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新科目「歴史総合」を読む 2-3-1. 世界恐慌

2-3. 経済危機と第二次世界大戦

メイン・クエスチョン
経済危機と第二次世界大戦を通して、人類の世界はどのように変化したのだろうか?

(参考)学習指導要領 
諸資料を活用し,課題を追究したり解決したりする活動を通して,次の事項を身に付けることができるよう指導する。
ア 次のような知識を身に付けること。
(ア)世界恐慌,ファシズムの伸張,日本の対外政策などを基に,国際協調体制の動揺を理解すること。
(イ)第二次世界大戦の展開,国際連合と国際経済体制,冷戦の始まりとアジア諸国の動向,戦後改革と日本国憲法の制定,平和条約と日本の独立の回復などを基に,第二次世界大戦後の国際秩序と日本の国際社会への復帰を理解すること。
イ 次のような思考力,判断力,表現力等を身に付けること。
(ア)経済危機の背景と影響,国際秩序や政治体制の変化などに着目して,主題を設定し,日本とその他の国や地域の動向を比較したり,相互に関連付けたりするなどして,各国の世界恐慌への対応の特徴,国際協調体制の動揺の要因などを多面的・多角的に考察し,表現すること。
(イ)第二次世界大戦の推移と第二次世界大戦が大戦後の世界に与えた影響,第二次世界大戦後の国際秩序の形成が社会に及ぼした影響などに着目して,主題を設定し,日本とその他の国や地域の動向を比較したり,相互に関連付けたりするなどして,第二次世界大戦の性格と惨禍,第二次世界大戦下の社会状況や人々の生活,日本に対する占領政策と国際情勢との関係などを多面的・多角的に考察し,表現すること。

2-3-1. 世界恐慌

メイン・クエスチョン
世界恐慌によって、世界はどのように変化したのだろうか?


■世界恐慌の発生

サブ・クエスチョン
恐慌はどのように始まったのだろうか?


 世界恐慌の原因には、戦後の過剰な工場生産、国際貿易の不均衡、行き過ぎた投機など諸説があるが、直接的な引き金となったのは、1929年10月24日、ニューヨーク証券取引所で始まった株価の大暴落である。これが世界各地に拡大し、その後、数年間にわたる世界恐慌がはじまった。 


■各国の対応

サブ・クエスチョン
世界恐慌に対し、各国はどのように対応したのだろうか?


 世界恐慌への対応は国によりさまざまであったが、国家がこれまでになく経済に介入するようになったことは共通している。

 対応に失敗した政府は大衆の支持を失い、劇的な回復をうたう急進的な主張が支持を得やすい状況が生まれた。

資料 主要各国の一人当たり所得の推移

パブリックコモンズ、https://en.wikipedia.org/wiki/Great_Depression


 世界恐慌の発生に際し、イギリスは1931年に挙国一致内閣を成立させて、金本位制を停止した。1932年にはイギリス連邦内部での貿易を保護するブロック経済化を進めた。
 ブロック経済化は、フランスや日本、アメリカにも拡大し、植民地を持たない国々の市場や投資先を狭め、新たな対立をもたらした。


