ニッポンの世界史#45 世界史「学習漫画」の起源—手塚治虫と中央公論社
中央公論社『学習漫画 世界の歴史』
1980年代、ついに「世界史」をテーマとする漫画が登場する。
手塚治虫が監修を務めた中央公論社の『世界の歴史』シリーズは、今では定番となった学習漫画ジャンルの草分け的存在だ。
当時、手塚の漫画作品は論壇においても一定の評価を得ていたものの(注1)、漫画はまだ「教養」や「学校教育」とは相容れないものと見なされる向きが強かった(注2)。そんな中で、このシリーズがなぜ生まれたのか。
その背景には、中央公論社の出版戦略の転換があった。
もともと硬派な路線で知られた同社だが、1980年代に入り、コミック分野への進出を模索しはじめていた。きっかけを作ったのは、当時常務だった嶋中鵬二社長の長男・嶋中幸雄である。彼の提案で始まった『藤子不二雄ランド』は、シリーズ全体で2000万部を超えるヒットを記録し、「世界初の週刊本」として話題になった。
並行して、「愛蔵本」シリーズとして、池田理代子による『女帝エカテリーナ』などの作品も刊行され、成功を収める。この流れに手応えを感じた嶋中社長は、次なる一手として歴史漫画に着手する。
もっとも、こうした路線転換に対して、「伝統ある出版社が軽薄な道に進んだ」と否定的に見る声も少なくなかった。
だからこそ同社は、「歴史の権威」として知られる学者たちを監修に迎えた歴史シリーズを下敷きとした。貝塚茂樹、村川堅太郎、そして文藝春秋の池島信平が監修する『世界の歴史』シリーズ(全8巻)だ。
この構成をほぼ踏襲しつつ、手塚治虫が監修する企画が立ち上がった。
「コミック『世界の歴史』は、わが社がとってきた啓蒙主義の延長線上にある企画で、読者層を若い世代にも広げる試みだった」
こう語る嶋中社長の言葉には、自社の理念と新たな挑戦を結びつける意図がうかがえる。
その後も同社は、手塚治虫を中心に、さまざまな学習漫画を刊行していく。『伝記 世界の偉人』(永井道雄・手塚治虫監修)、『中国の歴史』(全12巻、陳舜臣・手塚治虫監修)、『アメリカの歴史』(全12巻、猿谷要・手塚治虫監修)、そして『日本の歴史』(全48巻、児玉幸多監修・石ノ森章太郎作画)などである。
嶋中社長はこのうち『日本の歴史』について、次のようにも語っている。
「学者と編集者と漫画家が協力してやれば、レベルの高い作品ができると思います。マンガの分野に学問を加えた……とでもいいますか。手間と時間はかかりますが、見ごたえのあるいいものができるはずです」
単なる子供向け漫画としての受容をねらったわけではなく、「教養としての漫画」を目指そうとした、その姿勢がよくわかるだろう。
従来の世界史ナラティブを踏襲した構成
では、この『世界の歴史』シリーズは、どのような内容で、どのような視点から歴史を描いていたのか。
最大の特徴は、物語の語り口にある。未来から来た宇宙人たちが、地球の歴史をタイムトラベルしながら観察・体験するという構成をとっていた。彼らはただの記録者ではなく、時には出来事に巻き込まれ、歴史上の人々の悲哀や苦悩に共感していく。読者もまた、手塚治虫流のヒューマニズムを通して歴史の内側に没入していく。
とはいえ構成としては、西洋中心主義的な面はいなめない。
1. 人類文明の始まり—古代エジプト
2. 専制への道—秦の始皇帝
3. 大いなる理想—ギリシアとローマ
4. シルクロード—東西の交流
5. 宗教の戦争—中世ヨーロッパと十字軍
6. 近代の夜明け—ルネッサンス
7. 黄金郷の夢—インカ帝国の悲劇
8. 自由の側の下に—フランス革命とナポレオン
9. 世界の工場—産業革命とブルジョワの時代
10. 民族の怒り—インド独立の戦い
11. どれい解放の日—アメリカ南北戦争
12. はるかなる大地の叫び—ロシア革命
13. 第三帝国の興亡—ヒットラーと第二次大戦
14. 平和への歩み—戦後の世界
15. 宇宙へ、そしてミクロの世界へ

まず第1巻は〈人類文明の始まり〉として古代エジプトを据え、巨大建造物の陰で苦しむ奴隷たちをクローズアップする。ここから第2巻の〈秦の始皇帝〉へとつながり、専制の系譜を東洋史の枠内で描いている。
これに対し、第3巻〈大いなる理想〉では、西洋古典世界を「民主政の先駆」として称揚する一方で、その内実の矛盾にも触れている。ただ、東洋と西洋を対置する構図はあからさまに際立っている。
第4巻〈シルクロード〉は、1970年代の「シルクロード・ブーム」のもたらした西域像をベースに、パミール盆地以西の様子も紹介した意欲作。

続く第5巻〈中世ヨーロッパと十字軍〉では、宗教戦争に明け暮れる「暗黒の中世」が描かれる。それを切り開くものとして第6巻〈ルネサンス〉が配され、大航海時代のコロンブスがほとんど否定的評価なしで語られる。

しかし次の第7巻〈黄金郷の夢〉では、インカ帝国の悲劇が提示される。増田義郎による発信や「大航海時代叢書」の影響があると思われる。
第8巻〈自由の旗の下に〉では、フランス革命とナポレオンを通じて、自由の理念とその反動という二面性が描かれる。
「ベルサイユのばら」以降、フランス革命は日本における世界史の人気テーマとなっていた。この巻の画風も、そうした流行を意識した少女漫画調になっている。

