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歴史のことばNo.6 桑原隲蔵 「蒲寿庚が宋を捨てて元に帰したことは、宋元の運命消長にかなり大なる影響を及ぼした」

桑原隲蔵(くわはらじつぞう、1931-1931)は戦前の東洋史の大家。指導した学生は枚挙にいとまがないが、宮崎市定や間野英二、島田虔次など、錚々たる大家がならぶ。

その桑原が、この小文でスポットライトをあてたのは、蒲寿庚(ほじゅこう)という南宋末から元初にかけての貿易家だ。

蒲寿庚の面白いところは、彼が中国南部の貿易を牛耳ったイスラム教徒であったこと(桑原説では、「蒲」は、アラビア語人名に多く見られるAbuの音からとったもの)。
泉州の提挙市舶司、すなわち港湾における交易の元締めとなっていたこと。
そしてその巨利と権勢を背景として、宋から元へと、軽やかに身を転じ、元の南海政策に協力したこと。

ユーラシア西部、海域アジアの一環として、中国の歴史をみる際、欠かすことのできないのが、この蒲寿庚である。


宋代の栄えた紀元1000年前後は、長江下流の生産力が著しく高まり、環インド洋を行き交う貿易が、中国を軸に、地中海や東シナ海なども巻き込む空前の交易ブームとなった時代である。
平清盛が大輪田泊に中国商人をよびよせ、唐物(からもの)と銅銭に熱狂したのも、ば「グローバル化波に乗るべし」との戦略、與那覇潤氏のいい方にならえば「中国化」ゆえのことである。


商工業の花開いた宋朝。
では、なぜ蒲寿庚が宋を見限り、元側につくこととなったのか。
それはぜひ桑原氏の小論にたずねてほしい。

最近では、チャールズ・マンが『1493』でとりあげていたのも、おもしろかったが、やはり簡にして要を得る、この作品からはじめたい。


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