小説「翔べ! 古代吉備の国へ」 -桃太郎と鬼のリハビリ物語- 温羅 吉備津彦 吉備津神社 吉備津彦神社 鬼退治 桃太郎 岡山 倉敷 総社 岡山県 総社市 倉敷市 勾玉 銅剣 タイムスリップ タイムトラベル 理学療法士 リハビリ 病院
あらすじ
岡山の病院に勤務している、理学療法士と看護師の若い男女二人が、老女からもらった勾玉の不思議な力によって、古代吉備の国にタイムスリップする。
そこで桃太郎や鬼のモデルとなった人々と知り合い、友情を深めていく。桃太郎たちは、二人と一緒に、日本の歴史や現代の様子を自分の目で見ることにより、人間同士が戦うことが、いかに愚かなことであるかを悟る。
そして、桃太郎たちは、協力して吉備の国を平和的にまとめていくことを誓う。
「和」の大切さを訴え、時代を超えた友情、家族愛を胸に、若い二人の距離も近づいていく。
舘 秀樹
プロローグ
広い室内に、キーボードを叩く音だけが響いていた。十台以上のキーボードが静かなリハビリ室のBGMの役割を担っているようだ。明るく広いリハビリ室には、多くの電動昇降ベッドや、筋電図、下肢の筋力を計測する機器や身体の組成を分析する精密機器などが整然と並んでいる。
しかし、患者の姿は、ほとんどなく、部屋の隅に並んでいるパソコンに向かって、白衣を着たセラピストが黙々と電子カルテに入力していた。キーボードを操作しながら隣同士で静かに会話をする声が、時折聞こえる程度で、活気にあふれていたリハビリ室は、静寂の中にあった。
「ねえ、大ちゃん。この肘、本当に怪我をする前のように曲がるようになるの?」
「大丈夫。俺にまかしとかんかい。ん? でも中には最後までは曲がらんケースもあるけどな」
「えーっ。そんなこと言わんといてよ」
部屋の隅の電動昇降ベッドで、白衣を着た女性の腕を、療法士が動かしている。
「こればかりは、やってみんとわからん。でも、さっちゃんの折れたところは、関節よりはかなり離れているので、多分大丈夫だと思うよ。ん? まてよ…… 肘関節も脱臼していたからなぁ…」
「とにかく頼みますよ大ちゃん。いや、明神大先生!」
リハビリをしているのは、この吉備中央病院に勤務している理学療法士の明神大輔。リハビリを受けているのは、同病院の救命病棟の看護師、山上さつきだ。
さつきは、救命ヘリの専属看護師で、病院の屋上に設置されているヘリポートから飛び立ち、救急依頼を受けた患者をヘリコプターで医師と共に搬送する仕事をしている。つまり、あの一時期、テレビドラマで有名になった「コードブルー」の看護師なのである。
ところが、患者を搬送し、病院の屋上に戻った際、急いでヘリから降りようとして転倒し、上腕骨と橈骨を骨折してしまった。
その後、ヘリで搬送してきた患者と共に、救命病棟に運ばれ、緊急手術を受けたのだが、勤務している病棟に担ぎ込まれるという気まずい思いをしてしまった。このように、ちょっとおっちょこちょいのところはあるが、優秀な救命看護師である。
明神は、このさつきと幼稚園から高校まで同じという幼なじみであることから、リハビリの担当を山内技師長から命じられたのだった。
まだ、完全に治癒してはいないが、病棟の人員配置に余裕がないので、早期に仕事復帰をしているとのこと。今日は、日勤が終わってから、リハビリを受けたいので、特別に時間外に治療してもらっているらしい。
「ねえ大ちゃん、明日は休みだから、久しぶりに飲みにいかん?」
「えーっ! ダメダメ! 骨折が完全に癒合するまでは、お酒は飲まないようにって言ったやろ! お酒を飲んで再骨折した症例を二例も経験しとるからね」と、明神は伏し目がちに、再骨折させてしまった苦い経験談を話しだした。
最初の症例は、二十代の男性、下腿の骨折で、手術後、順調に経過し、体重の半分以内であれば足に体重をかけても良いくらいに回復していた。それで土日に外出許可をもらって家に帰ったのだが、その夜、友人がやって来てお酒を飲んでしまったらしい。
本人は缶酎ハイを二本飲んだだけだから酔うほどではないはずと言っているが、階段を降りる際に悪い方の足にしっかり体重をかけてしまった。
「ボキッ!」という音と共に転倒、救急車で病院に不名誉な帰還をしたのだった。当然、再手術となり、治癒したものの、退院まで通常の倍の日数がかかってしまった。
二人目は、二十代の女性。同じく外泊時に、家でお父さんとお酒を飲み、足にしっかり体重をかけてしまい再骨折。しかも、この人は、足関節に近い所を骨折していたため、後遺症が残ってしまった。関節拘縮により足首が最後まで曲がらず、普通に歩くことができなくなった。
大輔は、もっと注意をしておけば良かったと、悔いても悔やみきれなかった。
後日、外来で彼女に偶然会ったのだが、
「障害者になったので、希望していた企業に、障害者雇用枠で就職することができました。ありがとうございました」と、逆に感謝されてしまい、なんともこれが、つらい記憶として残っているのだ。
話し終わった明神の、つらそうな顔を眺めながら、
「わかった。治るまでは絶対に飲まないからね。治ったら焼き鳥おごるね」と言って、笑顔で手を振りながらリハ室を後にしたのだった。
大輔は、さつきの治療を終えた後、ベッドの横にあるノートパソコンを開き、本日のさつきのリハビリ内容を入力した。
その後、診療情報提供書のテンプレートを呼び出し、明日転院する患者のデータを電子カルテと照合しながら紹介状を作成し、プリンターに打ち出した。次に控室に行き、転院先の宛名を印刷した封筒に入れると、大きなため息をついた。
このようなパソコンへの入力作業が本当に多い。中には、何でこんなことまで記録に残しておかないといけないのか、と疑問に思うことも少なくない。
先日の病棟との送別会でも、
「パソコンに向かっている時間が多すぎるのよな。これがもっと少なくなったら、患者さんともっと向き合う時間が増えるのにな」
と、病棟の看護師と一緒に、ぼやき合ったのを思い出した。いつも最後は、
「医療訴訟や保険の不正使用が原因なのは分かっているんだけど、どうしようもないよね」
との結論のようなそうでないような締めの言葉て井戸端会議を終えるのが常だった。
明神は、そのようないつもの不満を振り払うように、大きく深呼吸をして席を立った。リハビリ室を出ると職員用階段のドアを開け、階段をみあげた。
この吉備中央病院は、吉備地方の中核病院で十二階建て七百六十床の三次救急病院である。
大輔はリハビリ室と病棟の移動には、常に階段を使用している。三階のリハビリ室から大輔の担当病棟である十二階の血液内科までは、十階分階段を上らなければならない。単純には九階分なのだが、四階にある手術室の天井が高いため、一階分多く上がらなければならないのだった。
大輔は、休日になると近隣の山に登るのを楽しみにしており、自称「低山専門登山家」と言っていた。そのため体力維持の目的で、職場での移動には階段を利用するように心がけている。それも一段とばし、調子がいい時には、二段とばしで階段を昇っていた。
職員のほとんどはエレベーターを利用しているので、階段で職員とすれ違うことは少ない。それでもたまにすれ違うと脅威の目で見られるのだった。
大輔は、階段の踊り場に書かれている「十一階」の文字を確認すると、階段室のドアを開けた。さすがに少し呼吸が乱れている。
廊下に出ると十一階西にある整形外科病棟に向かった。明日、リハビリ専門病院に転院する三宅さんに紹介状を渡すためだ。
三宅さんは、二週間前、家の中で、じゅうたんの端につまずいて転倒し、当院に救急搬送された。診察の結果、大腿骨頸部骨折と診断され、首藤先生に手術をしてもらったのだった。
無事、杖で歩けるようになったが、一人暮らしなので、近々、リハビリ専門病院に転院することになったらしい。住所が、明神の実家のある吉備津神社の近くだったこともあり、昔の吉備津周辺の町の様子や、明神の子供の頃のことをよく話してくれた。
一一〇七号室は個室で病棟の西の角にある。部屋に入ると、三宅さんは、ベッドに腰掛けて西の空を眺めていた。夕日が窓から差し込み、三宅さんの白い髪を赤く染めている。明神は、赤く染まった髪を見つめながらベッドのそばに近づいた。
「三宅さん、いよいよ明日は転院ですね。いろいろ楽しい話を聞かせてくれて、ありがとうございました。リハビリの紹介状を書いてきましたから、次の病院の先生に渡してくださいね」
三宅さんは、明神の方に顔を向けながら、深々と頭を下げながら言った。
「ありがとう。明神先生には大変お世話になりました。おかげさまで歩けるようになりました。整形外科の首藤先生にも、親身になって診ていただいて、本当に感謝しています」
三宅さんは、上品な白髪を手で整えながら、
「お世話されついでに、先生にお願いがあるのですが……」と言って、笑顔で明神の顔を見つめている。明神は、笑みを浮かべながら話の続きを促した。
「これを受け取って欲しいんです」
と言いながら、ベッドの横にある床頭台の引き出しから何やら取り出した。
「三宅さん、気持ちはありがたいけど、患者さんからは、金品を受け取れないことになっているのですよ。本当にごめんなさい。気持ちだけいただいておきますね」と言って頭を下げた。
「いえいえ、これはそんな金品ではないのですよ。ちょっと見てくれますか?」
三宅さんは、やや薄汚れた薄茶色の布袋から小さな石を取り出した。その石は、小指ほどの大きさで、海老のように少し曲がっている。色は灰色で光沢はなく、そこいらにころがっている普通の石のように見えた。
「これは勾玉なのよ。先祖からずっと受け継がれてきたものなの。でも、もう私は子供はいないので、これを託す人がいないのよ。よかったら明神先生にこれを引き継いでほしいの。明神先生は、ご実家が元神職だったし、子供の頃から知っているから信頼できるの」
明神を見つめる三宅さんの眼には、真剣な光があった。明神は、その眼から逃れるように目を伏せ、
「そんな大切なものを預かることはできません。三宅さんの御親戚の方は、いらっしゃらないのですか?」
「親戚は誰もいません。もし私が死んだら、この勾玉は、そこいらの石ころのように捨てられるでしょうね。だからお願いしているの。後生だから預かってくれない?」
三宅さんは、明神に向かって、手を合わせ、頭を下げている。数秒間の沈黙の後、
「わかりました。そういうことなら私が責任を持ってお預かりしましょう。父とも相談して、もしもっと適切に保管してもらえるところがあれば、そちらに依頼するかもしれませんが、それでもよろしいですか?」
「はい、後のことは、明神先生にお任せします。私は先生を信頼していますから……」
明神は、笑みを浮かべながら、三宅さんの横に座った。このように受け持った患者さんから信頼されることは、理学療法士冥利に尽きる。明神は、この勾玉をしっかり受け継ごうと心に誓ったのだった。
安心した表情になった三宅さんは、こんな話を始めた。
「いい伝えでは、この勾玉を日の光にかざしてみると、その中に吸い込まれ、古代吉備国の時代に行けるとのことなのよ」
と言いながら、三宅さんは勾玉を夕日にかざして見つめた。
「でもね、私は何回も太陽にかざしてみたけど、な~んにも、起こらなかったわ。ふふふ。そんなこと起こるはずは、ないけどね」
二人は並んで大笑いをした。窓の外には中国山地の特徴である、低くなだらかな山々が遠く連なっている。
山裾にまさに夕日が沈もうとしていた。二人の顔は、夕日で朱色に染まり、そこには真っ赤な髪の老人と若者がいた。これから起こることを暗示でもするような不思議な光景だった。
ステージ Ⅰ 勾玉
翌朝、大輔はベッドの中で朝の光をまぶしそうに見上げながら、昨日の勾玉のことを思い返していた。大輔の家は、JR吉備線の吉備津駅から歩いて数分の高台にある。
明神家は、明治時代まで、先祖代々この土地で、神職に携わってきたとのことで、農家でもないのに、家の敷地は、やたらと広い。といっても、大きな邸宅ではなく、古い普通の住宅だ。ただ、庭だけが、やたらと広く、山側は巨木に覆われている。
しかし、南側の庭からは、JR吉備線や吉備の中山、そして遠くは倉敷まで見通すことができ、ちょっとした展望台になっていた。
大輔は、二階の自室から、この景色を眺めるのが大好きで、天気のいい日には、窓を開け広げて、広大な吉備の平野を、よく眺めるのだった。
大輔はベッドから起き、階下に降りて朝食を済ませると、昨日、預かった勾玉を袋から出し、じっくりと観察してみた。
水滴が曲がったような形をしていて、丸い部分の真ん中に小さな穴が開けられている。色は灰色で艶がなく、ざらっとした触感である。
ーーそれにしても、何のへんてつもない石やなぁ。穴が開いているということは、ここに紐を通して、首にでもかけていたのやろか?
