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山陽道をゆく chapter1-22 倉敷・直島(22)


情報過多の時代、先入観を持たないように事前に旅行先のことは調べないように心掛けている。唯、[家プロジェクト]については、少しだけ調べた。全く想像ができなかったからである。


→chapter1-21 倉敷・直島(21)


地中美術館の駐車場の待合所には直島に関するpamphletが置かれていた。僕は暇潰しに[ART in HONMURA]の英語と日本語で書かれたpamphを眺めていた。



インフォメーション& マップ
現在も生活が営まれる本村で、点在する古い家屋などを改修し、人が住んでいた頃の時間と記憶を織り込みながら、空間そのものを作品化しています。生活空間の中で繰り広げられるさまざまな出会いを楽しみ下さい

Pamph of ART in HONMURA


かっての直島は銅の製錬所(三菱マテリアル)による煙害の島であった(現在も操業)。それをARTの島に蘇らせた。


先代が抱いていた夢のひとつに、瀬戸内海に浮かぶ小さな島「直島」に子供たちのためのキャンプ場を作りたい、という構想があった。遺志を引き継いだ總一郎は、建築家・安藤忠雄に出会う。東京の建築家には最初から依頼する意思はなかった。初対面の居酒屋で意気投合した2人は、1989年、直島国際キャンプ場をオープンさせる。第2期工事の開始のころには、總一郎の構想はまとまっていく。それが「現代美術と自然と歴史」の融合であった。1992年にはスイートルームを完備したホテルと美術館を融合させたベネッセハウスのミュージアムが完成する。これは世界でも例を見ない珍しい試みであったが、過疎の島に現代美術を置くのも世界初の出来事であった。
アートが主張するのではなく、あくまでも人間が主役であり、アートが自然や歴史の持っている良さを引き出すべきとの總一郎のテーゼは、やがて1997年のこの「家プロジェクト」に結実する。長い歴史があるにもかかわらず、歴史の痕跡の薄く、経済が目的化している日本の文明史観に挑戦したいとの總一郎の思いから始まった企画である。直接のきっかけは直島町役場からの1本の電話である。本島地区の民家の所有者が家屋を譲りたいが、どうかというものであったが、廃屋利用の可能性のひとつとして現代アートとの融合を考えた。

Wikipedia of Art Houses Project(家プロジェクト)



京都でも古民家をrenovetionし、cafeや一棟貸しのHotelにするなどのbusiness modelは多々あるが、古民家をART SPACEに変えて、島ごと美術館構想はとても斬新な試みだと思う。



待合所で見たpamph
Art House Project


運転手さんの姿が見えた。僕たちは彼を追いかけるようにbusに向かった。

「おかえりなさいませ」運転手さんは慌ててdoorを開けた。

他の参加者もMさんも続いて乗り込んだ。早速Mさんがmicを取って

「みなさまお疲れ様でございます。全員揃ったところで予定より少し早いですが、これより【家プロジェクト】の本村に向かいます」とannounceした。

この時は『地中美術館はいかがでしたか』というお決まりのphraseはなく、そのままmicを置いた。

busは来た道を戻った。島を左廻りで走った。眼中に見下ろす瀬戸内の景色は絵になった。みんなはそれを静かに眺めていた。あのBenesse House Museumの坂の下のcurve mirrorも別館宿泊施設も検問所(East gate)も沈黙のまま過ぎたところでMさんがmicを手にした。

「みなさま、あちらに黄かぼちゃが見えます」とannounceした。

僕の席は反対側であったので慌てて立ち上がってみたものの、すぐに過ぎてしまい、よく見えなかった。


黄かぼちゃ by pamphlet


やがてbusは本村地区の山あいの広い駐車場に停まった。早くからFさんはここへ来てstand byしていたようである。Fさんはbusを見上げながら最高の笑顔で僕たちを迎えてくれた。Mさんからいつものphraseを聞き、僕たちはbusから降りると早速、

「みなさま、お疲れ様でございます。午前に続きましてこれから[家プロジェクト]を案内させていただきます。尚、これより少し歩いていただきます」とFさんはannounceした。

歩くことは大歓迎である。Fさんの先導のもと、僕たちは駐車場から山を削って出来た片側1車線の道路を横断した。坂の歩道を上がり、その先の階段を上がった。大木が生い茂る鎮守の森である。


野良ネコ🐈?


古めかしい石鳥居があったが、Fさんはそれには見向きもせず、先に進んだ。するとname plateを首からぶら下げ、silver volunteer staffシルバーボランティアらしき人が数個の懐中電灯を箱に入れて立っているではないか?

