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【図解】ゼロからはじめる世界史のまとめ⑫ 400年~600年の世界

巨大化した国が分裂する時代②


ユーラシア大陸はどんな状態になっていますか?


―前の時代まで栄えていた巨大な国は、大規模な土地で水を引っ張って農業をすすめ、その収穫物を「」という形で回収し、多数の定住農耕民を養っていたタイプの国だったよね。



 それに対し、農業なんてできない乾燥エリアでは、動物を飼って移動生活をする遊牧民が生活している。

 遊牧民は最強兵器である馬にまたがり武装しており、機動力があり軍事的な力はある。
 しかし彼ら単独ではどうしても「食べ物をそろえる力」や「物をつくる力」は定住型の巨大な国にはかなわないのが玉にキズ。
 環境も過酷だ。
 

遊牧民と農耕民のミックス化


 さて、この時代には遊牧民が定住民のエリアに積極的に進出し、互いの文化をミックスしていくようになる。


 互いの長所を生かしていった結果、新しい支配のしくみや協力関係も生まれていくことになるんだ。



例えば?

ー黄河流域の政権は、争い事を解決するために、遊牧民グループ(注:鮮卑(せんぴ))に軍事力を頼るようになっていた。

ちょうど用心棒に仕事を依頼するようなイメージである


 しかし気づいてみたら、遊牧民の軍人が黄河流域の農民を直接支配するようになっていく。
 そうなったとき、多数の定住民を”納得”させるためには、遊牧民は自分たちの伝統やしきたりだけでは不十分だ。

 定住民たちが伝統的にやってきたお祭りやルールを認めることも必要だし、定住民たちの発達させてきた学問やテクノロジーを導入すれば支配にとっても都合がいい。

 そういうわけで遊牧民が定住民の文化を積極的に導入していくようになるんだ。


 ただし、そのような遊牧民と農耕民のそれはユーラシア大陸だけに限った話で、武装した遊牧民のいなかったアメリカ大陸では、ユーラシア大陸のような広くて巨大な国はなかなか現れない。
 それではエリア別に順番にみていくことにしよう。


* * *

◆400年~600年のアメリカ

◇400年~600年のアメリカ  北アメリカ

―北アメリカの北極に近いところでは、トナカイ、アザラシ、セイウチを捕まえて、犬にソリを引かせて移動する人たちが現れるよ(注:ドーセット文化)。

一面氷の世界ですよね。一体どんなところに住んでいるんですか?

―家は氷や雪でつくるんだ。
 見た目は日本人とよ~く似ている。


どうしてですか?


ー約1万年前にユーラシア大陸とアメリカ大陸がつながっていたときに、陸路で移動した人たちだからだ。

 今のアメリカ合衆国があるところでは、北の方では森で暮らす人たちの集まりが、北アメリカ最大の川(ミシシッピー川)では巨大なモニュメントをつくる小さな国ができている(注:ホープウェル墳丘墓文化)。


 また、南西(北を上にして左下)の乾燥地帯ではトウモロコシづくりを基盤に、小さな国が発展している(注:ホホカム文化モゴヨン文化)。


 中央アメリカではテオティワカンやマヤの都市が栄えている。

 だけど、ユーラシア大陸のように広範囲の統一には至っていない。


どうしてですか?

ー人のネットワークが発達しないと、情報が蓄積されず、イノベーションも生まれにくい。
 南北アメリカ大陸に遠距離を結ぶ交易ネットワークは存在したけれど、規模はユーラシア大陸よりもずっと小さいものだった。
 熱帯の気候がジャマをしてしまうことや、大きな家畜や鉄がないのでユーラシア大陸のような武装した遊牧民の軍事力がなかったことが大きな原因だろう。


◆400年~600年のオセアニア

―オセアニアの南のほうではポリネシア人が、かなり東のほうまで移動していて、さらなる移動をすすめようとしているよ。

すでにこのころにはマルケサス諸島のあたりまで到達していた。


◆400年~600年の中央ユーラシア


草原地帯では遊牧民が活発に動いていますね。


―そうだね。
 この時代のモンゴルでは、遊牧民(注:柔然(じゅうぜん))の王様がすでに「かがん」という称号を名乗っている。

この映画『ムーラン』は、この時代を舞台とする中国の物語(『木蘭詩』)を基にした映画で、何度もリメイクされている。いわば”中国のジャンヌ・ダルク”ともいえる「木蘭(ムーラン)」がお父さんに代わって異民族と勇敢に戦うストーリーだ。ディズニーアニメでも映画化されている(下の動画)。
このシーンでは、北朝(北魏)側に立つムーランが遊牧民(注:柔然(ローラン))と戦うところが描かれている。
ムーランは想像上のキャラクターだが、雰囲気は伝わるだろう。