大輔は、引き出しの中から登山用の細引きを取り出し、穴に通して首にかけられるように長さを調整した。
ーーよし。これで落とすことは、なくなったかな? それにしても、まったく光沢がないな。汚れているのかな? 汚れが取れると違った色になるかも……
大輔は、ギター用のオイルをつけた布で、丁寧に勾玉の表面を磨きだした。すると少しずつ灰色の汚れが取れてきて、表面が緑色に変化してきたではないか。
ーーおっ! 少しきれいになったぞ。もう少し磨いてみようかな。
新たに柔らかい布に換えて、やさしく磨いていくと、今度は、緑色だった表面が透明になり、ガラスのような質感に変化してきた。薄い緑色を帯びた透明な勾玉は美しく、それはもう宝石のような輝きを放っている。
ーーこれはすごい! こんな宝石のような勾玉だったとは……
薄い緑の光を放ちながら、透き通るような透明な勾玉に変化し、大輔は声もなく、その美しさに見とれていた。朝日に当たって、きらきらと輝いている。
そして、大輔は何気なく、勾玉を目の高さに持ち上げ、朝日にかざしながら、勾玉の中を覗き込んだ。その中は薄緑色の空間が広がっていて、その宇宙のような空間の中に、大小さまざまな惑星が浮かんでいる。
大輔は、その惑星の間を飛んでいるような、なんとも心地よい感触に、うっとりとしながら、その中へ、そして奥へと沈み込んで行った。
大輔は、再び、まばゆい光を浴びて覚醒した。ふと、われに返って周りを見ると、そこは自分の部屋ではなく、土の上だった。土の上に、はだしで立っていた。
足元から視線をあげると、なんと目の前には、海が見えるではないか。日の光をきらきらと反射させながら、真っ青な海が広がっていた。
大輔は、おどろきのあまり、思わず声を出しそうになった。高ぶる気持ちを抑えながら、まばゆい光に、まぶたを狭めて見返すと、遠くに点々と島影が見えている。かすかに潮の香りもしているようだ。
ーーここは、どこなのだろう? これは、夢なのだろうか? それにしても、きれいな海だなぁ。
大輔は、心を落ち着かせるように、深呼吸をしながら左右を眺めると、大小の見慣れた岩が視界に飛び込んできた。
ーーあっ! 夫婦岩だ!
それは、子供の頃から見慣れた、大輔の庭にある岩だった。周囲の風景は違っていても、この夫婦岩は、全く同じ姿かたちで鎮座していた。
ーーここは僕の家だ。でも、どうしてこんなに風景が変わってしまったんだろう?
僕の家はどうなったんだろうと、後ろを振り返ろうとした時、
「おい! そこで何をしている!」
後ろの方から、男の野太い声が聞こえてきた。おどろいて後ろを振り返ると、不思議な服装をした小柄な男が立っていた。変な髪形をしている。
その後ろには、昔、歴史の教科書で見たような、屋根をわらで葺いた古い家が建っているではないか。床下が一メートルほど高くなっていて、丸太の柱が何本も見える。木でできた大きな高床式倉庫のような家だった。
「僕のことですか?」
「おまえに決まっとるやろが。わしの家で何をしとるんじゃ」
「えっ! わしの家って、ここは僕の家ですよ」
「何を言うか、おまえは誰じゃ、どこから来たんじゃ」
男は、眉間にしわを寄せ、腰の刀に手をかけながら、たたみかけるように聞いた。大輔は、後ずさりしながら腰の刀を見つめている。
それは、時代劇でよく見るような刀ではなく、真っすぐな剣だった。じわじわと男の殺気が漂ってきた。大輔は、頭を下げながら、震える声で言った。
「僕は明神大輔といいます。今までずっと、この家に住んでいました。本当です、信じてください」
男は、しげしげと大輔を眺めた後、わずかに表情をやわらげ、
「ミョウジンダイスケ? わしの家も明神という氏だ。同じ氏をもっているのなら、親戚かもしれんな。それに、剣や弓矢などの武器は、持っていないようだな。おかしな格好をしとるし、とにかく屋敷の中に入ってくれ。話を聞こう」
と言って、家の中に入るように言った。
大輔は、その男の前に立たされ、いわれるままに、古いわら葺屋根の家に向かって歩いた。
木でできた階段を上がって、家の中に入ると、薄暗く、湿り気を帯びた何とも言えない匂いが漂ってきた。
ーーなんだ? この匂いは、懐かしい香りだなぁ。昔のおじいちゃんやおばあちゃんがいた頃の、古い家の匂いがする。土や草、囲炉裏から出る薪などの香りが混ざって、なんだか心が癒されるような気がするな。
大輔は、気持ちが少し落ち着いてくるのを感じた。改めて家の中を見まわすと、室内は思ったよりも広く、床には藁で作ったような敷物が敷かれていた。男は、そこに座ると、大輔にも座るように言った。
大輔は、男の一メートルほど前に座ると、とりあえず頭を下げて、
「はじめまして、明神大輔と申します。急に気が付くとここに来ていました」
と、再び挨拶を繰り返した。男は黙って先を促した。
大輔は、三宅さんという老女から勾玉を預かったこと、磨いてそれを日にかざして覗いたら、ここに来ていたことなどを、詳しく離した。
男は、しきりに首をかしげながら、話を聞いていたが、
「話がよくわからんな。しかし、同じミョウジン一族かもしれん。それにしても、その衣はどこの国のものか? でぇれぇ変わった格好をしとるな。この辺の国にはない色や形をしておるな」
と言いながら、じろじろと大輔を上から下まで眺めている。
大輔は、男に近づいて服を触るように勧めると、しきりと、フリースの上着やジャージのズボンを引っ張ったり、めくったりしながら首をかしげている。
大輔は、だんだん心細くなってきた。
ーーどうしたら自分の部屋に戻ることができるのだろうか? やはり、あの勾玉を太陽にかざしたのが原因だろうか?
そういえば、三宅さんが「この勾玉を太陽にかざすと、古代にいくことができるのよ」と言っていたな。もしかして、それは本当のことなのかもしれん。とすると同じことをすれば元に戻れるんじゃないかな?
とにかく、こんなことをしていたら、どうにも話が前に進まないよな。
大輔は男に向かって話しかけた。
「外でもう一度、同じように勾玉を覗いてみますから、私がどうなるか見ていてくれませんか?」
「よし、ええじゃろ。やってみられい」
大輔は小屋の外に出て、男の見守る中、先ほどと同じように、勾玉を太陽にかざして中を覗き込んだ。
すると、やはり中は、緑色の空間になっていて、いつの間にかその空間を漂っていた。しばらくすると、前方に、まばゆいトンネルのようなものが現れ、気が付くと、いつもの自分の部屋に戻っていたのだった。
窓の外を見ると、いつもの景色がそこにあった。思わず「ふ~っ!」と安どのため息をつき、その場に座り込んでしまった。
ーー俺は夢を見ていたのだろうか?
ふと足に違和感を感じたので、足の裏を見ると、土が付いて、ざらざらしているではないか。
ーー夢ではなかったんだな。とすると、これは、どういうことなんだろうか?
