「運」だと思っていた出来事が、「運命」になった夜のこと
三連休の最終日。
午前中は中小企業診断士の勉強を25分×4本。
娘のお弁当用にハンバーグを焼いて、庭の大根を調理。
午後は娘と2時間テニスをする予定だった。
テニスコートでは、娘は少し不機嫌だった。
理由は些細なこと。
思春期前後の子どもには、よくある光景だ。
そんな中、僕の会社・大学の後輩であり、
娘の中高の先輩でもある「ななちゃん」から連絡が来た。
娘の“推し”の韓国タレントのグッズを譲ってくれるという。
グッズをもらう前、車中で娘は言っていた。
「なんか、ななちゃんとは、たまたま出会えただけだよね。運、運」
冷静だな、と思った。
偶然を偶然として処理する、その距離感は悪くない。
暗くなっていたので、待ち合わせ場所まで車で送った。
そこで、ななちゃんが娘にこう言ったらしい。
「これってさ、運命だよね。絶対ライブ行こうね!」
その瞬間から、娘は一気に有頂天になった(笑)。
同じ出来事なのに、
「運」だったものが「運命」に変わった。
不思議なものだ。
親が言っても、たぶん響かない。
同世代が言っても、盛り上がりで終わる。
でも、“少し先を生きている先輩”の言葉は、
出来事に納得感を与える。
その足で塾に向かう車中、
娘がぽつりと呟いた。
「私の9つ下って、小1くらいか」
グッズに喜びながら、
どこかで「人のつながり」が
世代を超えて続いていくものだと、
朧げに感じ始めているのかもしれない。
塾に着く直前、娘が言った。
「パパ、本当にありがとう」
正直、泣きそうになった(笑)。
何か特別なことをしたわけじゃない。
ただ、場をつないだだけだ。
人のつながりは、煩わしい。
自分に不都合なことも多い。
妬みや歪んだ感情が混じることもある。
それでも、
そのつながりが、
自分ではなく、
大事な家族に“澄んだ形”で返ってくる瞬間がある。
それが、たまらなく嬉しい。
誰かが困ったとき、少し手を伸ばす。
恩には着せない。
「次は、君が誰かにしてあげればいい」とだけ伝える。
そうやって、
人の間に流れるノイズを、
少しでも減衰させられる大人でいたい。
この夜の出来事は、
僕にとっても、娘にとっても、
「人のつながり」が
偶然を意味に変える瞬間だった。
