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『僕は馬超。』 ──96時間の記録

▪️はじめに


2025年5月10日、このnoteを書き始めました。書き上がるのは、いつになるのかわかりません。書くのも、見せるのも勇気が必要です。それでも私は、馬超のことを書きます。

このお話は、8年間を共に過ごした私たちと馬超の最期を記録したものです。どれだけ馬超を愛していても、その匂いを、手触りを、日常生活の中で少しずつ忘れてしまう。私たちがこの出来事を一生忘れないために、ここに写真と言葉で残します。

今回のnoteは、猫や動物と暮らしている方や、過去に大切な人を亡くした方には、辛い内容になるかもしれません。また、一部ショッキングな写真も含まれています。辛くなってしまう方は、どうかここでnoteを閉じてください。

これは、我が家という小さな単位の世界でおこった、大きな出来事です。


第1章:馬超という猫


▪️馬超(ばちょう)
2016年7月26日生まれ。ラガマフィンという大型長毛種。名前の由来は三国志に登場する蜀の五虎大将軍「馬超」から。呼び名の変遷は、ばち、ばちこん、ばちょのすけ、ばちょのしん、チー侍、ちーざむ、最後は「ちーちゃん」と「馬超」で落ち着く。

わたしたちは、馬超という猫と一緒に暮らしていました。唯我独尊、わがままで誇り高く、反面超絶甘えたのツンデレ系。自然を愛し、風情がわかる猫。わたしたちは人間で、馬超は猫。種族は違えど、コミュニケーションロスはほぼ無かった。特にビア子さんとは相思相愛で、私はいつも2番手。大きな病気もせず、スクスクと育ちました。7.5キロの大きな猫で、小型犬と間違えられることもしばしば。

第2章:ビア子さんと馬超


ビア子さんにとって、馬超はナウシカとテトみたいな、まさに相棒。長年寄り添った恋人や夫婦の関係性を一言で説明できないように、2人の関係を説明するのはけっこう難しい。その多くはビア子さんと馬超で秘密裏に共有していたものも多く、言葉では伝えきれないので、私視点で3つ代表的なエピソードをご紹介します。

【夕涼み】
ビア子さんのひとり晩酌が盛り上がると、決まってテラスに移動して月見会がはじまる。馬超も、必ずそこに同行した。庭と空を見渡せるお気に入りの席から、ふたり並んで月を見上げる時間──それは馬超にとっても、この上なく幸せなひとときだった

【オリジナルソング】
ビア子さんが作った、おやつタイムのオリジナルソング。「おやつタイム、おやーつタイム🎶」と歌うと、馬超とムーは尻尾をピンと立てて、横並びでキッチンからソファまでパレードするのがいつもの光景。また、ビア子さんによる猫のヘッドマッサージ『ねこねこマッサージ』にもテーマソングがあり「ねーこねーこマッサージ🎵」と歌いながらマッサージをすると、馬超はとろけてしまって大変。

アスカ道】
ある日突然ビア子さんが「庭に小道を作る」といい、無計画に砂とレンガを買ってきた。庭の片隅で一人で道を作り始める様子を、馬超はテラスから見守っている。2時間後、ガタガタのそれっぽいレンガの小道ができた時、おもむろに馬超が近づき「おや、なかなかいい道ができましたね」と言わんばかりに、小道を歩く。ビア子さんにとって一番嬉しいことは、この小道の良さに共感し、実際に通ってもらうことだった。馬超は、ビア子さんが一番嬉しいことをいつだって実行する、そんな男。

他にも、2人のエピソードは枚挙にいとまがないのだが、この8年間とにかく馬超はずっとビア子さんのそばにいた。二人で室内に侵入した蝉に立ち向かったり、荒れ狂う窓の外の嵐を肩を寄せ合ってみていた。毎朝あの手この手でしつこく起こしにくる攻防戦や、ドアをノックして家に入る仕組みも、馬超とビア子さんだから成立したことだった。

2人だけのルールやコミュニケーションは無数にあり、いつもそれを横から面白く見ていました。同時に、その絆の深さを知っているからこそ、どちらかがいなくなった未来を想像することは、何よりも怖かった。