大輔は、目を閉じて考え込んでいたが、ふと思いついたようにスマホを手に取った。
ステージ Ⅱ 吉備の穴海
玄関の方で、何やら音がしたと思い、居間でテレビを見ていた大輔の父は、ソファから立ちかけたが、
「こんにちは。あれ? おばちゃんは?」
「なんや、さっちゃんかいな。家内は買い物に行っとるよ」
「そうなん? これ、おじちゃんの大好きな、木島屋の『たくあんパン』と『高菜パン』を持ってきたよ」
「お~っ! いつもありがとうな。お昼に食べさせてもらうわ。大輔は二階の部屋におるよ」
「じゃぁ、ちょっと失礼します」
さつきは笑顔で、ぺこりと頭を下げると、階段を昇っていった。
さつきの家は、大輔の家の近所で、子供の頃からよく行き来をしていた。お互いの両親も、二人が一緒になってくれたらと、ひそかに相談しているのだった。
階段を上ると廊下があり、部屋が三つ並んでいる。突き当りの部屋は大輔の寝室で、中央の部屋には、机や本棚などが置かれている。一番手前の部屋は、納戸になっていて、洋服ダンスや座卓などが、整然と並んでいた。
中央の部屋をのぞくと、大輔は椅子に座って、ノートパソコンの画面を食い入るように見つめている。さつきは、そっと近づいて画面を見ながら言った。
「大ちゃんが、古代史の勉強をするなんて、珍しいね。ところで、急ぎの相談ってなに?」
振り向いた大輔は、にこりともせず、さつきの顔をみつめている。
「まったく、わけのわからないことが起こった。世にも奇妙な体験をしたんよ」
大輔は、隣の椅子に座るように、さつきをうながして、ゆっくりと話しだした。
病院で、三宅さんから勾玉を預かったこと、今朝、不思議な体験をしたことなど、勾玉を見せながら詳しく説明した。
「へえ~! この勾玉がねぇ~! きれいな緑色の石でできとるね。古代のものなら、新潟県の姫川で採掘された翡翠(ひすい)かもしれんね」
さつきは、勾玉を、いろいろな方向から観察したり、触ったりしながら首をかしげている。すると今度は目の前に持ってきて、窓の方に頭を向けようとした。
「危ない!」
大輔は、素早く勾玉を手で握ると、
「不用意に太陽にかざしたらいかんよ。大変なことになるかもしれんから……」
と言って、勾玉を机の上に、そっと置いた。さつきは、大輔の真剣な表情を、しばらく見つめていたが、
「もう一度、最初から詳しく話を聞かせて。特に、勾玉を朝日にかざした後、別の場所に立っていたところから詳しくね」
さつきは、持ってきたカバンを広げて、分厚いファイルとノートを取り出しながら言った。
「気が付くと、土の上に立っていたって言ったけど、場所はどのあたりかわかる?」
大輔は、椅子から立ち上がると、窓の近くに移動し、指をさしながら話し出した。
「庭の左隅に、大きな岩と小岩が並んでいるやろ。この岩は、夫婦岩といって、昔から言い伝えられている大切な岩なんだ。
あの時、僕が立っていたところにも、この夫婦岩があったから、場所はここだと思う。でも、景色が全然違うんだよ。目の前が、広い海になっていたんだ」
さつきは、分厚いファイルから、古い地図を取り出して眺めていたが、ふと顔をあげると、
「大ちゃん、昔、この辺りは、すぐそこまで海やったんよ。『吉備の穴海』といってね、縄文時代から古墳時代まで、南北約五十キロメートル、東西約二十キロメートルくらいの、琵琶湖くらいの大きな内海やったらしいよ」
おどろく大輔の顔を見ながら、さつきはさらに説明を続けた。
「私たちのいる吉備津という地名も、以前は港だったという説があるの。『津』という言葉には、船着き場や港という意味があるんよね」
「そうなんだ。そういえば教科書で『熟田津(にぎたつ)に 舟乗りせむと 月待てば 潮もかなひぬ 今は漕ぎ出でな』という万葉集の歌を習ったような気がする。その熟田津も、今は道後温泉の近くで、海ではないと先生が言っていたな」
「吉備津という地名になったのは、戦後の町の合併の時で、その前は真金町だったのよ。
でも、そのずっと前から吉備津神社や吉備津彦神社はあったんだから、昔、港だったという説は、私は正しいと思っているのよ。
それに近くに『上東遺跡』があるのしっているよね。ここからは、弥生時代から古墳時代を中心として営まれた、集落の跡や波止場状遺構が見つかっているのよ」
さつきは、自信満々の顔で説明をしている。
「そうそう、だから、古代の頃、ここから見える景色は、一面の海だったと思う。あそこに見える新幹線の高架橋の線路より向こうは全部海だったらしいよ。ところどころに島があるけどね。早島とか児島とかは島だったわけ」
「え~っ! そうすると、僕たちが通った医療短大がある、倉敷市の松島も島だったのかな?」
「たぶんね。倉敷医大や両子神社のある山や、短大があった小さな丘も島だったんやろね」
「ふーん、地名ってすごいね。ちゃんと意味があるんだ。最近は、市町村合併後に、変な名前になってしまった地域もあるけどね。それにしてもさっちゃん、めっちゃ詳しいね。そういえば……」
大輔は、高校時代のさつきを思い出していた。彼女は、吉備高校の「古代史研究部」の部長をしていたのだった。文化祭では、教室に古墳の模型や、さまざまな土器の写真や解説を展示していたのだが、ほとんどの人は興味がないので、この教室は素通りしていた。
ところが、運悪く間違って展示室に足を踏み入れた人もいて、そんな人を捕まえては、興味のあるなしにかかわらず、延々と古代史の説明をしていたのだった。大輔は、そんなことにならないように、展示室には近寄らないように注意していた。
そのことを思い出した大輔は、改まって背中を伸ばし、低姿勢で訪ねた。
「それはそうとして、じゃあ僕は、いつ頃の時代に行ったのでしょうか?」
さつきは、大輔の低姿勢に満足したのか、少し大きな声で得意げに答えた。
「そうよね、それがわからないとね。『吉備の穴海』があるということは、縄文時代から江戸時代までの間ということになるんだろうけど……」
さつきは、しばらく、地図を眺めながら考えていたが、ふと顔をあげると、
「大ちゃん、その時、おっさんに声をかけられたんでしょ。そのおっさんは、どんな格好をしてたか覚えてる? 衣服とか髪形とか……」
大輔は、記憶を呼び覚まそうとするように、目を瞑って考え込んでいたが、机の引き出しからコピー用紙を取り出し、何やら書き始めた。数分かけて書き上げたのは、不思議な服を着た人の絵だった。
それを一目見た途端、さつきは、「あっ!」と絶句し、大輔の顔を、まじまじと見つめた。
「大ちゃん、本当に、この絵のような恰好をしていたの?」
「そうだよ。変な恰好しているなと思ったんだ。特にズボンの膝下を紐で結ぶなんて、見たことないし、髪形も女性のヘアスタイルだったしね。どうしたの? 深刻な顔をして」
さつきは、分厚い古代史資料と書かれたノートを広げて、大輔の前に差し出した。
「大ちゃん、これは古墳時代の一般的な服装よ」
ノートには、大輔が書いた絵と同じような姿をした男性の立ち姿が描かれていた。白っぽい柔道着のような上下の衣服を着ていて、両膝の上を黒っぽい紐で縛っている。
上服はボタンではなく紐で止めるようになっていて、模様の描かれた紐で腰回りを縛っていた。手には日本刀よりは短く真っすぐな剣を持ち、何よりも特徴的なのは髪形だ。長い髪を真ん中で分け、左右丸めて止めていた。
そして、その絵の横には、さつきのまるっこい字で、詳しい説明がぎっしりと書かれていた。さつきはその絵を指さしながら、さらに説明を続けた。
「大ちゃん、古墳時代というのは、いつ頃なのか覚えてる?」
「……」
「最初から説明するね。今のところ、三世紀中頃から七世紀までを古墳時代と呼んでいるのね。その頃になると、ヤマト政権による国内の統一が少しずつ進んできて、身分や職業によって服装が異なってきたのよね」
さつきは、一番上の男性の絵を指さして言った。
「これが一般庶民の服装なんだけど、弥生時代後期の服装と、ほぼ同じなの。『貫頭衣』(かんとうい)と言って、布の中央に穴を開けたような服を着ていたの。男性はその下にズボン、女性はスカートのような『裳』(も)と呼ばれる衣服を着けて、腰紐で縛っていたらしいのよ。結構ちゃんとした服装でしょ」
「そうやね。毛皮をまとって、棒を持っている感じではないな」
「それは、石器時代でしょ! もう、何にも知らんのやから……」
「そんなことないよ、戦国時代や幕末、そして近現代史については自信があるよ」
大輔は、憤慨した顔で語った。
「とにかく、小学校時代は、親がほとんどマンガを買ってくれなかったからね。家にあるマンガといえば、親が買ってくれた「漫画日本史」のシリーズだけやったんだ。だからそればかり読んでいたんだよ。
何回も何十回も読んでいると、もう完全に内容を覚えてしまって、つまらないからお父さんに言ったんだ。『もう繰り返して読みすぎて覚えてしまった。新しい漫画を買ってよ!』そうしたら、おやじは、『そうか、それなら新しいのがいるな!』と言って、『漫画世界史』を買ってきたんだよ。これも十七巻あるからね。ひどい話やろ」
「それは失礼しました。大ちゃんのお父さんも歴史好きやもんね」
大輔は、再びノートに描かれている絵を見ながら質問した。
「この服は、どんな素材でできていたのかな?」
「布の素材は、古くから麻が使われていたんだけど、この頃になると、大陸から蚕による養蚕の技術や機織り機が伝わってきたので、目の細かな布が作られるようになったのね。
それに布の色も、藍や木染めなどで様々な色が用いられるようになったみたいよ。この女性の服も結構おしゃれでしょ」
さつきは、さらに下に描かれている男女の絵を示して続けた。
「これは身分の高い人々の服装なの。一般の人々とは違うでしょ。男性は、上下が分かれていて、上着は『衣』(きぬ)という筒状の長袖シャツのような感じで、胸と脇の所を襟紐で結びとめていたみたい。
ズボンは『袴』(はかま)と呼ばれていて、上着と共に腰紐を巻いて止めていたの。大ちゃんが、ズボンの膝下を紐で縛っていたというのは『脚結』(あゆい)という紐なのよ。この日もで縛ることで、動き易くなるように工夫していたみたいよ」
「なるほど。登山の時に使っているスパッツみたいなものやね。古代の人もなかなか知恵があるんやね」
「そんなこと言ったら古墳時代の人に失礼よ。これ見て、髪は『美豆良』(みずら)という髪形で、頭の真ん中で左右に分けて、それを束ねて耳の脇で結んでいたの。大ちゃんが見たのはこの髪形よね」
「そうそう、これだ! 女の人の髪形みたいだった」
「女性の服装は、上着は、男性の衣服と、ほぼ同じだけど、下はスカートのような物を履いて、腰帯で留めていたの。髪は頭上にまとめて結んでいて、男の人の髪形に比べると、比較的シンプルなヘアスタイルよね」
大輔は、これらの説明を聞き終わると、大きく息を吐いた。しばらく考え込んだ後、さつきの顔を見ながら、
「これはもしかして、自分でも信じられんのやけど、タイムスリップとかタイムトラベルとかいう現象やろか? 小説やドラマに出てくるやつよ」
「うーん、最初は私をからかっとるんかと思っていたんやけど、大ちゃんの顔を見ていたら、本当のことなんだなと思いだしたんよ。こんなことが本当にあるんじゃねぇ」
大輔は、勾玉を見つめながら言った。
「これは冗談でも嘘の話でもないよ。神様に誓って本当にあったことなんよ。これからどうしたらええんやろ……」
「うーん……」
さつきは、額に手のひらを置いて黙考する。
しばらくして、さつきは思い出したように「パンッ!」と手を打った。
「パンを買ってきたんやった。『タクアンパン』にする? 『焼きそばパン』にする?」
大輔は、呆れた顔をしながら、焼きそばパンを手に取り、かぶりついた。さつきは、たくあんパンの包みを開けながら、
「私も古墳時代に行ってみたいな」と小さな声でつぶやいた。
「ねえ、大ちゃん、今度は、二人で一緒に古墳時代に行ってみようや」
「えーっ! どんなにして行くんよ!」
