中小企業M&A仲介に「国家資格」が誕生する──事業承継の最前線で何が起きているのか
はじめに──この国の中小企業を、誰が「次の世代」に渡すのか
2026年4月25日、共同通信が一本のスクープを配信した。「政府は中小企業の合併・買収(M&A)を仲介する個人を対象に新たな国家資格制度を創設する方針を固めた。本年度中の運用開始を目指す」というものである。Yahoo!ニュースのトピックス欄でも瞬く間に拡散され、X(旧Twitter)では数千の反応が集まった。
短いニュースであるが、含意は決して小さくない。
日本の中小企業は、全国で336万社にのぼり、国内企業総数の実に99.7%を占める。その中小企業を「次の世代」に引き継ぐ手段として、いまM&A市場は急速に拡大している。民間の仲介会社を通じた中小企業のM&Aは、2021年度の約3,400件から2024年度には約5,000件にまで増加した。
しかし、この急拡大の裏側では、業界全体を揺るがすような不祥事が相次いでいた。買収後に売り手企業の現預金を吸い上げ、経営者保証を解除しないまま音信不通となる「不適切な買い手」の存在。それを結果的に紹介してしまった仲介会社。高額な手数料、専門性を欠く助言、重要事項説明書を交わさない契約。「事業承継」の美しい看板の裏で、廃業同然に追い込まれた中小企業の元経営者たちが、個人保証だけを背負って取り残されている。
国家資格の創設は、こうした構造的な問題に対する、政府による正面からの応答である。本稿では、この一本のニュースの背景にある日本の中小企業の構造、M&A市場の急拡大、相次いだ事件、これまでの規制対応の限界、そして新たに創設される「中小M&Aアドバイザー資格」の制度設計の細部までを、現時点で公表されている一次資料を中心に整理し、業界全体に与えるインパクトを多角的に検討していくものである。
なお筆者は、シード期スタートアップへの投資を主たる業務とするベンチャーキャピタル(Peace Capital)の運営パートナーであり、また株式投資型クラウドファンディング事業を営む金融商品取引業者(Angel Funding、関東財務局長(金商)第3080号)の代表でもある。資金調達と事業承継、双方の現場を見てきた立場から、本制度の意義と限界、そして残された課題について論じることとしたい。
第1章 日本の中小企業を取り巻く構造──「336万社」「99.7%」の意味
中小企業庁の統計が示すスケール
新聞記事の中で最初に目を引く数字は、「中小企業は全国で336万社に上り、国内企業総数の99.7%を占める」という一節である。これは中小企業庁が継続的に公表している中小企業白書系の統計に基づくもので、近年大きな変動はない。
「99.7%」という数字は、日本の経済社会の根本構造を端的に表している。テレビや新聞で報じられる経済ニュースの大半は、東証プライム市場に上場する大企業の業績であり、為替動向であり、外資系メガテックの戦略である。しかし実際にこの国の雇用の約7割を担い、地域経済を支え、ものづくりの技術を継承しているのは、決して華々しいスポットライトの当たらない中小企業である。
地方都市の駅前商店街にある惣菜屋、町工場、地場の建設会社、運送会社、農業法人、結婚式場、洋菓子店。経営者の多くは創業者本人か、その家族の二代目・三代目であり、地域社会との結びつきは深い。彼らが抱える共通の悩みが、「後継者不在」である。
経営者の高齢化と「2025年問題」の遅延
中小企業庁の「中小M&A市場改革プラン」(2025年8月公表)によれば、中小企業の経営者に占める60代から70代以上の割合は、依然として高い水準で推移している。団塊の世代が70代に突入する2020年以降に事業承継のニーズがピークを迎えるとの認識のもと、政府はかねてより各種施策を打ってきた。2017年7月の「事業承継5ヶ年計画」、2019年12月の「第三者承継支援総合パッケージ」、2021年4月の「中小M&A推進計画」がその系譜である。
しかし、ピークを迎えるはずだった事業承継ニーズは、十分に「実現」されているとは言いがたい。2024年の企業の休廃業・解散件数は約6.3万件と、前年の約5万件から26%もの増加を見せた。経営者が高齢化し、後継者が見つからず、事業の譲渡先も見つからないまま、価値ある経営資源が市場から消えていく──。これは単に一企業の問題ではなく、日本経済全体の生産性・競争力の毀損につながる構造的な課題である。
M&Aは「事業承継の手段」から「成長戦略」へ
2025年4月、中小企業庁は新たに「中小M&A市場の改革に向けた検討会」を設置した。同検討会の中間とりまとめにあたる「中小M&A市場改革プラン」(2025年8月)では、これまで「事業承継のための消極的選択肢」として位置づけられてきた中小企業のM&Aを、「成長戦略のための積極的選択肢」として再定義する方向性が明確に打ち出された。
人手不足の深刻化、賃上げ原資の確保、デジタル投資の必要性──。一社単独での成長が難しくなる中で、M&Aは事業統合によるシナジーを生み出し、経営資源の共有によって生産性を引き上げるための戦略的手段である。米国の中堅企業の成長軌跡を見ても、内部成長と外部成長を組み合わせた連続的なM&Aは、ごく一般的な経営戦略である。
このパラダイムシフトを実現するためには、市場のインフラ──とりわけ、売り手と買い手をマッチングする仲介者の質と倫理──が決定的に重要となる。ここに、新たな国家資格制度創設の根本的な動機がある。
「希少な経営資源を将来につないでいく」という政策思想
中小M&A市場改革プランの本文には、極めて重要な一文がある。「本プランは、中小企業の希少な経営資源を将来につないでいくことを目的としており、中小企業の淘汰を目的とするものではない」というものである。
この一文は、政策思想として注目に値する。政府は、効率性の名のもとに中小企業を「整理」しようとしているのではない。地域に根づいた経営資源──人材、技術、取引関係、暖簾、固有のノウハウ──を、市場という流動的な仕組みを通じて、より適切な経営者の手に渡すための環境を整えようとしているのである。M&Aを「強制」するものではなく、あくまで「双方が希望する場合の選択肢として円滑に機能させる」という姿勢が、繰り返し強調されている。
このスタンスは、たとえばかつて議論された「ゾンビ企業整理論」とは明確に一線を画す。経営困難な企業であっても、その経営資源には引き継ぐべき価値があり、その価値を毀損せずに次の担い手に渡すことが、市場改革の本来の目的なのである。
第2章 急拡大したM&A市場──件数の推移と業界の構造
「3,400件から5,000件へ」が意味するもの
共同通信のスクープが伝える「2021年度の約3,400件から24年度は約5千件に達した」という数字は、中小企業庁のM&A支援機関登録制度に登録された仲介会社が関与した案件の集計値である。年度ベースでわずか3年で約47%の増加であり、これは極めて速いペースだと言える。