資料 輸出額対GNP比

出典:社会実情データ図録4900、http://honkawa2.sakura.ne.jp/4900.html

Q. 上記のグラフによると、1929年前後の世界経済における貿易の比重は、どのように変化したといえるだろうか?


 恐慌の発端であるアメリカ合衆国では、保守党のフーヴァー大統領が事態の収集に失敗し、大統領選挙では1933年に民主党に政権交代した。

資料 フランクリン・ローズヴェルトの就任演説
 (前略)我々が恐怖すべきことはただ1つ、恐怖そのものなのである――名状し難く理不尽で不当な恐怖は、撤退を前進へと転換させるために必要な努力を麻痺させてしまう。国民生活が暗黒の時を迎えようとも、率直で活発な指導者に対し、勝利に不可欠な国民の理解と支持を受けた。この危機的な日々にあっても、諸君は再び指導者を支持してくれる。私はそう確信している。(中略)
 最後に、我々は仕事を再開するに際し、旧体制の悪弊の復活に対する2つの予防措置を必要とする。全ての銀行業務、信用取引、投資を厳しく監督し、他者の資金を用いた投機に終止符を打たねばならない。そして、充分にして健全な通貨を準備せねばならない。(中略)
世界政策の分野においては、善隣外交政策を採るべきであると考える。断固として己を尊重し、そうするが故に他者の権利を尊重する。己の義務を尊重すると共に、隣人の世界における合意の神聖さを尊重する。(中略)
 行政権と立法権との間に常に保たれている均衡は、我々が直面する未曾有の課題に対処するに最適な状態にであることが望ましい。だが、遅滞なき行動を求める未曾有の要求の故に、公的手続きに関して、通常の均衡から一時的に逸脱する必要が生じることもあろう。
私は憲法が定める義務の下で、傷付いた世界の只中にいる、傷付いた国民が必要とするであろう措置を勧告する用意がある。これらの措置、または議会がその経験と叡智から生み出す措置を、憲法が定める権限の枠内で、速やかに採択するよう努める。(攻略)
(https://ja.wikisource.org/wiki/フランクリン・ローズヴェルトの第1回大統領就任演説)

 フランクリン・ローズヴェルトはまず金本位制から離脱し、中南米諸国との経済的な結びつきを強める善隣外交をおこなった。雇用を生み出すために公共事業を創出し、労働者の団結圏・団体交渉権を保障するとともに、アメリカ史上初の社会保障法を制定した。これらは国家が景気の浮揚に積極的に管理する新しい政策であったが、実際のところアメリカの景気は、軍需生産の拡大によって支えられていくこととなる。


日本への影響

サブ・クエスチョン
世界恐慌は、日本の経済や社会にどのような影響を与えたのだろうか?

 日本は第一次世界大戦中や終戦直後は好景気となるが、戦後、ヨーロッパの経済が復興すると輸出が減少し、関東大震災(1923年)、金融恐慌(1927年)のあいだに、銀行の休業や破綻が相次いだ。


 そんな中、おりしも1930年に浜口雄幸内閣が金輸出禁止をといて、金本位制を復活させ、緊縮財政を実施していた。これが世界恐慌と重なり、昭和恐慌となった。


資料 恐慌下の農村 秋田県・山形県での身売り防止運動
看板(張り紙)の内容は「娘身賣の場合は當相談所へ御出下さい 伊佐澤村相談所」

(出典:下重清『“身売り”の日本史―人身売買から年季奉公へ (歴史文化ライブラリー)』吉川弘文館、2012年、231-233頁)


資料 日本の農産物の生産価格の変化

(出典:『高根沢町史 通史編Ⅱ』より、https://trc-adeac.trc.co.jp/WJ11E0/WJJS06U/0938605100/0938605100100020/ht002450



 1931年に満州事変が起きると閣内不一致となり、若槻禮次郎内閣は総辞職。ついで犬養毅内閣が成立し、高橋是清蔵相は金本位制を離脱して、円相場下落を放置し、輸出を拡大させるとともに、瀬軍事費を含む歳出を増加させて需要を創出し、重化学工業を発展させた。それと同時に、満洲を中心とする経済ブロックも形成した。こうして日本は他の資本主義諸国に先駆けて景気を回復させた。




各国への影響

 一方、中国では、生糸や原材料品の海外輸出が激減し、農村部では深刻な影響がでた。しかし中国は銀本位制をとっていたため、銀価格が暴落し、輸出品の価格が下落したことで、束の間の好況を迎えることができた。
 ところがその後、日本が満州を侵略し、主要国の金本位制に伴うアメリカの銀買上げ政策が銀価格を高騰させたために、中国にも恐慌が波及する。 
 こうした情勢を受け、中華民国政府は、銀の国際価格が変動するたびに景気に影響が及ぶのを防ぐためにも、1935年に幣制改革を実施し、経済を安定させた。


