私は、人を責めるのをやめた
いつもの記事とは少し違います。
今回は私自身の経験を書きました。
1. 呼び出しの放送
私が働く工場では、
一日に何度も放送が流れる。
・どこかの設備が止まった。
・打ち合わせの時間になった。
・客先から連絡が入った。
・担当者を呼び出す。
よくある報連相から緊急性の高いことまであるが、
どれもごく当たり前の放送だ。
加工中の機械の切削音。
エアブローの音。
油圧ポンプの低い唸り。
工場の中は常に騒がしい。
だから放送は、
聞こうとしなければ聞き逃してしまうこともある。
それでも私は、
ある放送だけには過剰に反応してしまう。
「品質保証の○○さん、△△様からお電話です」
その瞬間だけは、
耳が勝手に音を拾う。
客先からの電話。
もちろん、
すべてが不良連絡ではない。
材料について打ち合わせかもしれない。
図面の問い合わせかもしれない。
それでも胸の奥がざわつく。
嫌な予感がする。
(不良連絡じゃないよな、俺のこと呼ばないでくれよ)
そんなことを考えている。
そして数分後。
今度は自分の名前が呼ばれる。
「○○班の△△さん、品質保証までお願いします」
一気に血の気が引く。
(ああ、やっぱりか)
頭の中で言葉が並び始める。
(不良だ、そうに違いない)
(選別、対象はどれだけある)
(対策書か、また仕事が増える)
(帰れない)
(怒られる)
(嫌だ)
(行きたくない)
品質保証までは百メートルもない。
それなのに、その距離が妙に長く感じる。
足取りは重い。
歩いているというより、
引きずられている感覚に近い。
(嫌だ)
(このまま知らん顔して帰りたい)
(今すぐ、どこかのラインでトラブルで呼ばれたら無視できないかな…)
(どうせ俺は責められるだけだしな)
頭の中では、ネガティブな考えだけがぐるぐる回っている。
途中で引き返したくなる。
でも行かないわけにはいかない。
目的地が近づく。
「すーー、はぁーー…」
気持ちを落ち着けるべく、
歩きながら大きく呼吸をする。
近くに誰かいたら
深呼吸というよりため息に聞こえたかもしれない。
ドアの前で一瞬躊躇する。
(このまま、まわれ右して帰りたい)
(そんなわけにもいかないよな)
(着いちゃったし、行くか)
「覚悟を決めた」とは違う、
諦めに近いかもしれない感情でドアを開ける。
恐る恐る室内を見回す。
先程客先からの連絡の対応をした
担当者と目が合う。
無表情だった。
その顔を見ただけで理解した。
良い話ではない。
説明を聞く。
頭が真っ白になる。
(何が起きた)
(どうやって発生した)
(どうして流出した)
頭の中では必死に考えている。
でも何もまとまらない。
まるで霧の中を手探りで歩いているようだった。
2. 何してくれたんだ
その後の会議で、怒号が飛んだ。
「お前やってくれたな!何してくれたんだ!」
会議室の空気が凍る。
私は黙って聞いていた。
私の担当エリアでの客先への不良。
謝るしかなかった。
でも心の中では別の言葉が浮かんでいた。
(俺が作ったわけじゃない)
(俺が流したわけじゃない)
(俺はいつも注意するように言ってたし、そう教えた)
(俺だってあんなに何度も確認したのにやられた気分だよ)
(作った奴ここに呼んで同じこと言ってやれよ)
もちろん口には出せない。
出したところで何も変わらない。
ただ一つだけ確信していたことがある。
『怒鳴られても、不良はなくならない。』
ということだった。
3. 笑っていた作業者
その後の休憩時間。
重い気分のまま休憩所へ向かった。
選別
対策書
客先報告
これから増える仕事のことを考えていた。
頭の中はそのことでいっぱいだった。
そんな時だった。
その不良を作った本人が、仲間と笑いながら話していた。
私は思わず目を疑った。
(へらへら笑いやがってふざけるな!)