この数字には、登録制度に未加入の仲介会社による案件は含まれない。また、譲渡側・譲受側どちらか単独でフィナンシャル・アドバイザー(FA)契約のみを結んで進められた案件、あるいは士業(公認会計士、税理士、弁護士)を通じて当事者間で直接成立したスモールM&Aの相当数は、捕捉されていない可能性が高い。実態としての中小M&A市場の規模は、5,000件を相当程度上回るというのが業界関係者の共通見解である。
業界の三層構造──仲介会社、FA、プラットフォーム
日本の中小M&A業界を構成するプレイヤーは、大きく三つの層に分けて理解するとよい。
第一層は、株式市場に上場する大手仲介会社群である。日本M&Aセンターホールディングス、ストライク、M&Aキャピタルパートナーズ、オンデック、名南M&Aといった会社がこれに該当する。これらは数百名から千名規模のコンサルタント/アドバイザーを抱え、全国の経営者から案件を発掘し、買い手とのマッチングを成功報酬型で進めるビジネスモデルを採る。一案件あたりの成功報酬は、譲渡対価のレーマン方式(譲渡価額に応じて累進的に手数料率が変わる方式)で算定されることが多く、数千万円から数億円に及ぶことも珍しくない。
第二層は、より個別案件に深く入り込むフィナンシャル・アドバイザー(FA)型の事業者である。仲介とFAの違いは極めて重要で、仲介は売り手・買い手の双方と契約を結び中立的にマッチングを行うのに対し、FAは売り手か買い手のどちらか一方の代理人として、その利益のために交渉を進める。中堅以上の案件、複雑な事業再編、株主間の利害調整が必要な案件などでは、FA型のアドバイザリーが選ばれる傾向にある。
第三層は、オンライン上で売り手と買い手をマッチングするプラットフォーム型のサービスである。バトンズ、TRANBI、M&Aサクシードといったサービスがあり、特に小規模なスモールM&A、個人事業主の事業譲渡、サーチャー(個人投資家による事業承継)といった領域で存在感を増している。
「成功報酬型」というビジネスモデルの構造的バイアス
この業界の最も特徴的な点は、ほとんどのプレイヤーが「成功報酬型」のビジネスモデルを採用していることである。M&Aの成立、すなわち最終契約の締結と決済の実行をもって初めて手数料が発生し、それまでに費やした時間と労力は、案件が破談すれば一切回収できない。
このモデル自体は、売り手・買い手にとって「成功するまでお金がかからない」という意味で合理的に見える。しかし、その裏側で、仲介会社のアドバイザー個人には極めて強い「成約圧力」が生じる。多くの仲介会社では、アドバイザーの年収の相当部分が成約ボーナスで構成されており、一案件成約させると数百万円から一千万円超のボーナスが支払われる設計が一般的とされる。
この設計は、優れたインセンティブとして機能する局面もあるが、同時に深刻な利益相反を生む。売り手にとって不利な条件であっても、買い手にとって不適切な売却であっても、「とにかく成約させること」がアドバイザーの最大の利益となる構造があるからである。中小M&A市場改革プランも、この構造的問題を明示的に指摘している。
仲介とFAの「利益相反」問題
特に問題視されているのが、仲介形態における利益相反である。仲介会社は売り手・買い手双方から手数料を受け取る。しかし、譲渡価格をめぐっては、売り手は「高く売りたい」、買い手は「安く買いたい」という利害対立が必然的に存在する。中立な立場で双方の利益を最大化するというのは、経済学的に見れば原理的に困難である。
実務上、多くの仲介会社では「中立公正なマッチング」を標榜しつつも、案件のソーシング能力、すなわち買い手として頻繁に登場する企業の「お得意様」化が進んでおり、実態としては買い手側に有利な条件で成約が進む傾向があると指摘されてきた。これが後述する「ストロングバイヤー」と呼ばれる連続買収者を生み、結果的に「不適切な買い手」の温床となった、という構図がある。
第3章 浮かび上がった「闇」──ルシアン事件と業界の構造的問題
一つの事件が業界を変えた
中小M&A市場の問題が「業界の常識」から「社会問題」へと一気に転換するきっかけとなったのが、いわゆる「ルシアン事件」である。報道各社、とりわけ朝日新聞デジタルの連載「M&A仲介の罠」、東洋経済オンラインの特集「震撼!M&Aの闇」、ダイヤモンド・オンラインの特集「M&A仲介ダークサイド」が、この事件の全容を世に問うた。
東京都千代田区丸の内(実際の活動拠点は茨城県土浦市)に登記されたルシアンホールディングス(以下、ルシアンHD)は、2021年11月に設立された投資会社である。設立直後から、結婚式場、車両部品・輸入車販売、砕石販売、土木工事、農業法人、洋菓子店、運送会社など、業種を問わず矢継ぎ早にM&Aを仕掛け、約2年間で全国30社から40社近くを買収したとされる。
買収のスキームは概ね共通している。業績が悪化した中小企業に、複数の大手仲介会社経由で接触し、「事業再生が得意」「雇用は守る」「経営者保証は解除する」と説明して株式譲渡契約を締結する。譲渡対価は形式的に支払われるが、決済直後から「グループ全体での資金管理」と称して買収先企業の現預金を親会社に集め、二度と戻されない。経営者保証の解除手続きは行われず、旧経営者は会社を手放したにもかかわらず、依然として個人として連帯保証債務を負い続ける。買収先の事業はほどなく資金繰りに窮し、給与未払い、取引先への支払い停止、金融機関への返済停止に陥り、最終的に倒産する。
この間、ルシアンHDの代表者は2024年1月以降に音信不通となり、現時点で行方は明らかでない。被害者からの詐欺容疑の告訴は警視庁に提出されているが、立件は容易ではないとされる。なぜなら、株式の100%を取得した株主が自社の資金をどう動かすかは、会社法上の建付けでは「株主の権限」だからであり、これを刑事事件として詐欺罪で立件するには、契約締結時の欺罔の意図を立証する必要があるからである。
仲介会社が「結果として」関与した構造
東洋経済の追跡報道によれば、ルシアンHDのM&Aを成約させた仲介会社は少なくとも15社、ほかに送金履歴のあった事業者を含めると19社に及んだ。中には複数案件を仲介した事業者もあり、いわゆる「ストロングバイヤー」化が進行していた。
仲介会社にとって、ルシアンHDのような「次々と買収を続ける顧客」は、上得意である。一案件成約するごとに数百万円から一千万円超の手数料が入り、しかも案件の検討期間も短い(買い手にデューデリジェンスをじっくり実施する意思がないため)。ある仲介会社の担当者は、業界紙の取材に対し、ルシアンHDが「一度目の成約後、すぐに次の案件を要望してきた」「断ると他社に流れる」と述べている。
