見出し画像

「正しい」世界史のつくりかた

世界史は「生成される」もの


  あなたが最後に読んだ(あるいは読みかけた)世界史の本を、思い出してみてください。

 古代エジプトから始まっていましたか。それとも人類の誕生から? メソポタミアの章がありましたか、モンゴル帝国の章がありましたか。産業革命は何ページくらいで出てきましたか。最後のほうで「グローバル化」という言葉は使われていましたか。

 たぶん、あまり覚えていないと思います。
 それが普通です。

 世界史の本を手に取るとき、わたしたちはその本の「内容」には注意を払っても、「構成」にはほとんど注意を払いません。
 どこから始まり、何が主役で、どういう順番で出来事が並んでいるか。そこにどんな選択が働いているか。

 ましてや、その本と、読まなかった別の本を比べてみる、なんてことはまずしないでしょう。

 でも、もしそれをやってみたとしたら、気づくことがあるはずです。


 たとえば、ある本は古代ギリシアに始まり、ルネサンス、宗教改革、フランス革命、産業革命を経て現代に至ります。「人類は段階的に前進してきた」という感触が残ります。

 別の本はモンゴル帝国から語り起こし、ユーラシア大陸を横断する交易ネットワークを軸に据えます。「世界はつながりによって動いてきた」という感触になります。

 さらに別の本は137億年前のビッグバンから始まり、人類の文明を宇宙の歴史の一コマとして扱います。「人間って、宇宙からすれば一瞬の出来事なんだな」という感想になります。


 どれも「世界史」を名乗っています。でも、出発点が違う。主役が違う。力を入れて語る出来事が違う。そして読み終わったあとの印象も変わってくる。

***

 考えてみれば当然のことです。「世界史」は、地面を掘ったら出てくる化石のようなものではありません。過去に起きた出来事は膨大にあって、そのすべてを語ることは不可能です。ということは、誰かがそのなかから一部を選び取り、ある順番に並べ、ある因果関係で結びつけている。その「選び方」「並べ方」「結びつけ方」にこそ、書き手の立場が現れます。

 つまり、世界史はすでにある、出来合いのものが写し取られるものではなく、がんらい「生成される」ものなのです。


***

 「つくられる」と聞くと、歴史の捏造とかプロパガンダの話かと思われるかもしれません。まあ、まったく重ならないわけではありませんが、歴史を「つくる」という営為はプロパガンダに限りません。
あらゆる歴史の記述は構成の産物である、という話です。歴史学の基本中の基本と言ってもいい認識です。

 歴史家のE・H・カーは「歴史とは歴史家と事実のあいだの不断の相互作用のプロセスであり、現在と過去との終わりなき対話である」と書いています(E. H. Carr, What is History?, 1961〔清水幾太郎訳『歴史とは何か』岩波新書、1962年〕)。

事実そのものは存在します。しかし、どの事実を拾い、どの事実を捨て、どう並べるかという作業のなかに、書き手の視点がどうしても入り込みます。


 歴史哲学者のヘイドン・ホワイトは、さらに踏み込んだことを言っています。
歴史の記述には、小説や演劇と共通する「物語の型(プロット)」が作動している、と(Hayden White, Metahistory, 1973〔岩崎稔ほか訳『メタヒストリー』作品社、2017年〕)。進歩の物語として語るか、悲劇として語るか、風刺として語るか。選ばれた「型」が、同じ事実にまったく違う意味を与えるのです。


***

 では、その「型」、世界史ナラティブの類型にはどんなものがあるのでしょうか。

 それは次の7つです。

表 7つの代表的な世界史ナラティブ


 「歴史は一直線にゴールへ向かう」という型。「文明は生まれ、栄え、衰退する」という型。「覇権の中心は場所を変えながら移動する」という型。「地理や経済の構造が歴史を決める」という型。「つながりと交流こそが世界史の本体だ」という型。「歴史の語り方そのものを問い直す」という型。「とりあえず地域別に並べる」という型。