(こいつ、反省してないのか)
最初に浮かんだ感情は怒りだった。
私は怒鳴られた。
私は謝った。
私はこれから残業して対応する。
なのに不良を作って流した本人は笑っている。
理不尽だと思った。
腹が立った。
殴りたくなった。
悔しかった。
失望した。
(あいつのせいで俺は怒鳴られた)
(あいつのせいで俺は責められた)
(あいつのせいで俺は苦労している)
あの頃の私は、本気でそう思っていた。
反省が足りないから同じミスをする。
もっと真剣になれば防げる。
そう信じていた。
4. 改善したはずなのに
でも現実は違った。
反省した人も、またミスをする。
厳しく叱られた人も、またミスをする。
始末書を書いた人も、またミスをする。
チェックシートを増やしても。
ルールを増やしても。
会議を増やしても。
同じ不良は、何度でも戻ってくる。
改善したはずだった。
再発防止したはずだった。
それなのに、また客先から電話が来る。
「今のやり方では何かが違う。」
この時の私はまだ、
人をメインにした対策に疑問を持ちながら、
上手く言葉にできずモヤモヤを抱えたままだった。
5. 山になった不良
忘れられない光景がある。
朝出社した時のことだ。
夜勤で発生した不良品が山のように積まれていた。
唖然とした。
簡単には説明できない量だった。
当然この時も怒鳴り飛ばされた。
作った夜勤者が悪かったのか。
指導できていなかった私が悪かったのか。
本当にそうだろうか。
なぜ何時間も止まらなかったのだろう。
なぜ途中で気付けなかったのだろう。
なぜ設備は作り続けたのだろう。
なぜ仕組みは止められなかったのだろう。
なぜトラブルが起きた時に、
決まって犯人探しをするのだろう。
「お前が悪い。」と言って解決することなんてあるのだろうか。
トラブルの原因を「誰か」のせいにして、
真実から目を背けているだけじゃないのか。
私は徐々に見るべき所を変えていった。
6. 人は、想像以上に間違える
夜勤者から電話が入った。
「機械が止まりました。」
急いで現場へ向かう。
大きなトラブルかもしれない。
今まで聞いたことがない現象。
考えられる事態を想定して駆けつける。
でも故障ではなかった。
設備を見た瞬間気がつく。
シングルブロックが押されていただけだった。
ボタンを一つ押す。
機械は何事もなかったように動き始めた。
私は呆れた。
(どうしてこんなことになるんだ)
当時はそう思った。
でも今なら違う。
人は思っている以上に間違える。
分かっている人でも。
教えた人でも。
慣れた人でも。
だから、人に期待するだけでは品質は守れない。
こんなことは一度や二度ではなかった。
こんなこともあった。
とあるマシニングセンタでの作業を教えた時。
いつもとは違うメーカーの設備での仕事だったから、
違う点について説明をした。
そのマシニングセンタのホルダーについて、
取り付け位置も向きも事前に説明した。
実物を指さして確認した。
それでも逆向きに付いていた。
(ちゃんと教えたのに)
当時はそう思った。
今は違う。
教えたことと、実際にできることは違う。
人は忘れる。
勘違いする。
思い込む。
だから確認しやすい構造が必要なんだと実感した。
7. 正解がない
複数のタスクを抱えていると、
どうしても思うように進まないことがある。
毎日残業を続けても終わらない。
正直、徹夜したとしても
全部を片付けられるとは思えなかった。
(今日はここまでにして帰ろう)
そう決めることがあった。
徹夜して一つ終わらせても、
翌日には次の案件がやってくる。
そのまた翌日にも、
新しい問題が積み上がる。
休むわけにもいかない。
だから私は、翌日以降も現場で動けるように、
体力を回復することを優先した。
しかし、そうしているうちに、
終わらなかった仕事は少しずつ積み上がっていく。
そしてある日、当然のように叱責される。
「どうして遅れてるんだ?」
私は答えた。
「時間が足りませんでした」