「一緒に勾玉を朝日にかざして、覗いたらいいんじゃない? 手をつないでいたら離れることはないだろうし……」
「でも、確実に戻ってこれる保証はないよ」
「大丈夫よ。今度は、食料をたくさん持って行ったらええやん。そうそう、動画や写真を撮れるように、スマホとモバイルバッテリーを持って行こう!」
「また、あのおっさんが出てくるかもしれんよ」
「出てきてもらった方がええやん。そうだ、おじさんに、この未来の世界のことが、わかるように資料を持っていこうや。私たちが、古代史研究部で作った古墳時代の説明動画があるよ。それから、何もって行こうかな……」
もう、さつきは、浮かれてちょっとした旅行気分である。大輔はあきれ顔でパンを口の中に押し込んだ。
それから二人は、何を用意するか、どんな服装にするか、細かく打ち合わせをした。決行は一週間後、場所は大輔の部屋としたのだった。
ステージ Ⅲ 吉備の国
床の上には、所狭しと物が並べられていた。大輔とさつきは、それらを一つ一つ確認しながら、二つのザックに振り分けている。大輔は、登山用の大型ザック、さつきは小さなデイバッグを用意していた。
すべて入れ終わると、お互いの服装を確認した。大輔は、学会発表用の紺色のスーツに白いワイシャツ。そして赤いネクタイを締めている。さつきは、花柄のブラウスに白いブレザーとスカート、首には真珠のネックレスをつけている。耳には、イヤリングが光っていた。
さつきは、大輔の姿を横目で見て、笑いながら言った。
「大ちゃん、完全にこれからお見合いといった感じやね。でも、赤いネクタイとは、トランプ大統領みたいで、かっこいいやん」
大輔は、さつきの変身ぶりに、少しおどろいた様子だったが、真面目な顔を作りながら答えた。
「さっちゃんは、これからお食事会といった雰囲気やね。華やかでいいんじゃないの」
「男性は、ある程度しっかりしたものを着ていないと、高貴な身分の人に見えないし、女性は、華やかにしていないと、見くびられそうなのよね。とりあえず、これでいいんじゃないかな?」
この一週間、ラインで、あれこれ意見交換を繰り返し、準備万端とまではいかないが、なんとか準備が整ったのだった。
「それじゃあ、試してみるとするか。後悔はないですね。お嬢様?」
「はい! 大統領!」
大輔は、覚悟を決めて深呼吸をした後、勾玉を首に掛て、窓の近くに立った。
「大ちゃん、ザックと靴を忘れてるよ」
さつきは、床に新聞紙を広げ、大輔の靴を置いた。
次に、さつきが右手で、デイバッグを取ろうとした瞬間、
「こらっ! 右手は、まだ重いものを持ったらいかんと言ったやろ。不注意な看護師さんにも困ったもんやな。本当にいかんよ! 気をつけんと……」
大輔は、さつきのデイバッグを持ち上げると、立っている、さつきの肩にかけてやった。
その後、大輔は靴を履き、床に膝をついて大きなザックを肩にかけ、ザックのバランスを確認するように体を揺さぶった。
窓の前に立った二人は、緊張した顔で手を繋ぎ、顔を見合わせると、うなずき合って前を見た。
窓の外を見ると、庭の左隅に夫婦石が並んでいる。その向こうには、緑の中山と吉備線の線路が見えた。ちょうど、総社行の列車が二両編成で、こちらに向かって走って来ているところだった。
大輔は、さつきの手を強く握りなおして、
「じゃあ、勾玉を出すから、一緒に覗いてみるよ!」
と言うと、紐で首に掛けた勾玉を、胸ポケットから出して、眼の高さに持ち上げた。
さつきも手を重ね、二人は一緒に朝日に向かって勾玉を掲げた。窓の外からは、朝の白い日の光が二人を照らしだしている。光の線が勾玉を貫き、緑の光線となって二人の瞳に届いた。
「ほんと、緑の空間に浮かんでいるみたいやね。宇宙遊泳しているみたい」
さつきは、いつの間にか二人が緑の光の中にすっぽりと包まれていることに気が付き、周りを見渡していた。
周囲には、泡のような透明な、大小さまざまな大きさの星が、無数に広がっている。ふわふわと空中に浮かんでいるような心地よい感覚に、さつきは、うっとりと酔いしれているようだ。
大輔は、覚醒させるように、さつきの手をしっかりと握りなおした。
しばらくすると、先日体験したように、まぶしいほどの光のトンネルが前方に現れ、どんどん大きくなってくる。
そして気がつくと、二人は、並んで外に立っていたのだった。
大輔が横を見ると、さつきは、目を大きく見開き、前方に広がる海を見つめていた。
「海が…… 全部、海になっている。こんなことが……」
さつきは、遠くに浮かぶ島々の形を、確かめるように眺めていたが、大輔の視線に気が付き、彼の眼の先を追った。大輔は、庭の隅を見ていたのだった。
さつきは、はっとして、同じように庭の左隅を見ると、そこには、少し前に見たものと同じ夫婦岩が並んでいた。
「私たち、同じ場所にいるのよね。さっきと同じ場所に……」
潮の香りを含んだ心地よい風が、二人の顔をなでた。耳をすませると、波の音が聞こえてくるようだ。さつきは、前方に見える島影を指さしながら言った。
「大ちゃん、あの向こうにある小さな島は、松島じゃない?」
「ほんとだ、でも俺たちの学校は、影も形もなくなってる。松島っていう地名は、大昔は本当に島だったんやな」
「早島や児島もそうなのよね。昔は島だったのよね。あの少し向こうの、大きいのが早島じゃないかな? とすると、ずっと向こうに児島があるはずよね。ちょっと写真撮っておこうかな?」
「それにしても、きれいだな。海が、まぶしいいくらいに、光かがやいているよ」
「本当にきれい! あのあたりが吉備津だったんやね」
二人が海を見つめて感激していると、
「おい! おまえたち……」
二人の後方から、いきなり大きな声が聞こえてきた。
「おどろいたな。この前、目の前から、霧のように、跡形もなく消えてしまったと思ったら、急にまた現れた。今度は嫁さんを連れてきたのか?」
大輔は、はじけるように後ろを振り返った。さつきは、思わず大輔の腕をしっかりと胸に抱きしめた。
振り返った二人の前には、先日の男が建っていた。そして、後ろには、前回見たのと同じ、わら葺屋根の古い家が建っている。
それを見たさつきは、大輔の耳元で、
「大ちゃんの家がなくなっている」とささやいた。
そこには、幅が十メートル以上もあるような大きな平屋の屋敷があり、その向こう側には、四角い形をした、やはり、わら葺屋根の小さな家が、大きな家を囲むように十数棟点在していた。
大輔は、男に向かって深々と頭を下げ、
「先日は、挨拶もせず、急に帰ってしまって申し訳ありませんでした」
「そうや、目の前から急に消えてしまったので、わしは腰を抜かしてしもうたぞ! 村おさにそのことを話したら、そげなことがあるか、と笑われたんじゃ。でえれ~びっくりしたぞ」と言いながら、男は家の前から、こちらに歩いてきた。
大輔は、敵意がないことを知らせるために、意識して笑顔を作りながら言った。
「すみません。今日は、そのことをお話しようと思って、友人といっしょに来ました。私たちの話を聞いていただけませんか?」
「なんじゃ。嫁ではないのか? ふうーむ……」と言い、二人の様子を上から下まで観察しながら、周囲を歩いていたが、ふと顔をあげ、
「まあ、ここでは目立っていかん。とにかく屋敷の中に入ってくれ。話を聞こう」と、屋敷の入り口を指さした。
大輔がひとりで来た時には、余裕がなく、詳しく屋敷を観察することができなかったが、今回は、古代史に詳しいさつきが一緒なので、気持ちは、やや落ち着いている。
横のさつきを見ると、まるで国宝にでも遭遇したかのように、おどろきと感嘆の表情で固まっていた。
屋敷は、以前、観光旅行で行った吉野ケ里遺跡にあった主催殿や高床住居のように柱が何本も立っていて床下には一メートルくらいの空間があった。その上に土で作られた壁があり、窓が左右に一つずつ開けられている。屋根は、わらで葺かれていた。
男は、二人の前を歩いて、家の正面に作られている木の階段を上って中に入った。部屋は、広く、正面の奥には、祭壇のようなものが設けられていた。
前回、訪れた時と同じように、家の中は、ひんやりとして薄暗く、二人は入り口で立ち止まった。さつきは、あたりを見回しながら、つぶやいた。
「懐かしい匂いがするね。なんというか、子供の頃に遊んだ、納屋の中にいるような香りやね」
「僕も子供の頃を思い出したよ」
男は、右の方に進み、部屋の隅に壁を背にして座った。木の床には、藁で作った敷物がしかれている。男は、その前に座るようにうながした。
二人は、ザックを下ろしながら、ござの前で靴を脱ぎ、男の前に座った。男はやはり前回の時と同じような服装をしている。
刀のようなものを、腰から抜いて左に置き、二人が座るのを見届けると、正面の大輔の顔を見ながら言った。
「まず、わしから聞こう。お前たちは、なんという名前で、一体どこから来たのじゃ?」
「私の名前は、明神大輔、横の友人は、山上さつきといいます。信じてもらえないと思いますが、千五百年くらい未来の世界から来ました。住んでいるのは、未来のこの場所です」
男は、きょとんとした顔になり、首をかしげている。
大輔は、ザックから、ノートとボールペンを取り出し。二人の名前を大きく書いた。
男は字が読めないらしく、字と明神の顔を交互に見ながら言った。
「この前も確か、ミョウジンといったな。わしの家も代々、海の神をお祀りする神職をしていて、ミョウジンというのじゃ。わしの名は、アツシ。わしらは、親戚かなにかかのう。それにしても不思議なことがあるものじゃのう」
アツシは、何度も首をかしげながら、大輔がさしだしたノートを見ている。
「わしには、まだよくわからんが、この紙や道具は、初めて見るものじゃな。もっと詳しく話を聞きたい」
大輔は、勾玉を見せながら、三宅さんという老女から預かったこと、それからの不思議な出来事を、できるだけわかりやすく説明した。
すると、ずっと先の世から来たことは、驚きつつも理解し、二人を神様の使者のように感じたらしく、急に改まったものいいになってきた。大輔は、
「もっと先の世の物をお見せしましょう」
と言って、ザックからスマホを取り出し、窓の外の景色や部屋の中を、数枚写真に撮った。
そして、すぐさまスマホの画面をアツシの前に置き、今撮影した画像を見せると、さらに目を見張って大輔を見つめた。
次に、動画モードにして、自撮りしながら、自己紹介を行い、撮影した動画を再生すると、スマホからでてくる声に「ビクッ!」と身体を振るわせて、体をのけぞらせた。
「わかりました。わかりましたので、その神の使いの箱を、おしまいください」と言って平伏した。
さつきは、アツシの顔色が、真っ青になっていることに気が付き、あまりの驚愕に身体が拒否反応を起こしているのだろうと分析した。さすがは救命救急認定看護師である。
さつきは、優しくアツシの肩に手を置いて、笑顔を向けた。
「お近づきに、一緒にお菓子でも食べませんか?」といって、クッキーとあんパンをザックから取り出した。
大輔は、アツシに、それを勧めながら、
「そうそう、アツシ様、私たちといっしょに食べましょう。美味しいですよ」と言って、クッキーの箱を開け、クッキーを自らの口に入れた。
さつきも同じように、一枚取り出して口に入れ美味しそうに食べた。
「あ~おいしい! 大ちゃんお水は?」
大輔は、クッキーの箱を、アツシの方に勧めながら、ザックの中から、天然水のペットボトルを二本取り出した。
アツシは、しばらく思案していたが、おもむろにクッキーの箱に手を伸ばして、一枚を抜き取った。
しばらく眺めまわしたり、匂いをかいだりしていたが、思い切ったように、かじりついた。そして、むしゃむしゃと食べながら、
「うまい!」と、大きな声を発した。
「これは、ぼっけぇ甘くて旨いな。このような美味いものを食べたのは初めてじゃ。この世の物とは思えないほどうまい! これはどのようにして作られているのでしょうか。ぜひお教えいただきたい。私の妻に作らせよう」