 これらはいずれも、過去を現在につなぐための設計思想です。
 どれを採用するかによって、同じ出来事がまったく違う意味を帯びます
 たとえば大航海時代は、「人類の進歩の一歩」(①目的論型)とも、「ヨーロッパ帝国主義の始まり」(④構造・環境決定型)とも、「大陸間のネットワーク接続」(⑤交流・ネットワーク型)とも語られます。
 どれが「正しい」かではなく、どの型を選んだかで見え方が変わる、ということです。


***

生成AIがナラティブを制御する時代がやってきた


 そして今、この「型の選択」をめぐる状況は、大きく変わりつつあります。

 ChatGPTに「世界史を教えて」と聞けば、数十秒で一つの世界史が生成されます。
 きれいに整っていて、読みやすくて、もっともらしい。
 しかしその背後には、訓練データの言語比率やプロンプトの設計があり、それらが出力される「世界史」の型を決めています。ためしに英語で聞くのと中国語で聞くのとでは、返ってくる世界史の骨格がかなり違います。

 YouTubeを開けば「地政学」動画が大量にレコメンドされます。
 TikTokでは60秒の「世界史まとめ」が流れてきます。
 国家がAIを使って自国に都合のよい歴史情報を量産し、SNSのアルゴリズムがそれを増幅する。
 
というかむしろ、誰でもコツさえつかめば、自分の望みに最適化されたナラティブによって、この記事のタイトルにあるような自らにとって「正しい」過去を編み出し、そして生成AIエージェント自身に歴史情報を吐き出させるといったことすら容易になりつつあるのです。



 こうした状況に対して、何ができるでしょうか。

 生成された歴史情報を丸ごと信じることでしょうか。
 何もかも疑って何も信じないことでしょうか。
 複数化されたいくつもの歴史情報にさらされ、翻弄されるしかないのでしょうか。

 
 いま必要なのは、提示された歴史情報の背後にある、「世界史ナラティブ」を読み解く力だと思います
 「この世界史は7つのうちどの型で構成されているか」「なぜこの型が選ばれたのか」「この型が見せてくれないものは何か」、これらを洞察する力です。

 わたしたちはここでこの力を、ヒストリー・ナラティブ・リテラシーと呼んでみたいと思います。

 それでは急ぎ、先ほどの7つの型をざっと見渡してみましょう。

***



7つのナラティブ類型をマッピングしてみよう



 下の図は、さきほどの7つの型を、座標軸上にマッピングしたものです。



 7つの型を整理するために、2本の軸を考えます。

 縦軸は「時間をどう捉えるか」です。

 上の方にあるのは「歴史にはゴールがある」という見方。人類はどこかに向かって前進している、と考えます。下の方にあるのは「歴史はパターンを繰り返す」という見方。盛衰が循環したり、変わらない構造が持続したりする、と考えます。

 横軸は「誰が歴史の主役か」です。

 左の方にあるのは「特定の文明や国家が中心にいる」という見方。右の方にあるのは「特定の中心を置かない」という見方。人類全体を主語にしたり、つながりやネットワークを主役にしたり、あるいは「主語」そのものを問い直したりします。

 ここで対象とするのは、人類の歴史、世界の歴史を時間的に長いスパンで、空間的にも広いレンジで叙述した仕事を指し、学術的であるかは問いません
 かならずしもすべての時代、世界のすべての地域を取り扱っているわけではないものも含まれますが、その叙述がどのような来歴と展望を背景としているのか、構成方針を踏まえて分析しています。
 そして最も重要なのは、いわゆる左右のイデオロギー、政治的や経済的な含意、コンテンツの形態などは、いったんすべて棚上げにしてみるということです。
 単に、2本の軸だけでマップを描いてみる。
 すると、世界史のさまざまな語り方が、きれいに位置づけられるんですね。


***


①目的論型 ── 「歴史にはゴールがある」

マップ上の位置:左上~中央上

 これが一番なじみのある型かもしれません。人類の歴史は一本の直線で、ある到達点に向かっている。古代→中世→近代→現代という進歩の物語です。

 もともとの原型は、キリスト教の普遍史にあります。アウグスティヌスが描いた「天地創造から最後の審判まで」の一本道ですね。神が歴史を導き、最後に審判が来る。

 この構造は、中身を入れ替えながら近代まで生き延びました。
 「神の国」の代わりに「理性の勝利」(啓蒙思想)、「階級なき社会」(マルクス)、「自由民主主義の勝利」(フクヤマ)、さらには「技術的特異点(シンギュラリティ)」(カーツワイル)。器は同じで、中身だけが変わっています。