ビア子さんは馬超に甘え、馬超もまたビア子さんに全てを捧げていました。

第3章:ムー大陸がやってきた


馬超はいくつかの壁を乗り越えてきましたが、中でも最大の試練は、ある日突然やってきた、もう1匹の猫、ムー大陸を迎えたことでした。

我が家にムーがやってきたのは2022年の秋。それまで一人っ子として唯我独尊、悠々自適に過ごしていた馬超の生活は一変しました。当時、この状況を受け入れられなかった馬超はムーを遠ざけ、ビア子のベッドルームには断固として入れまいと拒否。

それでも、ムーは馬超のことが誰よりも大好きだった。後ろをついて回ってはちょっかいを出すので、馬超はいつも不機嫌だった。だけど、ある時から次第に馬超はムーを受け入れ始める。気がつけば、ベッドで一緒に眠ることを許し、お気に入りのソファでムーと寛ぐようになった。最後のところでは器の大きい優しい男、それが馬超なのです。

第4章:季節はめぐる


この家は、猫2匹がいる日常が当たり前。田んぼと畑に囲まれたポツンと一軒家は、庭の草木、虫や鳥も賑やかで、季節の変化がよく見える。5月にはカエルの合唱がはじまり、田んぼに水が張られると、ウユニ塩湖みたいに生駒山を映す。いいことばかりじゃない、ムカデはやってくるし、夏の庭の草刈りは大変だ。稲が頭を垂れる頃、我が家のテラスは最高の特等席になる。寒い季節が訪れると、焚き火をしたり、猫たちとくっついて眠る。

季節は、めぐる。

この小さな家で、
わたしたちも、
馬超も、ムーも、
歳を重ねる。

第5章:馬超、96時間の記録


ここからは、5月8日から12日までの4日間を、当時スマホのメモに残していた記録をもとに綴っていきます。

|5月8日(木)晴れ|

13:00から、週に一度のなないろサーカス団の団員たちが我が家で創作活動をする日。いつものように馬超は適度な距離を置いて、のんびり過ごしていた。15:00ごろにみんなが帰り、わたしはデスクで仕事をしていると、突然ビア子さんが声をあげた。

「馬超、どうしたの?!」
「ちーちゃんの様子がおかしい!」

⚪︎16:10
馬超の後脚が、思うように動かない。バタバタと必死でバランスをとろうとするが後ろ足に力が入らず、玄関で倒れる。こんな馬超は見たことがない。しんどそうに、口を開けて呼吸をする馬超。

「すぐに病院へいこう」

かかりつけの動物病院は今日は休診日。隣町の動物病院へ電話し、症状を説明。営業時間前だが「すぐに運んでください」と受け入れてくれた。馬超をケージに入れ、ビア子さんと車に乗り込む。動物病院までの20分の道のりが、とても長く感じる。馬超の息が荒い。信号で止まるたびに「どうか1秒でも早く」と願う。

⚪︎16:40
病院に到着後、すぐに先生が対応してくださった。レントゲンをとり酸素室へ移された。これまでの人生でもピンチな場面は何度もあったが、土壇場でなんとかしてきた。きっと、今回もそうだろうと思った。最悪入院もあるかもしれないけど、先生から安堵の言葉が聞けるはずだ。

しばらくすると診察室に呼ばれ、先生から病状の説明があった。診断結果は心筋症による血栓、肺水腫も併発している、とのこと。そして、最後にはっきりとこう言った。

「今夜が山になるかもしれません。」

同時に、海外では安楽死を選択することもあると伝えられた。ただ、可能なかぎりの治療を行う方法を提案してくださった。一通り先生の説明が終わると、ビア子さんは立っていられなくなり、待合室のソファで横になった。

先生の説明では、営業時間ギリギリの20:00まで、診療室の片隅にある酸素ケージに入る馬超のそばで付きそうことが可能とのこと。私たちは、その時間まで治療の状況を見守ることになった。途中、先生が1枚の紙を持ってきた。心肺停止した場合、蘇生を試みるかどうかの意思表明の紙だ。説明を聞いた上で、わたしは「蘇生しない」にサインをした。

馬超はまだ8歳だ。最低でも、あと7年は一緒に過ごす予定なのに、今ここで飛び交っている言葉、やりとりは一体何だ??これは現実なのか?