さつきは、さらに、あんぱんの袋から、ミニあんパンをひとつ取り出して、アツシに渡した。
「これは小麦から作った饅頭です。食べてみてください」
アツシは、ミニあんぱんを両手で押し頂き、やはり眺めたり、匂いをかいだりした後、口に入れた。
「おー! これは柔らかくて、なんともいい味ですな。こんな美味しいものが、この世の中にあったんじゃな……」
二人は、アツシの、この世の物とは思えないほど美味であるとの感想に、笑みを浮かべ、顔を見合わせた。
次に、大輔はペットボトルをアツシに差し出し、飲むように促した。彼はペットボトルを受け取ると、不思議なものでも見るように、眺めたり、揺さぶって中の水が動くのを見たりして、しきりと首をひねっていた。
大輔は、自分の天然水のキャップを捩じって、ふたを開け、ゴクゴクと飲んでみせた。
アツシはキャップを捩じることが、どうしてもできないらしく、困惑した表情だったので、大輔は、彼の手に自分の手を合わせて捩じった。
アツシは、その行為に感激し、頭をしきりに下げている。飲むように勧めると、彼は、おそるおそる口に含んだ。
「これは普通の水ですな。でもこの器はなんという器でしょうか。ここで使っている土器とは、全然ちがう物ですな。とにかく軽い。そして、透き通っていて中が見える。不思議な器じゃな」
アツシは、当初の強張った表情が解け、笑顔になっている。二人も緊張がとれ、笑顔でさまざまな質問をした。彼は、それに答えて、この村での生活のことや、周辺の村のことを話してくれた。
この国は、吉備国といって、多くの村が集まって一つの国を形成しているらしい。
ここを中心として東にも西にも、そして北の山の奥にも村があるとのこと。それぞれの村には、村おさがいて、年に二回、この吉備津に集まって話し合いをしているらしい。
その時に祈りをして、さまざまなことを決めているということだ。その神事を執り行っている主催者が、ここの村おさの嫁の家で、筑紫の国の南にある、遠い山の神である阿曽の神の末裔で、阿曽姫様ということだった。そして、その夫が、ここの村おさをしているということらしい。その村おさの家や、山の神の主催殿は、このすぐ近くにあるとのこと。
吉備国は、争いもなく、民は平和な暮らしをしているのだが、近年、他国からの侵略の気配があり、皆が心配しているそうだ。
アツシは、ふと思いついたように、顔を外に向け、
「このことを、村おさにもお伝えしないといけないな。ちょっと報告してくるから、このままここで待っていてくだされ。村おさの屋敷は近いので、すぐに帰ってくるでな。でも他の人に合うといけないので、この家からは出ねえようにしてくだされよ。そうだ、妻に世話をするように言っておこう」
彼は、家を出ると、隣の小さく粗末な小屋に入って行ったかと思うと、女性を連れて戻ってきた。女性は、部屋の入口で彼から説明を受けているらしく、驚愕の顔でこちらを見ている。
それでも納得したらしく、小さくうなずき、こちらに向かって頭を下げた。
アツシは、その女性を連れて二人の前に立ち、
「私の妻のサトです。あなたたちのお世話をするようにいってあるでな、何でも遠慮なく言ってくだされ。では、ちょっといってくるでな」
そう言い残すと、アツシは外に出て行った。彼女は、もじもじしながら、その場に立っている。
少し青みがかった長袖の上着を前で合わせ、スカートのような布を腰に巻いて、縞模様の帯で結び留めていた。髪は、頭の上で縛ってまとめ、色のついた、木の飾りのようなものを挿しており、大輔の母親に、少し顔が似ているように思った。大輔は、
「どうぞ座ってください。一緒に座って話しましょう」と声をかけ、座るように促した。
彼女は、少し後ろに下がって座った。大輔は、自分たちの名前を告げ、彼女の名前を尋ねた。アツシの妻は「サトです」と、小さな声で答えた」
さつきは、お菓子や、あんぱんを勧めながら、やさしく話しかけて、いつの間にか、サトもうちとけ、笑顔が見えるようになった。
大輔は、いつの時代も、女の人は甘いお菓子に目がないんやな、と思いながら談笑する二人を見ていた。
さつきは、あんぱんをかじりながら、
「ご主人は、村おさのところに行ったみたいですが、村おさのお名前はなんといわれるのですか?」と尋ねると、サトは笑顔で、
「はい、温羅(うら)様といわれます。この吉備国全体の集まりにも、意見をいわれる偉いお方です」
さつきは、それを聞いて息を飲み、表情が固まってしまった。その後、ひとことも発しないさつきをいぶかって、大輔は振り返っていった。
「どうしたの? 急に黙ってしまって……」
「大ちゃん、村おさの名前を聞いたでしょ」
「うん、聞いたよ。ウラなんとか言ってたね」
「また、そんなノーテンキなことを言って。温羅というのは、あの有名な桃太郎伝説に出てくる鬼の名前よ。吉備津神社で、お釜の神事がおこなわれているの知ってるでしょ」
「あー! そういえば、鬼の名前は温羅だったっけ?」
さつきは、あきれ顔で話し出した。
「おとぎ話『桃太郎』の話は、あまりにも有名なので知らない人は誰もいないでしょうね。その話は、単なるフィクションではなく、その元ともいうべき伝説があったのよね。それが私たちが良く子供の頃から聞いていた『温羅伝説』なのよ。大ちゃん、あまり覚えてないようだから、きちんと説明しようか?」
大輔は、改まった顔をして言った。
「お願いします。サトさんもいるから、彼女にもわかるように話してほしいな」
さつきは、例の古代史ファイルを取り出して前に広げた。そこには、世にも恐ろしい鬼の絵が描かれていた。さつきは、それをゆっくり読んでいった。
「むかしむかし吉備の国に、異国から恐ろしい鬼がやってきた。髪の毛は長く、燃えるような赤い色をしており、その眼は、獣のように、らんらんと光輝いていた。身長は四メートルもあり、腕力は計り知れず、空を飛ぶこともできた。朝鮮半島から渡ってきたその鬼の名は『温羅』(うら)と言った。
温羅は、凶悪な性格で、吉備の近隣の婦女子を襲い、民の持ち物を奪ったりと、悪事の限りを行っていた。温羅は山の上に城を作り住んでいたが、人々はそれを恐れて「鬼の城」と呼んでいた。
この悪行に耐えかねた民衆は、大和朝廷に助けを求めた。その結果、第十代崇神天皇は、彦五十狭芹彦命(ひこいさせりひこのみこと)という武勇に優れた将軍を、吉備に多くの兵隊と共に派遣することにした。
彦五十狭芹彦命は、中山に陣を構え、温羅に矢を射たが、温羅は大きな石を投げて撃ち落とした。そこで彦五十狭芹彦命が二本同時に射たところ、一本は岩で落とされたが、もう一本の矢が温羅の左眼を射抜いた。左目からは血が噴き出て川のような流れになった。(血吸河)
たまらなくなり、温羅は雉に化けて逃げたので、彦五十狭芹彦命は、鷹に化けて追った。さらに温羅は、鯉に変身して逃げたが、命は鵜に変化して捕らえた。
温羅は敗北し『吉備冠者』の名を彦五十狭芹彦命に献上した。この日より彦五十狭芹彦命は、吉備津彦命と呼ばれるようになった。
その後、温羅は首を切られ、その首がさらされたが、討たれた首は、いつまでも恐ろしいうなり声をあげ、周囲の人を恐れさせた。
吉備津彦命は、家来の犬飼武命に命じて、犬に首を食わせたが、静まることはなかった。困った吉備津彦命は、温羅の首を吉備津神社の釜殿の地中に埋めたが、十三年間うなり声は止まず、周辺の人々を恐れさせた。
ある日、吉備津彦命の夢の中に温羅が現れ、温羅の妻の阿曽媛に、釜殿の神饌を炊かせるよう告げた。その時の釜の音で、これからの世のことを人々に伝えて、神事を執り行うと、うなり声は鎮まった。
その後、温羅は吉凶を占う存在となったという(吉備津神社の鳴釜神事)。
この釜殿の精霊のことを『丑寅みさき』と呼んでいる」
さつきは読み終えると、大輔やサトの顔を交互に眺めながら、「こんな伝説が伝わっているのですけどね」と小さな声で言った。
「温羅という鬼は、怖いひとだったんやな」
大輔がぼそりと言った。
二人の話を黙って聞いていたサトが、急に顔をあげて言った。
「温羅様は、そんな鬼のような、お方ではねえです。誰にでもやさしく接し、困ったことがあれば、いつでも相談にのってくれます。村の皆のことを、一番に考えてくれています。こうして吉備国の皆が、安心して暮らせるのも、温羅様のおかげです。皆そう思っています。その温羅様を鬼だなんてひどすぎる」
サトは、目に涙をためていた。さつきは、さとの手の上に自らの手を重ねて言った。
「私も、そう思いますよ。だって話のつじつまが合わないもんね。たぶん、ヤマト国の人が、都合のいいように、後で話を作ったのだと思いますよ」
それを聞いて、サトの表情が少しやわらいだ。
「この話は本当におかしいと、私は思うのよね。それにひそやかに、吉備地方に伝わっている話は、かなり違っているのよ」
さつきは、また話し出した。こうなると止まらない
「吉備の国は、たたら製鉄や新しい土器、農業など多くのすぐれた技術で物を作り出し、近隣の地方の人々と交易して繁栄していたの。
その頃は、この吉備国、出雲の国、北九州の筑紫の国、そしてヤマト国が四大大国といわれていたのよね」
「僕らのいるこの岡山、いや吉備国はすごかったんやね。知らなかったなぁ」
大輔は、おどろきの目でさつきを見ている。
「誰がそんな先端技術を開発したのかな?」
さつきは、自慢げに話を続けた。
「そう! その優れた技術は、渡来人である温羅さんたちによって伝えられたものなのよね。朝鮮半島から何らかの理由で、この日本に逃げてきたらしいんだけど、温羅さんたちが、この吉備地方にたどり着いた時、吉備の人々は、温かく彼らをむかえたの。困っている彼らに、住むところや食べ物を与えて、ここで暮らせるように配慮してくれたのよね。
温羅さんたちは、この吉備の人々に何か恩返しをしようと、自分たちが持っていた、製鉄やさまざまな知識や技術を伝えて、この吉備の人々の行為にこたえようと、がんばったのよ。その結果、吉備国が大いに栄えたということなの」
「え~っ! それって、さっきの伝説と全然違うじゃない!」
「そうなのよ。おそらくだけど、私の個人的な考えなんだけど、これは勝者によって作られた、嘘の伝説ではないかと思っているのよね。
人類の歴史って、戦いと侵略の繰り返しといっても過言ではないと思うの。大国が小国に戦いをしかけ、戦いに勝ったら、大国が小国を併合して、さらに大きな国になるの。これが侵略よね。
その時、人々をだましたり、虐殺したり、ひどいことをいっぱいしているんだけど、勝った方は、それをひた隠しにするのよね。歴史の記録を改ざんしたり、勝者に都合のいい伝説を作ったりするのよ。
だから、よく言われるのが、「日本書紀」に書かれている内容と、地元に伝わっている記録とかなり食い違っている箇所があるというのよ」
「へぇ~そうなんだ。そういえば、幕末の歴史も、明治新政府側の書いた歴史書と、会津や幕府軍側の人が書いた記録では、かなり内容が異なっているよな。現在だって、世界のあちこちで戦争をしているけど、それぞれの国で、フェイクニュースを放ちあって、情報戦をしているしね。人間というのは何年たっても、おろかな動物なんだな。なんだか悲しくなってくるよ」
「ほんとよね。吉備の人たちに優しく迎えられ、恩返しに吉備のために一生懸命働いた、温羅さんたちを、鬼にするなんて、ひどすぎるよね。それに、鬼になって暴れているから退治して欲しいなんて、この吉備の人が、ヤマト国に言いに行ったりするわけないじゃん。困った鬼なんだったら、たたら製鉄などで吉備の国が繁栄することはないでしょうに、理屈が合わないよね」
さつきは、怒りのこもった目で訴えている。これは、もう大変だ。
大輔が何かを言おうとした時、階段を上る音が聞こえてきた。皆が振り返ると、アツシが笑顔で入ってきて、二人の横に座った。