 この型の強みは、歴史にわかりやすい「筋」を与えられること。危うさは、ゴールに近い者を「先進」、遠い者を「後進」と自動的に序列化してしまうことです。

見分け方のヒント:「〇〇はまだ△△の段階にある」「いずれ□□に至る」という表現が出てきたら、目的論型の可能性が高いです。




②興亡型 ── 「文明は生まれ、栄え、滅びる」

マップ上の位置:左下

 文明や国家を、生き物のように捉える見方です。生まれて、成長して、老いて、死ぬ。そのサイクルが繰り返される。

 シュペングラーの『西洋の没落』(1918年)がこの型の古典です。西洋文明はすでに「冬」に入っている、と彼は診断しました。トインビーは「挑戦と応答」という枠組みで、文明が衰退するかどうかは応答の質しだいだ、と修正しました。

 ハンチントンの『文明の衝突』もこの一員です。諸文明を固定的な実体として描き、その間の断層線に沿って対立が起きると論じました。


 この型が好まれる場面は、既存の体制に崩壊のきざしがあらわれたときです。
 「帝国はいつか必ず滅びる」という物語は、現在への危機感と結びつきやすい。「◯◯はなぜ滅亡したのか」というコンテンツに定評があるのは、この心理が背景にあります。

見分け方のヒント:「○○帝国の没落から学ぶ」「文明の衰退のサイン」といった表現が出てきたら、興亡型です。




③中心移動型 ── 「覇権の中心は場所を変える」

マップ上の位置:中央やや左

 世界史にはつねに「中心」がある。しかしその中心は、時代とともに地理的に移動していく。

 アンドレ・グンダー・フランクの『リオリエント』(1998年)は、18世紀以前の世界経済の中心はアジア(とくに中国とインド)にあった、と主張しました。ヨーロッパの「台頭」は、アジア経済の一時的な停滞に乗じた短期的な現象にすぎない、と。

 ジョヴァンニ・アリギは、ジェノヴァ→オランダ→イギリス→アメリカという覇権の移動を螺旋的なサイクルとして描きました。

 この型のポイントは、「中心がある」という前提そのものは疑わないことです。中心が西洋ではなくアジアだった、と主張するだけで、「そもそも中心なんてあるのか?」とは問いません。この点が、後で出てくる⑥脱中心型との違いです。

見分け方のヒント:「覇権の移動」「アジアの復権」「次の超大国はどこか」といった表現が出てきたら、中心移動型です。




④構造・環境決定型 ── 「地理や経済が歴史を決める」

マップ上の位置:下部に広く分布

 人間の意志ではなく、地理的条件や経済構造といった「動かしがたいもの」が歴史を規定する、という見方です。

 代表的なのは、ジャレド・ダイヤモンドの『銃・病原菌・鉄』
 なぜヨーロッパ人がアメリカ大陸を征服したのか(その逆ではなく)を、大陸の東西軸や家畜化可能な動物の種類といった地理的条件で説明しました。「ヨーロッパ人が優秀だったから」ではなく、「地理的に恵まれていたから」だ、と。

 いわゆる「地政学」的な歴史論もこのファミリーです。地形と海洋が国家の権力配置を決める。
 地図に矢印を引いて「だからこうなる」と説明する快感がありますが、歴史の複雑さが地図一枚に還元されてしまう危うさもあります。


 ウォーラーステインの世界システム論もここに入ります。
 「中心(豊かな国)」と「周辺(貧しい国)」の搾取構造が、近代世界を規定している。「なぜアフリカは貧しいのか」への答えが、「発展が遅れているから」ではなく「搾取の構造のなかに組み込まれているから」に変わります。


