歴史のことば No.1 「歴史は決して古代オリエントから始まるんではない」
上原專祿(うえはらせんろく、1899ー1975)氏は京都生れの歴史家だ。史学史にふれたことがない限り、耳にすること、読まれることはないのだと思う。東京商科大学(現・一橋大学)学長を務め、お弟子さんには『ハーメルンの笛吹き男』の阿部謹也氏がいる。
「世界史」という科目は、戦後まもない1949年に、東洋史と西洋史を合わせる形で誕生した。上原も、あたらしい世界史像の構築に尽力し、検定不採用となるも『日本国民の世界史』を刊行している(わたしは吉田悟郎氏の著作の紹介に手引されて読んだ記憶がある)。
手元には、なぜか『著作集』の1巻と19巻がある。今確認してみると、なんだかすごい高騰していておどろく(1000円もしなかったような気がするが)。誰かが言及されたのだろうか。
19巻のなかに、「現代アジア・アフリカの世界史的問題状況」という講演の書き起こしがある(同、7-79頁)。一節をぬきだそう。
歴史は決して古代オリエントから始まるんではないんです。歴史が始まるのは、今日の、個々の、私どもの問題意識、そこから世界史が始まる。
こういった熱のこもった語りが、続くのだ。
もちろん、いまよんでみると、ナイーブなところもある。それでもなお十分通用する着想が展開されている。
たとえば、世界史をいくつかの文明圏、文化圏(地域世界)にわけ、その相互交流と一体化によって世界史を述べていくというものは、日本型世界史のアーキタイプとなった。
パレスチナ問題は、「文明の衝突」「イスラム/キリスト=ユダヤの2000年にわたる憎悪」などでは断じてなく、ナイジェリア内戦同様、植民地主義の落し子であり、当代につくられた言表にもとづくと喝破するあたりも、さすがである。
上原は、つぎのような言葉もものしている。
「「世界史」の第一の観念は、人類生活の悠久な歩みそのもの、広般な在り方そのものの全体、またはその一部分を、意味する。
これを、「在った世界史」と呼ぶことが、できるだろう。
第二の観念は、人類生活の歩みや在り方について、思考せられ、観察せられ、記述せられたものを意味する。これを、「考えられた世界史」と名づけることができるだろう。
「世界史」の観念を、こう二つに分けると、われわれが学び知ろうとする「世界史」は、この第一の意味における「在った世界史」であり、第二の意味における「考えられた」世界史ではない。
…(中略)客観的に世界史像を作り上げること、それがまた、「世界史を学ぶ」ということの意味である。
そういえば、このあいだ、第3シリーズの刊行がはじまった岩波講座世界歴史14巻の『南北アメリカ大陸〜17世紀』をよんでいて、どこかで聞いたことがある話だなあと思った(まあそもそも、カント以来の定番問題であるわけだが)。
南北アメリカ大陸から見直すとき、私たちの世界史認識はいかなる修正を迫られるのか。第3期『岩波講座 世界歴史』中、独立の1巻を南北アメリカ史に充てるのであれば、この問を避けて通るわけにはいかない。この問いに取り組むうえで、ここでは「実体としての世界史」と「認識としての世界史」を区別しながら論じていきたい。
安村直己氏による巻頭論文が、これである(3頁)。
南北アメリカ大陸は、暴力的に世界史(地球規模の世界史認識)に編入された。中核としてのヨーロッパ文明に従属する周縁として、である。
コンドルセやヘーゲルを代表とするヨーロッパ中心の世界史の語りは、しばしば文明の外部と認識された地域を、付属品として包摂してきた。その解釈権は、あくまでヨーロッパ人にある。その構想は、しばしば「在った世界史」とは食い違うものだ。
「考えられた世界史」と「在った世界史」をわけるべきだという上原の提案は、しごくもっともなものだ。
しかし、ある一定の価値観にもとづき、両者が混ぜ合わさることは、当時としてはありふれたことだった。戦時下には、日本が西洋文明(モダン)の次(ポスト)を担うとする「世界史」が、知識人によって議論され、ラジオや書物をつうじて日本の歴史的使命が流通した。
上原がとりくんだのは、そうしたものとは異なる世界史の構築だった。
上原は、第三世界の民族運動や安保闘争のさなか、国民としての歴史意識と、世界史、そして自己意識との接点を探り、真の民族独立を希求する。1960年に学長を辞任してからは、隠居しつつ日蓮研究に没頭した。上原の思想には、いくつかの複雑な転回やねじれもある。わたしには、そこまで読み解くほど、読めてもわかってもいない。
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