成約優先のインセンティブ構造のもとで、買い手の信用調査・財務調査・経営継続意思の確認といった「成約を遅らせかねない調査」は、軽視されがちであった。中小M&Aガイドライン(2024年8月の第3版改訂)では、こうした調査義務が明文化されたが、これは「事件の後」に追加された規律である。事件発生時点では、買い手のスクリーニングは仲介会社の自主的な判断に委ねられていた。
「特定事業者リスト」と15社への注意処分
業界団体であるM&A仲介協会は2024年8月26日、悪質な買い手企業を共有する「特定事業者リスト」の運用を10月1日より開始することを発表した。これは、業界が自浄作用として、特定の買い手を業界内で実質的にブラックリスト化する取り組みである。
これに連動して、中小企業庁は2024年8月30日に「中小M&Aガイドライン」を改訂し、悪質な買い手によるトラブルを防止するために、仲介会社が果たすべき役割と義務を明文化した。さらに同年10月29日、中小企業庁は不適切な買い手によるM&Aを支援した仲介事業者15社に対して「注意」処分を下し、適切な対策の検討・実施を指示するに至った。
しかし、この処分には批判もある。15社の社名は公表されず、登録制度上の登録取消といった重い制裁ではなく、「注意」という比較的軽い処分にとどまったからである。被害者からは「処分が緩すぎる」との声が上がり、業界内部からも「実効性に疑問」とする意見が出ている。
構造的問題の核──情報の非対称性と利益相反
ルシアン事件は、特定の悪質業者の問題というよりも、中小M&A市場の構造的脆弱性を可視化した事件であると見るべきである。整理すれば、以下の三つの構造的問題が重なり合った結果として、被害が拡大したと言える。
第一に、情報の非対称性である。中小企業の経営者は、人生で一度きりのM&Aに臨むことが多く、業界慣行や法務・税務の専門知識を持たない。一方、仲介会社や買い手は反復的にM&Aを行うプロフェッショナルであり、契約書の細部、リスク条項、保証の取り扱いなどに精通している。この圧倒的な知識格差を、誰が中和するのか、という制度設計が欠落していた。
第二に、利益相反である。仲介会社は売り手・買い手双方から報酬を得るため、両者の利益が対立する局面(特に価格交渉、契約条件、買い手のデューデリジェンス)で、構造的に「成約を優先する」インセンティブが働く。FA型と異なり、明確に売り手の利益を代理する立場の専門家が不在のまま契約締結に至ることが多い。
第三に、規律の欠如である。M&A仲介業は、これまで業務独占の国家資格を必要としない自由業であり、誰でも参入可能であった。後述するM&A支援機関登録制度(2021年8月開始)は存在するものの、登録は任意であり、登録しなくても事業を営むことができる。違反した場合の制裁も限定的であり、市場退出を強制する仕組みは存在しなかった。
第4章 これまでの規制対応とその限界
中小M&Aガイドライン(2020年策定、2024年第3版改訂)
中小企業庁が中小M&A市場の規律確保に向けて打ち出してきた施策の中核が、「中小M&Aガイドライン」である。2020年に初版が策定され、2023年、2024年と順次改訂を重ねてきた。
ガイドラインは、中小企業の経営者・支援機関・FA・仲介会社が、中小M&Aを進める際に遵守すべき行動規範をまとめたものであり、概ね以下のような項目を含む。
仲介業務とFA業務の違いの明確化、仲介者が双方代理に近い立場にあることの説明義務、手数料体系の明示、利益相反の回避、買い手の意思・能力に関する確認、重要事項説明書の交付、専門家(弁護士・公認会計士・税理士)への相談を妨げないこと、経営者保証の解除や金融機関との事前相談を妨げないこと、譲渡後のフォローアップ。
2024年8月の第3版改訂では、ルシアン事件を踏まえ、買い手の経営継続意思や能力の確認、悪質な買い手の排除、保証の解除に向けた手続の確実化など、踏み込んだ内容が盛り込まれた。
ただしガイドラインはあくまで「行動指針」であり、法令ではない。違反した場合の直接的な罰則はなく、登録制度における取り扱いを通じて間接的に規律されるにとどまる。
M&A支援機関登録制度(2021年8月開始)
2021年8月、中小企業庁は「M&A支援機関登録制度」を創設した。これは、中小M&Aガイドラインの遵守を宣言するFAおよび仲介業者を登録し、中小企業者が安心して相談できる支援機関を可視化することを目的としたものである。
登録には以下の効果がある。
第一に、事業承継・M&A補助金(専門家活用枠)における手数料補助の対象事業者が、登録支援機関に限定されるため、経営者にとっては登録機関を選ぶインセンティブが働く。第二に、登録事業者リストが中小企業庁の関連サイトで公表され、検索可能なデータベースとなっている。第三に、ガイドライン違反が認められた場合、登録の取消や氏名公表といった措置が講じられうる。
2026年2月20日時点で、約3,000件のFAおよび仲介業者が登録されている。これは中小M&A市場の主要なプレイヤーをほぼ網羅する規模である。
しかし、登録制度には決定的な限界がある。
登録制度の限界──「義務でない」がゆえの効力不足
共同通信のスクープ記事中にも明記されているとおり、「登録は義務ではないため悪質な事案は絶えないのが実情」である。これが登録制度の最大の限界である。
登録は任意であるため、悪質な事業者が登録を回避するか、あるいは登録した上でガイドラインを形骸化させるという選択肢が常に存在する。仮に登録を取り消されても、登録外の事業者として営業を継続することは可能であり、市場からの完全排除はできない。
加えて、登録は「事業者単位」であり、「個人単位」ではない。一つの仲介会社内に数百名のアドバイザーがいたとしても、登録対象は法人としての仲介会社一社である。どのアドバイザーが、どの程度の専門性と倫理観を持って業務にあたっているかは、登録制度では見えてこない。
ルシアン事件で明らかになったのも、まさにこの点であった。登録制度に登録された大手仲介会社の中にも、結果としてルシアンHDのM&Aを支援したアドバイザーが多数存在した。組織としての登録は形式上整っていても、現場のアドバイザー個人の判断によって、不適切なM&Aが繰り返されたのである。
不動産業界における宅地建物取引士との対比
ここで参考になるのが、不動産業界における宅地建物取引業法(宅建業法)と宅地建物取引士(宅建士)制度との対比である。
不動産業界では、業として宅地建物取引を行うには、宅建業法に基づく免許(業者免許)が必要であり、これは「業者単位」の規制である。同時に、各事業所には一定数以上の宅建士(個人単位の国家資格者)を設置する義務があり、重要事項説明書の説明や記名押印は宅建士でなければ行うことができない。
