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論語でつぶやきno.98    賢を見ては斉しからんことを思い、不賢を見ては内に自ら省みる

「賢を見ては斉しからんことを思い、不賢を見ては内に自ら省みる」

Geminiの解説は以下の通り。
賢を見ては斉しからんことを思い(けんをみてはひとしからんことをおもい): 知恵があり、徳のある賢人(自分より優れていると思う人)を見たら、その人のようになろうと見習い、自分も同じレベルに達したいと心の中で思う。

不賢を見ては内に自ら省みる(ふけんをみてはうちにみずからかえりみる): 知恵がなく、徳のない人(自分より劣っていると思う人、あるいは良くない行いをする人)を見たら、自分の内面を振り返り、自分にも同じような欠点や問題点がないかどうかを反省する。

より詳しく解釈すると:

  • 賢(けん): 知恵があり、才能があり、道徳的にも優れていると認められる人物。

  • 斉しからん(ひとしからん): 同じようになりたい、肩を並べたい、追いつきたいという願望。

  • 不賢(ふけん): 知恵がなく、愚かである、道徳的に劣っていると見なされる人物、または良くない行いや過ちを犯す人。

  • 内(うち): 自分の心の中、内面。

  • 自ら省みる(みずからかえりみる): 自分の言動や考え方を振り返って反省すること。

つまり、この言葉は、良い手本となる人からは積極的に学び、自分を高めようと努力する一方で、良くない例となる人を見たときには、それを他山の石として、自分自身の内面を深く反省し、同じ過ちを犯さないように戒めるという、二つの方向からの学びの姿勢を示しています。

孔子は、他人を鏡として、良い面も悪い面も自分の成長の糧とすることを説いたのです。優れた人を見て憧れ、努力する向上心と、そうでない人を見て自分の欠点に気づき、改めようとする謙虚さ、その両方が自己成長には不可欠であると教えています。

現代においても、この教えは非常に重要です。身近なロールモデルから学ぶこと、そして、他者の失敗や問題点から教訓を得て、自分自身の行動をより良くしていくことは、私たちが成長し続けるために欠かせない姿勢と言えるでしょう。

以上がGeminiの解説。
孔子は、「賢」を見ては、と言っているが、賢なる人とは言っていない。なので、人物そのものを見て学ぶと言うことではないのではないか?
不賢も同じく、不賢なる人ではなく、その人の不賢な行動を見たときは、と言う方が正しいのではないか?

いい人、悪い人と2グループに分けられると孔子は言っているのだろうか?
参考にしようと思ったとき、では具体的には自分はどうだったのかと考えると、賢なる行動をする人も、時には不賢な行動をすることもある。

尊敬する人たちは数々いますが、完ぺきな人はいただろうか?
これは人を見る際に、とっても大切な視点だと思う。

人をいい人と悪い人と決めつけるのは、人々を分断するための悪魔の考え方だと思うね。

AIは便利だが、知らないうちに悪魔の考え方を裏に潜めている場合があるのではないかな?

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