半ば投げやりな言い方になっていたのかもしれない。
その瞬間、相手の表情が変わった。
「時間が無かった?でもお前、昨日家に帰って寝てるよな?帰って寝てる時間はあるじゃねえか!」
言葉が出なかった。
確かに私は家に帰った。
確かに寝た。
でも、
その睡眠まで削らなければ終わらない仕事量が、
本当に正常なのだろうか。
一晩徹夜すれば、
その日は乗り切れるかもしれない。
だが翌日は。
その次の日は。
判断力が落ちた状態で現場に立つことになる。
それが品質を守る責任者として、
本当に正しい選択なのか。
私は答えられなかった。
別の時には、
同時に進めなければならない案件が重なった。
このままではどちらも中途半端になる。
そう判断して、私は早めに上司へ相談した。
「この件とこの件が時期的に重なっています。どちらかを誰かにお願いできれば、余裕を持って進められると思います」
責められるかもしれない。
それでも、
手遅れになってから言うよりは良いと思った。
上司は言った。
「どっちもまだ時間的に余裕がある。優先順位を決めて計画的に進めろ」
私は従った。
そして結局、予想していた通り遅れた。
すると今度は、
「どうしてもっと早く相談しない!」
と怒鳴られた。
私は返事ができなかった。
早く相談したつもりだったからだ。
あの日から今でも考えることがある。
私は、いつ相談すれば正解だったのだろう。
そんな日々が続くうちに、
私は少しずつ気づいていった。
現場では、
「頑張る」だけでは解決しないことがある。
努力しても追いつかない仕事量がある。
早く相談しても怒られ、
遅く相談しても怒られることがある。
休めば責められ、
無理をして倒れても結局現場は止まる。
そして、そのどれもが「個人の問題」として処理されていく。
でも本当にそうなのだろうか。
人を責め続ければ、品質は良くなるのだろうか。
私は答えを持っていない。
ただ一つだけ、現場で学んだことがある。
人には限界がある。
そして、限界を超えた人間を責め続けても、
品質は守れないということだけは、
痛いほど知っている。
8. 工具を変えただけだった
ある製品で、
ねじ加工での不良が繰り返し発生していた。
何度も注意した。
作業者とも話し合い、
おかしなところがないか確認もした。
それでも止まらない。
そこで工具を見直した。
ただそれだけだった。
それでも、不良は消えた。
誰かが反省したからではない。
誰かが頑張ったからでもない。
仕組みを変えたからだった。
その時、
自分の中でモヤモヤしていたものが言語化された。
「人は必ずミスをする。」
それは避けられない。
だから本当に変えるべきなのは、人ではない。
人がミスをしても不良が発生しない。
発生しても流出しない構造なのだと。
9. 車の中で泣いた夜
今でも工場では不良が発生する。
会議も開かれる。
対策書も書かれる。
誰かが責められる。
でも私は、もうラインの人を責めたいとは思わない。
なぜなら、責められる側にもいたからだ。
怒鳴られる苦しさを知っているからだ。
責められて、
責められて、
それでも、
上手くできなかったことがいくらでもある。
そして
ある時のことだ。
その時も、これまでと同じようなことが起きた。
不良を作って流した犯人扱いをされ、
選別の対応をして、
発生ロットの遡り調査をして、
その間に加工に入った人に聞き込み調査をした。
まだまだ、発生と流出の原因を特定するまで
何度でも調査をしないといけない。
そして対策を立て、対策書を作り上げなければいけない。
当然、
納品を遅れさせないように生産状況を確認。
メンバーの勤怠の確認。
必要な備品の補充。
その他、日々発生するライントラブルへの対応。
こういった日々の業務もこなさないといけない。
不良の対応に時間と手を取られる中、
日々業務も待ってはくれない。
何を抱えていたとしても、生産が遅れれば
「何を見てるんだ、ちゃんと見てれば分かるだろ!」