つまり、不動産取引においては「業者免許(事業者単位)」と「宅建士(個人単位)」のダブル規制によって、業界全体の質と個別取引における専門性を二重に担保している。違反すれば免許取消や宅建士登録取消といった厳しい制裁が用意されており、市場からの実質的な排除が可能である。
中小M&A業界においては、この「個人単位」の規律が決定的に欠けてきた。今回の国家資格制度の創設は、この欠落を埋めるための制度設計であると理解できる。
第5章 新たな国家資格制度の全容──「中小M&Aアドバイザー試験」
制度の背景──「中小M&A市場改革プラン」の中の位置づけ
新たな国家資格制度は、2025年8月5日に経済産業省が公表した「中小M&A市場改革プラン」の中で、その骨子が示された。
同プランは、中小M&A市場における課題への対応を、(1)譲り渡し側に係る施策、(2)中小M&A市場に係る施策、(3)譲り受け側に係る施策、の三つの軸で整理している。新たな資格制度は、このうち(2)中小M&A市場に係る施策の中核として位置づけられている。
具体的には、「M&Aアドバイザー個人の知識・スキルに係る資格制度の創設」として、以下のような方向性が示されている。
中小M&Aを支援する個人を対象とすること。M&A実務、財務・税務、バリュエーション・デューデリジェンス(DD)、法務、行動規範・倫理を試験科目とすること。資格取得後も倫理規程の遵守宣言と定期講習を求める登録制度を一体的に運用すること。
「中小M&A資格試験実施事業」の公募開始
2026年3月27日、中小企業庁は「令和7年度補正中小企業活性化・事業承継総合緊急支援事業(中小M&A資格試験実施事業)」に係る企画競争の公募を開始した。これは試験そのものを全国で運営する受託事業者を選定するための公募であり、応募期間は2026年3月27日から4月22日17時必着とされた。
公募要領には、試験制度の現時点での具体像が相当程度詳しく記されている。これは、単なる「資格を作る予定」のレベルを越え、制度設計が運用可能な段階まで具体化していることを意味する。
試験名称と科目構成
新資格の正式名称は、現時点では「中小M&Aアドバイザー試験」として議論が進んでいるが、最終的な名称は試験運営の受託事業者選定後に確定する見込みである。
試験科目は、現状案として以下の四つの柱で構成される。
第一に、M&A実務である。M&Aスキームの設計、進め方と留意事項、リスクへの対応、案件マネジメントなどが問われる。これは中小M&Aの実務全般についての包括的な理解を求める領域である。
第二に、財務・税務である。財務諸表の読解、簿外債務の検出、税務リスク(過去の税務申告の不適切処理、組織再編税制、株式譲渡課税など)の評価が求められる。
第三に、バリュエーション・DDである。事業評価の三手法(マーケットアプローチ、コストアプローチ、インカムアプローチ)の理解と適用、ビジネスDD、財務DD、法務DD、PMI(Post Merger Integration、買収後統合)を見据えた取組などが問われる。中小M&Aの実務では、コストアプローチの一種である「年買法」(時価純資産+営業利益の数年分)のみで価格評価が行われることが多かったが、複数手法の併用が望ましいとされている。
第四に、法務である。民法、会社法、労働法、株式譲渡契約の構造、表明保証、補償条項、競業避止義務、秘密保持義務などが問われる。
そして、これら四つの科目に加えて極めて重要なのが、「行動規範・倫理」である。中小M&Aガイドラインの内容、利益相反の回避、依頼者の利益の優先、適切な情報開示、専門家連携などが問われる。
倫理を独立科目として重く扱う設計
注目すべきは、「行動規範・倫理」が独立した出題領域として、相当のウェイトを持って試験に組み込まれている点である。日本の国家資格試験において、倫理が独立して重く扱われる例は、それほど多くない。公認会計士試験には監査論の中に倫理規定が含まれ、弁護士の司法修習・修習考試には法曹倫理が含まれるが、こうした他の士業の倫理試験と比べても、中小M&Aアドバイザー試験における倫理科目の比重は、相当に高くなる見通しである。
これは、中小M&A市場における規律の核心が、知識・技能の不足ではなく、倫理意識の不足にあったとの判断を反映していると解釈できる。ルシアン事件は、財務・法務の知識が不足していたから起きたのではなく、目の前の成約を優先する倫理判断の歪みが招いた事件であった。だからこそ、倫理を独立科目として課し、しかも合格後も定期講習で継続的に確認する仕組みが組み込まれているのである。
試験方式・規模・頻度
試験の実施方式は、CBT(Computer Based Testing)方式が想定されている。これは試験会場のPCで受験する方式で、近年の各種国家試験・検定試験で広く採用されている。
ただし初回試験では、問題流出や受験者間の不公平を避けるため、通年の常時実施ではなく、年3回程度の試験実施日を設け、受験者は1回だけ選択して受験する一斉開催に近い方式が想定されている。これは初回試験としては妥当な設計と言える。
受験者数の想定は、極めて大規模である。M&A支援機関登録制度における専従者数を基礎に、約1万人規模が想定されている。公募要領では、都道府県別の専従者数の集計を踏まえ、合計10,616人という具体的数字も示されている。
これは、初回試験としては「相当に大きな規模」である。司法試験の年間受験者数(口述試験を含めて約4,000人台)、公認会計士試験論文式(約4,500人)と比較しても、その規模が際立つ。
合格者登録制度と継続研修
試験に合格すれば終わり、という資格ではない。
公募要領によれば、試験実施とあわせて、倫理規程の遵守宣言に関する定期講習等を登録・継続要件とする「合格者登録制度」を中小企業庁が別途検討しており、本試験と一体的に運用する想定であることが明記されている。
これは、知識の更新と倫理意識の継続確認を伴う登録制度になる可能性が高いことを意味する。一度合格したら終わりの資格とは異なり、継続研修の受講と倫理規程の遵守宣言を毎年行うことで、初めて「中小M&Aアドバイザー」を名乗り続けることができる、という設計が想定されている。
業界の自浄作用に依存せず、政府が継続的に規律を維持する仕組みを組み込んだ点は、制度設計として高く評価できる。
「国家資格」か「公的検定資格」か──残された論点
ここで一つ、慎重な論点がある。共同通信のスクープでは「新たな国家資格制度を創設する方針」と報じられた。しかし、業界の専門家の中には、「現段階では民間ベースでの取組として創設する方向で検討が進められている」との見方もあり、最終的な制度形態は流動的である。
具体的には、純粋な「国家資格」(業務独占型あるいは名称独占型の法令上の資格)として創設するのか、それとも国の関与のもとで民間団体が運営する「公的検定資格」(簿記検定、販売士検定のような位置づけ)として始めるのか、という選択肢がある。