「温羅様に、このことを話してきたでな。温羅様は、おどろいて、なかなか信じてもらえんで、よわったじゃ。でも、とにかくお二人にお会いして話を聞きたいといわれているんでな。すまんが、これから私と一緒に温羅様のところに行ってもらえんじゃろか?」と言いながら頭を下げた。
大輔は、真っ赤な髪をした、四メートルもの大きさの鬼を想像し、おびえた顔でさつきの方を振り向いたが、さつきは、笑みを浮かべながら、
「いいですよ。今から一緒にいきましょう。ねえ、大ちゃん、いいよねぇ!」
大輔は、何か言いたそうな顔をしたが、小さくうなづくしかなかった。
屋敷の階段を降りると、アツシは、屋敷を右に廻って、小道を歩きだした。幅一メートルほどの土の道が屋敷の後ろに続いている。その小道の両側には、藁ぶき屋根の小さな家が、約十メートルほどの間隔をおいて並んでいた。
家の形は様々で、教科書で習った弥生時代の丸い竪穴式住居や長方形の形をしたもの、高床式の倉庫のような建物など、統一感はない。屋根は、すべて、わらで葺かれていたが、壁は藁で覆われている物や土で作られているもの、木で組まれているものなど多種多様で面白い。
家の内外には、様々な大きさの土器が置かれ、家の横には薪が積まれていた。食事の用意をしているのか、家からは、薄く紫色の煙が上がっている。家と家の間には、野菜を作っているらしく、小さな畑が点在していた。数人の男女がこちらを見ていたが、アツシが手を上げると、揃って頭をさげた。
さつきは、先ほどから興味津々の顔で家を覗き込んでいる。薄暗い中には、人がいてこちらを見ているようだ。
「さっちゃん、あまりじろじろ見ると失礼だよ」大輔が咎めると、さつきは、ちょっと舌をだして、
「そうよね。はしたないわね。失礼しました。でも、この家、弥生時代の家に比べると、かなり進化しているみたいよ。この家を見てみて、他の家より一回り大きいし、壁が土でできているし、家の中も下に掘り下げていないみたい。カマドが作られているから燃焼効率はいいはずよ。
それにカマドが壁の近くにあるから、結構使いやすそう。こういうのを確か…… そうそう『大壁建物』というのよ。四角形に掘った溝の中に細い木の柱を立てて、その上から土で塗りこめて壁にしているのよ。渡来人がこの形式で家を作ったと書いてあったわ。
さっきの屋敷は、『掘立柱建物』だったわね。でもあれは、たくさんの柱で床をささえる『総柱建物』(そうばしらたてもの)というのかな?」
さつきは、スマホを取り出して、そのあたりにある建物に近づいては写真を撮っている。建物の下の部分や屋根の構造、集落の配置など、あちらこちらに走り回って撮影に必死だ。
大輔とアツシは、振り返って、あきれ顔だ。大輔はアツシに、もごもごと何やら説明をしているようだ。
さつきは、ひとしきり撮影を済ませると、二人の所に走ってきて、満足した顔で言った。
「お待たせしてしまって、すみません。それにしても、いろいろな建て方の家がありますね」
「人が住む家だけじゃなく、動物を飼っている建物や、食べ物や道具を保存している倉庫もあるでな。最近は、丈夫な土の壁で作る家がおおくなったな。温羅様にいろいろ作り方を教えてもらったのでな」
アツシは、そういうと、再び歩きだした。道は軽い上り坂で、左に回り込みながら続いている。約百メートルほど歩くと、前方を指さした。
「あれが温羅様の屋敷じゃ」
広い敷地には、木造の立派な屋敷が建てられていた。
「あっ! すごい!」
さつきと大輔は、広い敷地の中央にある屋敷を見て驚嘆の声をあげた。
その建物は、高床式倉庫を大きくしたような形をしているが、屋根は神社のような形をしていた。左右十メートル以上もある板壁でできた建物だった。
中央には、幅四メートル位の階段が設けられている。美しい神社のようだった。建物の左右には、高床式倉庫や板壁や土壁の住居らしき建物が立ち並んでいた。
アツシは、中央の立派な神社風の建物に近づき
「この神殿で温羅様がお待ちしている。いっしょに入ってくれ」
階段を上がり、神殿に入ると、中はとても広く、正面中央に祭壇のような棚が設けられているようだ。両側には、藁で作られた敷物がしかれており、かなりの人数がここに集まることができるようだった。祭壇の右を見ると、綺麗な帽子をかぶり、何色もの衣を着た女性が座っている。その横には、アツシと同じような服装をし、ひげを伸ばした男が座り、こちらを見ていた。
アツシは、その前に座り、深くお辞儀をした後、
「先ほどお話した者たちを連れてまいりました。この者たちでございます」
アツシは振り向き、近くに座るように促した。二人は、彼の右後ろに並んで座り、彼に倣って深々とお辞儀をした。
「明神大輔と申します。こちらは、私の友で、山上さつきと言います。ここに来た経緯については、アツシ様にお話ししたとおりでございます」
前方に座っていたひげの男は、二人の声を聴いてうなずいた後、二人に頭を下げ笑みを浮かべて優しい声で言った。
「私は、温羅といいます。横にいるのは妻の阿曽姫です」
大輔とさつきは、前に座っているひげの男が、温羅だとわかり、ほっとした顔になった。髪の毛は、やや栗色ではあるが、燃えるような赤ではなく、背丈も四メートルもあるような巨漢ではないようだ。この時代としては大柄なのだろうが、現代の尺度で考えれば普通の背格好にほかならない。
温羅は、柔和な顔で話を続けた。
「あなたたちは、ずっと先の世からこられたと聞いたが、本当ですかな?」
大輔は、
「はい本当です。約千五百年以上先の世界からやってきました」と答え、先ほどアツシに話したと同様のことを、首から下げている勾玉を示しながら説明した。
温羅と阿曽姫は、話を聞きながら、おどろいたり、勾玉を眺めたりしながら静かに聞いていたが、温羅は笑みを浮かべながら尋ねた。
「何か証拠となるような、不思議な道具を持ってきているということじゃが……」
大輔は、アツシに向かってたずねた。
「何をお見せすればいいでしょうか?」
「そうじゃな。まずはあれじゃ。神の使いの箱じゃな」アツシは、目を輝かせて言った。
「神の使い??」
「そうじゃ。あなたたちの声が出てくる、神の箱じゃよ!」
さつきは、大輔の耳元で「スマホじゃない?」と言いながら、自分のスマホを取り出した。
さつきは、スマホを構えると、大輔とアツシに向かってシャッターを押した。その後、動画モードにして撮影を続けながら、何かしゃべれと要求している。
大輔は、アツシと肩を並べて自己紹介をした。さつきは、続けてスマホを回しながら屋敷の中を撮影し、最後に温羅夫婦を画面に収めた。
温羅たち夫婦は、それらをいぶかしそうに眺めている。大輔は、さつきからスマホを受け取ると、再生モードにして、温羅夫婦の方に画面を向けた。黒い箱の中から、いきなり大輔とアツシの姿が映し出されると、温羅は、
「うわ~っ!」と大声で叫んだかと思うと、後ろにひっくり返った。画面の中には、屋敷の様子が映し出され、最後に、温羅と阿曽姫の顔が再生された。
阿曽姫は、完全に目が点になって身体は硬直し、唇が震えている。その後ろで、ひっくり返ったままの姿で、頭を持ち上げ、顔を画面にむけている温羅の顔が見えた。
「その呪術は、妖術ではないのか? われの体は、その中に吸い取られたのではあるまいな?」
阿曽姫は、震える声で言った。大輔は、スマホを床に置いて言った。
「これは、ただの道具でございます。土器や斧などと同じ、先の世の道具でございます。そのような妖術ではありません。ご安心ください」
アツシも、その声に同調して、笑みを浮かべながら、
「ご心配は無用でございます。この者たちは、私の子孫でございますので、温羅様たちに危害を加えることは絶対にございません」と言った。
温羅と阿曽姫は、顔をこわばらせながらも座りなおし、もう一度見たいと言った。二度三度と再生を繰り返すと、温羅たちも慣れてきて、身体を乗り出して画面を見つめている。二人が写っている場面になると、お互いの顔を見ながら微笑み合っていた。温羅は顔をあげて、大輔たちに顔を向けながら言った。
「先の世には、考えられないような道具があるのですな。いや~おどろきました」
さつきは、
「温羅様は、大陸から鉄を作る技術をこの地に伝えたと聞いていますが、どのような道具を使われているのでしょうか?」と興味深々の顔で尋ねた。温羅は、
「この吉備には、砂鉄が豊富にあるので、それを利用して製鉄ができるように、その方法を皆さんに紹介しました。米などの作物を育てるための鍬や、馬に引かせる道具を作っています」
それを聞いて、さつきはザックの中から数枚の紙を取り出しながら、大輔にも他の道具を出すように促した。
大輔は、ゴソゴソとザックの中に手を入れて、いくつかの箱を取り出した。
「これは、私たちの時代の道具です。これが、ノコギリと言って、木を切る道具。そして、これは、ハサミと言って紙や布を切る道具です」
と言いながら大輔は、白い紙を取り出し、ハサミを使ってギザギザに切って見せた。
その切れ味におどろいた温羅は、小さなハサミを手に取ると感心したように眺めている。
次に二つの箱を温羅の前に並べた。温羅は、それらを手前に近寄せると、箱を開けて、中に入っている、ノコギリを手にした。
箱の中には、二本のノコギリが入っていた。大輔は、その両刃のノコギリと、携帯用の折りたたみ式ノコギリの使い方を詳しく説明した。
温羅は、その説明を聞きながら、しきりに感嘆の息を漏らしている。
「とても細かな細工なので、残念ながら私たちには、とても作れそうもありませんなぁ。でも試しに、ちょっと木を切ってみたいのですが、いいですかな?」と言うと、立ち上がって、部屋の入口まで行き、そこに立てかけていた木の板に、ノコギリをあてて動かしてみた。
その瞬間、「お~っ!」と、おどろきの声を発した。
温羅は、元の席に座ると、他方の折りたたみ式ノコギリを手にし、ギザギザした刃に指を軽く当てて、その感触を確かめながら、
「すごい切れ味やなぁー!」
と、つぶやいている。
さつきは、先ほど取り出した髪を温羅の前に置き、説明した。
「これは、木挽鋸(こびきのこ)とか前挽大鋸(まえびおが)と呼ばれるノコギリで、木を縦に切って、板にするための道具です」
と言いながら、紙に印刷している写真を指さした。そこには、ひと抱えもあるような太い丸太を、壁に立てかけ、木挽鋸(こびきのこ)を使って、幅二センチくらいの板に切っている様子が描かれていた。
「このように、ノコの幅が広いので、木目に沿って、木を真っすぐな板にすることができます。この木挽鋸は、温羅様の時代から、千年以上後になってから作られる道具です。こちらの真っすぐ長いノコギリの方は、二人で両端を持って、力を合わせて、押したり、引いたりして使います。
この木挽鋸などは、鉄の部分の大きさが大きく、ノコの刃の形も大きいので、温羅様の技術で作れるのではないでしょうか?」
さつきの説明を聞きながら、その横に印刷している絵や写真を見て、
「この絵は、見たままに描いていますな。とても分かり易い。これなら、ここでも作れそうじゃな。明日、早速、皆の衆に相談してみよう。これは貸していただいても、よろしいかな?」
「どうぞ、差し上げますので、ぜひ作ってみてください」と、さつきは、嬉しそうな声で言った。
そして、はっと思いついたようにザックの中から、レジ袋に入った物を取り出した。
「阿曽姫様にも見ていただきたいものがございます。先の世の布でございます」
レジ袋の中から出てきたものは、花柄のエプロン、色とりどりの紐や帯、髪飾り、スカートだった。それらを阿曽姫の前に並べると、部屋の中が、さっと明るくなったような気がした。部屋の中だけではなく阿曽姫の顔も輝いているではないか。
「まあ、きれい! このような美しい布を見たのは初めてです」
さつきは席を立って、エプロンや髪飾りを阿曽姫の身体に装いながら言った。
「気に入っていただけたでしょうか。阿曽姫様に使っていただければ私も幸せです」
阿曽姫の顔がさらに輝いた。
ーーやはり、いつの世も女性へのプレゼントはこういった物にかぎるな。とすると次は、お菓子かな?
