早大生、親の教育方針をレビューしてみた
人並みに賢くなれた理由は両親の教育方針とそれを達成するに十分なお金のおかげです。
幼少期の環境って恐ろしいほど大事。良かった教育・謎だった教育、全部ひっくるめて振り返ってみました。
◎良かった教育
●日本語であそぼガチ勢になる
まず最初に言いたいのはこれです。私は「日本語であそぼ」のガチ勢でした。「日本語であそぼ」は、古典文学や漢詩、落語、歌舞伎などを、独自の歌や映像で紹介するNHKの番組。
うちの母はなぜかこの番組が大好きで、毎回録画するだけでなくDVDまで買っていました。家でも車でも、流れているのはいつも「日本語であそぼ」。おかげで今でも、清少納言の『枕草子』も、夏目漱石の『こころ』も、中原中也の『サーカス』も、金子みすゞの詩も、スラスラと言えます。メロディーが付いているので覚えやすく、中学・高校では古文の暗唱でも大活躍しました。
今振り返ると、この学び方は文学史でいう「口誦文学(こうしょうぶんがく)」に近いものだったのだと思います。昔の人は、和歌や物語を声に出して暗唱しながら受け継いできました。人類が長い時間をかけて培ってきた暗記法を、NHKが現代向けのコンテンツとして届けてくれていた、とも言えるのかもしれません。
そして、この番組が与えてくれたのは、単なる暗記以上のものだったように思います。枕草子も、漱石も、中原中也も——日本人が長い時間をかけて育ててきた言葉や美意識が、知らないうちに自分の中へ染み込んでいました。外国語を学ぶと、その国の文化や価値観が見えてくることがあります。それと同じように、日本の古典に触れ続けたことで、日本人としての感性の土台のようなものが少しずつ育っていった気がします。大げさかもしれませんが、自分がどんな文化の上に立っているのかを知ることができた。それは、今でも私の財産です。母、ありがとう。NHK、ありがとう。

●ほしいものは買う、お金は渡す
うちの親は、「子どもが小銭を稼ぐために貴重な時間を使うのはもったいない」という考えの持ち主でした。中高生のころ、ポイントサイトがちったり、お小遣い稼ぎのあれこれをしている友達はいました。でも両親は、「数千円のために何時間も使うくらいなら、そのお金は親が出したほうがいい」というスタンスでした。
そのため、放課後に友達と遊ぶお金や、コンビニで何か買う程度のお金は、その都度普通にもらっていました。欲しいものも、誕生日や何か頑張ったときのご褒美として、比較的買ってもらえる環境でした。もちろん、何でも好き放題買ってもらえたわけではありません。ただ、「欲しいものがあっても絶対に手に入らない」という経験はあまりしませんでした。
そのせいか、「ものへの渇望」をあまり感じずに育った気がします。今でも衝動買いはほとんどしませんし、無駄遣いをしたいという欲求もあまりありません。不思議なことですが、「欲しいと思えば買える」という安心感があるほうが、かえって物欲は落ち着くのかもしれません。そして何より、両親が守りたかったのは、お金ではなく時間だったのだと思います。数千円を稼ぐために何時間も使うより、その時間で勉強をしたり、本を読んだり、友達と遊んだりするほうが、子どもにとってはずっと価値がある。そんな考え方は、大人になった今だからこそよく分かるようになりました。

●良い校区・学区での子育て
「校区」や「学区」という言葉は知っていても、あまり意識したことがない人も多いかもしれません。これは、小学校・中学校・高校の通学区域を指す言葉です。地域によって呼び方が異なり、一般的には東日本では「学区」、西日本では「校区」と呼ばれることが多いそうです。
私が育った地域では、住んでいる学区によって受験できる公立高校が決まる仕組みでした。そのため両親は、育環境を重視し、市内でも1、2を争うと言われる優秀な学区を選んで子育てをしてくれました。周囲には教育熱心な家庭が多く、勉強に前向きな子どもたちが自然と集まる環境だったと思います。
では、その環境で育って一番良かったことは何だったのか。
もちろん勉強面で刺激を受けたこともあります。でも、それ以上に大きかったのは、良い友人や保護者の方々にたくさん出会えたことです。努力することを当たり前のように続ける友人が身近にたくさんいたため良い刺激をもらえました。また、保護者の方々もとても礼儀正しい方が多かった印象があります。子どものことで保護者同士が連絡を取り合う場面でも、お礼や謝罪などのやり取りがとても丁寧で、「親の姿を見て子どもは育つ」ということを実感する機会が何度もありました。
もちろん、学区だけで子どもの将来が決まるわけではありません。それでも、「孟母三遷」という言葉があるように、子どもは環境から少なからず影響を受けます。孟子の母が息子の教育のために三度引っ越したという故事は、「住む場所は、人を育てる」ということを伝えています。実際にその環境で育った私も、その考えはあながち間違いではないのかもしれない、と感じています。