国家資格として創設するためには、新法の制定または既存法の改正が必要となり、立法プロセスに相応の時間がかかる。一方、公的検定資格としてであれば、既存の予算事業の枠内で迅速に運用開始できる。中小企業庁が「本年度中の運用開始を目指す」と表明していることを踏まえれば、初期段階では公的検定資格に近い形で発足し、その後の運用実績を踏まえて法令上の国家資格に格上げしていく、というステップが現実的であろう。
ただし、共同通信の今回のスクープが「国家資格制度」と明確に表現していることは、政府内部で法的位置づけの議論が進展した可能性を示唆している。今後の制度設計の動きを引き続き注視する必要がある。
第6章 制度設計の詳細──CBT、年3回、約1万人想定の意味
CBT方式採用の意義
CBT方式は、近年の各種国家試験・検定試験で広く採用されている方式であり、紙ベースの試験と比較して以下のような利点がある。
採点の自動化により、結果通知が迅速にできること。受験者ごとに異なる問題セットを出題することで、問題流出リスクを軽減できること。試験会場の柔軟な確保が可能で、受験者の利便性が高いこと。映像や音声を用いた事例問題の出題が可能であること。
中小M&Aアドバイザー試験では、初回はやや慎重な「年3回・選択受験型」で開始するが、運用が安定すれば、より頻繁な実施頻度に移行する可能性がある。
「約1万人」という想定規模が示すもの
10,616人という想定受験者数は、現役のM&A支援機関に従事する専従者数を基礎にした数字である。これは、新制度が想定する「資格保有者プール」のおおよその規模を示しており、業界全体として、この規模の専門家集団を国家資格者として規律していくという政府の構想を反映している。
仮に初回合格率を50%と置けば、初年度に約5,000人の合格者が誕生し、3年目には1万人規模の有資格者プールが形成される計算となる。これは、年間5,000件規模の中小M&Aを支える人的インフラとして十分な規模である。
逆に言えば、現状の市場規模に比して資格保有者が過剰となるリスクもあり、市場の成長に応じた供給調整は今後の運用課題となる。
受験戦略──「4分野横断」と「倫理重視」
公開されている試験範囲を見ると、受験戦略として以下が指摘される。
第一に、特定領域に強くてもバランスを欠く受験者は不利となる。「M&A実務に強い」「法務に強い」だけでは合格できず、4分野+倫理を横断的に基礎点を取る必要がある。これは中小M&Aの実務が、財務・税務・法務・PMIといった多領域にわたる総合的な営みである以上、当然の設計である。
第二に、倫理は独立科目として重く扱われており、ここを軽視すると合格は難しい。中小M&Aガイドラインの細部、利益相反の典型例、判例・行政処分例などを体系的に押さえる必要がある。
第三に、合格後も継続研修と倫理規程の遵守宣言が必要となる見通しであるため、「資格を取って終わり」のキャリア戦略は通用しない。
既存の専門家──士業との関係
ここで重要な論点が、既存の専門家との関係である。
弁護士、公認会計士、税理士、中小企業診断士といった既存の国家資格者は、M&Aの一部領域(法務、財務、税務、経営)について深い専門知識を持つ。彼らも新制度の対象となるのか、何らかの免除規定が設けられるのか、はまだ明確ではない。
弁護士であってもM&A実務やバリュエーションは専門外であることが多く、公認会計士であっても法務やPMIは弱い。逆に、専業のM&Aアドバイザーであっても、税法の細部は専門の税理士に依存している。
新制度の試験範囲は「中小M&A」に特化したものであり、既存の士業資格とは別建ての専門資格として設計されている。実務的には、各士業の専門性を活かしつつ、中小M&Aアドバイザー資格を「上乗せ」で取得する、というキャリアパスが主流になると予想される。
第7章 歴史的アナロジー──宅建士の道のり
不動産業界の規律確立の歴史
中小M&A仲介の国家資格化を考える上で、最も参考になるのが不動産業界の歴史である。
戦後の混乱期、不動産業界は無秩序な参入と悪質な取引が横行する状態にあった。1952年に宅地建物取引業法(宅建業法)が制定され、不動産業者の免許制度が始まった。当初の免許は届出制に近く、規制は緩やかであった。
その後、1957年に「宅地建物取引主任者」制度が創設された。これが現在の宅地建物取引士の前身である。当初は「主任者」と呼ばれ、業務独占も限定的であったが、宅建業法の度重なる改正を経て、徐々に権限と責任が拡大していった。
特に重要な改正が、1971年の重要事項説明制度の導入である。不動産取引において、買主・借主に対して契約締結前に重要事項を説明する義務が課され、その説明は宅建士でなければ行うことができないとされた。この時点で、宅建士は単なる「資格者」から、「業務独占の資格者」へと格上げされたのである。
さらに2014年の改正で、「宅地建物取引主任者」は「宅地建物取引士」に名称変更され、その地位はより明確に位置づけられた。
中小M&A業界における類似プロセスの予測
中小M&A業界の規律確立は、不動産業界の歴史を約半世紀後追いしているように見える。
第1段階:自由業の時代(1990年代~2010年代) M&A仲介は誰でも参入可能な自由業として発展。大手仲介会社が成長し、市場も拡大。しかし規律は業界内の自主規制にとどまる。
第2段階:ガイドラインと登録制度(2020年~2024年) 中小M&Aガイドライン策定(2020年)、M&A支援機関登録制度開始(2021年)。事業者単位の規律が始まる。ただし任意登録のため、強制力に限界。
第3段階:個人資格制度の創設(2026年~) 中小M&Aアドバイザー資格の創設。個人単位の規律と継続研修。倫理規程の重視。
第4段階:業務独占化と義務化(将来) 中小M&Aアドバイザー資格による特定業務(重要事項説明、契約立会い等)の業務独占化、登録制度の義務化。これは法令改正を伴うため、相当の時間を要する。
宅建士が業務独占資格として現在の地位を確立するまで、約60年を要した。中小M&Aアドバイザー資格が同様の道を辿るなら、これから10年から20年の時間軸で、業界の構造は段階的に変容していくことになる。
違いと留意点──「金商法」との関係
ただし、不動産業界とのアナロジーには限界もある。中小企業のM&Aは、金融商品取引法上の「組織再編」の側面と、商取引としての「事業譲渡」の側面を併せ持つ。M&Aで譲渡される対象が「株式」である場合、それは金商法上の「有価証券」であり、その募集や私募の取扱いには第一種金融商品取引業の登録が必要となる。
しかし、中小M&Aの大半は、特定の売り手と特定の買い手の相対取引であり、不特定多数を対象とした「募集」ではないため、金商法の規制対象外となる。仲介会社は「マッチング」と「アドバイザリー」を行うが、自らが取引の当事者となるわけではない。
