想像しているのは、「…やっぱり出来なかった自分」だった。
"楽しい"ってなんだろう
今日は、1日中楽しいについて考えてた。
「はじめは楽しかったのに・・」と、わたしはよく言う。
ひとことで"楽しい"と言っても、
楽しいには、色々ないろがあるのかな。
1音、はじめて弾いたピアノの音色
真っ白な画用紙に、筆をのせた感触
プールの水に足をいれた心地よさ
友達といっしょで、うれしい寄りの楽しい
大声をあげて笑う、楽しい
足をじたばたするだけで楽しそうな子供
何かに取り組むとき。
とにかく"楽しんで”と言われるときの楽しいは、
「頭でなく身体で感じて」に近いのだろうか。
はじめは、身体で感じて楽しめてたのに、いざ「もっとこうしたい」「あの人はもっとすごい」と頭で考えたときに、楽しめなくなる。「はじめは楽しかったのに、身体で感じれずに、頭でっかちになって、楽しめなくなる自分がいやだ。」そう思っていた。
だけども、
試合に勝ちたくて、練習に励む
書きたくて、書けなくて、ひたすら書いてみる
綺麗な音がでなくて、何度も吹いてみる
イメージする絵が描けなくて、色々な作品を観て勉強する
そういうのが"楽しい"って人もいる。
そんな"楽しい"に憧れたりしている。
それを楽しめる人は、わたしと何が違うんだろう。
がんばった先に見えるかもしれない未来だろうか。
もしかしたら、私って「未来にこうなりたい」とイメージしてないのでは。目先のできる、出来ないに、囚われすぎて。
想像しているのは、「…やっぱり出来なかった自分」ばかり。
過程を楽しむには、その先の未来像を強くイメージする必要があるのかな。
私は、描いてない。「こうなったらいいな」の自分像を。
「きっとダメに決まってる」「またダメだった」そんな目先のダメな自分ばかりを強く想像している。はじめから言い訳を用意している。
「やっぱりダメだった…」と言えるように。
まずは、描いてみようか。こうなったらいいなの自分像を。
想像してみよう。そこまでの道を楽しむわたしを。
楽しいは、そこから、はじまるかもしれない。
昨日の自分へのアンサーを考えてみました。
あわい雪さんが、私が書いた”楽しい”を深掘りしてくれました🙌
