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【ニッポンの世界史】#39 カルタゴ=日本論:森本哲郎・堺屋太一と世界史エッセイ

「カルタゴ=日本論」の誕生とその波紋


 「カルタゴは日本に似ている」という見方がある。
 これを「カルタゴ=日本論」と呼ぶことにしよう。

 その系譜を試みにリストアップしてみると、以下のようになる。 

 古くはパリ平和会議に英国代表として出席した経済学者ケインズが、敗戦国に対する過酷な賠償に抗議し、「カルタゴ的講和」として警鐘を鳴らした(ケインズは途中で帰国している)。その数年後、本連載で何度もとりあげたトインビーもカルタゴを比喩として用いている。日本をカルタゴになぞらえた例としては最初期のものだろう。
 
 その後、「カルタゴ=日本論」が再び日の目を見るばかりか広く大衆化することとなるのは、1980年代末から1990年代初頭のこと。その火をつけたのは、評論家森本哲郎(1925〜2014)の『ある通商国家の興亡: カルタゴの遺書』(1989年)だった。

ローマはアメリカ、日本はカルタゴだ。
 ——当時の業界誌やビジネス雑誌を、そのような感想や対談がにぎわせた。

 カルタゴがローマに敗れる歴史をエッセイ調でやさしくひもとくことで、読者は現代世界、とりわけ日本の国際社会における位置に想いをはせることとなる。


 もちろんそれまでにもエッセイの形で、現代社会を歴史を通してよりよく理解しようとする作品は少なからずあった。
 まず、1970年代の「大衆歴史ブーム」——

 これを通して企業人たちは戦国武将や幕末の志士に経営のヒントを求めるようになった。先に取り上げたように中国史に関する親しみやすいエッセイや小説を執筆した陳舜臣の活動も見逃せない。

 しかし1980年代には、これまで取り上げられることの少なかった地域や出来事にスポットライトを当て、ビジネス上の教訓や時事論壇のトピックとすることがトレンドとなっていく。政治史や人物伝のみならず、経済や文化面に注目して文明の興亡を語る壮大な語りも見られるようになる。


 今回とりあげる『ある通商国家の興亡』も、その延長線上にある。
 だが、それだけではない。
 この作品がよく読まれたことの帰結として、1990年代以降、「ニッポンの世界史」に、ある変化が生じることとなる
 一体どういうことだろうか。



森本哲郎の旅と比較文明論


 森本哲郎はジャーナリスト出身の評論家で、紀行文の名手だ。サハラ砂漠、インダス、クノッソスなど、世界の古代文明を旅しながら思索を巡らせたことで知られる。

 文筆を生業とする者に対し、驚くほど潤沢な取材費が提供された時代だ。
 『イースター島 遺跡との対話』(1975年)、『私のニジェール探検行』(1982年)、『中国幻想行』(1983年)など、豊富な体験に裏付けられた著作を多く著し、日本の文明批評の第一人者としての地位を確立した。


 森本のエッセイには、前回触れたような比較文化論的な視点が随所に織り込まれている。

 たとえば森本は、富山県教育委員会が氏の講演(1977年夏)をもとにとして刊行した『文明のゆくえ』(1978年)を見てみよう。
 「我々は世界史というと、とかくヨーロッパを中心に考えがちだけれど、果たしてそれは正しい見方といえるだろうか」(11頁)とシュペングラートインビーを引きながら注意を促し、ヨーロッパ中心史観から脱して、世界史上の文明を「全体としてながめた歴史観」が必要だと述べる。
 必ずしも歴史はヨーロッパ文明の思い描くように進歩一辺倒ではなく退歩することもあるし、諸文明が対等に響き合って「人類の全文明のストーリー」が初めて組み立てられるのだという見方だ。



「経済大国」の負の側面としてのカルタゴ


 カルタゴに対する認識も、こうした「文明の旅」の中に醸成されていったものだったはずだ。
 1980年の著作(『豊かな社会のパラドックス—70年代を問い直す』角川書店)には、

1980年1月3日、私はカルタゴの港に立っていた。

 という記述があるが、これが最初の旅であったのかはわからない。『ぼくの旅のカタログ』(1985年)には、

ぼくは、カルタゴの地を三度訪れた。

森本哲郎『ぼくの旅のカタログ』角川書店、1985年、148頁。https://dl.ndl.go.jp/pid/12160933/1/76?keyword=%E3%82%AB%E3%83%AB%E3%82%BF%E3%82%B4

 とある。

 これらに先立つ先ほどの『文明のゆくえ』(1978年)は、実際に旅をした実感をもとにした講演ということだから、森本の話に依拠すれば、このときすでにカルタゴを一度は訪れていると考えるのが自然だろう(ただし、森本がカルタゴに旅したのが正確にいつのことだったのか、調べきることはできなかった)。


 森本はカルタゴ滅亡までのひとくさりを簡潔に紹介した上で、次のように述べている。

 これは先ほども申しましたように、カルタゴ人がフェニキアの伝統を受け継いで、ただエコノミー一筋に生きたところに生まれた悲劇ですね。エコノミックでありすぎたことが、自分たちの文明の命取りになったわけです。せめて一歩下がって胸に手を当てて、我々は何のために働いているのか、という一言を発すればよかったんです。