この「金商法の対象外」という特殊な位置づけが、これまで中小M&A仲介業を法令上の規律から相対的に自由な領域に置いてきた背景である。新たな国家資格制度は、この空白を埋めるものとして位置づけられる。
第8章 業界への影響──仲介会社、士業、新興プレイヤー
大手仲介会社への影響
新資格制度の導入は、業界各層のプレイヤーに異なるインパクトをもたらす。
まず、上場大手仲介会社にとっては、短期的にはコスト増、長期的には参入障壁の強化につながる、という両面が予想される。
短期的なコスト増としては、所属するアドバイザー数百人から千人規模に対する受験対策、合格後の継続研修の受講、業務プロセスの再設計などが必要となる。一人あたり受験対策に数十時間、研修受講に毎年十数時間の工数を要するとすれば、年間で相当な人件費負担となる。
しかし、長期的には、資格を持つアドバイザーがいなければ重要事項説明等の中核業務が遂行できないという制度設計(将来的に業務独占化される可能性が高い)が浸透すれば、新規参入のハードルは大幅に上がる。既存の大手は、アドバイザー教育のインフラを既に持っているため、新規参入者に対して優位性を保ちやすい。
問題は、大手の中にも、ルシアン事件で「結果として」関与してしまった事業者が含まれている点である。これらの事業者が、新制度の運用主体(中小企業庁の監督下にある試験運営機関)に対して、どこまで影響力を行使できるかが論点となる。プルータス・マネジメントアドバイザリーなど業界内からは、「業界に強くネガティブな影響を与えた当事者が中心となった団体が、このような資格試験を運営することについて強い違和感がある」「本試験制度の(本当の)実効性を高めるには、国が主体となって運営すべきではないか」との声も上がっている。
中堅・地域系仲介会社への影響
中堅・地域系の仲介会社にとっては、新制度はチャンスでもありリスクでもある。
チャンスとしては、自社のアドバイザーが資格を取得することで、地域の中小企業経営者に対する信頼性を高めることができる。「国家資格を持つアドバイザーが対応します」というのは、地方の経営者にとって強力な信頼シグナルとなる。
リスクとしては、教育インフラを十分に持たない中堅事業者は、合格率が伸び悩む可能性がある。また、資格取得後の継続研修コストが、相対的に経営を圧迫する可能性もある。
士業ネットワーク──公認会計士・税理士・弁護士
公認会計士、税理士、弁護士、中小企業診断士といった既存の士業は、中小M&Aの周辺で重要な役割を果たしてきた。新制度の導入は、士業の側にも大きな影響を与える。
肯定的な影響として、士業がM&Aアドバイザリー業務に参入する正当性と専門性のシグナルとして、新資格を活用できる。たとえば「税理士+中小M&Aアドバイザー」「弁護士+中小M&Aアドバイザー」といったダブル資格者は、特定領域における強力な専門性を発信できる。
中立的な影響として、士業は既に各々の領域で深い専門性を持つため、試験範囲の一部については相対的に有利に学習を進められる。ただし倫理規程と中小M&Aガイドラインの細部については、別途学習が必要である。
慎重な影響として、士業がM&A業務に過度に傾斜することは、本業(監査・税務・法律事務)との利益相反や時間配分の問題を生じうる。各士業団体は、新資格との関係について丁寧な議論が必要となる。
スモールM&A・サーチファンド領域への影響
近年急速に拡大しているスモールM&A(譲渡対価1億円未満程度)、サーチファンド(個人投資家による事業承継)の領域への影響も注目される。
これらの領域は、従来の大手仲介会社が手数料体系の関係で参入しづらかった「市場の隙間」であり、独立系のFAやプラットフォームが牽引してきた。新資格制度がこれらの領域にどのように適用されるかは、制度設計の細部による。
仮に、譲渡対価の規模に応じた段階的な適用(小規模案件は資格不要、中規模以上は要資格、など)が設計されれば、スモールM&A領域は相対的に規制負担が軽くなる。逆に、すべての中小M&A仲介業務に一律で資格を要求する設計であれば、スモールM&A・サーチファンドの実務にも大きな影響が及ぶ。
銀行・地域金融機関の役割
中小M&A市場改革プランは、銀行・地域金融機関の役割にも触れている。地域の経営者にとって、最も身近な相談相手はメインバンクであることが多い。
新資格制度の運用が始まれば、地銀・信金の中にも資格保有者を配置することで、地域経営者の事業承継ニーズを早期に発掘し、適切な仲介・FAにつなぐ役割が強化される可能性がある。これは、中小M&A市場改革プランが掲げる「事業承継ニーズの掘り起こし強化」とも整合する方向性である。
第9章 残された論点──制度設計の核心と今後の課題
論点1:登録の義務化──任意のままで実効性は確保できるか
新資格の合格者登録制度は、現時点では「合格者の任意登録」を想定していると見られる。しかし、登録制度を実効性のあるものとするためには、最終的には「登録の義務化」「未登録者による中小M&A仲介の制限」が必要となる。
不動産業界の例を引けば、宅建士による重要事項説明は法律上の義務であり、宅建士でなければ行うことができない。同様に、中小M&A仲介においても、「重要事項説明書の交付と説明は資格者でなければ行えない」という業務独占化が、規律確保のための最終形である。
ただし、業務独占化は新法の制定または既存法の改正を要し、立法プロセスに時間がかかる。短期的には任意登録から始め、運用実績を踏まえて段階的に義務化していくのが現実的である。
論点2:仲介とFAの利益相反──資格制度だけで解決できるか
新資格は、アドバイザー個人の知識・スキル・倫理を担保する仕組みであるが、仲介形態における構造的な利益相反問題を直接解決するものではない。
仲介会社が売り手・買い手双方から手数料を受け取るビジネスモデルそれ自体に、原理的な利益相反が内在する。資格者個人の倫理意識を高めても、組織として「成約優先」の評価制度・報酬制度が変わらなければ、現場では同じ問題が再発しうる。
この点については、中小M&A市場改革プランも論じており、仲介会社における社内ガバナンス、報酬制度の透明化、苦情処理体制の整備、などが今後の課題として位置づけられている。資格制度と組織規律の両輪で、業界全体の規律を確保していく必要がある。
論点3:試験運営の独立性──業界団体に運営させてよいか
公募要領によれば、試験の運営は受託事業者が担うことが想定されている。問題は、その受託事業者が業界の利害から独立した中立的な主体となるか、である。
仲介会社が中心となって設立された民間団体が試験運営を担う構想もあると報じられている。しかし、その団体の中心となっている大手仲介会社が、ルシアン事件で結果として関与した事業者と重なる可能性があり、業界内外から運営の独立性を疑問視する声が上がっている。