資料 ケインズの論文(1933年)
(前略)私は、多くの英国人と同様に、自由貿易は、合理的で見識のある人が疑うことのできない経済的な教義のみならず、ほとんど道徳的な法則の一部として尊ぶように育てられてきた。私は、自由貿易を逸脱することは、愚かであると同時に非道であるとみなしてきたし、100年近くにわたって維持されてきた英国の揺るぎない自由貿易の信念こそ、イギリスの経済的優位性を人に対して説明し、神に対しても説明でいる根拠であるとの確信をいだいてきた。1923年の時点で私は、自由貿易は基本的な「真理」に基づいており、で「この「真理」が、適当な限度の下で述べられる時には、いやしくも物の道理のわかる人間なら反駁できない」と書いていた。(I was brought up, like most Englishmen, to respect free trade not only as an economic doctrine which a rational and instructed person could not doubt, but almost as a part of the moral law. I regarded ordinary departures from it as being at the same time an imbecility and an outrage. I thought England's unshakable free trade convictions, maintained for nearly a hundred years, to be both the explanation before man and the justification before Heaven of her economic supremacy. As lately as 1923 I was writing that free trade was based on fundamental "truths" which, stated with their due qualifications, no one can dispute who is capable of understanding the meaning of the words.)
(中略)とはいえ、私の心境は変わっているし、他にも多数の人たちもこの変化を共有している。(Yet the orientation of my mind is changed; and I share this change of mind with many others. )
(中略)
このような強い理由から、私は、現在の過渡期が終われば、1914年当時よりも国家の自給自足と各国の経済的孤立の度合いが大きくなることが、むしろ平和のために役立つのではないかという信念に傾いている。いずれにしても、経済的国際主義の時代は、戦争を回避するのに特別な成功を収めたわけではない。(For these strong reasons, therefore, I am inclined to the belief that, after the transition is accomplished, a greater measure of national self-sufficiency and economic isolation among countries than existed in 1914 may tend to serve the cause of peace, rather than otherwise. At any rate, the age of economic internationalism was not particularly successful in avoiding war; …)
(中略)
思想、知識、科学、もてなし、旅行など、これらは本来、国際的であるべきもの。しかし、商品は、合理的かつ簡単にできることならつねに自国で生産するようにし、なによりも金融は原則として国独自のものにしなければならない。(I sympathize, therefore, with those who would minimize, rather than with those who would maximize, economic entanglement among nations. Ideas, knowledge, science, hospitality, travel--these are the things which should of their nature be international. But let goods be homespun whenever it is reasonably and conveniently possible, and, above all, let finance be primarily national. )
(中略)私たちは、少なくとも当面は、そして現在の過渡的、実験的な段階が続く限りは、自分たち自身が主人であり、外界の干渉からできる限り自由でありたいと願っている。(We wish--for the time at least and so long as the present transitional, experimental phase endures--to be our own masters, and to be as free as we can make ourselves from the interferences of the outside world.)

(出典:John Maynard Keynes, "National Self-Sufficiency," The Yale Review, Vol. 22, no. 4 (June 1933), pp. 755-769.)



ソ連への影響


 ソ連ではスターリンのもとで1928年から第一次五カ年計画が進められていたため、恐慌の影響を受けることなく、工業国に成長していった。

資料 ソ連の党協議会で採択された決議文(1929年4月29日)
1.ソヴェト社会主義共和国連邦国民経済発展五カ年計画についての報告をうけて、第16回全連邦党協議会は、第一に、五カ年計画は国民経済の全般的成長に関して、次の成果を予定するものとする。
(d) 国の工業化の全般的構想、すなわち連邦の防衛力の強化、資本主義諸国への従属からの脱却をめざして、工業における投資は生産手段生産部門に優先的にむけられ(工業への総投資中の78%)、それによってこの工業部門はかなり急速に発展することになる。工業生産の増加が2.8倍と計画されているのに対して、生産手段部門の生産は3.3倍に拡大する。

(出典:斉藤稔・訳『世界史史料10』岩波書店、262-263頁)

 しかし、穀物危機の発生や世界恐慌、未熟練労働者の流入や日本の「満洲」侵略により、第一次五カ年計画は当初の見込みを大きく下回ることになる。
 農業生産は計画期間中に14%も下回ったが、外貨を得るために、集団化された農村から穀物が輸出され、不作も相まって農村を大規模な飢餓が襲った。工業化も重工業に特化したものであり、国民の生活物資は不足した。スターリンの独裁も強化され、個人崇拝の傾向も強められていったため、計画が未達であった事実はスターリン死後にソ連経済統計集が公刊されるまで隠された(参考:斉藤稔、上掲、263頁)。

資料 強化される集団農場での規律(1933年、ソ連のウズベキスタン)

右の人物のひとりが持ち去ろうとしているBENZINと書いてある容器は「ガソリン」のこと。

Q. このプロパガンダ・ポスターは、どのようなメッセージを伝えようとしたものなのだろうか?

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みんなの世界史 このたびはお読みくださり、どうもありがとうございます😊