第9巻〈世界の工場〉では産業革命と「市民=ブルジョワ」の時代が描かれ、マルクス主義的な視点もうかがえる。

一方、東洋は再び「植民地で苦しむ側」として世界史の表舞台に浮上する。
第10巻〈民族の怒り〉で一巻まるごとインド大反乱を取り上げるのは、長崎暢子『インド大反乱』がシリーズ刊行時に話題となっていたことに加え、日本に根強い「インドびいき」も背景にあるだろう。シリーズのなかでもひときわ熱量が感じられる一巻だ。

だがその一方で、オスマン帝国や明・清といった地域はこのシリーズではとりたてて扱われることはなかった。近代化以前を「停滞期」とみなす、伝統的な西洋中心の世界史観がここでも透けて見える。
虐げられる者は欧米社会にもいる。
第11巻〈どれい解放の日〉でようやくアメリカ南北戦争に至り、奴隷解放の意義が語られる。さらに第12巻〈はるかなる大地の叫び〉では、ロシア革命がもたらした労働者階級の解放とその功罪を描いた。


第13巻〈第三帝国の興亡〉は、ヒトラーと第二次大戦を扱う。この巻もどちらかというと、政治情勢よりもむしろ、民衆側の複雑な思いにクローズアップする内容となっている。

そして二度の大戦を経て、第14巻〈平和への歩み〉では大戦後、平和に向けた人類の格闘にクローズアップし、やや断片的に複数のトピックが配置される。

第15巻〈宇宙へ、そしてミクロの世界へ〉は、歴史というより未来への展望を描くエピローグである。現代社会の課題とその解決策を紹介する異色の構成だが、その背景には、終末論的な未来観を子どもに刷り込むことへの手塚の批判的な姿勢がうかがえる(注3)。
未来人の視点を設定し、虐げられた人々の「悲哀と熱情」に注目するというシリーズ全体の語りは、通俗史観を超えようとする意欲が見える一方で、扱われない地域や史実も多い。
また、このシリーズの中には「日本」はほとんど位置付けられない。フランス革命やナポレオン、中国やインドの古代文明などは物語の軸に据えられているのに対し、日本の存在感はきわめて薄い。つまりこれは、「日本人が読む世界史」でありながら、ナショナル・ヒストリーをほぼ回避した構成になっている。その結果、読者――特に子どもたち――は、自分の立ち位置を持たないまま「世界」という空間の中に放り込まれる。ポジショニングが宙吊りのまま、歴史と向き合う構造になっている。
とはいえ監修者の手塚がもっとも重視したのは、世界史を通して「生命の尊厳」を子供たちに伝えようとすることにあった(注4)。

多くの子どもが、これをきっかけに「世界史」と出会ったであろう。学習漫画という形で世界史への入口が開かれ、それが出版市場としても成立しうることを示した点に、このシリーズの大きな意義がある。
***
注1 早いものに、開高健 著『ずばり東京 : 昭和著聞集』上,朝日新聞社,1964. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/3047938 手塚を「漫画の神様」と形容したのは開高という説もある。
注2 学校図書館においては1980年代半ばに転換点があったようだ。
1985年の学校図書館調査では、漫画をうけいれている学校図書館は、小学校52.1%、中学校56.4%、高等学校47.1%であったが、1989年度には小学校84.1%、中学校87.2%、高等学校78.3%となっている。(『学校図書館』(468),全国学校図書館協議会,1989-10. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/3431858 )
注3 「近ごろ、中学生あたりに21世紀についてたずねてみますと、驚いたことに、ほぼ半数の子どもから、かなり悲観的な、絶望的な答えが返ってくるのです。
「核戦争で、世界中が壊滅するよ。」
「食べものがなくて、飢え死にしたり、食べものをとりあって殺し合うと思う。」
「きっと大地震がおこって何万人も死ぬと思う。」
「放射能に世界中が汚染されるんじゃない?」
このような未来像は、テレビや映画のSFドラマとかマンガで覚えたイメージかもしれませんが、あまりにも虚無的で情けなくなってしまいます。たしかに世界に危機感が増しつつあることには違いないのですが、21世紀を社会人として迎える子どもたちをおおうこの絶望感はどうでしょう。」(手塚治虫『未来人へのメッセージ』岩波ブックレット、1986年、44頁)
注4 手塚はロボット技術をはじめとする科学技術が人間性をマイナスに導き、暴走する科学技術が社会に矛盾をひき起こすと考え、『鉄腕アトム』をはじめとする作品をとおして訴えてきた。壮大な歴史絵巻である『火の鳥』(1954〜88年)にも「科学技術とそれによる社会構造の変革」に対する疑問は滔々と描き込まれている。
本シリーズとほぼ同時期に発表された『アドルフに告ぐ』(1983〜85年)についても、「戦争体験者として第二次大戦の記憶を記録しておきたかったため」のみならず「なによりも、現在の社会不安の根本原因が戦争勃発への不安であり、それにもかかわらず状況がその方へ流されていることへの絶望に対する私のメッセージ」として描いたのだという(手塚治虫『未来人へのメッセージ』岩波ブックレット、1986年、50頁)。
引用文献
彩文社『知識』6(5)(102),彩文社,1990-05. 国立国会図書館デジタルコレクション
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