新科目「歴史総合」を読む 2-2-2. 第一次世界大戦の展開
メイン・クエスチョン
当時「欧州大戦」と呼ばれた第一次世界大戦は、世界をどのように変えたのだろうか?
■第一次世界大戦の開戦
サブ・クエスチョン
第一次世界大戦はなぜ、どのように起きたのだろうか?
帝国主義諸国の陣営は20世紀初めの時点で、二つに分極していた。
三国協商(イギリス、フランス、ロシア)と三国同盟(ドイツ、オーストリア=ハンガリー、イタリア)である。
資料 三国同盟条約(1882年)
第3条 締約国の1もしくは2がそれらの側の直接の挑発なくして攻撃され、また本条約を調印していない2つもしくはそれ以上の大国との戦争に巻き込まれたという場合には、すべての締約国には同時にいわゆる「条約該当事由」が生じる。
第5条 締約国の1国の平和が前期条項において予想された事情のもとで脅かされた場合には、締約国は、万一の協力を顧慮してとられる軍事的措置について時機を失することなく了解しあうものとする。締約国は、今後共同して参戦するすべての場合には、相互の共通の合意にもとづいてのみ休戦や講和、もしくは条約を締結する義務を負う。
二つの陣営が支配圏をめぐり対立するバルカン半島では、新興の小国の領土要求がオーストリアのパン・ゲルマン主義と、セルビアやロシアのパン・スラブ主義とも絡み合い、「ヨーロッパの火薬庫」とよばれる不安定な状況に陥っていた。
資料 ヴィルヘルム2世を描いたイギリスの風刺画(1911年1月25日、『パンチ』)

Q. ヴィルヘルム2世の乗っている蒸気機関車に「ペルシア湾まで直行」とあるが、この風刺画は、ドイツのどのような点を、イギリスの側から風刺したものなのだろうか?
資料 アナトリア鉄道協定(1888年10月4日)
第1条 オスマン帝国政府は、イズミトからエスキシェヒルまたはその近郊を経由してアンカラに至る鉄道の建設と営業の特権を……カウラ氏〔ドイツ銀行の代理人〕に下記の条件で譲渡する。(後略)
資料 バグダード鉄道協定(1903年3月5日)
第1条 オスマン帝国政府は、カラマン、エレーリ、……、アダナ、……、ハッラーン、……、モースル、ティクリート、……、バグダード、カルバラー、ナジャフ、ズバイル、バスラの各都市あるいは可能な限りこれらの近郊を経由して、バグダードとバスラに至るコンヤ鉄道の延長路線を建設および営業する特権を〔アナトリア鉄道会社に〕譲渡する。(中略)
第二条 特権の期間は九九年とする。(中略)
そんな中、サライェヴォにおける銃声を端緒とし、戦火が同盟・協商網に連鎖して、第一次世界大戦がはじまった。
資料 この風刺画(Brooklyn Daily Eagle, in 1912 (4th December))は、第一次世界大戦の2年前にアメリカの日刊新聞に掲載された。これは何を予期したものといえるだろうか?

友情の連鎖(Chain of Friendship)
English: The original cartoon was published in the Brooklyn Daily Eagle, in 1912 (4th December) and by the title "A threatening situation". It was drawn by Nelson Harding and published again in The World's War Cartoons (Blood and Iron). The Balkans in Caricature, ed. by T. D. Hadjich, London: Cecil Palmer & Hayward, 1916, p. 29 (online at State Library Victoria: http://digital.slv.vic.gov.au/view/action/singleViewer.do?、https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Chain_of_Friendship_cartoon.gif
■日本の参戦
サブ・クエスチョン
日本は、なぜ、どのように第一次世界大戦に参加したのだろうか?
日本の政府はこれを極東におけるプレゼンスを高める好機とみなし、中国と太平洋のドイツ領を占領した。
資料 日本の行動を風刺したドイツの風刺画