 「かがん」という称号はのちの「ハーン」という称号につながるもので、広範囲にわたってパワーを持っていたようだ。

 その後、この遊牧民(注:柔然)のパワーは衰え、代わって「トルコ系の言葉」を話す遊牧民(注:テュルク)がモンゴルの草原の天下をとる。

 彼らは、ユーラシア大陸をまたにかける商売民族(ソグド人)と業務提携することで栄えていくことになるよ。

ソグド人が活動した舞台


ソグド語はこんな言葉



 すなわち、SP(エスピー)としてソグド人のラクダの一行をお守りし、貿易ルートの治安を守ったわけだ。


西の方ではフン人がヨーロッパに侵入していますね。

―そうそう。存続していた西ローマ帝国に最後の一撃を与えたんだ。西ローマ帝国は彼らの侵入を単独で防ぐことができず、ゲルマン人の王国の力を認めざるを得なくなった(注:カタラウヌムの戦い西ローマ帝国の滅亡)。

* * *


◆400年~600年のアジア

◇400年~600年のアジア  東アジア

中国では北から遊牧民が移住して、大混乱となっていますね


―そうだね。
 北からの脅威を逃れ多くの漢人は南中国に移動し、混乱の中で大勢の人が命を落としている。

 北では鮮卑人(せんぴ)という遊牧民が中国風の国(注:北魏)を建て、農耕民たちを支配しようとした。
 しかし、支配層の混乱によって分裂した(注:北魏が東魏西魏に分かれ、それぞれ北斉・北周に交替する)。

 南に逃れた漢人は独自の王国を建てて対抗するけど、こちらも軍人の力が強く不安定だ。


北と南に皇帝が複数いたってことですか?

―そうだよ。

 南朝の政権の皇帝は「われこそが漢人の伝統文化を引き継ぐ”正しい皇帝だ!」と主張。
 「あ~これは中国っぽい文化だなあ」という文化(注:琴棋書画)が高いレベルにまで発展していったのもこの時期のことだ。


あたらしい元号「令和」の出典である『万葉集』梅花の歌の序文も、この時期の南朝の名文『文選』がベースとなったものだ。


 さて、この中国の”南北分裂”をおさめたのは北の中国の政治家。
 
 彼は皇帝の奥さんの親戚(注:外戚)だったにもかかわらず、みずからが皇帝に即位し(注:楊堅(ようけん))、隋(ずい)という国を建てるよ。

この楊堅が遊牧民の血筋をひく家系であったことはよく知られており、その経緯を脚色したドラマも中国で人気だ。
中国を統一した隋の支配層は、遊牧民グループ(鮮卑(せんぴ)の名門、独孤氏)だったのだ。
「南北朝時代「独狐を得たものが天下を得る」というお告げを受けた北魏の孝武帝は将軍 独狐信の支持の下、長安に都を構えるも重臣の宇文泰に実権を奪われる。その後、北魏は東魏・西魏に分裂し、それぞれ北周・北斉に引き継がれる。時が流れ、北周を建国した宇文覚が独狐家の狩場を訪れる。彼は権力を増す従兄の宇文護に対抗すべく大将軍 独狐信を味方につけようとしていた。独孤信三女 伽羅は姉や政権争い、策略に振り回されながらも成長し、やがて政略結婚した楊堅を隋の初代皇帝に。」(中国ドラマ〈独孤伽羅〉独孤天下 キャスト・あらすじ・史実結末より)



 隋の皇帝がまず取り掛かったのは、いまだ南中国を支配していた皇帝の国(注:陳(ちん))を倒すこと。


どうやって倒したんですか?

ー物資や人を運ぶために人口の水路をつくった。
 馬による西との貿易が盛んな北に対し、質量ともに南の方が船を利用した経済が発展していたから、これによって南の富を北に「吸い上げる」作戦だ。

 結果的に中国は隋が統一することとなるよ。



◇400年~600年の東南アジア

それでも南の方の中国が経済的に盛んだったのは、“お隣”の東南アジアから高い値打ちの商品が入ってきたからですよね。

―その通り。
 東南アジアでは航海のテクニックが高まって、従来のようにマレー半島を陸で横断するルートに代わり、マラッカ海峡を通るルートが盛んとなっていた。
 東南アジアを制する者は、今後もマラッカ海峡を必ずおさえることがわかると思うよ。

 そうなると、それまでのメコン川流域(注:扶南(ふなん))や今のベトナムあたりにあった国(注:チャム人のチャンパー)に加え、いままでは“片田舎”に過ぎなかったスマトラ島ジャワ島やマレー半島の南に貿易で栄えた港町を束ねる国も生まれるようになる。