大輔は、ほくそ笑みながら、さつきの行動を見守っている。予想どおり、さつきは、大輔のザックから、饅頭と岡山のきび団子を取り出して前に置いた。
ーーやはりそうきたか。さっちゃんもなかなかやるな。それなら俺も……
大輔は、ザックの中から日本酒とプラスチックのコップを取り出し、温羅とアツシの前に置いた。日本酒には、純米大吟醸のラベルが貼られている。
「私たちの世のお酒です。よろしければ、お口汚しに、いかがでしょうか?」
温羅とアツシは、出されたプラスチックのコップを手に取り、おどろいている。アツシが、
「大輔殿、この器は、風で飛んでしまうくらい軽いですな。これは、どんな材料でできているのじゃろうか?」
大輔は、大吟醸の包みを開けながら、説明した。
「これは石油という地中深くにある油からできています。特別な方法で、このように固めているのですが、軽くて強く割れにくい性質があるので、私たちの時代では、たくさん使われています」
大輔は、大吟醸のお酒を二人のコップにゆっくりと注ぐと、二人はコップを鼻に近づけ香りをかいでいたが、おもむろに口に含んだ。その後の顔は、恍惚として、なんとも形容しがたい表情となっている。温羅が口を開いた。
「この酒は、なんとも言えない、良い香りがしますな。口に含んだだけで、身体の隅々まで染み渡るようじゃ」
「う~ん! ほんに、でえれ~旨い酒ですな~!」アツシも思わず、うなっている。
「大輔殿、このダイギンジョウというお酒は、どのようにして作っているのでしょうか? 私たちも、酒は作っていますが、とてもこのようないい香りはしません。それに口当たりも
もっと荒いのです」
温羅の質問に対して、大輔は答えた。
「これは、元の大きさの半分になるまで磨いた米を使って仕込んでいるのです。それによって、このような果物のような良い香りがするのです」
「えっ! そんなに小さくなるまでコメを削るのですか? なんとも、もったいない話ですな」とアツシがおどろいている。
「削った米の粉は、水で練って焼けば、美味しい食べ物になります。蜂蜜をつけて食べると最高に美味しいですよ」
二人は、「うんうん」と納得顔でうなづいた。
大輔は、ポテトチップスと柿の種をザックから取り出しハンカチの上に並べると、それらを口に入れた。二人も同様に食べはじめると、もう完全に宴会モードになってしまっている。そして、美味しい酒とおつまみが、皆の口をどんどん軽くしていくのだった。
このように時間を超えて移動し、別の時代の人と話ができるという、不思議な体験について、三人はその事実を受け入れながらも、半信半疑という共通の心を通わせたのだった。
そして、いつのまにか五人は、和気あいあいとした仲間になっていた。
頬をほんのりと赤くした大輔は、思い出したようにザックから、ガラスコップを取り出して、
「こちらは、ガラスという素材でできている器です。透明で中に入れている物が見えるのですが、優しく扱わないと割れてしまうのです」
温羅は、ガラスコップを手に取ると、ゆっくり眺めた後、床にそっと置いた。ふと横を見ると、さつきと阿曽姫は、きび団子を口に入れながら笑って何やら盛り上がっている。
温羅は、その様子を笑みを浮かべながら見た後、姿勢を正して大輔に話しかけた。
「大輔殿、いろいろ拝見して、あなたたちが千年以上先の世界から来られたことはよくわかりました。そのことを踏まえてお聞きしたいことがあります」
大輔は、温羅の真剣なまなざしを受け止めるように座りなおし、背筋を伸ばして温羅の顔をみつめた。さつきや阿曽姫も二人の様子に気づき、温羅に注目している。
「あなたがたに教えていただきたいのは、これからのことです。私たちが大切にしている、この吉備の国は、これからどうなるのでしょうか?」
温羅は、苦しそうに顔をゆがめながら話を続けた。
「実は、先日、ヤマト国から使者が来たのです。大君の命令によって、使者と数十名の兵士が、この吉備の地にやってきました。
使者が言うには、ヤマト国に加わり、国をひとつにまとめることに協力するようにとのことでした。
もとより私たちは、争いを好みません。一緒に国をまとめることについては、異論はなかったのですが、その使者の態度が、あまりにもひどかったのです。いたけだかなもの言いで、まるで、家来にでも話すような命令口調でした。思い出しただけでも、むしずがはしります。
この屋敷で話を聞いたのですが、部屋に入るなり、勝手に、そこにある祭壇の前に座って、ふんぞり返っているではありませんか。皆は、あきれながらも、下座に座って話を聞いたのですが、それはそれは、ひどい内容でした。
他の村おさも、このような無礼な人が、この吉備を支配するのだと思うと、情けなくなってきたようでした。
そのうち、お酒を要求されたので、お出ししたのですが、気持ちよく酔ったのか、その場で寝てしまわれました。
私は、隣の自分の寝所に戻ったのですが、翌朝、ここに来てみると、不思議なことに使者の方が、いなくなっていたのです。それも、使者だけでなく、兵士も船もすべてがいなくなっていたのでした。
私は、黙ってヤマト国に帰ったのだろうと思いました。それにしても、何の挨拶もなく帰ってしまうのはおかしいとおもい、近くにいた村おさに尋ねてみました。すると、村おさは、頭をかきながら、
『こんなひどい人が来たら吉備はめちゃくちゃになる。いっそのこと、今晩、殺してしまおうなどと、他の村おさが集まって騒いでいたので、止めたのですが、もしかしたら、それらの騒ぎを聞かれてしまったのかもしれません』
と、大変なことを教えてくれました。おそらく使者は、おどろいてヤマト国に逃げ帰ったのでしょう。ですから、私はこれからのことがとても心配なのです。これから吉備の国はどうなるのでしょうか? 大輔殿、教えていただけないでしょうか?」
大輔は、困惑した顔を隠すように、さつきの方を振り返った。さつきは、大輔の気持ちを察して笑顔でうなづいた。
「これから吉備の国がどうなっていくのか、そして、ヤマト国や多くの国がどうなっていくのかについては、この山上さんが、よく知っているので、彼女に詳しく説明してもらうことにしましょう」
温羅たち三人は、改めてさつきの方に身体を向けて頭を下げた。さつきも皆の方を見ながら頭を下げて、ザックから分厚いノートを取り出すと、その中から古代の日本地図を描いたページを広げて話はじめた。
「これが私たちのいる日本という国です。でもまだ今は、ひとつの国にまとまってはいません。ここが吉備国です。そして、北にあるお隣の国が出雲の国、西にあるのが筑紫の国です。これらの国は、皆さんもご存じですね」
温羅たちは地図を見つめながらうなづいている。
「そして、これがヤマト国です。今の時代は、主にこの四つの大きな国と、その周りにある小さな国が散らばった状態で共存していました」
温羅は、地図をみながら訪ねた。
「ヤマト国といってもそんなに大きなくにではないのですな。あんな偉そうな態度をしていたから、もっと大きな国かと思っていました」
温羅の声に、阿曽姫やアツシはうなずいている。
「そうですよね。この時点では、そんなに大きな差はないと思います。四大強国の時代という感じでしょうか?
でも、これからが違ってくるのです。まずは、これからどう変わっていくのか、大まかな流れをお話しますね」
さつきは、話しながらノートのページをめくる。
「ヤマト国の大君は、全国に向かって統制軍を派遣し、大和朝廷という一つの国にまとめることに成功しました。
その後は、日本という一つの国として、千四百年以上にわたって繁栄します。もちろん、それまでには、内乱や地方での小競り合いは、ありましたが、日本という天皇を中心とした国家は、変わることはありませんでした。天皇のおられる都は、大きく分けると、大和朝廷のあった、奈良から京都へ、そして今は東京という場所に移り変わっています」
さつきは、地図を指さしながら説明している。続いて別のファイルから、新聞紙くらいの大きな地図を取り出してさらに説明を続けた。
「これは世界地図です。日本はここ! こんな小さな島国なんですよ。世界には、このように大きな国から小さな国まで合わせると、全部で百九十以上もあるんです」
温羅たちは、世界地図を覗き込んで目を見開き、呆然とした顔でつぶやいた。
「日本という私たちの国は、こんなに小さいのですか? その中の吉備国は、このように、もっと小さいのですよね」
温羅は、古代日本の地図を指でなぞりながら言った。
「でも日本という国は、小さいながらも一つにまとまり、ずっと、あなたたちの時代まで続いているのですね」
温羅は、うんうんと何回もうなずき、安堵した表情になっていた。ふと顔をあげ、さつきの顔を真っすぐに見つめてたずねた。
「ヤマト国が、全国に統制軍を派遣して、一つの国に統一したと言われましたが、この吉備国は、その時、どうしたのでしょうか? ヤマト国と戦ったのですか?」
さつきは、大輔の方を見て困ったような顔をしている。大輔もうつむいたまま声はなく、当惑を隠せない。温羅は、二人の表情の変化を察して、さらに話し続けた。
「何か私たちには、言いづらいことがあったのですな。私たちはかまいませんので、よかったら教えていただけませんかな?」
さつきは、しばらく地図を見つめていたが、意を決したように顔をあげて温羅の方に向き直った。それから話した内容は、アツシの屋敷でサトに話した「温羅伝説」の話だった。
真っ赤な髪の毛や四メートルもある巨体で空を飛ぶというところでは、苦笑していた温羅だったが、首をはねられ、うなり続けたことや、吉備津神社の釜殿での神事の箇所では、悲しい表情に変わっていた。
この「温羅伝説」から、桃太郎というおとぎ話ができて、日本中で知らない人はいない話になっていることを話すと、なんとも呆れた表情になった。
「ということは、私はヤマト国の兵士と戦うことになるのですな」と寂しそうな声でつぶやく温羅に対して、
「いえ、それはわからないのですよ。「温羅伝説」にもいろいろあって、吉備津彦が、温羅が誠実で有能な人であることを認めて、一緒に吉備の人々のために尽くしたという話もあるのです。どちらが本当なのかは証明されていないのです。というのは、その頃は、文字がまだ普及していなかったのか、文書として記録が残っていないのです」
それを聞いた温羅は、ぱっと明るく嬉しそうな顔になって言った。
「ということは、これから、吉備の人々や私が、どういう選択をするかは、わかっていないということなんですね」
さつきは、ゆっくりうなずいた。さらに温羅は話し続けた。
「何度も申し上げるように、吉備の民や私たちは、戦いを好みません。戦いをしても恨みが残るだけで、問題の解決にはならないと思うからです。それにヤマト国が日本を統一し、日本という国がずっと続いていくのなら、私たちはそれに協力しようと思います。
ですから、どうしたらヤマト国と戦いをせず、平和的に併合できるのか、その方法を一緒に考えていただけませんか?