うそ、うそ、うそ。

⚪︎20:00
先生は精一杯の治療を施してくださり、レントゲンを見ると肺水腫がいくらかマシになっていた。治る見込みが少しでもあるなら、それを信じたい。この日は、引き続き治療に専念していただくお願いをして、後ろ髪を引かれながら病院を出た。何とか今夜を乗り越えてほしいと願う。

「何かあれば深夜でも電話をします。」とおっしゃったので、スマホが片時も手放せない。

⚪︎20:45

帰宅後しばらくして、ビア子さんが呟いた。

「どうして生きていこう、どうしよう、どうしよう。」

未来のビア子さんの人生計画のすべてに、馬超がいた。彼女にとって馬超を失うことは、生きていく理由の大きな一つがなくなることと同義だ。今できることは、信じて待つことしかない。眠れないので、深夜に近所の神社へ行った。過去、こんなにも深く祈ったことはない、というくらい何度もお願いをした。

「何でもしますから、どうか馬超の命を助けてください。」

何度もスマホを確認しては、着信が入っていないことに安心して目を閉じる。どうか、馬超の体調が改善していますように。

|5月9日(金)雨|

⚪︎9:00
病院からの着信は朝まで入ることはなかった。馬超は夜を超えたんだ。もしかすると希望が繋がったのかもしれない。9:00ちょうど、動物病院がひらく時間に、ビア子さんが病院に駆けつける。仕事をしていた私は、もう馬超のことしか考えられない。途中、スマホを確認するとビア子さんから一言LINEが入っていた。

「来れそうだったら早く来てね」

この時、馬超の命があと少しであることを悟った。

⚪︎10:00
仕事を終え、動物病院でビア子さんと合流。酸素ボックスに入る馬超は、体調が改善されているようには見えなかった。少しだけ酸素ボックスを開いてもいいとのことだったので、馬超の手を握った。

死が近づいていることがわかる。私は泣き崩れてしまった。馬超が必死に戦っている姿に、色んな感情がごちゃまぜになり、心のキャパを超えてしまった。見ればわかる、馬超はもうすぐ逝くんだ。一番見たくなかった景色が、ここにある。猫の突然死の話は聞いていたけど、馬超にそれが降りかかる。

その後、先生から「今日で亡くなる可能性が高い」と告げられた。同時に、安楽死の選択もあることも、そっと伝えられた。馬超がビア子さんを見る目は「生きよう」としているようにしか見えない。

⚪︎10:30
ビア子さんが、馬超のまわりにただよう死の気配を「あっちいけ」とふり払う。死なせてたまるか、馬超を。

「来ないで、来ないで」

酸素室に手を入れて、ビア子さんが馬超をさする。「おやつタイム、おやーつタイム🎵」。馬超の気持ちが少しでも柔らかくなりますように。

⚪︎11:45
ビア子さんがねこねこマッサージの歌を歌いながら、馬超の頭を優しくなでる。そして、こう言った。

「馬超、もうがんばらなくていいよ。もう十分だよ、ありがとう。」

ビア子さんの問いかけに、馬超が「うん」と頷いたように見えた。わたしには、2人が会話しているようにしか見えない。体制を変え、少しでも楽な姿勢を取ろうとする馬超。すると、馬超は大きく「にゃーーーーー」と鳴いた。しんどいんだ…苦しいんだ。

馬超、馬超、馬超!!

祈りなのか、叫びなのか、励ましなのか、わからない。それでも馬超の名前を呼び続けた。その直後、両手を前に投げ出して、こどもみたいなかわいい顔で馬超は動かなくなった。

「あれ?馬超動いてない?先生!先生!」

先生と看護師さんが駆けつける。急いで、先生が酸素ボックスから馬超をとりだし、ビア子さんの膝の上に置いた。そして、先生が聴診器で馬超の心音を確認する。

「動いていない、可能性が高いです…」

馬超はビア子さんのひざの上で息を引き取った。先生の誘導で診察室に移動し、心音を確認する。馬超の心臓は完全に止まっていた。

「心臓は止まっています、お亡くなりになりました。」

先生も涙を堪えているのが見える。

「聴覚はまだ残っています。きっとふたりの声は聞こえてると思います。声をかけてあげてください。」

先生はそう言い残し、部屋を出た。3人だけの小さな部屋で、わたしたちは子どものように声をあげて泣いた。馬超の亡骸を抱く。大きな、もこもこの体。

「馬超、馬超、ありがとう。愛してるよ。」
「守ってくれてありがとう。」

何度も何度も、伝えた。

しばらくして、霊安室へ移動し、綺麗にしてもらった馬超と対面。ダンボールの棺に入った馬超と、線香の匂いが充満していた。毛並みは、いつものふわふわ馬超に戻っていた。葬儀のことや、火葬までの体の保管方法について丁寧に説明してくださった。