チャンパーは貿易で繁栄した

* * *


◇400年~600年のアジア  南アジア

―南アジアにも草原の遊牧民による影響が出ている。

 当時の北インドには、グプタ朝という統一王国があって、「インドっぽい」文化が発達していった。統一王国といっても、各地をダイレクトに支配できていたわけではないんだけどね。

”インドのシェイクスピア”とも呼ばれる劇のプロデューサー(注:カーリダーサ)が大活躍した


 そんなところに、北からエフタルという遊牧民が北インドにまで進出。ガンジス川(地図)沿いに都を置いた統一王国(注:グプタ朝)は崩壊してしまった。



 一方、イラン高原の王国(注:サーサーン朝)の皇帝(注:ホスロー1世)はモンゴル高原の遊牧民と協力し「挟み撃ち」に成功し、難を逃れた。



◇400年~600年のアジア  西アジア

西アジアは相変わらず栄えていますね。


―ユーラシア大陸の”中心”であり続けているね。
 特に豊かな場所である「2つの川の流れる地域」(注:メソポタミア)や港町をめぐっては、西からは東ローマ帝国(ビザンツ帝国)、東からはイランの王国(注:ササン朝)が「取り合い」をはじめている。


 そこで商人たちはトラブルを避けて、アラビア半島の南側を船で回るルートを取り始めることとなった。


 そうすると、ここにイランの王国や東ローマ帝国も進出しようとしてくるし、アフリカのエチオピアの王国(注:アクスム王国)も利益を求めてアラビア半島にやってくるようになっる。

アラビア半島には乾燥エリア(上の動画:オマーン中央部)だけでなく、農業が可能なエリア(下の動画:イエメンのサナアもある


 そうなると、アラビア半島の遊牧民であるアラブ人の中からは、平和な取引ができるように、「仲違いをやめてみんなでまとまろうよ」という動きも現れてくることになる(注:次の時代のイスラーム教)。


* * *


◆400年~600年のアフリカ

―この時代、アフリカでも遊牧民の活動は盛んだ。
 サハラ砂漠を超えるラクダの貿易が活発になっているからだ。


砂漠の向こうに何があるっていうんですか?

―地中海のほうから砂漠を南に進むと、金(きん)のとれる産地があるんだ。
 それを砂漠でとれる岩状の塩と交換する取引がさかんになったんだ。いわゆる岩塩(がんえん)だ。


 すると取引所は水のあるところにできるから、サハラ砂漠を流れる川沿いに町ができて、やがて支配者も現れるようになったんだ。


 なお、西アフリカを発祥とするバントゥー系の民族は、アフリカの東部・南部にまで到達。


 狩りや採集をおこなっていた狩猟採集民(注:コイコイ人、サンジン)は別の場所へと移動せざるを得なくなっている。


* * *


◆400年~600年のヨーロッパ


―ヨーロッパは遊牧民の侵入をもろに受けている。


ローマ帝国はどうなっちゃったんですか?

―すでにローマ帝国は東西に分かれて、それぞれの管轄に皇帝が立っていた。
 遊牧民たち(ゲルマン人)を押し止めることはもはや不可能になって、ローマ帝国の領土内に国を建てるのを認めていた。
 で、もっとも手強いフン人という遊牧民を彼らに倒してもらったんだ。

敵に敵を倒してもらったわけですね。


―そういうことだ。”夷(い)を以(もっ)て夷を制す”。
 でも、西側のローマの皇帝はその後、雇っていた遊牧民(ゲルマン人)の軍人に殺され、滅んでしまうよ。
 ゲルマン人たちはグループごとに国を建てていたけど、そのうちフランスの北に建国したフランク人はローマの文化を積極的に受け入れ、ローマを本部にするキリスト教の考え方を採用したんだ。


遊牧民も、圧倒的多数の低住民を支配するためにある程度「妥協」をしたわけですか。


―代わりに生きながらえるのは遊牧民の被害の少なかった東側のローマだ。
 経済が栄えていたアジアにも近いから、その都には各地からビジネスマンも多く集まり、産業も栄えた。


 拡大志向を持つ皇帝(注:ユスティニアヌス1世)が現れると、西側のローマだったところにも進出して、昔のローマ帝国の領土を取り戻そうとした。

この最盛期の皇帝の皇后(注:テオドラ)は、貧しい踊り子からのし上がり、皇帝をサポートした言い伝えで有名だ


 イタリアと北アフリカにあったゲルマン人の国を倒し、一時的には成功するけど、長続きはしなかった。

 その代わり、東のローマ帝国は、「かつてのローマ帝国」を受け継ぐ立派な国とされ、ローマの教会(注:ローマ・カトリック)とライバル関係にあるキリスト教(注:正教会)の教会を守りながら地中海の東半分を支配し続けることになるよ。

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