「すぐに挽回しろ!」
ここでも責められる。
それでも
なんとかその日のやることだけは終わらせ、帰路につく。
真っ暗になった駐車場を1人歩く。
―…
―…
―…
何も考えられないくらい疲れていた。
車に乗り込み、ドアを閉める。
外界から切り離され、自分だけの空間に入れた気がする。
(今日も疲れたな)
エンジンをかけ、ハンドルの上に手を乗せる。
(はあ、しんどい)
背もたれに体を預ける。
そのまま暗闇を見つめてぼんやり考える。
結局1人で全てやってるような気がしていた。
情報を整理しているそばから他のタスクが舞い込む。
「どうなった?」
「まだか?」
なんとか進めようとしてるのに催促される。
何をやったら良いのかすら分からなくなってきていた。
限界だった。
言うだけの人間に嫌気がさしていた。
何も良くできない自分にも腹が立った。
辛かった。
悔しかった。
一気にネガティブな感情が溢れた。
(ふざけんな、俺がやったわけじゃないのに、俺に分かるわけないだろ)
(対応が少し遅れるのもしょうがないだろ、俺は1人でやってるんだぞ)
(もうやりたくない)
(なんでこんな思いしてまで俺はここにいるんだろう)
(もう嫌だ)
(やりたくない)
気がついたら目から涙が溢れていた。
肩も震えていた。
(俺、なんで泣いてるんだよ)
泣きたかった訳ではない。
(今までだって大変なことはあった)
(今回もその一つ)
(大丈夫、なんとかできる)
自分に言い聞かせる。
でも涙は止まらない。
この時、自分は限界なんだと実感した。
(今なら誰にも見られない)
(今だけなら許される)
そのまま、声を押し殺して泣いた。
数分後、
涙を拭いて深呼吸をする。
家族に心配をさせないように見た目を取り繕う。
その日は、
なるべく楽しくなれる音楽をかけて車を走らせた。
その後、何かが好転することもなかったが、
なんとかタスクをこなし、
それっぽい対策を立てた。
本当に完璧な対策かは分からない。
それでも必死に考えた対策に、
私は縋るしかなかった。
この件だけではなく、
現場では何度も責められた。
人格を否定されるような言葉を浴びたこともある。
それでも私は、
以前より上手く仕事ができるようになったわけではなかった。
むしろ気付いてしまった。
どんなに責められても、
人には限界がある。
限界を超えた人間は、
もっと良くなるのではなく、
壊れていくだけだ。
私は、その一人だった。
だから、
いつの間にか人を責める視点を捨てていた。
一つの出来事で考えが変わったわけではない。
怒鳴られ、
失敗し、
悩み、
泣き、
何度も同じような現場を経験する中で、
少しずつ考え方が変わっていった。
人ではなく、
構造を見る。
誰が悪いのかではなく、
なぜ起きたのかを見る。
責任をなくしたいわけではない。
甘やかしたいわけでもない。
責任感は必要だ。
真剣に仕事へ向き合うことも当然だ。
それでも、
人を責め続けても品質は良くならない。
二十五年間、
現場で見続けてきた私は、
そう確信している。
10. 私は、人を責めるのをやめた
また今日も工場では放送が流れる。
「品質保証の○○さん、△△様からお電話です。」
昔の私は、その放送を聞くたびに、
(誰がやったんだ)
(また誰かが怒られる)
そう考えていた。
今は違う。
「なぜ止められなかったのか。」
「どこに仕組みの穴があったのか。」
そう考える。
人は変えられない。
だから私は、人を責めることをやめた。
人ではなく、仕組みを変える。
それが、
二十五年間現場で働き続けた私が、
ようやくたどり着いた答えだった。
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最後までお読みいただきありがとうございます。
現場で起きた失敗やトラブルを“次に活かせる形”で残すために書いています。
サポートは、記事の継続やより実務に即した知恵を形にするために大切に使わせていただきます。