 梅棹忠夫の「文明の生態史観」もこのファミリーの一員に入れて分析してみましょう。日本を東アジア文化圏から引き離し、西ヨーロッパと対等な「独立文明圏」として位置づけました。
 この構成は、日本における「脱亜」的世界史観のフォーマットを切り開いたものとして、大きな影響を持っています。


見分け方のヒント:「地理的条件が決定した」「構造的な搾取」「ランドパワーvsシーパワー」といった表現が出てきたら、構造・環境決定型です。




⑤交流・ネットワーク型 ── 「つながりこそが世界史の本体だ」

マップ上の位置:中央~右

 ここまでの4つの型は、文明や国家の「内部の力」に注目していました。⑤は視点を変えます。歴史を動かすのは、文明と文明が「出会う」瞬間に生じる力だ、と。

 ウィリアム・マクニールは、文明間の接触と相互変容を世界史の駆動力とみなしました。

 クロスビーの「コロンブスの交換」は、疫病や植物の移動を主役に据えて、通常の歴史叙述では脇役の「モノ」たちが世界を変えたことを示しました。

 ブローデルの『地中海』もここに入れてみましょう。海域を舞台に、3層の異なる時間的な分析視点で、国境を横断する交流の歴史を描いたものです。

 この型の美点は、ヨーロッパだけが主役にならないこと。「つながり」が主役なので、シルクロードもインド洋も南シナ海も等しく重要になります。


 ただし、落とし穴もあります。「つながり」を強調するあまり、そのつながりに含まれる暴力や搾取が見えにくくなることがあります。植民地支配も、ある意味では「つながり」ですから。
 また「世界はどんどんつながりを深めてきた」と描くと、現在のグローバリゼーションを「歴史の自然な帰結」として正当化する効果を持ちかねません。

見分け方のヒント:「シルクロード」「インド洋交易」「モノの移動が世界を変えた」「ネットワーク」といった表現が出てきたら、この型です。




⑥脱中心型 ── 「そもそも『世界史を語る』こと自体を問い直す」

マップ上の位置:右下

 これはちょっと変わった型です。①〜⑤は、いずれも「世界史をどう語るか」に答えを出そうとしていました。⑥は、問いの水準そのものを変えます。「世界史を語るという行為の中に、どんな権力構造が埋め込まれているか」と問うのです。

 エドワード・サイードの『オリエンタリズム』が出発点です。西洋が「東洋」について語る言説は、東洋の客観的記述ではなく、西洋が自分自身を定義するための鏡だった、と。

 世界史構成ではありませんが、視点としてはチャクラバルティの「ヨーロッパを地方化する」の与えた影響力も少なくない。「近代化」「市民社会」「国民国家」といった歴史学の基本概念自体が、ヨーロッパの経験から作られたもの。それを世界中にあてはめること自体が、ヨーロッパを「普遍」の位置に据える行為になっている、と。

 ビッグヒストリー(137億年前の宇宙の誕生から語り始める世界史)や人新世論(人類を地質学的な力として捉え直す議論)も、このファミリーに含まれます。人間中心の歴史を相対化するという点では共通しています。


 この型の強みは、他のすべての型の「隠れた前提」を暴く力です。弱みは、批判は鋭いが「ではどう語るか」の代案を出しにくいこと。壊すのは得意だが、建てるのは苦手、という性格があります。

見分け方のヒント:「西洋中心主義批判」「ヨーロッパの地方化」「人新世」「ビッグヒストリー」といった表現が出てきたら、脱中心型です。




⑦並行型 ── 「とりあえず、地域別に並べる」

マップ上の位置:左・中段

 最後の型は、実は世の中で最も多く流通しているものです。ヨーロッパの話があり、中国の話があり、イスラーム世界の話があり、それらが並んでいる。
 明確な構成原理は掲げず、地域ごと(あるいは世紀ごと)に「こんなことがありました」と並べていく

 「バラバラ型」といってもよいもので、構成原理なしに事実を時系列で並べただけのもの。書店に並ぶ世界史入門書の相当数がこの形をとっています。


 日本の世界史教育で長く採用されてきた「三大文化圏」型も、あえてここに入れてみましょうか。
 ヨーロッパ・イスラーム・東アジアの三つを等価に並べ、前近代を文化圏ごとに学習し、近代で「世界の一体化」として合流させる。比較文明論的な学びを狙ったものではありましたが、えてして「各国史の寄せ集め」となりがちです。