昨日の朝、こんな明日がくるなんて想像だにしていなかった。

馬超の亡骸を、車の後部座席にのせる。後部座席には、馬超専用の特大サイズのケージを積んでいて、ここに馬超を入れて家に帰るはずだった。

しとしと雨の中、馬超を自宅に連れて帰った。先に帰っていたビア子さんが、ムーと一緒に馬超を迎えてくれた。

「おかえり馬超。お家だよ。」
「ムーちゃん、馬超が帰ってきたよ。」

ムーは、この状況が飲み込めないでいる。明らかに動揺しているのがわかる。慕っていたお兄ちゃんが、動かない。匂いが、いつもと違う。何度も、遺体が入ったダンボールを確認しにくる。

お兄ちゃんが大好きで、ウザがられてもくっつきまわってたムーにとって、つらいつらい対面の時間。

ベッドルームの温度を19度に設定し、馬超を安置した。冷蔵庫にたくさん保管してた保冷剤で、馬超のからだを冷やす。その後、ペット火葬の業者を手配した。

火葬は2日後の5月11日15時と決まった。

「ここに馬超の祭壇をつくろう」と、ベッドルームに簡易的な祭壇を作った。馬超は毎晩必ずビア子さんと眠っていたので、ここが一番安心するはず。馬超の、もふもふの毛を切らせてもらって、小さな箱にしまった。

今年も、庭にオルレアが咲いた。この花が一面に咲くと、我が家の庭は天国みたいだ。わたしたちは毎年、この時期に咲き始めるこの白い花が大好きでした。ビア子さんがオルレアを摘んで、馬超のそばに置いた。

昨夜から何も食べていないわたしたちは、スーパーで買った500円のお寿司を半分ずつ食べた。お寿司をつまみながら、大人のふりをして思い出話をしていたけど、すこし経つとまた泣きじゃくってビア子さんはこう言った。

「こんなにも、大きくてふわふわで、優しくて、人間の言葉がわかる、不思議でかわいい猫がどこにいるの?!!」

そうだね、それが死なんだ。馬超は死んでしまった。馬超の代わりはいない。わたしたちにとって、この悲しみと喪失感は過去に経験したことのないものだった。

|5月10日(土)くもり時々晴れ、雨|

⚪︎4:00
雨が止んだ。馬超のいない初めての朝。いつもなら、この時間は馬超の散歩タイムだ。散歩と言ってもテラスでゴロゴロするだけなのだが。もう、ドアをあけてあげることもないんだ。隣に目をやると馬超が横たわっている。夢じゃない。

⚪︎6:30
ビア子さんには馬超のそばにいてもらい、仕事へ向かう。いつものコンビニでコーヒーを買って、店の料理を仕込む。途中、買い出しで訪れたスーパーのペットコーナーから音楽が流れている。

「ちゅーるちゅーる、ちゃうちゅーる」

馬超の大好物のチュール。ムーはチュールを食べないから、もう買うことはないんだと思うと悲しくなる。帰宅すると、家は線香の匂い。そして千葉のお義母さんから、綺麗な花が届いていた。

⚪︎11:00 
馬超の遺影写真を選ぶ。わたしとビア子さんのカメラロールは猫でいっぱいだ。途中、馬超のかわいい写真を見つけては、話が脱線し、泣く。この繰り返しで作業が進まず、気がつくと3時間が経っていた。今日は風が強い日で、我が家のドアはぺらぺらなので、ドアの音がガタンと鳴る。馬超が家に戻る時にノックする音とちょうど同じくらいの音。

「来てるのかな?馬超」

ビア子さんが写真を10枚ほどL版プリントして、壁に飾った。馬超でいっぱいで嬉しくなる。

⚪︎15:00
私用のため家を出るも、道中も泣いてばかりいる。17時に帰宅して、スーパーで明日の買い出し。棺に入れる花も買った。馬超に似た黄色の花。今日も朝から何も食べてない。食欲はないけど、野菜の鍋を食べた。もう馬超のことしか考えられないよ。