Q. この風刺画は、日本のどのような点を風刺したものなのだろうか?
参戦の口実となったのは日英同盟だが、イギリスは日本の全面的な参戦には難色を示していた。

加藤陽子『それでも、日本人は「戦争」を選んだ』朝日出版社、2009年、第3章。
史料 元老・井上馨の発言
今回のヨーロッパにおける戦争は、日本国運の発展に対する大正新時代の天佑であり、わが国は国を挙げて、この天の助けを受け止めなければならない。
1915年になると、北京政府の袁世凱に対して、山東半島の利権やその他のさまざまな利権を要求した。
この内容の一部は密約であったが、袁世凱政権が帝国主義諸国に公表すると、日本はかえってアメリカやイギリスの警戒を招くことになった。
資料 『東京朝日新聞』(1915年2月6日)
然るに最近に至りて両国の利害に深大なる関係ある重要なる新問題は又復発生せり。其は他にあらず、青島陥落後に於ける独逸の勢力駆逐に関する問題即ち是なり。元来我国が曩に欧洲戦乱の渦中に投じ独逸に向って戦を宣せし所以のものは、日英同盟の誼に依ること勿論なりと雖も、抑も亦東洋永遠の平和を害するの虞ありたる独逸の勢力を極東より駆逐せんが為めに外ならず。故に青島陥落後に於て、我国は当然独逸の山東に於ける勢力を根本より抜き去らざる可らずと雖も、猜疑深き支那人は是を以て我国の野心に基くとなす。随って此問題を何時までも未解決の儘に擱く時は、日支両国の国交は更に一層不円滑となるの懸念なきにあらず。
(中略)
我国の支那に対する要求にして果して以上の如しとせば、北京政府も亦誠意を以て之を迎え、而して日支両国の親交を根本的に維持せんが為めに、速かに之に同意すべきなり。既に我当局者が東洋永遠の平和の為め、両国に取りて有利なりと認めて提出したる以上、支那の拒絶に会して訳もなく引込むが如きは、其面目にかけても能わざるなり。又国民は斯かる不面目を忍ぶものにあらず。故に其結果は唯支那の承諾あるのみ。若し支那政府にして之が承諾を躊躇し、若くは一部分を拒絶するが如きことあらんか、吾人は之を以て彼等が東洋永遠の平和に対して誠意を有せざるものと認めざる能わず。
Q. この新聞は、二十一か条要求に対し、どのような主張を見られたのだろうか?
このように、第一次世界大戦期の外交には、世論の声も大きく反映されていた。
戦場はヨーロッパのみならず、アフリカ、西アジア、東アジア、太平洋にもおよんだ。たとえばアラビア半島では、イギリスの画策によりオスマン帝国に対するアラブ人の反乱が勃発した。インドのように自治の約束の見返りに戦争への協力を強いられた植民地の人々は、戦後に約束が果たされないことから不満がつのり、戦後には独立運動が激化することとなった。
■総力戦体制
サブ・クエスチョン
第一次世界大戦は、それまでの戦争と、どのような点で異なっていたのだろうか?
第一次世界大戦は、人類にとって初めての総力戦であった。
総力戦とは、前線の兵士が、銃後の民間人と一体になって、戦時体制をつくりだすシステムのことだ。
戦争の期間も長期にわたり、国民国家と帝国域内の経済や社会のすべてが、戦争遂行のため動因されていくこととなった。そのためには、政府が強制的に人々を動員すれば事足りるわけではない。人々が主体的に戦争に協力する仕組みや、戦争に協力したいという気持ちを呼び起こす必要がある。
これまで見てきた「近代化」によって成立した国民国家には、そのための仕組みは内蔵されていなかった。
また、植民地主義をめぐり対立する帝国主義諸国の国際関係(秘密外交による二国間同盟を基本とする安全保障)に、歯止めをかける仕組みも、整備されていなかった。
つまり、第一次世界大戦は、「近代化」によって成立した国民国家間の軍事同盟網の矛盾によって引き起こされたとみることができる。
戦争が長期化すると、被害は民間人にも及び、物資の生産のために男性のみならず女性も動員された。このことは結果的に、戦中・戦後の女性の社会進出を後押しすることになった。
帝国主義諸国同士の戦争は、19世紀後半に進んでいた国際的連帯の動きに水をさすこととなった。たとえば、各国の社会主義政党による第二インターナショナルは、開戦前夜には反戦決議をおこなったものの、開戦すると各国政党が自国政府の支持にまわり「城内平和」に取り込まれていった。それでも反戦をつづける社会主義者もおり、戦後の運動へとつながっていくこととなる。