Fさんは説明不要と言わんばかりにsilver volunteerさんに会釈した。お互い顔見知りのようだ。


護王神社⛩️


そこから少し行くと何やら最近renovationしたような祠がそこにあった。

『これは何だ❗️』

「ここは高齢化が進み、祠の管理が出来ず、長い間荒れていました。しかし【家プロジェクト】で蘇りました」とFさんは言及した。

よく見かける祠とは何か違う。異様な雰囲気が佇んでいる❗️

「あの祠まで伸びる長い階段はglassで出来ています」とFさんが言い切った。

何に驚いたかというと地下から伸びるという長い階段がglassで出来ているという点だ。僕はglass材が神社⛩️で使われているのを見たことがない❗️

glassは江戸時代に長崎から入ってきたと言われている。1820年頃から江戸切子・薩摩切子の工芸品として珍重されるが、明治の近代化が進むに連れ、ようやく日本のガラス産業が発展を遂げた。伝統と格式的建築物を重んじる神社にとっては全くの異物的素材であるが、その手の論理はArtistには通用しない❗️



「みなさんにぜひお見せしたいものがあります❗️とFさんが言った。

『何が始まるのか?』

「こちらです」Fさんは来た道を戻った。

そしてあのsilver volunteer さんがいるところまで戻り、Fさんは懐中電灯を2つ受け取った。

『昼間から何か探検ごっこでも始めるのか⁉️』

そこから海側に向かって10mほど道を下り、防風林がこぼっと空いているところに出た。



防風植林が一部伐採されている!


『伐採の形が変だ❗️』

「みなさま、地下から祠をご覧いただけます」とFさんがおかしなことを言い出した。

『地下?』

王家の谷のピラミッドのようではないか❗️

Fさんは石室のような入口の扉を開けた。

「興味のある方はどうぞ」と勧め、更に

「中は大変狭くなっております。1から2名くらいで懐中電灯を持ってお入りください」とFさんは案内した。

『中にご神体でもあるのか⁉️』

石室の中は一人がやっと通れるくらいの幅で少し前かがみで進んだ。

「奥に行くと階段が見えます」Fさんの声が後ろから聞こえた。


祠の地下
ガラスの階段が神秘的


『なるほどね⭕️、glassにした意味がわかったぞ❗️


祠の地下(石室?横穴)から見た海


glassの階段より90度横穴を掘り、その周囲をコンクリートで固め、落盤しないように施してある。

「まるで太陽神、インカの遺跡のようだ」と僕は出てくるなり呟いた。

但しMさんとFさんは中には入らず外で待った。常にお客様優先であり、tour conやguideである彼ら自身が楽しむことはけしてしない。

みんなが揃ったところでFさんが

「これは杉本博司さんのプロデュースによるART作品です」と披露した。


護王神社」は家プロジェクトの一つとして、2002年に公開されました。直島・本村地区の氏神が祀られている同神社の改築にあわせて、本殿と拝殿、また拝殿の地下の石室がアーティスト・杉本博司によって設計されています。本殿と石室はガラスの階段で結ばれており、地下と地上とが一つの世界を形成しています。本殿と拝殿は伊勢神宮など古代の神社建築の様式を念頭に、作家自身の美意識に基づくものになっています。

benesse artsite.jp


続けて防風林の方を指差し、

「〇月〇日、ここか真正面に朝日を拝めます」と言ったと記憶しているが、それがいつだったかは思い出せない。


護王神社は杉本氏が手掛けた作品としての側面も持ちます。杉本氏は、神が宿るのは「かなりそぎ落とされた隙の無い空間でなくてはならない」※と考え、タイトルを「Appropriate Proportion(適切な形態という意味)」としています。護王神社は白木、石、ガラスという簡素な素材から成り、周辺のデザインとともにミニマルな効果を生んでいます。護王神社を再建するプロセスは、文字通り、神が住むための「適切な形態」を持った場所をつくる試みだったといえるでしょう。

benesse artsite.jp



僕たちはsliver volunteerさんに一礼をし「ありがとう」と言って懐中電灯を返した。volunteerさんは寡黙なのか、唯、うなずくだけであった。


護王神社の石鳥居


『あのsliver volunteerの方は、いつ来るかわからない観光客のために懐中電灯を持って立ち、時には護王神社のguideをし、日暮前に鍵を閉めて帰るのであろう。ふと神社の番人なのかも知れないと思った。


奉納板
周旋人〇〇と彫られている


それから僕たちはFさんの後に着いてあの古ぼけた石鳥居からゆっくり石段を下りて行った。
途中、奉納板に目が留まった❗️


周旋人:あっせん、とりまとめなどをする人。また、それを業とする人。きもいり。世話人。周旋。周旋方。周旋者。ブローカー。

kotobank.jpより


奉納板に寄進者の名が刻まれることはどこの寺社でもあるが、わざわざ周旋人と名乗る以上はさぞかし島の名士だったに違いない❗️


chapter1-23 倉敷・直島(23) →To be continue



待合所で見たpamph
Art House Project



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