ではある。

どうにか容器に詰めて熟成させていくのだが、たまに蓋を開けて様子を見ると、最初期は酒の様な発酵臭がする。
あぁ、麹菌頑張ってんな、というあたたかい気持ちになる。
その段階を過ぎると、お馴染みの味噌の匂いになっていく。あの間欠泉みたいに煮汁噴き出させていた大豆が、ヤンチャしてた大豆が、時間を経て熟成し、味噌になっていく。
まぁ、昔ヤンチャしてたんだよ俺も、みたいな武勇伝風の話をされると(うるせ〜)と思うが。じゃあヤンチャしてた大豆とかいう例えすんなよ疲れてんのか?

途中で、半分だけ発酵を止めるということもできる。半分取り出して、冷蔵庫で保管する、ただそれだけの事だ。熟成が浅ければ白っぽい味噌、熟成が進むにつれ赤味噌のようになる。1回の味噌作りで、ふたつの味噌の味が楽しめる。
私は、夏場はセロリなんかを具にして、赤味噌で味噌汁にするのが好きだ。キャベツと油揚げの味噌汁なら白っぽい味噌の方が合うだろう。

とまぁ滔々と語ってきたが、これを書いている我が家のリビングは酷い散らかり様だ。しかも、原因が私の服とかバッグだ。これを横目に子供を「プリント片付けなさいよ!」と叱り付けるスリルよ。多分もう半年後には「お母さんも片付けたら?」と言われると思う。

こんな雑な暮らしをしていて、(なんて怠惰な人間なんだ私は……)と思う時、

「いやでも、羽釜で白米炊いてるからなぁ……」
「味噌、醸してるしなぁ……」

そう心の中で唱える。それだけで全てがチャラになるのだ。
トータルで見ると全くていねいに暮らしちゃいないのだが、自分がこだわりたい部分だけ、超局地的にていねいにする。これを私は「ていねいな暮らしプレイ」と呼びたい。
あくまでプレイなので、キャベツ太郎を食べても全然OKだ。「夫婦の寝室にする予定だったブラックホールみたいな納戸」が存在しても問題ない。
自分を見失いそうになった時、
「でも私、ほうきで掃除するから。たまに」
「梅酒漬けたから。飲みたいだけだけど」
と、超局地的ていねいな暮らしのことを思い出す。それだけで、立ち直れる夜がある。その程度で立ち直れるなら多分1時間くらい昼寝したら絶対立ち直れるけど、まあいいじゃない。

暮らしとは結局、自分たちが心地良ければそれでいい、と思う。ホコリが溜まってても死にゃあしないのよ、というやつだ。そういう開き直りの免罪符というか、お守り的に、何がしかの「ていねいな暮らしプレイ」をする。やってみると案外楽しい。数ある家事や年中行事の中で、1番自分がやりたいことを選ぶだけだ。お月見団子作ったことを1年間心のよりどころにしたって、誰にも怒られない。心の中は自由だ。

もうすぐ「大掃除が終わっているべき時期」がやってくる。「完璧な大掃除ができた者だけがこの女にクイックルワイパーを投げなさい」という言葉が、あるとか、ないとか。
今のうちに軽めのていねいな暮らしプレイをして、年末用の免罪符を準備するか、その時間を使って風呂場の掃除をすることをオススメしたい。


余談だが、羽釜で「推し考案のシャインマスカット炊き込みご飯」を作ったことがある。生まれて初めて、料理しながら不安で心臓が痛くなった。

いいなと思ったら応援しよう!

早時期仮名子*みもすそ文庫 もっといい小説を書きます!