 

「構成原理がない」というのは、一見すると中立的に見えます。しかし実際には、構成原理を明示しないことで、書き手の立場が見えなくなるという問題があります。
 実は、バラバラ型の多くは、気づかないうちに西洋中心の骨格を持っています。「ルネサンス→宗教改革→市民革命→産業革命」が世界史の「幹」で、中国やイスラームはその「枝」になっている。無自覚であるぶん、かえって問題が見えにくいのです。
 その意味で座標軸上ではやや左側にマッピングしてあります。


見分け方のヒント:地域ごとに章が分かれていて、それらがどう関連するかの説明が薄い場合、並行型の可能性が高いです。


 7類型の一覧




最後に少し実践を


 ここまで7つの型をきれいに分けてきましたが、実際の世界史の本やコンテンツは、複数の型が混ざっていることがほとんどです。

 たとえば、中国共産党の公式歴史観である「中華民族の偉大なる復興」を分析してみましょう。

「社会主義近代化は歴史的必然だ」→ これは①目的論型(マルクス的変種)。

「中華文明は5000年の輝かしい歴史を持つが、百年の屈辱で衰退し、いま復興しつつある」→ これは②興亡型(栄光→屈辱→復興の三幕構成)。

「世界の中心はアジアに回帰しつつある」→ これは③中心移動型

 三つの型が螺旋のように絡み合って、一つの壮大なナラティブを形成しています。


 ロシアのプーチン大統領は2021年の論文で、ウクライナとロシアの「歴史的一体性」を論じました(外部リンク)。
 この論文の構成は、②興亡型(「第三のローマ」としてのロシアの偉大さの回復)と④構造・環境決定型の「地政学」版(NATOの東方拡大はロシアの地政学的安全を脅かしている)の組み合わせです。


 日本における世界史の構成にはどのようなものがあるでしょうか。
 客観的と思われがちな日本の世界史の語り方ににも、実は独特の難しさがあります(詳しくは、シリーズ「ニッポンの世界史」を参照)。

 ヨーロッパ中心(「入欧」)に乗っかったこともあれば、そこから離れようとしたこともある(「脱欧」)。そのなかで、中国の影響圏から距離を置こうとする構成をとる(「脱欧」)のも一案ですが、勢い余ってアジアの盟主を名乗たこともある(「興亜」の危うさ)。あるいは、「脱欧」「脱欧」を同時に唱え、日本文明の独自性をうちだした構成にすることも可能です。

 どの組み合わせを選んだとしても、どうしてもヨーロッパ(西洋)と、アジア(特に大陸中国)との関係性が、世界史構成にとっての肝となる。この「隘路」こそが、ニッポンの世界史の構造的な特徴であり続けているのです。




なぜ今、これが大事なのか


「世界史の型なんて、歴史の専門家が気にすることでしょ?」と思うかもしれません。
 でも、そうでしょうか。

 先述したように、いま、生成AIに「世界史を教えて」と聞けば、数十秒で一つの世界史が返ってきます。YouTube を開けば世界史に関連する動画が山のように表示されます。
 SNSのタイムラインには、各国の歴史観に基づいたコンテンツが、今や日本語に即時変換され、流れてきます。

 もちろんこれらはおよそ7つの型のどれか(あるいはその組み合わせ)で構成されていると言っていい。
 ですが多くの場合、その構成は見えないようにデザインされています。「客観的な歴史の説明」のふりをして、特定の型に基づいたナラティブが提示されるのです。
 実は「客観的」と思われがちな教科書だって、いずれかの類型と無縁ではありません

 「この世界史は、どのナラティブ類型で語られているか?」

 そんなふうに、「世界史」のつくり方を読み解くリテラシーを働かせてみると、どれも同じだろうと思っていた世界史が、俄然、違ったふうに見えてくるはずです。

いいなと思ったら応援しよう!

みんなの世界史 このたびはお読みくださり、どうもありがとうございます😊