ふだん、創作大賞の感想を読めない私が、どうしても、感想を書きたいと思っていた記事がある
ずっと気持ちを伝えたい。けれど書けないと思っていた記事がある。
それが、神崎さやかさんの記事「不登校|心の充電が1%だったあの日から。」だ。
こちらの記事は、さやかさんの娘さんが不登校になってから、親であるさやかさんが、どのように寄り添ったか。選択したか。回復していった娘さんと、さやかさんが選んだ道のりが書かれている。
私は、この記事を読んだときに、さやかさんが1つのゴールポイントまで来れたこと。これを書けるくらいの気持ちになったことを、心から喜んだ。
思い起こせば2年前の2023年。記事を読んでいて、旦那さんが単身赴任をされてから、さやかさんの大変さが増したのが伝わった。だけどもその時は、「思春期の娘さんとの2人暮らし。のしかかってくる責任や家事育児のワンオペ。旦那さんに会えないのは大変だろうな。」・・と思っていた。単身赴任というだけでも、家族の形は変わる。それだけでもすごくむずかしい。
2024年、記事ではじめて「不登校」という文字が刻まれる。あぁ、さやかさんの大変さ、心の不調の根底にあるのは、ここだったのかもしれない。謎がとけたと思った。
我が家の話に戻すと、昨年の6月から中2の娘が不登校です。家に居る時間が増えたので、娘と一緒に料理をして過ごしていました。
娘は元の中学校には戻れそうになく、4月から「適応指導教室」へ通うことが決まりました。
私の家には、不登校になった娘はいない。だけども、月に数回「行けない」「つらい」を発し学校を休む・遅刻していく、やや不登校気味の娘はいる。その度に、「今日はどうしようか」を悩み考える。親のスケジュールはぐだぐだになる。友達が・・とか先生が・・ではない。勉強もそこそこ、交友関係も良好。部活も楽しんでる。と思う。
それでも「行けない」日がある。学校のシステムが合わない。私と同じ心の体力をあまり持ち合わせてない。すぐパワー切れしてしまう。平日に息子もいない時間に、家にいる心の休息時間が必要。そう感じる。
もしかしたら、いつか、学校にいけなくなるかもしれない。そんな気持ちを抱えてる。
「子供と寄り添い、子供の話を聴いてあげてください」
そう世間は言う。だけども、これが毎日となると、どう考えても母の心は消耗していく。自分を責める。世間が怖くなる。
そう思うのは、うちには不通勤になり、休職をし、何度も会社を辞めたパパやんがいるからだ。
「どの時期がつらかった?」と聞かれると、答えは2つ。1つは、「今日も途中で帰ってくるかも」とがんばって会社に向かうけど、目眩で早退もしくは、電車に乗れなかったパパやんがいた時代。
毎日、大丈夫かな・・に心悩まされていた。会社に行けなくなって、休職して、また会社に行って行けなくなって、退職して、就職しては行けなくなってを繰り返すパパやん。代わりに働くことを選択できない私。自分を責めまくっていた。
もう1つは、「パパやんの話を聴いていた時期」
これは、少しずつ少しずつ私の身体をおかしくしていった。私自身、うつ体験もあり、聴き上手だと思っていた。私なら、パパやんの気持ちをわかってあげられると思い込んでいた。そして、気持ちを言えないパパやんのために、心療内科の先生にどういう状態か伝えたかった。
毎日、毎日、できるだけ相手を肯定し、話を聴いて寄り添っていた・・つもりだった。だけども、私の心の境界線は、家族となるとめっぽう薄い。聴けば聴くほど、その気持ちを私も体験してしまっていた。寝れない日が続いた。
パパやんは、心療内科には通っていたが、カウンセリングは一杯で受けられなかった。
何をしたらいいのか、どうしたらいいのか、わからなかった。
とにかくそばにいた。パパやんは、眠るしかできなかった時期を超え、少しずつ元気になっていった。毎日、一緒に1時間くらい散歩していたこともある。
そんな生活を1年以上していたが、この先どうしたらいいかわからなくなった。私はすがる想いで心療内科の先生にカウンセリングできるところがないかを聴いたのだ。
紹介されたのは、あいち保険管理センターというところだった。
色々な手続きを経て、ここでカウンセリングを安価で受けさせてもらえることになった。
カウンセリングは、家族も一緒にでもOKだったが、はじめの数回だけであとは1人で行ってもらうことにした。
初回に私はカウンセリングの先生にこう尋ねた。「家族だから寄り添いたいし、話を聴きたいんですが、うまくできないんです」と。
先生は、こう言った。
「家族の話を聴くのはむずかしいですよ。医者だって、僕だって、家族の診察はしないことになってます。それだけ、むずかしいんですよ。」
・・ここでやっと私は、聴かなくていい。家族にも心の境界線を引いていいんだ。と心から思えた。
それでも私は、あの頃たくさん話を聴いて、心を擦り減らしながらも、寄り添おうとしていた自分を否定したくない。
あの時間があったから、私たちの間に育ったものが、きっとある。そう思いたいのです。
勝手な想像だが、きっとさやかさんも、お子さんが未来を向きはじめ「適応指導教室」にたどりつくまでが、一番つらかったのではないだろうか。
子供の気持ちを受け止め、寄り添うのも、「どうしたらいい」をひとり抱えるのも。
それでも抱えるしかないときが、どうしてもある。
話だけでも聴きたい。でもコンタクトをとる術のない私は、さやかさんの記事がでるたびに、読んだ。コメントした。時にはコメントが負担だったかもしれないと今では思うけれど。
この記事には、不登校になった娘さんが心の回復をしはじめて「どこかと繋がりたい」そう思ったときに、どこと繋がったかも詳しく書かれている。
さやかさんの辛かった気持ちは、裏側にそっと置いておいて、どんな風に見えたか、どんな対処をしたか、同じ悩みを抱える人の道標のような文章が綴られている。
会社にいけなくなる理由が様々なように、不登校も、理由は様々で、まったく同じ状況な人に会うことはむずかしい。だけども、この記事が、少しでも誰かの心の支えになってくれたらいいなと心から願う。
さやかさんの記事を読むたびに、私は、さやかさん自身と自分自身を重ねて応援していたのかもしれない。
今もいろんなことを悩みながら、一緒に歩き続けている。
はじめは、この記事に感想を書いていいものか、悩みました。なぜって私は、「創作大賞の感想が読めない」を記事にした人だから。
だけども、1ヶ月以上たってもこの記事は、わたしの頭の中にあって。いつか書こうと思ってしまった。拙い文章ですみません。
さやかさん、お互いにご自身の身体を大切に。マイペースに、時には休みながら、noteの街に住みましょう。
