かたつむりは、光れない
明るくいなきゃ価値がない。
ずっと、そう思って生きてきた。
小学校のころ、アイーンブームが巻き起こっていた。誰かがアイーンをすると、他の誰かもアイーン。教室は笑い声でいっぱいだった。
笑ったふりをしていた。
中学校では、女子同士の会話が苦手だった。がんばって合わせた。語尾に「噂」をつけるのが流行ったときも、意味がわからないまま「噂教」に入信した。家では無言で漫画を読み、外では明るさを羽織るようになった。
明るいといっても、本物の陽キャには敵わない。なめくじが、かたつむりになるくらいの明るさだ。
家と外のギャップは、どんどん大きくなっていった。明るさは、ものすごくHPを消費した。明るい自分でいられない日は、学校にも仕事にも行けなかった。
友達に会うときも同じだった。かたつむりになれない日は、会えなかった。誰もなめくじなんて興味ないと思ってた。みせたら嫌われそうで、明るさという防御を解除できなかった。
誰かに好かれても、それは殻だと思っていた。
明るいのは、途中でやめた。かたつむりは光らない。そのかわりに、人あたりのいいかたつむりになった。夫になった人には、殻が透けて見えていたのかもしれない。わたしは、なめくじでいられる人と結婚した。
子どもが産まれてからも、外ではかたつむりだった。
そんなとき、夫が仕事をやめた。家でひとりになる時間がなくなった。すると、かたつむりになれなくなった。その状態で、はじめて外にでかけた。友達に弱音を吐いた。友達は、いつもと変わらない態度で接してくれた。
殻は、つらいことも、いやなことも防御してくれた。だけど、その分やさしさも、あたたかさも跳ねかえしていたことに気づいた。
今も外ではかたつむりだ。いい顔もする。人あたりのいい自分を演じる。だけど、こころを許した途端に、防御結界はかんたんに解ける。
noteを書きはじめたころも、ずっとかたつむりだった。
ちゃんと消化できたことだけを書いた。きれいに言葉にできるものだけを外に出した。だけど、それで押してもらうスキは、どこか挨拶みたいに感じていた。
ためしに、消化しきれていないものを書いた。いまの思考を、そのまま晒した。すると、押してもらうスキが、“ありのままの自分”に届いた気がした。
殻を外すのは正直怖い。だけど外した分だけ、やさしさが降ってくる。
スキを押してもらうたび、防御結界はすこしずつ解除されていく。
ミニカキングダムに参加してます。今回のテーマは「魔法」。