そして、これから、どのようなことがこの吉備国で起こってくるのか、詳しく教えてくださいませんか」
温羅は、そういうと深々と頭を下げた。さつきは、うなずくとファイルをめくり、再び話し出した。
「先ほど、ヤマト国からの使者が怒って帰ったとの話をお聞きしましたが、おそらく、その使者は、尾ひれをつけて大君に上申するでしょうね。書物によると、ヤマト国の大君である崇神天皇が、四道将軍を任命して、全国に統制軍を派遣したとあります。
この吉備国には、西道(山陽道)の将軍として、彦五十狭芹彦命(ひこいさせりひこのみこと)が派遣されてきたと書かれています。この彦五十狭芹彦命(いさせりひこのみこと)が、後に吉備津彦命(きびつひこのみこと)となるわけです。
ですから、いずれ、ここに彦五十狭芹彦命と大勢の兵士がやってくることになるでしょう」
「そして、私と、その彦五十狭芹彦命が戦うか、話し合って協力関係になるか、どちらかになるということなのですね」
「そうだと思います。ただ、そのことを書いている書物は「日本書紀」や「古事記」という名称の書物なのですが、ずっと後になって編纂されたので、書かれている年代と内容が一致していないことが少なくないのです。
神話的というか、こういったら語弊がありますが、我々の時代では「フィクション」というのですが、はっきりいうと、「作り話」の箇所もあるのでは、といわれています。
さきほど、日本書紀に、崇神天皇が、四道将軍を任命して、全国に統制軍を派遣した、と記述していることを紹介しましたが、このことは古事記には書かれていないのです。日本書紀というのは、対外的な目的で作られた書物なので、かなりヤマト国の権威をとりつくろうための歴史的に矛盾した記述が多いとされています。
たとえば、『欠史八代』といって、第二代綏靖天皇から第九代開化天皇までの、八代の天皇は、古事記や日本書紀に、その系譜が記されているものの、その多くが後世の創作によるものと見られているのです。
こういった書物は、勝った国に都合のいいように書いていることが多いのです。ですから、いつ頃、統制軍がくるのか、誰が命令して、誰が来るのか、ということは、はっきり申し上げられないのですよ。ごめんなさい」
温羅は目を閉じて、腕組みをして考え込んでいる。何分たっただろうか、彼は眼を開けると、ゆっくりと話し出した。瞳には強い光がやどっていた。
「もう二十数年になるでしょうか。私は、若い頃、大陸の百済という国の王子でしたが、戦いに敗れて、この国に仲間と共に移ってきました。この吉備の人々は、私たちを快く迎え入れてくれました。行くあてのない私たちに対して、食べ物や住むところを用意してくださり、とても親切にしてくださいました。本当にありがたかったです。
私たちは、このご恩に報いるために、吉備の人々のお役に立てることはないかと考えました。思いついたのが製鉄や須恵器、農耕の技術です。この地方には、砂鉄が豊富にありますので、それらを利用して、鉄を製造し、それらを使って、鍬(くわ)や馬がひく鋤(すき)など、さまざまな道具を、皆さんと作りました。
そして、それらの道具で近隣の国と交易をしたり、農作物を作ったりして、今、皆は平和で幸せな暮らしを営んでいます。この平和な暮らしをいつまでも続けていきたいと、吉備の皆は思っているのです。
ですから、ヤマト国とも、うまく協力していきたいと願っています。製鉄の技術や農耕の方法などについては、お教えしてもいいと思います。それらの技術が、日本の国全体に広まれば、国中の民が助かるのではないでしょうか」
大輔は、温羅の話を聞きながら、感動し胸が熱くなってくるのを感じた、温羅たちの眼には、涙が光っていた。彼らだけでなく、さつきの瞳もうるんでいる。大輔は、思わず温羅の手を握っていた。
「吉備国が、一滴の血を流すことなく、この国の統一に参加できることを、私たちは祈っています。温羅さんが、皆を導いてあげてください。お願いします」大輔が重ねた手の上には、涙が落ちていた。
「吉備津彦命は、この下の中山のふもとで、ずっと暮らして、最後まで吉備国と民のために、力を尽くしたと記述されています。
そして、なんと二百八十歳で亡くなったということです。年齢は、完全にフィクションだと思いますが、吉備国とヤマト国の統一の後も、しっかりと吉備国のことを考えてくれていたことは、事実のようです。
だから、吉備津彦命さんは、先日来た使者のような人ではないと思いますよ」
さつきは、笑顔で言った。
「さあ、これからのことを祈念して、みんなで乾杯しましょう!」
さつきは、皆のコップを中央に集めて、大輔を促した。大輔は、
「そうやね。乾杯しましょう! でも、待てよ…… お酒は、もう全部飲んでしまったなぁ」
「大ちゃん、コーラでいいんじゃない?」
「そうか、その手があったか。コーラも持ってきたんだった」
さつきは、大輔からコーラを受け取ると、みんなのコップに、少しずつ注いでいった。温羅たちは、「ジュワ~ッ」と音をたてているコーラを、不思議なものを見るようにみつめている。
大輔は、はっとしたが、そのことには、わざと何もふれず、
「これからも、平和な吉備国が続きますように! 乾杯!」と言って口に含んだ。温羅たちも「乾杯!」と言いながら、おそるおそる口に含んだ。
「うお~っ!」
「お~っ!」
「きゃ~っ!」
三人三様の反応に、大輔とさつきは、思わずふきだした。
「この、せんじ薬のようなものは、いけませんな」
アツシは、眉毛を引きつらせている。
「口の中が破裂しそうで、こりゃおえん!」
温羅もつらそうだ。
「ん~ん~!」と眼を白黒させながら必死の形相なのは、阿曽姫だった。
「これは、コーラといって、私たちの時代では、一般的な飲み物なんですよ。炭酸といって、泡がでるように工夫している飲み物で、決してせんじ薬ではありません。どうぞ安心してゆっくりお飲みください」
一同、大笑いをしながら、挑戦していた。皆の楽しそうな顔を見ていたさつきが、思い出したように言った。
「大ちゃん、そろそろ戻らないといけないね」
「そうやね。吉備の国とヤマト国は、うまくいきそうだし、そろそろ失礼しようか」
さつきと大輔は、温羅たちに、もとの時代に戻らないといけないことを説明し、ほかに持ってきた、ノートやボールペン、鉛筆、岡山のカラー旅行ガイドブックなどを手渡した。
これらの物が、温羅の話に説得力と根拠をもたらすだろうと考えたからだ。他の村おさを説得するためには、これらの道具が役に立つかもしれない。
大輔とさつきは、席を立つと軽くなったザックを背負った。
温羅たちが立ち上がると、大輔は、温羅に近づいて硬く手を握った。
「あれ? 私と同じくらいの背の高さですね。もっと大男かと思った」
「私は鬼ではありませんよ。空も飛べません!」
二人は手を強く握り返しながら、大笑いをした。
もとの世界に戻るためには、同じ場所から勾玉を見た方がいいだろうとの大輔の話を聞いて、皆でアツシの屋敷に戻ることになった。
温羅の屋敷から外に出ようとした時、さつきが、
「ちょっと待って!」
と言って、スマホを取り出したかと思うと、屋敷の中や、屋敷の外観、敷地のまわりなどの写真や動画を撮影し始めた。屋根の細部や柱の木組みの様子など、細部にわたって記録している。屋敷の内外の隅々まで、熱心に動き回ったかと思うと、満足げな顔で、
「お待たせしました」
と言いながら戻ってきた。
おどろきと、あきれ顔で眺めていた大輔と温羅たち三人は、談笑しながら、ゆっくり小道を降りていった。さつきは、時々立ち止まっては、周囲の風景の撮影を続けている。
途中にある小さな小屋の周辺では、畑を耕したり、水を甕に移し替えたりと、多くの人々が忙しそうに動き回っていた。それでも、温羅たちが、その横を通ると、笑顔で頭をさげる人や、近寄って話しかけてくる若者がいて、とても穏やかな暮らしをしていることがわかった。
大輔とさつきは、皆の穏やかな表情を見て、心からこの吉備の国が好きになってきたのだった。
夫婦岩の近くに戻った二人は、温羅、阿曽姫、アツシと、順番に手を握り、別れを惜しんだ。
そして、大輔とさつきは、並んで温羅たちに、深々とお辞儀をして最後のお別れをした。
頭をあげると大輔たちは、皆から少し離れた所に移動し、太陽の方に体を向けた。そして、大きく深呼吸をした後、並んで手を握り、勾玉を日の光にかざした。
その瞬間、緑の光が二人の瞳を貫き、勾玉の中に溶け込んでいった。そして、まばゆい光のトンネルをくぐると、そこは大輔の部屋の中だった。
窓の外を見ると、総社から来た、赤い二両編成の列車が、吉備津駅に停車するところだった。
大輔の部屋に、無事戻れたことを確認した二人は、ヘナヘナとその場に座り込んでしまった。
「大ちゃん、私たちすごい体験をしてしまったね。今のことは現実のことなのよね」
さつきは、ポケットからスマホを取り出し、写真を確認している。そこには、温羅たちや、様々な形をした家が写っていた。写真を見終わったさつきは、
「あっ! ほとんど時間が経ってない! というか、ここを出発した時間と変わってないよ。古墳時代で過ごした時間は、こちらではカウントされてないんやね」と感嘆の声を漏らした。大輔もスマホを確認して驚愕している。
「そういうことなら、もっとゆっくり観察してくるんだった。庶民の家の中の様子や、他の集落の様子なんか、興味あったのになぁ~。それに古墳はもう作られているのかな? どんなにして作っているのか見てくるんだった。二時間くらい歩いたら古墳のあるところまで行けたとおもうんだけどなぁー、残念! 残念!」
大輔は、あきれた顔で横のさつきを見ている。首にかけた勾玉を、机の上に置きながら、
「僕はもう疲れたよ。一日分仕事をした感じだ。さっちゃんは元気やなぁ」
「そうそう大ちゃん、阿曽姫も首に、それと同じような勾玉をかけていたね。あの時代の女性のステータスなのかな?」
二人は、吉備の国が平和的に、ヤマト国と合併できそうなことを本当に喜んだのだった。二人は、後日、今日のことを記録しておこうと約束して別れた
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