18:30
ビア子さんが「やっぱり最後に馬超と夕涼みをしたい」と言って、馬超をテラスへ連れていった。馬超とビア子さんが、一番大好きだった時間。2人にしかわかりあえない、特別な空間。空を見上げると、満月じゃないけど馬超みたいにまんまるな月。

21:00
馬超の棺にいれる手紙を書く。どんな言葉でも足りない。馬超と過ごす最後の夜は、ベッドルームをホームスターで星でいっぱいにした。馬超と旅することはできなかったけど、自宅にテラスと庭を作っていて本当によかった。馬超と一緒に、星や月を見れたから。

|5月11日(日)晴れ|火葬

⚪︎4:30
ムーが部屋に来る音で、目が醒めた。馬超の体はきれいなままで、触れるとまだフワフワだ。朝から馬超の過去動画を見る。私が一眼で撮る馬超はいつもムスっとしてるのに、ビア子さんがスマホで撮った写真はゆるゆる馬超。今日は、気持ちのいいくらいの晴天。

⚪︎11:00
帰宅すると、馬超の遺影写真が額装されていた。馬超の体と一緒にいられるのは、あと1時間ちょっと。ムーが、馬超お気に入りの椅子に座っている。

ムーちゃん、今日で馬超とさよならだよ。

⚪︎13:30
馬超が大好きだったこの家。出発する直前に、庭で写真を撮った。ここは以前、馬超とビア子さんの記念写真を撮った場所。これから毎年、ここで記念写真を撮ろうと決めていたのに。少し回り道をして、山側のルートを通ることにした。馬超と最後のドライブ。信貴山につながる道路から、私たちの街を見下ろすことができる。

「馬超、見える?ここからの景色を見せたかってん。」

⚪︎14:45
火葬場に到着。当初はお寺の敷地内で火葬する予定でしたが、到着直前に葬儀屋さんから電話が鳴る。

「車のファンベルトが故障し、車が動かせなくなってしまいました。お寺ではなく、第二駐車場での火葬になりますのでご了承ください。」

お寺の敷地内で火葬してもらいたかったけど、車の故障なら仕方ない。第二駐車場へ到着すると軽バンが止まっていて、そばにいた男性が話しかけてきた。

「すごい大きな猫ちゃんですねえ!」

その後、おもむろに差し出したパンフレットと共に、イオンポイントが加算されるとの説明を受けた。(イオン経由で葬儀を申し込んだため。)悲しみに暮れナイーブになっていたところに、唐突なイオンポイントとファンベルト故障。いい意味で、力が抜け、緊張が解けた気がする。おじさんよ、ありがとう。

棺から馬超を出し、馬超の体に花や手紙、チュールを置いた。この重みを感じるのは本当に最後。ビア子さんが馬超のお腹に顔をうずめる。ビア子さんは酔っ払った時、いつも馬超にうざがらみしていた。その時は決まって「ちーちゃーーーん」と言いながら、こんな風にお腹に顔を埋めてたいた。

最後のお別れだよ。

焼却炉の扉が閉められ、ビア子さんの袖には馬超の毛が残った。

小さな煙突から火柱があがる。軽バンに乗せた発電機の音が、駐車場に響く。火葬が終わるまで45分かかるため、近所を散歩した。途中、亀を発見したビア子さんが「亀なら死なないでくれるかな?」とボソっと呟いた。「亀は寿命が長いからずっと一緒にいられるかもね」と答えた。

第二駐車場に戻り軽バンに近づくと、馬超はすっかり骨になっていた。

「大型猫だから骨も大きく、骨壷は特大サイズですね!」

と、いきいきと語る陽気なおじさん。不思議と全く嫌な気持ちにならないのは、彼には動物への愛があったからだと思う。骨をひとつずつ拾って、骨壷へ入れる。

「あ、これ爪ですね。」
なかなか切らせてくれなかった、あの愛しい爪だ。

「これは歯です。」
いつもおねだりするときに甘噛みしてた、あの歯だ。

骨すらかわいいやんか、馬超。悲しさよりも、漠然とした足りなさみたいなものでいっぱいになる。馬超の体にもう触れることができない。

⚪︎16:30
自宅に戻り、馬超の祭壇に骨壷を置いた。これから私たちは、「馬超という猫を飼っていたんです。」と誰かに話すんだ。馬超が、過去の猫になるのが本当に嫌だ。馬超がいなくなった家は、やっぱりがらんとしている。足りない、足りないよ。馬超はこの家の重力。