森本哲郎『文明のゆくえ』1978年、47-48頁。https://dl.ndl.go.jp/pid/12150055/1/28


 言うまでもなく森本が喚起しているのは、エコノミック・アニマルと諸外国に揶揄された日本の自画像そのものである。これは1970年代の終末論や物質文明批判や、数年後に高坂正堯が『文明が衰亡するとき』で述べることになる時代の雰囲気とも響きあうものだ。

 ただ、1978年の時点において、森本がカルタゴの歴史から引き出そうとしたのは、あくで日本人のとるべき「生き方」の指針にすぎなかった点に注意したい。
 たとえば『文明のゆくえ』(1978年)の別の箇所で森本は言う。

…カルタゴの歴史は、働くだけが能ではない、何のために働くのかという目的意識をはっきりと持つことによって人生を考える必要があることを私たちに教えてくれていると思います。 

森本哲郎、『文明のゆくえ』、1978年、58-59頁。https://dl.ndl.go.jp/pid/12150055/1/28

 また、(『豊かな社会のパラドックス(1980年))でも、

(筆者注:冬の午後のカルタゴの港を眺める森本氏)
すると、どういうわけか、とつぜん、日本が頭をかすめた。……チュニジアから見ると、日本はずいぶん豊かな国に見える。しかし——これから日本はどのように生きて行こうとしているのだろう。日本の豊かさに、はたしてパラドックスはないだろうか。

森本哲郎『豊かな社会のパラドックス—70年代を問い直す』角川書店、1980年、4頁。https://dl.ndl.go.jp/pid/12238892

 と物思いに耽っている。カルタゴは「何のための豊かさか」を問う契機として位置付けられていたと言えるだろう。




安全保障上の警鐘としてのカルタゴ


 だが、その約10年後に刊行された『ある通商国家の興亡』におけるカルタゴの扱い方には変化がみられる。ここで提起されたのは「経済大国カルタゴ」と「覇権国家ローマ」という構図だ。バブル景気前夜、日本は世界第2位の経済大国として繁栄していた。
 しかし、軍事力や外交戦略ではアメリカに依存する状態が続いていた。日米安保によって国土の防衛がアメリカに肩代わりされている、その姿がローマとの抗争に敗れたカルタゴと重ねられたわけだ

 同様の問題のアナロジーを、世界史上の出来事に求める想像力を発揮したのは、森本だけではない。経済企画庁長官、内閣特別顧問、内閣官房参与などを歴任し、万博にも関わった堺屋太一(1935〜2019)の活動も見逃せない。

 たとえば「宋代の澶淵(せんえん)の盟と日本の軽武装・経済重視戦略が似ている」という説明を聞いたことはないだろうか。
 たしかに北宋は北方の契丹(キタイ)という民族の国家「遼」(キタイ帝国)に対し「歳幣」(絹20万匹・銀10万両)送り、宋を兄とし遼を弟とすると取り決めた上で、国境は現状を維持することなどを約した。以後、1世紀以上にわたり平和がもたらされたわけであるが、これが戦後日本とそっくりというわけである。
 だが、そもそも同様のことは他の王朝でも行われているし、「歳幣」も宋代に限ったものではない。これを「屈辱的」と見るのは、いわゆる中華史観にほかならない。
 とはいえ現在では一般書や学習参考書、あるいは学校の授業でも言及されるようにもなっている。
 この言説のルーツはどこにあるか。私はその原点の一つが、堺屋のエッセイ『現代を見る歴史』(1987年)ではないかと見ている。

 この2年前、堺屋はベストセラー『知価革命』(1985年)を刊行している。ここでは「物財の循環史観」と銘打ち、「新しい中世」論を展開した。情報化社会の到来を見据えた点では、ダニエル・ベル(1919〜2011)の脱工業化論の延長線上にあるとも言えるが、堺屋の風呂敷は欧米諸国のみならず中東やインドの文明にまで広がる、相当にスケールの大きなものだ。
 彼の見立てでは、古代と近代は似ており、中世とポスト近代も同様の構造を持つ。こうした視点を通じて日本の世界史的な立場を見極め、「小さな政府」や「需要民主主義」といった政策論が導かれた。
 要するに、世界史のなかに現在の世界、そして日本を位置付けることで、巨視的に政策論を展開しようとしたわけである。

『知価革命』の構図

 1987年の『現代を見る歴史』は、より読みやすく、のびのびとしたエッセイとなっているが、基本的には国際社会における日本の抱える問題の解決法を、世界史の中にたどろうという点では同じだ。


湾岸戦争がもたらした現実感


 やや脇道にそれたが、これまで見てきた指摘をまとめれば、

世界史の出来事に現代世界の問題のアナロジーをみる思考法が1980年代に大衆化した
森本の「カルタゴ=日本論」はその思考を安全保障上の論点に焦点化させた。

 この2点がポイントだ。

 実際、『ある通商国家の興亡』の議論は、1991年の湾岸戦争を契機に、一気に現実味を帯びることとなる(冒頭の年表を参照)。
 軍事的貢献ができない日本は、巨額の資金援助を行うことで国際社会に関与しようとした。この姿が経済力はあるが軍事力がないカルタゴのイメージと結びつき、多くの識者が「日本は第二のカルタゴになるのでは」と警鐘を鳴らしたのだ。
 同時に1970〜80年代に形成された地政学的な世界史や「海をめぐる想像力」や地政学的な世界史も、1990年代にかけて一方ではトランスナショナルな形に、そして他方で安全保障に焦点化された形をとって継承されていくことになる。

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みんなの世界史 このたびはお読みくださり、どうもありがとうございます😊