理想的には、試験運営は中小企業庁の直轄か、あるいは業界から完全に独立した第三者機関(たとえば独立行政法人や、財務会計分野の財務会計基準機構のような中立的な民間組織)が担うべきである。しかし、現実の予算と組織制約のもとで、どのような運営体制が組まれるかは、今後の動向を注視する必要がある。
論点4:合格水準の妥当性──「役に立つ資格」となるか
新資格の社会的価値を決定づけるのは、最終的には合格水準である。
合格率を高く設定すれば、資格保有者は多くなるが、保有していること自体の価値は低下する。逆に、極端に低く設定すれば、社会的なシグナル価値は高まるが、業界の供給キャパシティを圧迫する。
公認会計士、税理士、中小企業診断士といった既存の経営系国家資格の合格率(概ね10~30%程度)と比較しつつ、業界の人材プールの実態を踏まえた適切な水準設定が求められる。
論点5:地方での実効性──地域格差の是正
中小M&A市場改革プランも繰り返し指摘しているのが、「地方部や比較的小規模の中小企業」におけるM&Aへの不安感、認知不足、相談相手の不在、といった地域格差の問題である。
新資格制度のもとで、有資格者がどのような地域分布で配置されるかは、極めて重要である。東京圏・大都市圏に集中するようでは、地方の事業承継ニーズには応えられない。中小企業庁の専従者統計(10,616人の都道府県別分布)を踏まえると、相応の地方分布が確保される見通しではあるが、制度運用後の実態は別途追跡する必要がある。
論点6:買い手側の規律──「不適切な譲り受け側」への対応
新資格制度は仲介者・アドバイザーの規律を強化するものであるが、ルシアン事件の根本原因は「不適切な譲り受け側」の存在であった。
中小M&A市場改革プランは、譲り受け側に係る施策として、買い手のスクリーニング、経営者保証の解除を確実にする仕組み、買戻し条項の新設、損害補償条項の整備、などを挙げている。これらは契約実務の改善であり、資格制度とは別建ての施策である。
新資格による仲介者の規律強化が、契約実務の改善と組み合わさって初めて、市場の健全化が実現する。
論点7:「成功報酬型」モデルの是非
最後の、しかし最も根源的な論点が、「成功報酬型」のビジネスモデルそのものの是非である。
成功報酬型は、依頼者にとって着手金リスクがないという利点がある一方、アドバイザーの経済的インセンティブが「成約させること」に過度に集中する。これが、悪質な買い手であってもとにかく成約させようとする圧力を生み、結果としてルシアン事件のような被害を拡大させた。
これに対し、近年では「着手金あり・成功報酬あり」のハイブリッド型、あるいは「タイムチャージ型」(時間あたり報酬)といった代替モデルを採用する事業者も増えている。とりわけ、売り手の利益のみを代理するFA契約においては、タイムチャージ型の方が利益相反を最小化できるとの議論もある。
新資格制度は報酬体系そのものを規制するものではないが、「業界全体としてどのような報酬モデルが望ましいか」という議論は、今後の中小M&A市場改革の中心テーマであり続けるだろう。
第10章 シードVC・スタートアップ視点からの考察
中小M&Aとスタートアップエグジットの接点
筆者はシードステージのスタートアップへの投資を主たる業務とするベンチャーキャピタルの立場にあるため、最後に、本制度が日本のスタートアップエコシステムに与える影響を考察したい。
日本のスタートアップエグジットは、依然としてIPO(株式公開)に大きく依存している。しかし、近年ではM&Aによるエグジットも徐々に増加しており、特にシード・アーリーステージの会社が、事業会社や中堅企業に売却される事例が増えている。
その買い手の中には、伝統的な中小企業(事業承継対象企業ではなく、成長を目指す既存中小企業)も含まれる。スタートアップ側から見れば「事業会社M&A」、買い手の中小企業から見れば「成長戦略としてのM&A」という構図である。
新資格制度の試験範囲には、「成長戦略としてのM&A」も含まれる見通しであり、これはスタートアップエコシステムにとっても無関係ではない。資格保有者が増えることで、中小企業による戦略的M&Aの実行能力が高まれば、スタートアップ側のM&Aエグジット機会も拡大しうる。
サーチファンドと中小M&A資格
サーチファンドは、個人投資家(サーチャー)が、自ら経営したい中小企業を探索し、投資家の資金を集めて買収・経営する仕組みである。米国を起源とし、近年日本でも徐々に普及している。
サーチファンドにおいては、サーチャー自身が「買い手」となり、仲介会社を介して案件を探索する。新資格制度のもとでは、サーチャー自身も資格を取得することで、案件評価の能力を高めることができる。同時に、サーチャーをサポートするFAに資格保有者がいることで、案件の質と倫理が担保される。
サーチファンドは、「個人による事業承継M&A」という新しい潮流であり、新資格制度の運用次第では、この領域の発展を後押しするインフラとなりうる。
シード期スタートアップへのM&Aエグジット──Acqui-hireの拡大可能性
米国のシリコンバレーで一般的なM&A形態の一つに、Acqui-hire(アクハイア、人材獲得目的のM&A)がある。これは、買い手企業が「事業の取得」というよりも「優秀な人材チームの獲得」を目的として、シード期から成長期のスタートアップを買収する形態である。
日本でAcqui-hireが少ない理由の一つに、買い手側のM&A実行能力の不足がある。中小企業や中堅企業がシード期スタートアップの企業価値を適切に評価し、円滑に買収・統合(PMI)を実行する能力が、まだ十分に育っていない。
新資格制度のもとで、こうしたPMIを含む包括的な実行能力を持つアドバイザーが増えれば、Acqui-hireの仲介・実行能力も底上げされる可能性がある。これは、シード期エコシステム全体のリスク・リターンプロファイルを改善する方向に作用する。
「事業承継スタートアップ」という新カテゴリー
近年の日本で注目されているのが、「事業承継型スタートアップ」または「サーチファンド型スタートアップ」と呼ばれる新カテゴリーである。後継者不在の中小企業を買収し、デジタル技術やビジネスモデル革新を持ち込んで成長させるという形態である。
このモデルは、ゼロイチで新規事業を立ち上げるよりも、既存の顧客基盤・取引関係・技術蓄積を活かせるため、相対的に低リスクで事業展開できる利点がある。同時に、買収後のPMIや統合の難易度は高く、専門性が要求される。
新資格制度は、こうした「事業承継スタートアップ」の経営者と支援者にとっても、重要なインフラとなる。買収のフェーズで適切なアドバイザーを得られるか、買収後のPMIを支援する専門家が確保できるか、それらが事業の成否を大きく左右する。