しかし、日本にとっての第一次世界大戦は、直接的には総力戦ではない。戦場が遠く、人的な犠牲も関係各国・植民地に比べてはるかに小さかったからだ。
日本は大きな犠牲を払うことなく、戦後に成立する国際秩序の第一線に参加する切符をつかむこととなったのだ。
■厭戦気分と終戦
サブ・クエスチョン
第一次世界大戦を終わらせたものは、何だったのだろうか?
長期にわたる総力戦への負担は、社会的弱者にとっては耐え難いものとなった。たとえばロシアでは1917年に戦争継続への不満から、第二次ロシア革命が勃発し、ロシア帝国は滅亡した。しかし革命により成立した臨時政府は戦争を継続したため、秋に再度革命が起き、急進的社会主義者によるレーニンやトロツキーによる革命政権が樹立された。
資料 「平和に関する布告」(1917年11月)
10月24〜25日の革命によって樹立された労働者、兵士及び農民の代表から成るソヴィエトから力を得ている労働政府は、全ての交戦国民とその政府に対し公正で民主的な平和に至る交渉を直ちに開始するよう提案する。すなわち、困窮し、苦しめられ、また戦争で痛めつけられた全ての交戦国の勤労者と労働階級の大部分の者が希っている平和、ロシアの労働者と農民がツァーの帝政転覆依頼かくも声高にまた執拗に要求していた平和、そして本政府が無併合(すなわち、外国領土の併合及び外国民族の強制的編入のない平和)、かつ無賠償の即時平和と考えているような平和である。
ロシア政府は、交戦している全ての人民に対しこの種の平和が直ちに締結されるよう提案し、また、全ての国家及び民族の全権会議によりかかる平和の全ての条項が最終的に確認されるまでの間に、全ての決定的な行動を最小限の遅滞もなく直ちにとる用意があることを表明する。本政府は、強制的な編入がいつ起きたかを問わず、また大国の国境内で強制的に編入されたか或いは拘束された民族がいかに先進的であるか、またいかに後進的であるかを問わず、更にこの大国が欧州にあるか、または海を隔てた遠い地にあるかを問わず、弱い国家による明確で自発的な同意の表明がない場合、一般的には民主主義の、個別的には労働階級の法的概念に基づいて、大国で協力な国家による小国で弱い国家のいかなる編入も併合か外国領土の強奪であると判断する。もしある国家の境界内で、ある民族が力により拘束された場合、またはもしその民族が、報道、国会、党の関係、または民族に対する抑圧への抗議・決起による表明された意思に反して、自由な投票により、また編入しようとしている強国の部隊の存在から完全に自由な状態で国家の形態を決定する権利を与えられていない場合、強国によるその民族の支配は併合であり、力と暴力による強奪であると解釈する。
本政府は、単に弱小民族を強力で豊かな国家の間でいかに分割するかを決定するだけのためにこの戦争を継続することは、人類に対する最大の犯罪であると考え、例外なく全ての国民に対して等しく公正であるという前述の条件でこの戦争を終わらせるということになる平和条項に直ちに署名する用意があることを厳粛に表明する。同時に本政府は、上記の平和の条件を最後通牒とは見做していない。すなわち、本政府は他のいかなる条件をも検討する容易があることを宣言する。しかしながら、いかなる交戦国からの条件も可及的速やかに提案され、また最も明快な言葉で曖昧さや秘密なく表現されなければならない。本政府は秘密外交を廃止し、全ての交渉を絶対的に公けにし、全ての人民のために実行するとの固い決意を表明する。本政府は、1917年3月から11月7日までに地主と資本家たちの政府によって締結され、批准された全秘密条約を公表することに直ちに着手する。これらの秘密条約の全条項は、ロシアの地主と資本家たちの利益と特権を確保し(大部分の場合そうであるが)、大ロシア人による併合を維持しまた増加させるという目的を持っている限り、政府は直ちにまた絶対的にこれらを無効とする旨宣言する。
(出典:https://worldjpn.grips.ac.jp/documents/texts/pw/19171108.D1J.html)
資料 ソ連のポスター

