「自衛隊が葬儀屋と協定」でSNSがパニックになる怪──なぜ「最悪の事態への備え」が“戦争準備”と叩かれるのか
今月、防衛省が全国の葬祭業者で作る「全日本冠婚葬祭互助協会(全互協)」などと結んだ、ある「覚書(協定)」がネット上で大きな注目を集めています。それは、有事や大規模災害時における自衛隊員や民間人の遺体収容、安置、埋火葬に関する協力体制を平時から築いておく、というものです。
ところが、このニュースが流れるやいなや、SNS上ではおどろおどろしい言説が飛び交い、一時トレンド入りするほどの大パニックが起きました。
「いよいよ有事で大量死が出る前提の戦争準備が始まった」
「戦場に送られる若者の棺桶を準備しているんだ」
共産党の「しんぶん赤旗」なども一斉に「有事での大量死を想定した暴挙だ」とシュプレヒコールを上げています。
しかし、こうした批判は、危機管理や安全保障の「リアリズム」を180度勘違いした、極めて感情的で不毛なものです。なぜこれほど議論が迷走してしまうのか、その脳内バグと現実のファクトを解き明かしていきたいと思います。
2ちゃん風で見る「脳内バグ」と「現実のリアリズム」の対比
まず、SNSでパニックになっている人たちの頭の中と、実際の防衛省の意図がいかに乖離しているか、パッと見で分かるようにテキストで図示してみましょう。
❌ SNSでパニックになっている人の脳内
🗾 政府「近々、戦争が始まって自衛隊員や国民が大量に死にまくるぞ」
↓
🗾 政府「今のうちに葬儀屋を確保して、棺桶を大量発注だ!」
↓
👥 反対派「やっぱり戦争準備だ!若者を戦場に送るな!」 (←いまここ)
↓
結論:国が「死」を歓迎し、戦争へのカウントダウンを始めているという妄想
⭕ 危機管理における実際のリアリズム
🏢 防衛省「近い将来、南海トラフや首都直下、あるいは有事が起きたらインフラが壊滅して大混乱になる」
↓
🏢 防衛省「東日本大震災の時、火葬場が被災して遺体の安置や火葬が追いつかず、大変な悲劇が起きた(歴史的ファクト)」
↓
🏢 防衛省「万が一の時、犠牲者やご遺族の尊厳が守られるよう、民間のプロと平時から役割分担を決めておこう」 (←いまここ)
↓
結論:死を期待しているのではなく、極限状態における「人間の最後の尊厳」を絶対に守り抜くための、極めて人道的なリスク管理。
ご覧の通り、前提からして完全にバグっているのです。
自動車保険に入る人を捕まえて「お前は事故を起こす準備をしているのか!」と責める人がいないのと同じで、最悪の事態を想定して平時から民間のプロと協定を結んでおくことは、危機管理組織として100%正しい、むしろ「今までやっていなかった方が遅すぎた」と言うべきまっとうな職務です。
東日本大震災の教訓:「備えのない現場」がどれほど悲惨か
反対派や一部のメディアは「有事を想定した大量死の準備だ」と非難しますが、彼らは過去の大規模災害の教訓を完全に忘れてしまったのでしょうか。あるいは、あえて無視しているのでしょうか。
私たちは、2011年の東日本大震災のときの過酷な現実を思い出す必要があります。
当時、津波によって一瞬で数千、数万の命が奪われました。
しかし、地元の役所も火葬場も被災し、電気や道路といったインフラは完全に寸断。遺体を火葬したくても燃料すら手に入らないという地獄のような状況に陥ったのです。
結果として、数千体のご遺体が火葬できず、一時的に「土葬(仮埋葬)」を余儀なくされました。
泥まみれになりながらご遺体を一人ひとり捜索・収容し、悲痛な思いで仮埋葬の任務にあたったのは、他でもない自衛隊員たちです。
亡くなった方々をどうやって安置し、どうやって尊厳を持って扱い、最終的にご遺族の元へ綺麗な状態でお返しするか。
この「備えのない現場」がいかに凄惨で、どれほど多くの遺族が涙を流したかという痛烈な反省が、自衛隊の根底にはあります。
南海トラフ巨大地震や首都直下地震が懸念される今、平時から民間の葬祭業者と協力し、「いざという時の遺体安置のスペース、火葬の手順、棺の確保」をシミュレーションしておくことが、なぜ非難されなければならないのでしょうか。
「最悪を想定する」のがプロ、想定から逃げるのがイデオロギー
安全保障や防災の世界において、「最悪の事態(大量の犠牲者が出る状況)」から目を背けることは、すなわち「犠牲者を放置する」と言っているのと同じです。
反対派は「戦争や大量死を想定するな」と言いますが、もし本当に何も想定しないまま有事や大震災が発生したらどうなるでしょうか。
適切な安置も火葬もされず、ご遺体が混乱した現場に放置されることになります。
それこそ、亡くなった方に対する最大の人権侵害であり、尊厳の踏みにじりではないでしょうか。
自衛隊がやっているのは「戦争の準備」ではなく、「万が一の事態が起きたとき、誰一人として見捨てず、最後の瞬間まで国として尊厳を守るための準備」です。
「自衛隊」という文字が見えただけで条件反射的に拒絶反応を起こし、それを「戦争へのカウントダウンだ」と結びつけて恐怖を煽る勢力は、本気で住民の命や人権を心配しているわけではないと感じてしまいます。
ただ、自分たちのイデオロギー(自衛隊=悪、戦争準備=悪)の辻褄を合わせるために、国のために備えるプロフェッショナルたちの足を引っ張っているだけではないでしょうか。
まとめ:人間の「最後の尊厳」を守るためのリアリズム
私たちは、ただお絵描きのような「綺麗な平和」を唱えて、現実の脅威や災害から目を背けるような不毛な議論を、いい加減に卒業しなければなりません。
有事であれ、大震災であれ、最悪の状況下で亡くなった方々をどうお見送りするかという問題は、国家としての最低限の責任であり、同時に究極の「優しさ」でもあります。
この協定の裏にあるのは、恐怖のストーリーではなく、過去の悲惨な震災から学んだ「現実の備え」です。
私たちはデマや恐怖煽りに惑わされることなく、こうしたプロたちの冷徹で、かつ血の通ったリアリズムの取り組みを、正当に評価し、支えていくべきではないでしょうか。
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