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港町・釜山で見つけた未来への一歩 ~国境を和らげる小さな旅


国境を越えるたび、心の距離が近づく。
持続可能な平和のために、私はその一歩を踏み出し続ける。

ある時、福岡に行く機会があった。せっかくだから船で半島の港町釜山へ渡った。ソウルには2回行ったことがあり、今回は違う街を見てみたかった。

韓国に興味を持ったのは映画『シュリ』からだ。38度線の両側に生息する魚の名を冠し、分断の現実を描いていた。スクリーンの中の韓国は日本に似ていて、近い感情を持ちながらも言葉はまるで分からない。その声に心地よさを感じた。

福岡から乗った船は対馬を通り、2時間半で釜山に着いた。町を歩いてすぐに福岡の中洲に似ていると感じた。昭和の終わり、中学生の頃に叔父の家で深夜ラジオを回し、雑音に混じって韓国語らしき声を聞いた夜を思い出す。

旅の予習に観た映画『国際市場で会いましょう』は家族愛の物語だった。実際に訪れた市場で作中の店跡を見つけ、物語と現実が重なった。

あくる朝、龍頭山公園ふもとの食堂でタコ鍋を食べた。お母さんたちが「昨日から日本人が多いね?」と日本語で話しかけてくれた。日本は秋分の日、韓国は中秋(チュソク)。どちらもお墓参りの時期だ。こうしたやりとりで町がぐっと近く感じられた。

ただ、夕方に屋台で買ったトウモロコシは黒、茶色、白が混じり、もち米のようにムニムニ。日本とはまるで別で「異国」を感じた。

港町の景色を眺めながら、ふとその歴史を思う。
1910〜45年、日本は朝鮮半島を統治し、港町も都市計画で整備された。戦後はパスポートなしで行き来できた時代もあり、今もその記憶を持つ世代がいる。
私が旅した頃は日韓関係が極度に緊張していたが、現地で反日感情を向けられることはなく、人々の温かさが印象に残った。

港も道も雰囲気も似ている。それは歴史の名残でもある。
けれど、笑顔で交わした会話と食の記憶は、国や時代を越えて残る。
人と人とのパートナーシップこそが、平和で持続可能な未来を形づくる。
私はこれからも海の向こうへ足を運び、直接会い、ジェスチャーで話す。その小さな交流を途切れさせない。


※この文章はコンテスト応募用に再編集したものです。原文はこちらからご覧いただけます


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