革命政権は翌年ドイツと単独講和し、戦争から離脱して、世界を驚かせた。
一方、当初は伝統的な孤立主義政策を守り、中立の立場をとっていたアメリカ合衆国は、イギリス、フランスの戦費調達をになう金融資本家の要求もあり、アメリカの民間船がドイツの無制限潜水艦作戦によって撃沈され、世論が開戦に傾いたところで、1917年4月に参戦決議を可決した。
資料 アメリカの参戦1ヶ月前の『The New York Times』(1917年3月1日)

資料 ウィルソンの対ドイツ宣戦教書(1917年4月2日)
去る2月3日、私はドイツ帝国政府の異常な声明を公式に諸君の前に提出いたしました。それは、ドイツが2月1日以降、法ないし人道のあらゆる制約を放棄し、イギリスおよびアイルランドの諸港、ヨーロッパの西海岸、ないし地中海内でドイツの敵の支配下にあるあらゆる港に近づこうとするすべての船舶を沈めるべく、潜水艦を使用する決意であるとの生命でありました。……私もしばらくの間、このような行為が、これまで文明諸国の人道的慣行に賛同してきた国によって実際におこなわれるとは、信じ得ませんでした。……現在ドイツが通商に対しておこなっている潜水艦戦は人類に対する戦争であります。
(中略)われわれの目的は、世界の暮らしのなかで、利己的で専制的な権力に反対する平和と正義の原則を立証し、今後これらの原則の遵守を保障するための目的と行動の協調を、世界の真に自由かつ自治の諸国民の間に樹立することであります。……世界は民主主義のために安全にされねばなりません。(木下尚一ほか編『史料が語るアメリカ』)
Q1. アメリカにおけるドイツへの参戦機運の高まったのはなぜだろうか?Q2. ウィルソン大統領は、参戦の目的が何であると述べているだろうか?
当時約20万人の軍隊を保有していたアメリカは、参戦にあたって約480万人の軍隊を構築し、うち約200万人の兵力をヨーロッパに送った。
アメリカ合衆国は戦場とならなかったため、その経済力がイギリス、フランスの連合国側を物量面で支えた。
機関銃を用いる地上戦のため、塹壕の中に長期間待機する前線の兵士たちの前には、新兵器である戦車や毒ガスが次々と投入され、その身体的・精神的な苦痛もすさまじかった。
結果的に1918年秋にオーストリア・ハンガリー帝国が崩壊し、領内の諸民族は独立運動を展開した。
11月にはドイツで、戦争の継続に反対する兵士や労働者が革命をおこし、ドイツ帝国皇帝はオランダに亡命し、共和国の臨時政府が樹立された。臨時政府は連合国とパリで休戦し、連合国側の勝利をもって第一次世界大戦は終結した。
■戦争の記憶
サブ・クエスチョン
第一次世界大戦の記憶は、どのような形で、どの程度受け継がれていった/いるのだろうか?
第一次世界大戦は、戦死者800万人、これとは別に民間人の死者660万人にものぼる、世界各地に大量の死者をもたらした。
兵士を動員した国家や、送り出した地域社会は、しばしば記念碑、石像や墓地を設置し、戦没者に対する記念や追悼を行った。その中には、遺族や関係者のさまざまな感情や政治的な思惑が隠されていることも多い。
たとえばパリの凱旋門には、第一次世界大戦の戦没者の碑文が刻まれ、国家に尽くした兵士が顕彰されている。
しかし、ドイツの女性芸術家であるケーテ・コルヴィッツの彫像「両親」(1932年完成)のように、国家との結びつきを排除し、子を亡くした両親の思いを表現しようとした作品もみられる。
戦争の記憶は、当事者の死去とともに薄れ、ときに改変された形で受け継がれていくものである。当時の人々が、新しい時代の戦争とどのように向き合ったのかは、文字資料だけでなく、こういった記念碑を通しても迫る余地がある。
資料 パリのエトワール凱旋門 地下に眠る「無名戦士」の墓のレリーフ

資料 佐世保に残る第一次世界大戦

大正3年(1914)に勃発した第一次世界大戦において、日本は連合国側に参戦した。大戦後半、佐世保鎮守府の所属艦艇を中心に第二特務艦隊が編成され、地中海において潜水艦からの護衛という前例のない任務に就いた。日本艦隊の献身的な護衛活動は高く評価され、イギリス国王から勲章を授与されるほどだった。
この活躍を記念し、凱旋記念館の建設が企画された。のちに旧制西海中学校(現西海学園高等学校)を創立する菅沼周次郎が建設委員長を務め、建設費は鎮守府管下各県からの寄付金で賄われた。
記念館にふさわしく装飾性に富んだ建物であり、海軍の催事などに使用された。
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