●習い事合計20個以上
今は昔、林修先生が幼稚園で講演をした際、「子どもには習い事をたくさんさせたほうがいい」と話したそうです。
その言葉を真に受けた母のおかげで、私は幼少期だけで20個以上の習い事を経験しました。もちろん同時進行ではありませんが、それでもかなりの数です。ピアノ、水泳、書道、スケート、テニス、くもん……。気づけば週に3〜4個の習い事が入っているのが当たり前でした。
もちろん、楽しかったものもあれば、正直あまり好きではなかったものもあります。それでも今振り返ると、どの習い事にも、それぞれ学んだことや思い出があります。向いていなかったと分かることも、一つの収穫でした。やってみたからこそ、自分の得意・不得意や好き嫌いを知ることができたのです。子どものうちは、何か一つを極めることだけでなく、いろいろな世界を見てみることにも大きな価値があります。私にとって20個以上の習い事は、そのための最高の機会でした。

●図書館通い
うちから車で15分ほどのところに図書館があり、小学生のころは母が毎週のように連れて行ってくれました。ときには私を家に置いて、母だけが図書館へ行き、紙袋いっぱいに本を借りて帰ってくることも。そのおかげで、子どものころは本当によく本を読みました。
今振り返っても、図書館は「無料で使える最強の知的インフラ」だと思っています。小説も、図鑑も、伝記も、歴史も、興味を持ったものは何でも手に取ることができる。本屋ではためらってしまうような本でも、図書館なら気軽に借りられます。子どもの好奇心は何に向くか分かりません。だからこそ、幅広い本に自由に触れられる環境は、とても贅沢だったのだと思います。
世界には「人類の記憶」とも呼ばれる大英図書館があります。そう考えると、図書館とは単に本を貸してくれる場所ではなく、人類が積み重ねてきた知識や物語に、誰でも無料でアクセスできる場所なのかもしれません。

●教育費をケチらない
うちの両親は、「子どものためのことには惜しまずお金をかける」という方針でした。そのおかげで、教育環境の良い学区に住み、たくさんの習い事を経験し、塾にも通わせてもらいました。進学先も、私立か公立かを問わず、私自身が納得できる道を選ばせてもらいました。経済学では、教育への投資は長期的なリターンが最も高い投資の一つだと言われています。
でも、うちの両親はそんな理屈で教育費を使っていたわけではないと思います。ただ、「子どもにできるだけ多くの経験をさせたい」「可能性を狭めたくない」。そんな思いで動いていただけだったのでしょう。その結果、私はたくさんの経験を積み、自分の好きなことを見つけ、多くの選択肢を持って大人になることができました。教育への投資は、テストの点数や進学先だけでは測れません。子どもの世界を広げ、将来の選択肢を増やしてくれることこそ、本当の価値なのだと思います。

●「勉強しなさい」と言わない
これも父の教育方針でした。父は、私に一度も「勉強しなさい」と言ったことがありません。
「勉強しなさい」と言われた瞬間、急にやる気がなくなることってありませんか。「はい、やめたー」ってなりますよね。言われなかったからこそ、「まあ、やらないといけないよな」と、自分の意思で勉強していました。もちろん、ものすごく勉強熱心だったわけではありません。でも、最低限やるべきことは、自分で考えてやっていたと思います。
心理学では、自律性を尊重されると内発的動機づけが高まりやすいと言われています。難しく言えばそういうことですが、私の実感としては、「放っておかれると、案外やる」ということです。もちろん、この方法がすべての子どもに当てはまるとは思いません。実際、うちの兄弟にはほとんど勉強しなかった子もいました。子育てに正解はありません。それでも私は、勉強を無理に強要されなかったことに感謝しています。
子ども時代にしかできない経験があります。友達と外で暗くなるまで遊ぶこと。意味もなく笑い転げること。夢中になって何かに熱中すること。そういう時間は、大人になってからお金を払っても取り戻せません。だって子ども時代は、そのときしかないんだから。父はきっと、そのことを分かっていたのだと思います。