投資家視点での評価──「市場の透明性」の価値
シードVCの立場から見て、新資格制度の最大の意義は、「市場全体の透明性向上」にある。
投資先のスタートアップが将来エグジットを検討する際、M&A市場の規律が確立されていなければ、適正な企業価値での取引が成立しにくい。買い手と売り手の情報の非対称性、仲介者の利益相反、悪質な買い手のリスク──これらすべてが、エグジット時の取引コストとして計上される。
逆に、市場の規律が確立されていれば、適正な企業価値での取引が成立しやすくなり、結果として投資家のリターンも安定する。新資格制度は、長期的にはこの「市場全体のリスクプレミアム低減」に寄与する。
これは、IPO市場における監査制度や開示規制が、市場の透明性を確保し、結果として投資家のリスクを下げているのと同じ構造である。M&A市場においても、規律確保のためのインフラが、長期的には市場規模そのものを拡大させる。
おわりに──「市場の規律」と「経営資源の継承」のために
一本のニュースが映し出すもの
冒頭で紹介した共同通信のスクープは、わずか数百字の短いニュースであった。しかし、その背景には、日本の中小企業を取り巻く構造的課題、急拡大するM&A市場、相次いだ不祥事、これまでの規制対応の限界、そして政府による包括的な制度設計の動きが、重層的に積み重なっている。
「中小M&Aアドバイザー資格」という新制度は、単なる新たな国家資格の創設にとどまらない。それは、日本の中小企業──336万社、99.7%──が抱える経営資源を、誰がどのように次の世代に引き継いでいくのか、その担い手をどのように規律していくのか、という社会的な問いに対する、一つの応答である。
規律と自由のバランス
国家による資格制度の創設は、市場参加者の質を担保する一方で、新規参入のハードルを上げ、市場の競争性を弱める可能性も持つ。これは、あらゆる規制制度に内在する両面性である。
中小M&A業界においては、ルシアン事件に代表される深刻な不祥事の存在を踏まえれば、規律強化は避けて通れない。同時に、過度な規制が業界の活力を削ぎ、中小企業の経営者が相談先を失うような事態は避けなければならない。
理想は、最低限の質を担保する規律と、それを越えた競争・革新を許容する自由とが、バランスよく両立する制度設計である。新資格制度の運用は、この絶妙なバランスを探る実践となる。
「希少な経営資源を将来につないでいく」ために
中小M&A市場改革プランが繰り返し強調する「中小企業の希少な経営資源を将来につないでいく」という政策思想は、本制度の根本にある。
地域に根づいた中小企業の経営資源──熟練工の技術、長年の取引関係、暖簾、固有のノウハウ、地域社会との結びつき──は、一度失われれば容易には再生できない。経営者の高齢化と後継者不在によって、こうした経営資源が市場から消えていく現状は、日本経済の大きな損失である。
M&Aは、これらの経営資源を、能力と意思のある次の経営者の手に渡すための仕組みである。その仕組みが信頼に値するものであるためには、仲介者・アドバイザーの専門性と倫理が、社会的に担保されている必要がある。
新資格制度は、そのための一歩であり、出発点である。
今後の論点と注視すべき動き
最後に、今後の制度運用について注視すべきポイントを整理しておきたい。
第一に、試験運営の受託事業者選定の結果と、その独立性・中立性の確保状況。
第二に、初回試験の合格基準と合格率の水準、および合格者プールの規模と分布。
第三に、合格者登録制度における継続研修と倫理規程の実効性。
第四に、資格制度の法的位置づけ(公的検定資格にとどまるのか、業務独占の国家資格に発展するのか)。
第五に、ルシアン事件で関与が指摘された仲介会社に対する、新制度のもとでの取扱い。
第六に、地方部における資格保有者の配置と、地域格差是正の進展。
第七に、買い手側規律強化との相乗効果(経営者保証の解除実務、買戻し条項、損害補償条項など)。
これらの動きを継続的に追いかけることが、中小M&A市場の真の改革を見届けるために不可欠である。
「不適切な仲介者を排除する」だけではなく
新資格制度の最大の眼目は、共同通信の見出しが端的に示すように、「悪質業者を排除する」ことである。これは確かに重要な目的である。
しかし、より本質的な目的は、「不適切な仲介者を排除する」ことではなく、「適切な仲介者を育て、信頼に値する市場を作る」ことであるべきである。前者は消極的・受動的な目的であり、後者は積極的・能動的な目的である。
中小M&Aの現場では、本当に経営者に寄り添い、譲り渡し側と譲り受け側双方の長期的な利益を考え、地域経済の継続性を意識して案件を進めている、優秀で誠実なアドバイザーが多く存在する。彼らこそが、新資格制度の最初の合格者となり、業界全体の質を引き上げる担い手となる。
国家資格制度は、こうした誠実なアドバイザーの仕事を可視化し、社会的に評価される仕組みとしても機能する。「悪質業者を排除する」という防御的な側面と、「優れたアドバイザーを社会的に評価する」という攻撃的な側面の、両輪によって制度は機能する。
結びに代えて
日本の中小企業を、誰が次の世代に渡すのか。
その問いに対する、政府による一つの応答が、2026年4月25日のスクープであった。本年度中の運用開始を目指すという制度設計は、極めて野心的なスケジュールであるが、それだけ事業承継問題の喫緊性が高いことの現れでもある。
中小M&Aアドバイザー資格は、単なる新たな国家資格の創設ではない。それは、日本社会全体が、中小企業の経営資源継承という難題に対して、「規律ある市場」という解を選択したことを意味する。
その選択が、本当に中小企業の経営者と従業員、地域社会、そして次世代の起業家の利益に寄与するものとなるかは、これからの制度運用と、業界関係者一人ひとりの実践にかかっている。
筆者もまた、シードVCの立場から、この大きな変化を注視し、必要に応じて貢献していきたい。日本経済の99.7%を支える中小企業の経営資源が、より良い形で次の世代に引き継がれていくことを願ってやまない。
本稿は、2026年4月25日に共同通信が配信したスクープ「【独自】中小企業買収仲介に新資格 政府、悪質業者を排除」を契機として、中小企業庁「中小M&A市場改革プラン」(2025年8月)、同庁「中小M&A資格試験実施事業」公募要領(2026年3月27日)、M&A支援機関登録制度の公開資料、および各種報道(朝日新聞、東洋経済オンライン、ダイヤモンド・オンライン、日本経済新聞ほか)を参照して執筆した。記述内容は、執筆時点で公表されている情報に基づくものであり、今後の制度設計の動きによって細部は変動しうる。
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