⚪︎17:30
夕食と、明日の食材を買いに行く。家に戻るとムーが足元にスリスリしてくれる。「よしよし」と頭をなでる。大好きだよ、ムー。朝から何も食べれてないので、2日連続の鍋。夜になると雨が降り始め、泥のように眠った。

|5月12日(月) 雨|

⚪︎6:45
肌寒い朝。馬超の祭壇に「おはよう、いってきます」新しいルーティーン。ビア子さんはまだ、仕事にむかう力がないけど、朝に仕事を手伝ってくれた。少しずつ、少しずつでいい。慣れていこう。出かける時にムーが近寄ってきた。これからは馬超の分まで、ムーを幸せにすると心に決めた。

⚪︎12:30
Tさんが、大きな花を持って線香をあげにきてれた。Tさんは、私の自宅で共に仕事をしていたので、ずっと馬超に片思いだった。(Tさん曰く下僕だったらしい)馬超の祭壇に手を合わせ、涙を流してくれた。ビア子さんはTさんの好物のおでんを朝から仕込んでいた。おでんを囲みながら馬超の話と、これからの仕事の話をした。

⚪︎13:00
ビア子さんが新しいムーのおもちゃを買ってきた。この2日間、不安でロフトスペースにいることが多かったムーが、リビングでごろごろするようになった。ムーも、少しずつ馬超のいない暮らしに慣れ始めている。

馬超のいない世界が、動き出す。

少しずつ、一歩ずつ。


▪️あとがき

このnoteは、馬超を愛し、最後を看取った、わたしたち家族の個人的な出来事の記録です。

私は、記憶を目に焼き付けることができません。どうしても、徐々に薄れてしまう。記憶は、時間と共に霞み、時に感情によって補正されてしまう。写真は、事実だけが残る。馬超の体の模様がどんなだったか、どんな最期を迎え、わたしたちがどれほど馬超を愛していたか。ずっと忘れないために、私の責任において写真を撮りました。

使い古された言葉だけど、日々の尊さは失ってはじめて気づきます。遠くに旅行にいけなくても、高いお寿司を食べられなくても、馬超がいた日々は幸せだった。

仕事の成果が出た、いい写真が撮れた。それらすべての幸せや喜びは、馬超がいる前提にある。馬超がいないと、幸せは100にならない。きっとこれから先も、馬超の分少しだけ足りないのだと思う。逆にいうと、彼がいた8年間こそが100の幸せだったんだ。

馬超は死んだ。馬超と死、最も遠ざけたかったふたつの言葉が重なった。この事実を受け止めて、馬超をからだの中に取り込んで、わたしたちは生きていく。

このソファのへっこみは馬超の重み。馬超の重みを、私たちは忘れない。

|日常は続く|

6月16日

馬超がなくなって約1ヶ月、新しい日常にも慣れてきた。「ああ、薄情だなあ俺」と思う日々ですが、美しいものや楽しいことを素直に受け止められるようになりました。そして、わたしたちは自宅を開く取り組み、私設図書館「fog books」をはじめました。

馬超の代わりはいないけど、わたしたちは前に進むよ。

馬超といたこの家をひらくことで、信じられないくらい多くの方に、我が家のことを知ってもらえるようになりました。そして、新しい繋がりや優しい気持ちの循環が生まれ始めています。

「この家にくると、初めてな感じがしないんです。」

と言っていただけるのは、馬超がこの家にいたからだと思う。この家は、馬超に守られているからきっと大丈夫。いまでは、弟のムー大陸が大活躍で、店主の座を奪われそうです。

こどもがいない私たちに、子育てをさせてくれた馬超。

毎年、庭のオルレアが咲くと、馬超を思い出すよ。一生きみのことを忘れることはありません。また別の形で、もう一度会おうね。

その時は、お互いに鳥になってるといいね!

『僕は馬超、誇り高き猫。』

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