そして最近じわじわ実感していることがあります。
今は平成レトロブームで、あの頃の音楽やゲーム、アニメなどを目にする機会が増えました。そのたびに、同世代と「懐かしい!」「それ知ってる!」と盛り上がれる瞬間があります。小学生のころはDSやWiiでマリオやどう森、トモコレをして、中学生ではミクチャの双子ダンスに青春を捧げ、高校ではTikTokが生活の一部でした。だからこそ、「あの時代をちゃんと生きていた」という感覚があります。
もちろん、勉強は大切です。でも、勉強だけをして過ごした友人が「それ知らない」と話しているのを聞くと、少しもったいないなと思うことがあります。受験のために覚えた知識は、いつか忘れてしまうかもしれません。それでも、友達と一緒に笑った流行語や、夢中になったゲーム、みんなで歌った音楽といった、その時代を象徴する文化は、不思議とずっと記憶に残り続けます。
子ども時代は、将来のためだけにある時間ではありません。その時代にしかない流行や文化を楽しみ、同世代と同じ景色を見て、同じ思い出をつくることにも、大きな価値があると思います。Let it be。子どもには、その時代をちゃんと生きてほしい。

●宗教教育
私は浄土真宗の高校に通っていました。とはいえ、うちは特定の宗教の信者ではありません。母は「日本人に宗教教育は必要」という考えの持ち主でした。自身も仏教系の高校に通っていた経験があり、その影響もあって私も同じような環境に入れてくれました。
なぜ宗教教育が必要なのか。
日本人は世界的に見てもかなり特殊です。「無宗教です」と答える人が大多数なのに、初詣に行き、クリスマスを祝い、葬儀は仏式で行います。特定の宗教を信仰しているわけではありませんが、宗教的な文化の中で暮らしています。一方で、「宗教とは何か」「死とは何か」「なぜ人を傷つけてはいけないのか」といった問いを体系的に考える機会は、学校教育の中にほとんどありません。その空白を埋めてくれるのが宗教教育だと私は思っています。言い換えれば、答えのない問いと向き合う練習なのかもしれません。
哲学者カントは「人はなぜ道徳的であるべきか」を生涯かけて考え続けました。宗教は、その問いに対して人類が何千年もかけて積み上げてきた一つの答えでもあります。だから私は、宗教を学ぶことは信者になることではなく、人類の知恵の蓄積に触れることなのだと思っています。

浄土真宗の教えの中で、今でも一番心に残っているのが「ご縁」という考え方です。
ご縁とは、単なる「出会い」を意味するものではありません。仏教では、あらゆる物事は無数の因と縁が重なり合って初めて生まれると考えられています。今ここに自分がいること、誰かと出会うこと、何かが起こること——それらはすべて、数え切れないほどの偶然が積み重なった結果なのです。
そして私は、この考え方はメンタルにもとても優しいと思っています。何かがうまくいかなかったとき、「ご縁がなかったのだ」と考えると、不思議と気持ちが軽くなります。受験に落ちても、就職活動で思うような結果にならなくても、失恋をしても——もし本当にご縁がある相手や場所だったなら、そうなっていたはずです。そうならなかったということは、単にご縁がなかっただけなのだ、と受け止めることができます。
もちろん、この考え方は「努力しなくてもいい」という言い訳にもなりかねません。そこは、自分なりにバランスを取ることが大切だと思います。宗教というと身構えてしまう人もいるかもしれません。しかし、少なくとも私が受けた仏教教育は、人生に迷ったときにふと思い出せる考え方をたくさん与えてくれました。無宗教であっても、こうした教育に触れる機会はあって損はないと私は思っています。

●東進衛星予備校
この塾について詳しくは別の記事で書いていますが、私は完全に東進衛星予備校信者です。高校3年間、お世話になりました。
一流の講師陣、質の高い映像授業、一人ひとりに合わせた学習カリキュラム――私にとっては、どれを取っても最高の塾でした。ただし、東進は向き不向きがはっきり分かれる塾でもあります。他の塾と違う大きな特徴は、自分のペースで学習を進められること。その反面、自主性がないと、受講ページがいつまでも更新されないまま、お金だけが消えていく……という地獄を見ることになります。逆に言えば、自分で学習を進められる人にとっては、一流講師の授業をいつでも、どこでも受けられる最高の環境です。
余談ですが、私は高校の授業をほぼ完全に捨てて、東進に全振りしていました。授業中は東進のテキストを復習し、学校を早退して東進へ行くこともしょっちゅうでした。当然、先生には何度も怒られました。成績上位クラスにいたにもかかわらず、「授業を聞かないなら下のクラスへ移りなさい」と言われ、三者面談まで設定される始末でした。それでも両親は私の味方をしてくれました。そのおかげで東進中心の生活を貫くことができ、結果として第一志望校に合格することができました。

