4-2-2-1.ウィーン体制(2) 新科目「世界史探究」をよむ
ヨーロッパ各国の君主たちが、望んだ世界とは?
実際、ナポレオンがフランスで廃位された1814年。
ヨーロッパ各国の君主たちがウィーンに集まり、国際会議が開かれた。

これをウィーン会議という。
イギリス産業革命、フランス革命、アメリカ独立革命、ナポレオン戦争と、立て続けに大きな変動に見舞われた北アメリカと西ヨーロッパ。
会議に参加した各国の代表は、国際秩序を取り戻すため、ヨーロッパをフランス革命以前の状態にもどそうとしたのだ。
――なぜそんなことを?
とくにフランス革命で叫ばれた「平等」の概念が、各国の君主や貴族によって警戒されたことが大きいね。
「平等」な社会を待ち望むのは、どちらかといえば、貧しい人、社会のなかで弱い立場にある人たちだ。
能力や富の量による格差を放置するのではなく、なんらかの方法で格差を是正する。そのためには、お金持ちの財産に制限をくわえることになるかもしれない。下のように座標軸を2つとると、この立場はⅢの象限にマッピングできる。
――それじゃあお金持ちにとって社会が「平等」になるのは、不都合でしょうね。
もしかしたら、自由にお金を稼ぐことが制限され、自分の財産がとられてしまうかもしれないからね。

探究のポイント①
自由や平等といった価値は、その人の置かれた立場によって重要性や意味合いが変化する!
じゃあ、フランス革命の混乱のなかで国外に亡命していた貴族やカトリック教会の関係者、ヨーロッパ各国の君主たちは、上の座標軸のなかでは、どれにあたるだろうか?
――貴族たちって、革命のときに財産を没収されていましたよね。
それをとりかえして、また領地を支配したいと考えるんじゃないでしょうか。
そうだね。
革命以前の「身分によって階層化された社会」のほうがいいだろうね。
でも彼らの望むは、18世紀以降めきめきと力を伸ばしていた、資本家や弁護士といった人々の望む「能力や富の量によって階層化された社会」とは、真っ向から対立する(これを目指す思想を「自由主義」という)。
実力や富によって、身分にもとづく秩序がひっくり返されたらたまったもんじゃないからね。
だからこそ、オーストリアのメッテルニヒ(1773〜1859)を中心に、どこか一国のみが覇権を握るのではなく、大国同士が勢力を均衡させる(バランスをとる)ことで平和を維持する体制(ウィーン体制)が成立した。
メッテルニヒは非常に有能な政治家で、ナポレオン時代には、オーストリアのハプスブルク家のマリ・テレーズをナポレオンの再婚相手とするなど、巧みな外交で国家存続を図った人物だ。
高まるナショナリズム
このウィーン体制を突き崩す方向性として、もう一つ「ナショナリズム」の動きがあった。
――「ナショナリズム」?
国民としてのまとまりのある国をつくっていこうとする思想や運動のことだよ。
――国が国民としてまとまっているなんて当たり前じゃないんですか?
じつはそういうわけではなくてね、近代以前には、一つの国のなかにいる大勢の人々が、同じ「国民」としての意識を強くもつということはなかったんだ。
だけれど、フランス革命や産業革命によって幕を開ける近代以降、「国民」という意識は強まっていった。
ベネディクト・アンダーソンという研究者に、国民により構成された国家が、近代以降どのように生み出されていったのかということに関する『想像の共同体』という本がある。
この本について解説した、社会学者の大澤真幸さんによる次の文章を呼んでみよう。
「国民の決定的な特徴は、それを構成する人たちは、互いに直接会うことはない、ということです。どんな小さな国民でも、同胞同士は、互いに知り合いではないのです。同胞同士は、互いのことを個人的にはよく知らず、一生会うこともありません。他の共同体の場合は、「お互いが仲間だ」という想像力は、直接の具体的な関係に支えられていますが、国民の場合は、そんな直接の関係の支えなしに、想像力が働く。直接の関係なしに、それとは独立に、ただ想像の中でのみ、強い同胞意識が成り立つわけです。[…]
近代[注:ここでは18世紀中頃あたりから後の時代]より前には、互いに直接的には知らず、会ったこともなく、会う可能性すらもないような多くの人たちが、強い同胞意識をもった共同体を形成し、構成員が、場合によってはその共同体のために死んでもかまわないとまで思う……などということはありませんでした。近代以前は、強い絆――命がけの忠誠心をもつような絆――というのは、すべて、その個人を中心とし他直接的な関係を連ねたネットワークでした。」
(注)同胞:仲間という意味。
(出典)大澤真幸「アンダーソン『想像の共同体』―ナショナリズムの成り立ちと構造」、『別冊NHK100分DE名著 ナショナリズム』NHK出版、2020、第1章。
――見たことも会ったこともない人だけでど、同じ国民だと感じる……。本当にそれ以前の人たちには、同じ国民という意識はなかったのかな。
これまでも国別に歴史を勉強してきたじゃないですか。
国民という意識よりも、身分としての意識のほうが重要だったんだよ。
「フランス革命よりも前のフランス貴族は……」なんて言ってしまいがちだけれど、貴族はフランスのことなんて、これっぽっちも愛しちゃいない。愛しているのは所領や、自らの家柄だけだ(笑)
よい家柄であれば、王国を超えて婚姻関係だって結んでしまう。
それが当たり前だったのが、前近代の時代なんだ(下図の座標軸では、この立場はⅣにあたるだろう)。

ところが近代以降、国民的英雄や戦争の記念碑、公教育の制度などを通じ、国民としての意識が高められていった。新聞や小説の販売部数の増加も、見たことも会ったこともない人々が「同じ時代に同じ国民としての生活をおくっている」という意識を高めるのに一役買うこととなる。
上図の座標軸においては、y軸の上方向(統合)のベクトルだ。
――国民の間には、格差はなかったの?
そりゃあ、同じ国民なのだから平等であるほうが、みんなも納得がいくだろうね。
でも産業が盛んになれば、格差は生まれざるをえない。
理念と現実のギャップが実際にどのように埋められていったのか、これから具体的にみていくことにしようね。
探究のポイント② 「理念」と「現実」の違いに注意しよう!
***
短命に終わったウィーン体制
各国の君主や貴族たちは、国民としての意識が強まらないよう、ときに軍隊を出して実力行使することもあった。
しかしそのことが、余計に火に油を注ぐことに。
時代の趨勢は、着実に「能力や富の量によって階層化された社会」、「国民としてのまとまりを強める国家」を主軸とする方向に進んでいったのだ。
結果としてウィーン会議は、自由主義やナショナリズムの要求をおさえこむことはできず、発足して30年足らずの1848年に崩壊することとなる。
その間、いったい何がおこったのか。社会の変化にも目を配りながら見ていくことにしよう。
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