△うーんな教育
※以下個人の見解です。
●好きでもないスポーツを続けさせる
これは私ではなく、弟の話。
弟は長男だったこともあってか、父の期待が大きく、小学校から中学校まで柔道を続けさせられていました。でも本人は柔道が全然好きではなく、本当は野球をやりたかったそうです。結局、中学校では念願だった野球部に入りました。しかし、小学生の頃から野球を続けてきた子たちとの差は大きく、あれほど好きだったスポーツなのに試合にもなかなか出られませんでした。見ていて本当にかわいそうでした。そんな弟を見ながら、母がよく言っていた言葉があります。
「親がやってほしいスポーツをさせることが、その子の幸せなのか。」
野球一家なら子どもも野球、柔道一家なら子どもも柔道。そういう家庭は決して珍しくありません。親からすれば、自分が経験者なので教えやすいですし、一緒に楽しめます。応援にも熱が入るでしょう。その気持ちはよく分かります。でも、子どもは一人ひとり違います。得意なことも、好きなことも、やりたいことも同じではありません。親がやらせたいことと、子どもが本当にやりたいこと。その間にあるギャップを、子どもは口に出せないまま飲み込んでしまうことがあります。子どもを親の第二の人生の舞台にしてしまうと、その子自身の可能性を狭めてしまうかもしれません。弟を見ていて、私はそう強く感じました。

●自分流の勉強
こちらに関しては教育方針や親は関係ないが、いまいちだったなと思うこと。中学生のころ、よく本屋で難関校向けの問題集を買って解いていました。全国の超難関高校の入試問題がたくさん載っているような問題集です。気に入ったものは3〜4周したと思います。結果、高校受験で不合格。同じころ、NHKラジオの『基礎英語』も自主的に始めました。中学3年間、毎朝続けました。……とはいえ、朝6時起床は眠すぎました。早起きの習慣は身につきましたが、基礎英語の時間は机に突っ伏して寝ていた記憶しかありません。英語力にどれだけ効果があったのかは、正直よく分かりません。
この二つに共通しているのは、どちらも「自分で考えた勉強法」だったということです。もちろん、自分が興味を持ったことを自主的に学ぶのはとても良いことですし、そのほうが効率的な場合もあります。ただ、受験という目的があるなら、勉強法まで自分で考えるより、プロに任せたほうが早いと私は思います。
振り返ると、私を第一志望合格へ導いてくれた東進では、まず先生がその生徒に合った講座や学習計画を決めてくれました。何十人、何百人もの受験生を見てきたプロが「今のあなたにはこれが必要です」と判断してくれるので、無駄がありません。自分の現在地や、本当に足りないものを、自分自身で正確に把握するのは案外難しいものです。だからこそ、受験勉強では「何を勉強するか」まで含めて、プロを頼る価値があるのだと思います。

★番外編:英語教育
私は幼いころから一度も英語教室に通ったことがありません。それでも、帰国子女が多い学部に合格し、大学では授業のほとんどが英語でした。TOEICも900点前後で、英語は得意な科目です。
私がやったことは、たった3つ。歌、映画、そして音読です。
海外のアニメ好きな人が、日本のアニメを見続けるうちに自然と日本語を覚えてしまうことがあります。それと同じように、私は好きな洋楽や映画を何度も繰り返し聞いて、歌詞やセリフを丸ごと覚えていきました。洋楽は、テイラー・スウィフト、アリアナ・グランデ、エド・シーランなど、ジャンルを問わず何でも聴いていました。映画では『007』シリーズが大好きで、全作品を2〜3周は見ています。『オーシャンズ』シリーズも大好きで、とくに『オーシャンズ8』は見すぎて、今でもセリフを言えるくらいです。
そして高校時代は、何があっても毎日1時間、東進のテキストを音読していました。人から教わって身につく言語と、ひたすら浴びることで身につく言語があるとしたら、私は完全に後者のタイプだったのだと思います。
まとめ
以上が、私の教育歴レビューです。こうして振り返ってみると、自由に挑戦させ、やりたいことを尊重してくれた両親には本当に感謝しています。あざす!

